09. 手懐けておいた
ヤマの験者は、実に俗世に染まっている。否、染めている。
「やめてー」
女性の悲鳴!
浴衣姿のカナガワホビットの女性が、トチギリヴァイアサンに全身を縛られている!
ちょっと、どうなのか、と云うような光景を草木の蔭から見てしまい僕は困惑した。
「どうする……」イバラキドワーフおじさんが訊いた。
「助けなくちゃ」僕は即答した。
「様子を見ないでいいのか、」
「うん。見よう」
僕とおじさんで、ジッと続きを待っていると、──
着崩れした浴衣姿のカナガワホビットの女性がトチギリヴァイアサンの長い舌の先で脇の下をくすぐられている!
「あーん!」
切ない声を上げるカナガワホビット! なんてことだ!!
チバエルフのおばさんが吹き矢を構えたので、エロイズのおじさんが叩いた。
やめろ、やめない、の問答がやがて殴り合いに発展し、──
「カァット──!」
澄んだ男の声が、初夏の青葉を揺らした。「困るよ!」
何が。
「休憩!」
メガホンを構えたこれぞ鴉天狗というような見事な濡れ羽色の翼を持った中年の天狗がプンプン怒っていたのである。
*
緊縛役のトチギリヴァイアサンの体表が乾かないよう、アシスタント天狗が手桶から柄杓で水を撒いていた。「わわっ、冷たいっ」笑ってはしゃぐカナガワホビットの女性の濡れた浴衣が肌に張り付き、彼女が上も下も下に何も着けてないのが分かった。
「出番は未だかな」
タオル地の外衣を羽織っただけの、ほぼ全裸のカワゴエサイクロプスが控えていた。
おお……。
僕らは思わず声を漏らしていた。
ヘソのないカワゴエサイクロプスは、股間に立派な天狗様を下げていた。
「でっか! キモッ!?」
ご覧頂いているのは、チバエルフが仰天して慄く貴重な一場面である。
「あんたたち! 見るんじゃないよ!!」
「キー!?」
チバエルフのおばさんが小さなサイタマゴブリンたちを蹴り飛ばしたのは如何なものかと思う。
カワゴエサイクロプスは、サイタマゴブリンのアルファであるサイタマオークと実に近い。親戚かもしれない。遠縁と呼ぶ程に離れていない。だから彼らもいずれあの様に成るのは確定なのだ。ご立派様をブラ下げるのである。なので今から手懐けておいたほうが良さそうである。
チバエルフは特に恐怖心が薄いと云われている。ついでグンマ民。逆に臆病なのはトチギリヴァイアサンである。彼らは海が怖くて内陸に棲むようになった海獣なのである。大変残念な一族である。
しかしその長い体躯でもって緊縛する様は一見、いや二度三度何度見しようも価値があろうってものなのだ。こと相手が豊満とあればなおのこと。
監督椅子に、どっかと坐った鴉色の羽をした天狗が云った。
「昨今は、多様性を重んじた作品作りをしている」そこに国境は、ない。
監督天狗は断言したのである。
そして僕を見て、「君、興味あるかい?」
「え、あ、うん」
「君みたいな子が出てくれると、もっと作品の幅が広がると思うんだ」
「え、そ、……そうか、な?」
なんだか少し認められた気がしたのであるが、
「倫理は!? 道徳は!?」
ご覧頂いているのは、チバエルフが嫌悪に戦慄く貴重な一場面である。
この時僕は、チバエルフのおばさんを心底鬱陶しいと思ったのである。たった今、小さな一歩を踏み出しかけていたのに、であるからして特に。
僕がイバラキドワーフとグンマ民の半々で、自分の出自を考えたことがないなんて事はないのだ。
なんてことをしてくれたんだ、保護者でもあるまいに。
「ああでもね、」監督天狗は云った。「世界を混ぜたら等しく均一なるだなんて、とんだ暴論だと思ってるよ」
そこは慮っていただきたい。
誰もがティーンだった頃はあったろうに、何故、大人は年頃だったころの苦悩を忘れるんだ。僕は少しムッとした。
*
僕らが追い剥ぎのチバエルフの男を埋め、慌ててツクバ天狗を追いかけることになってから数日の開きが出来ていた。
ツクバ山の裾野に桑の木が茂っている。──。
ツクバ天狗は、上質の生糸を作る大層静かで、根気のある一族である。実際、蚕を大切にしている。しかしその神社はツクバ山にはない。麓にひっそりとある。
ツクバ山神社は、わりと歴史が浅いのである。喜んで行くのは田舎者なのである。
僕らは、トリデから霊峰ツクバ山までの道のりを引き返すのは、実にかったるいので、バスに乗っていくことにしたのである。
とは云っても、そう簡単でないのである。
まず宿場町でハンパ仕事をやっつけ、──実験用にカッパを罠にかけ(皿は引き出物や贈答品になる)街道の交通量調査、ガマの生け捕り等々──ちょこちょこと路銀を稼ぎ、これで数日の差となったのである。
依頼の達成で経験値がついたので、番付の隅に名前が載ったのはついでのオマケである。
その合間、サイタマゴブリンかひとりふたりと増えて、ちょっと休憩なんかしてると、仲良く遊んでる時はいいが、つるんでイタズラするしチバエルフがけしかけたりイバラキドワーフが怒ったり僕が取りなしたり面倒が増えたことくらいである。
さっさと成長でも合体でもして、サイタマタマオークになって欲しいのである。
タマ大鬼はとにかくデカい。と、聞く。とにかく強い。と、聞く。臆病な大鬼は生きていけないのだ。と、聞く。
人数が増えた僕らに対して、追いかけているツクバ天狗は翼を持っているのである。大層ズルいのである。
だが、空を飛ぶものの代償として彼ら天狗の一族はエンゲル係数がやけに高いと聞くのである。
そう見れば、世界は相応に何か見えないナニかで均されているようにも思えなくもない。のは気の所為である。
──空を飛べるのは、どうあれ強みには違いないのだ、──しがない半竹者は草履を擦り切らせながら道を歩くしかないのである。──
或いは別の交通手段を稼ぐのである。
バスは飛ぶように、とはいかないが、それでも田舎道を突っ切り、山の中腹程にあるツクバ山神社までやって来たのである。
ツクバ山なんて子供の頃以来である。
母と幼稚園の遠足で来て以来である。
駐車場でもうハシャイジャッテる観光客から僕らはソッと離れた。
あちこちで写真を撮ったり、縁結びだとか交通安全だとか、やっすい情報に乗せられて来た連中ばかりである。
ガマの油売りの口上をうっとり眺めちゃって田舎者が田舎者を喰い物にしているのか、えっ。まこと世間は弱肉強食と云った処か。えっ。
それは神社目当ての観光客ごときに分からぬ小道にある。僕らは、行旅人だけが知る山道を矢印看板の通りに進んだ。
これが酷い道中で、酷い山道であった。
休憩をしようにも、皆が仲違いしがちなのにで、もう最後には休みなしで険しい山をただただ登ったのである。
*
僕らは用意された椅子に監督天狗と向き合って座り、話を訊いた。山の験者がエロ本の総本山であり、且つエロビデヲを作っているのであった。
「なんでモザイクなんか入れるんです?」
僕はカマトトぶって監督天狗に訊ねた。「僕、このおばさんの見たんですけど?」
「えっ」
チバエルフのおばさんがすっごい顔して固まった。
えっ、て何だよ。一緒に連れションした仲なのに。
「それは本当かな?」鴉の監督天狗がチラチラと視線をチバエルフに向けた。
「本当です」僕は真顔で応えた。「すごかったです」いばりいばってた。滝。「すっごい」
「黙れマセガキ!」
椅子ごと突き飛ばされて罵倒された。これがチバだ。これぞチバぞ。だからチバなんだ。チバめ、チバめ!!
イバラキドワーフのエロイズおじさんが助け起こしてくれた、その時である。
「あっ、この餓鬼!」
「ビニ本、盗んだやつだな!」
三々五々に集まったアシスタント天狗たちから僕が槍玉に上がった。
のそり、と監督天狗が椅子から立ち上がった。
「──自販機の破壊は高くつくってことを知らしめないといけないんだ。すまんな、小僧」メガホンと羽団扇を両手にそれぞれ持ち、訊ねた。「盗んだのか?」
「まさか!」
即座に否定した。
なのに、僕に云い分なんてものはなかった。僕の荷物がぶちまけられた。
「ほら、ないでしょ⁉︎」
なのに、ぐいと襟を掴まれた。弁明の機会なんてなかった。はだけた襟元から一葉の写真がはらりと落ちた。
監督天狗の顔色が変わった。
「ふん縛れ!」
そんな次第でお縄になった。
僕は心底恐怖に震えてた。
誤解なんだ──。
分かってくれ。分かってくれ。──
──どうして分かってくれないんだ。──
僕は祈りに祈った。
僅かな人数で瞬時にイバラキドワーフもチバエルフも、サイタマゴブリンたちも、あっさり捕まえてしまう山の験者の一族。──
陽光が翳った。巨大な影が覆った。
見上げるまでもなく、大将天狗が姿を現したのである。




