03. お近づきになりたくない
父は簡単に云ったが、関所は近くない。けっこう先にある。あの無責任め。
ミト街道を西へと上り、幾つかの宿場を抜けねばならない。路銀は足りるだろうか。
しかもチバを通り抜ける必要があるのである。考えるだに恐ろしい。山賊に襲われたらどうするか。
無頼なチバエルフを相手に、到底無事でいられるとは思えなかった。
とはいえ、素直な僕は、とりあえず街道を上ってワカシバ宿場に着いた。
宿場とは、簡単に云えば、旅人の足休めの場である。表向きは。
裏向きは?
それはもう、なんというか、陸の港と云った按配で、ヒトとモノでごった返して、欲と欲がぶつかり合って、芋を洗うようと云った有り様で。
父と母の身長を足して二で割ったくらいの身の丈だから、まあまあ人波に飲まれるのは想像に難くない。
まずは行旅人の手続きをしないと、先に進めない。そのための宿場でもある。
しかし、まあ、この人の波、波、波。
僕はあっさり弾き飛ばされ、たたらを踏んで倒れ込む既の所でがっしりとした腕に抱えられた。むっとしたドワーフ臭に包まれた。
「おおっ」僕を助けてくれた彼は、「大丈夫か、坊主」
「はい」抱き起こされて、「ありがとう」頭を下げた。
おや、とドワーフの片方の眉が上がった。「あんた、半ドワーフかい」
「いえ」僕は否定した。「母がグンマなので、」
それで通じた。ドワーフはにっこり笑って、「そうかそうか」そして、ややもすると得意げに、いや自信たっぷりに、「俺はイバラキドワーフだ」
オレはエバラキドワーフだ。
イバラキドワーフは訛っていた。
「エバラキ」と彼は云った。確かに云った。
「エバラキ」僕はおうむ返しにした。
「エバラキ」彼も云い直した(直ってなかった)
哀しいかな、本物のイバラキドワーフは、自身を正しく発音できないものである。
彼は自分の荷を担ぎ直し、「出立する所か?」 僕の荷物を見遣って云った。
ほんのたった今、会ったばかりの訛りおじさんを僕が気に入っていたのは事実だし、事情も分からず家から追い出された所為で人恋しくもあった。
「僕はヒカリ」名乗ると、「エロイズ」彼は云った。「エバラキドワーフのエロイズ」
たぶん「イロエズ」と云ったんだと思う。
僕は自分の直感を信じた。「エド・ジョーに」そして、「母を訪ねて」
すると彼は、おや、と目を丸くし、ほぅ、と感心したような目をした。
云った自分も驚いた。なんで親父のよく分からん使いと出奔した母のことが繋がったのか分からなかった。が、腑に落ちるものを感じた。
父はそのつもりで僕を使いにだしのだろうか。母の失踪と関係があるのだろうか。僕は旅で何を得るのだろうか。──
そうなの? 父さん。
父の顔を思い浮かべ、次の瞬間、その思いが霧散した。
ないな。
「なあ、」と、ドワーフおじさんは、「通行手形はあるか」腰に下げてないぞ、と。なくしたか、根付をつけておけ、と。
しまった。そんなものが必要だったのだ。
すっかり失念していた自分を罵った。
駒形通行手形や木札の類いは関所を通るのに必要である。郷里を離れた旅には必須である。行旅人ならば、道中の危険を理由に得物の所持の免状にもなる。
それを持たずにうろつくなどとは無頼で風来、浪人となんら変わらんのである。下手をすればお縄である。何もしなくてもお縄になる。
他にも行旅人の身分があれば、宿場町での依頼を受けて小銭を稼げる。亭主/女房の浮気調査から、飼い犬/猫探しまで様々で、人捜しも多い。
貼り出された似顔絵だの写真の肖像を憶えておけば、どこかでひょっこり出会うことだってある。かもしれない。本人だったら金子にありつく。
対して、感謝はされるけど割に合わないのがカッパ退治とか生活に仇なす生き物相手に切った張ったすることである。あとガマの油取り。あれは時間がかかるだけで実入りは少ない。
イバラキドワーフのおじさんの腰には行旅人の証と云えよう革鞘に回転式拳銃が納められている。珍しい。
自分の父を思い浮かべるに、似合わないとすぐさま結論に達した。あれにはなんか、こう、小刀も持たせるのも危うい。
僕は道の隅で自分の荷を漁った。イバラキドワーフが心配そうに見ていた。僕は力なく笑って見せた。
「どうしたものか」
僕に代わってドワーフおじさんが悩んでくれた。
通行手形は身分の証明であり、だから関所を通れるのだ。甲乙丙と報酬にも差が出る。かてて加えて、番付に載ったりする根拠になる。
反転して、手配書に載ることもあるが、それはなんぞ悪い事をしたり関わったりしなければ大丈夫である。
番付に載ることは名誉とはちょっと違う。が、番付に載っているかどうかで自身が「ナニモノ」なのか、判断されがちだ。
例えばお偉いさんには武鑑がある。
でも、今の僕みたいな根無し草は?
番付の格付けで、たとい米粒ほどであったとしても記載されていれば、一応は保証される。行旅人と。
「まいったな」
声に出して云っていた。
「まいったなぁ」
気の善いドワーフは同情してくれた。
その時、「ギャア!」
僕らの背後で悲鳴が聞こえた。
これが、ご想像の通りである。
尻餅をついたいかにも気の弱そうな男を見下すように、女のチバエルフが尻を撫でられたと鬼の形相で立っていた。
チバエルフは既にカタナの柄を握っていた。今にも鞘を払って切りかかる寸前である(勿論そんな蛮行は赦されるものではないのだが)。
すっかり萎縮してガタガタ震えている町人風情が、そんな真似をするわけがない、と冷静になれば分かることである。
が、僕はこの時、まだチバエルフを充分理解していなかった。
凶暴だとか悪辣だとか、それはあくまでも聞いた話だったのである(実際にチバエルフの悪行を目の当たりにするのはこの時が初めてのことだったわけだ)。
チバエルフは、日頃の素行、とにかく評判が悪かった。
おかしなことに、チバエルフの名は番付表にわりと大き目の文字で記載されている。
公平を帰するのなら、チバエルフはあちこちで問題を作って力で解決するもので、その結果で「あいつは強い」格付けで相対的に上がっていくのである。
そして、余りにも特殊すぎたので「最凶」の格付けが新しく作られ、裏でやりとりされているらしい(つまり危険度番付だ)。
対して、実力があっても特にそれを誇ることなく、誇示する機会もない者は、いつまでも小さな文字のまま番付に載るのであった。
戦闘部族チバエルフは、先に手か足か、得物を出してから(なんなら相手にそれを突き立ててから)、物事を考えるのである。
つまり、お近づきになりたくないのである。
そして、往々にして災厄とは、本人の意思とは裏腹に向こうから近づいてくるものである。
「このオトシマエどうつけるんだ」チバエルフが気炎を上げた。
人集りが出来ていた。
宿場町の者、訪れた者、様々な土地の、部族の──イバラキドワーフもフクシマリザードマンもグンマの民も──皆、不安そうな顔をしていた。




