10. 天と大地の狭間で
大将天狗は、まさに大天狗の二つ名に相応しい姿なりをしている。
ぶえっくし、とくさめした。
長く伸びた鼻から洟が垂れた。
ぶぶーっと手にしたクリネックスで拭き取った。「すまぬ、アレルギーでな」
びえん、びえん。
大天狗は鼻を鳴らしながら鼻紙をくしゃくしゃに丸めてポイした。スコーンとゴミ箱に綺麗に入った。
誤解の解けた僕らは、ツクバ天狗殿に客人として迎え入れられた。
客室は質素で茶室を思わせた。水墨画の掛け軸と、鮮やかな赤を散らした有田焼の花瓶がソッと置かれ、控えめな美を添えていた。
「ところで天狗殿」とイバラキドワーフのおじさんが口を開く。「納豆の密輸について、空から気づいたことはありますか」
大天狗は顎に手を当て首を捻って、長い鼻から鼻水を払った。「知らんなぁ」
ならそうだろう。
隣の若天狗が口を開いた。「我々は、自販機の補充や書店への卸しで飛びますが、陸路と違った独自の空路を持っています。納豆の流通網からは多分に離れておりますかと」
成程。
チバエルフのおばさんは、さっきから出されたお菓子をもしゃもしゃ食べながら、小さく割ってサイタマゴブリンにあげていた。これがチバエルフ流の餌付け方法です。
「ねえ、おじさん。納豆の密輸って、何?」
正直、どうでも良かったが、別に訊いておいても損でもなさげに思ったので口にした。密輸って。納豆で密輸って。何、云っとう。ぶははは。
「むぅ」
ひとつ唸ってから、イバラキドワーフのおじさんは語ったのである。──
ミト納豆は、オカメとオキナが二大製造元としてその他製造元と併せミト納豆の名のもと切磋琢磨していた。そこへ、偽オカメと偽オキナが流通し、市場を荒らし出した。
その納豆は味が落ちる。価値に傷を付ける。そして安い。消費期限も怪しい。製造元も怪しい。
これは反社会的納豆──ハン納豆である。
大層如何わしい納豆である。
大変不気味な納豆でもある。
ケン・チョーは納豆に収入証紙を課している。
納豆は課税物品なのだ。──
確かに、あの変なシールみたいなのはなんだろうと云われてみれば気になり出す。貼ってあった。あれミト印紙なんだ。
地域特産品である納豆は、取りも直さずミト経済にとって不可欠である。
ハン納豆は証紙がない状態で流通し、しかし消費者が手にする頃には証紙が貼られている。
偽造証紙の存在は、取りも直さずミト経済を狂わせる蛮行である。
大罪ですらある。良くて村八分。ミト刑罰としては無期懲役あるいは流刑もしくはその両方で死罪まである。
ところが、ツクバ天狗は違っていた。
「それはミトの問題であろう」
「そうはいかない」と、イバラキドワーフのおじさんは懐に手を入れ、
「ふむ?」
庇うように、さっと若天狗が横から手をだしかけたのを大天狗は諌めた。
取り出した黒漆が光る小さなそれは、
「この印籠に憶えはございませんか」
金でミト紋様が描かれていた。
「いや、特に。だが、佳い品であるのは見て取れる」
「ミトよりケン・チョーから請け負った極秘任務の証でございます」
「成程、それで」
ふたりのおじさんは納得している。
納豆特捜班か。
ミト経済の無駄遣いを知った。
大天狗が愉快そうに云う。「極秘を明かしてよいのか」
もっともだ。
「信じて貰うためにこれを遣わされました」
イバラキドワーフのおじさんは印籠を懐に戻した。
「確かにそうだな。裏で誰が、或いは何かがどんな意図で糸を引いているのか知らぬが、酒麹にとって大敵であるからして無関係である。大事の前の小事にもならぬ引き割りの如し瑣末なことよ」
どうやら天狗たちは自家醸造もしているご様子。
「む」と、イバラキドワーフのおじさんは頷くものの、「──何か気になることでも?」
「気づいていないか?」
大天狗は手を打ち鳴らした。すっと、細身の若い天狗が姿をあらわした。
「此奴は、伝書役をしている」
は、とかしこまった伝書天狗の彼が云う処では、──
天狗は東西の交流が盛んである。商人の間での書簡を預かる事も多い。
「何を運ばされるのか、中身の確認は必要でございます」
常習的な盗み見を暴露した。天狗情報網の秘訣であった。天狗は先物買いの上前をそうと分からぬ程度にちょこちょこと扱っている実に小銭天狗なのだ。
しかし、と伝書天狗が云う。このところシンシューを越えたところで、がくんと昔に戻った感じがする、と。
「逆に、」と、大天狗が話を引き継いだ。「西から東に来た者は空気の酷さに体を壊す。時に墜落する。時に消えることもある」
汚染雲が酷い。ここ(東)はだいぶ穢れた空になっている。──
大天狗は洟をぐずぐず鳴らしながら、何とも冴えない調子で薄く笑った。
「西の連中は特に鳥の姿を好む。火を纏って松明のように輝き、まさに流星だ」ややもするとうっとりとした様子で云う。「東のように、いかないのだ」
もしや、と、 訝しげな調子でエロイズおじさんが云う。
「イト−フジ線、ですかな?」
「私が思うに、ヤマノテセン結界だ」
あれが結ばれてから、じわじわとおかしくなっていったのだ。──
「どうしよう」僕は呟いた。「エド・ジョーが、」
「結界の中は千里眼をしても詠めないのだ」
それは結構大事なことでは? ……
「……アラカワセイレーンは今も過去も何も警報を発していない……」
チバエルフのおばさんが呟くように云う。
「天と大地の狭間で時が狂っている」大天狗は宙を見つめて云った。「見えざる手がなしているのだろうか」
それは問いではなく、ただ感想を口にしただけのようだった。
大天狗は視線を僕らに戻し、続けた。──
「あれ(結界)は左廻りで結ばれている」
ヤマノテセン結界は西の権威、東の政治の体制を確立するのに、急いで作られた。と語る。
普通、結界は右廻りに結び、時間をかけて場を均し固めていく。対して左廻りの結界は、直ぐに効果を発揮するようになるが、その分の影響が方々に出やすくなるものである。
右廻りなら、力は弱いが制御は易い。
左廻りなら、力は強いが制御が難い。
急造の権力は、左廻りを選んだのである。
そして万全とは云いがたい状態で、西の京に対して、トー京を新都とした皺寄せがまさに今なのである。
「大天狗殿。力を貸して貰えるか」
「いや、我々は、移住を考えている」
エロイズおじさんの提案を、大天狗は首を横に振ったのである。
「我々は、遠からず西へ移動する」
元々その準備をしていたという。生糸が思うように売れなくなった。──
レイヨンが市場を奪い、エロ本もエロビデヲも、規制ばかりになってしまって、つまり二進も三進もいかなくなった、と。
「淫本はコンビニに並べられなくなった」
思いの他、天狗経済は厳しかった。
「アラカワセイレーンも、いずれセトウチセイレーンと合流するであろう」大天狗は自分の顎髭を撫でながら云った。「土地の問題は土地で解決すべきである」
思うに淡水と海水で解決ならん気がする。
「あなたたちも、東の者ではないですか」イバラキドワーフのおじさんがややもすると咎めるように云うが。
大天狗は、きっぱりと、「我々は山の者である」
「……あなた達がいなくなったら、」
「エッチなものは誰が作るんですか!?」
エロイズおじさんの言葉を遮って、僕は切実に訊ねた。ふんすッと鼻から息が盛大に漏れ出た。
大天狗は、優しく目を細めて、まさに賢者が凡夫を諭すように柔らかな声音で、
「──少年。お前の両手は何処にある?」
うん?
「その手は股座に届くであろう」と、大天狗様は続けた。「そのように出来ているのだ」
僕は自分の手を股間に当て──、
「うん」ギュッと握った。「うん。分かったよ」
大天狗はニッコリ笑った。傍らでチバエルフのおばさんが厭そうな顔をしていた。この感じ悪さが実にチバ仕草である。
もし、トー京へ登るのであれば、と大天狗は云った。「ツクバ山ヘリポートを使うがいい」
それで街道を越えて一直線ということか。
あれ? 関所は?
「飛行計画はこちらで用意しておこう」
あ、はい。
「さ、餞別だ。──」
渡されたのは小瓶で、蓋を開ければツンと鼻に来るものがあった。
天狗謹製ガマの油である。
フクシマリザードマンがツクバのガマを食用にしていると云う話はぞっとしないのである。搾り搾ったあとで食用にしても、美味みがあるのだろうか? そもそもがガマであるいぞ? ぬるぬるしてるし、目玉が気持ち悪い。色も悪い。個別でも総評でも気持ちが悪い。ツチウラで蓮根でも齧っていろと思うが肉食系一族が根菜を好むとは思えなかったのである話をガマの油に戻そう。
ツクバ山神社は、交通の安全を祈祷している。──
旅をする者にとって、ツクバ山のガマの油をは道中の安全、特に怪我の心配がなくなると云い伝えられている。武器軟膏としても使える。
些か、些かなモノではあるが、図らずも佳いお守りを貰ったと思うことにしたのである。
とは云え、イバラキドワーフはわりと肌が厚いので、簡単に怪我はしない。
だからと云って山賊だの追い剥ぎだのに斧でカチ割られたら普通に「やられたー」そして「死ぬー」次回作にご期待くださいってな按配である。毒を盛られたら「ぶくぶくぶく」泡を吹いて倒れるであろう。内蔵ばかりは鍛えられまい。
切りつけられたら次回作送りになるのはグンマ民の血を引く僕もチバエルフのおばさんも同じである。が。
サイタマゴブリンは群体なので個体の死には、僕らと持つ死生観と異なるだろうから、どう思っているのか、実際の処は分からない。でも、だからって邪魔だ気持ち悪いって理由だけで斬った蹴った張っ倒すのはよくないのである。
彼らも成体となったら、先のカワゴエサイクロプスのように他と変わらず交流があるし、まぐわうこともできるのであるご立派様。
あなたの倫理観が、道徳心が、何時か/何処かで向き合った時、それまでの自分と同じでいられるかどうか問われるであろう。──
そう考えると、サイタマゴブリンは、わりと精霊もしくは神族に近しい存在なのかもしれない。
凡人たるもの、彼岸に渡った時を考え日々を送るべきなのである。
閻魔帳の帳尻は合わせておきたいのである。
「ギー」
サイタマゴブリンたちが、大天狗から貰った小瓶に興味深げに鼻を寄せて、軟膏のにおいに悶えている。
これっ、止しなさいっ。
チバエルフのおばさんが取り繕っているが、「よいよい」と大甘な大天狗様は、転がってるサイタマゴブリンを目を細めて微笑んでいやがるのである。
「くっさ」
イバラキドワーフのおじさんは、僕だって黙ってたことをあっさりと云い放ったのである。大人のすることか。
大天狗がムスッとしたのである。
大将がしていい顔でない。
どおんッ、と天狗殿が揺れた。
重く太い音だった。
轟音に伴って破裂し、もうもうと舞い上がる砂煙の中、木っ端が散って花瓶が割れた。あああ勿体ない。
「脱出しろ!」
大天狗がひときわ大きな羽団扇を一閃させた。天狗殿が崩壊した。




