アドルファス王太子殿下登場
「――今日、当国の関係者がひとり、遅れてこちらに到着する予定です。そろそろ着くはずなので、一緒に打ち合わせできますか? このまま別室に移って始めたいのですが」
ルードヴィヒ王弟殿下からそう誘われ、
「はい、問題ございません」
私の喜びは顔にそのまま出ていただろう。
このまま彼らと一緒に移動できるなんて、とてもラッキーだ。これで婚約者と話さなくて済む。私の中ではもう終わった関係なので、これ以上婚約者とは何も喋りたくなかった。
もしも彼が四年間、誠意をもってこちらに向き合ってくれていれば、私も別れる際は誠意を見せただろう。けれどそうしてくれなかったから、私もそれ相応の対応をする。(……もっとも、彼に誠意があったなら、そもそも私は別れを告げなかったわけだが)
ルードヴィヒ王弟殿下、秘書の女性、私――三人は連れ立って王宮の離れに向かった。
ルードヴィヒ王弟殿下のため、離れは棟ごと貸し切りになっている。
屋外に出ると、気持ちの良い風が吹いていた。
「あの壁際にいた騎士は、あなたの婚約者でしょう」
歩きながらルードヴィヒ王弟殿下にそう指摘され、私は気まずい思いをした。
「はい、そうです。あのような場面をお見せしてしまい、お恥ずかしいです」
「それは別にいいですよ、ただ」
ルードヴィヒ王弟殿下が眉根を寄せている。
「彼、あなたに惚れていると思うが」
「え」
私は目を丸くした。――ありえない、強くそう思った。
「それはないです」
「なぜ?」
ええと……なんと言ったものか。
とはいえ今さら秘密主義もおかしいだろう。私は正直に伝えることにした。
「彼は王女殿下のことが好きなのです。私のことは眼中にありません。ずっと二番目という扱いをされてきました」
「いやぁ、どうかな」
なぜかルードヴィヒ王弟殿下が口角を上げ、なんともいえない意地の悪い笑い方をした。下品と上品のちょうどあいだというか、絶妙に味のある顔つきだった。
「彼は思い込みが激しいタイプだな。『王女殿下が好きだ』という自己暗示にかかっているだけで、実際のところ絶対に君に気がある」
「……長いあいだ婚約者として同じ時間を過ごしましたが、愛されていると感じたことはなかったです」
答えながら、嘘は言っていないけれど、『本当に?』と疑問が湧き上がってきた。
そう、確かに……彼はふたりきりでいる時は、私を意識しているような素振りをしていた。
ただ、王女殿下が一緒にいる時の、私に対する態度がひどすぎたので、そういうことを繰り返された結果、彼を信じられなくなった。私だけに見せる照れたようなあの顔も、演技だとしか思えなくなり。
ルードヴィヒ王弟殿下が可笑しそうに笑う。
「これで彼は王女殿下と結婚できるようになったわけだが、だからといって、ふたりの結婚生活がうまくいくとは思えないねぇ……。おそらくこれからは、逃してしまった君の面影を追い続けるはずさ」
……え? 王女殿下と結婚できる?
どういう意味だろう。
私は眉根を寄せる。王女殿下は聖女として隣国に嫁ぐから、彼らはどうあっても結ばれないはずでは?
尋ねようとした、その時。
「――叔父上、どうも」
後ろから声をかけられ、私たち三人は振り返った。
フードを深くかぶった青年がこちらに歩いて来る。身のこなしがとても綺麗な男性で、品があった。
うつむきがちに歩いていた彼が顔を上げたので、面差しが目に入る。
とても美しい人だ。クリアな青の虹彩が印象的で、ハニーブロンドの髪がフードの隙間から覗いている。
「ああ、彼がね、聖女を娶る予定のアドルファス王太子殿下ですよ」
軽い口調でルードヴィヒ王弟殿下がそう言うので、私は呆気に取られてしまった。
アドルファス王太子殿下は所用で来られないという話だったのでは? 都合がついて、間に合ったということ?
ええと、それより、もっと問題な点が。
「でも、アドルファス王太子殿下は、あなたにそっくりだと――」
ルードヴィヒ王弟殿下は先ほどサンルームで雑談していた際、「甥っ子は私にそっくりですよ」と言っていたではないか。
「瓜ふたつ、そっくりでしょう?」
まるで悪びれない!
「いえ、そっくりじゃないですよ!」
私は愛想を言うのが苦手なので、キッパリとそう主張した。
ふたりは対極にいるくらい違うと思うわ。
とはいえルードヴィヒ王弟殿下の見た目は、初めこそ戸惑いを覚えたものの、今では愛嬌があって魅力的だと思えるようになった。けれどやはり違うものは違う。
「――叔父上、こちらの女性は?」
彼の青い虹彩がこちらに向いた。クールであるのに、なんだか面白がっているような、不思議な感じがした。馴れ馴れしくはないのに、拒絶するような冷たさはないというか。
ルードヴィヒ王弟殿下が私のことを紹介してくれ、
「こちらのディーナ嬢が君の花嫁だ。――まぁそれは彼女がOKしてくれれば、の話だが」
と訳の分からないことを言い出した。
私は驚きすぎて固まり、何も言えない。
アドルファス王太子殿下も無言だった。
やがて彼が口を開いた。
「えー……そうなの?」
「そうだよ、どうだ?」
「どうって、彼女のこと、よく知らないし。会ったばかりだ」
アドルファス王太子殿下がもう一度こちらを見る。
私たちはしばらく無言で見つめ合った。
「で、どう?」
ルードヴィヒ王弟殿下は完全に悪ノリしている。ニヤニヤ笑いを抑える努力すらしていないもの。
「――ああ、顔は好き。優しそう」
アドルファス王太子殿下はシレッとものすごいことを言う。
私は表情を変えず、口も開かなかった。
何を言ったらいいのか分からなかったからだ。
* * *
「君、本名で王宮に入ったのか?」
尋ねられ、アドルファス王太子殿下が眉根を寄せる。
「そりゃ当然でしょ。他国の王宮に、偽名で入るのは問題がある」
「じゃあ、あまり時間がないなぁ」
「時間?」
「君ね、今すぐ行動しないと、こちらの女性と結婚できないよ。必死で頼んで、花嫁になってもらうべきだ。そうしないと、別の、わりと嫌な性格の女性と結婚するはめになる」
「……いや、いきなり訳の分からないことをまくし立てられても」
アドルファス王太子殿下の戸惑いはもっともだ。そして私だって戸惑っている。
今ひとつノリが悪い私たちを眺め、ルードヴィヒ王弟殿下が腕組みをしてこう言った。
「この国の王女殿下は私の顔を見て、気持ち悪そうに顔を顰めたんだよ。どう?」
「それは嫌な感じだな」
とアドルファス王太子殿下。
「君、そんな女性と結婚できる?」
「無理」
「ところが、だ――こちらのディーナ嬢は初対面からとても礼儀正しく、感じが良かった。――君さ、彼女の顔がタイプなら、もういいじゃないか。それ以上何を望むんだ」
「確かにそうだね。叔父上と気が合うなら、僕とも合うはず」
アドルファス王太子殿下がこちらを向き、綺麗な動作で跪いた。
「――結婚していただけますか」
手を差し伸べられ、澄んだ瞳で見上げられ、私は目を瞠る。
……なんなの、ついていけない。
困り果て、ルードヴィヒ王弟殿下をチラリと横目で見遣ると、
「――頼むよ。人助けだと思って」
と懇願される。
「いえ、あの、私は聖女ではないので」
「それは問題ないから」
「あると思います」
「――大丈夫、問題ない」
今度は跪いているアドルファス王太子殿下がそう請け負った。
私は彼を見おろし……彼は私を見上げる。
「僕の顔、どうですか? 性格はまだ分からないだろうから、とりあえず見た目で判断してください」
淡々と尋ねられたので、正直に答えた。
「……素敵だと思います」
「つまり、タイプということでOK?」
「ええと、はい」
……はい、でいいのだろうか?
でも好きなタイプの顔であるのは事実だ。
ずっと無表情だった彼が、にっこり笑って私の手を掬い取った。
「やった。僕は理想の花嫁をゲットした」
彼が立ち上がり、私はしっかりと手を握られ……『これで結婚が決まったの?』と混乱した頭で考えていた。
何も問題は片づいていないように思えるわ。
* * *
「……叔父上、またなんか変な呪いのアイテムを試しましたね」
アドルファス王太子殿下が半目になってそう言った。
「この腕輪をつけたら、こんな見た目になっちゃったよ」
ルードヴィヒ王弟殿下が腕を差し出す。太い手首に、大きなルビーのついた腕輪が嵌っていた。
「いい加減にしてくださいよ」
「君、治せる? 腕輪を外しても、見た目が野性味溢れるクマ男のままなのさ」
「うーん……たぶんできる」
アドルファス王太子殿下は叔父から腕輪を抜き取ったあと、彼の顔の前で手をかざした。
すると光の粒子が舞い、ルードヴィヒ王弟殿下のクマのような顔が変わった。いえ――顔というよりも、全身のシルエットごと大きく変化する。
……驚いた!
瞬きしたあとには、目の前にとても綺麗な男性が佇んでいた。
たぶんアドルファス王太子殿下が十歳ほど年齢を重ねたらこうなるだろう、という麗しい見た目。
「どう? 僕の顔、治った?」
ルードヴィヒ王弟殿下が傍らの秘書の女性を振り返ると、彼女が真顔でコクリと頷いてみせる。
「ええ。……ちょっと残念ですね」
「なんで?」
「あの見た目、私は結構好きでした」
「お……そうかい」
「あのままクマ男の見た目で、結婚式を挙げてもよかったですよ」
彼女は頬を赤らめている。
あ、やはりふたりは恋仲――というより、婚約者同士なのね。
「どうして姿が変わっていたのですか?」
私はひとり状況についていけない。
「ほら、僕、世界各地の呪いの品を試して歩いているって言っただろう? ここへ来る途中で、呪いの腕輪を手に入れてさぁ」
肩をすくめてみせるルードヴィヒ王弟殿下。
「女性に嫌悪される呪いっていうんで、面白そうだなと思って腕に嵌めたら、えらいことになっちゃったよ。まさか外見があそこまで変わるとは。そして自力では元に戻らなくなるとは。……まぁでもかえってよかった。君のところの王女殿下のことを、手っ取り早く嫌いになれたから」
シレッと語っているが、毒舌というか、すごい切れ味だ。
私は冷や汗が出そうになった。
……一応当国の王女殿下だ。身内として恥ずかしい気持ちになる。確かに彼女の態度は、一国の代表としてありえないものだった。
ただ、初対面の際に、ルードヴィヒ王弟殿下の見た目には、私もゾッとする嫌な感じを受けた。あの奇妙な感覚は呪いのせいだったらしい。顔の造作が嫌だったというより、本能的に恐怖をかき立てられる、なんともいえない感じがしたのだ。
だけど私の場合はあの時考えを巡らせ、冷静さを取り戻せたので、呪いの暗示が解けたのかもしれない。すぐにルードヴィヒ王弟殿下に対する嫌悪感は消え去ったから。
だけど『気持ち悪い、こんな人と関わりたくない』という感情を制御できなかった王女殿下は、ずっとそのまま変わらずだった。
「――叔父上、この腕輪、たぶん役立ちますよ」
アドルファス王太子殿下がそんなことを言い出した。
「ほら、見て」
彼が自身の腕に嵌めると、今度はアドルファス王太子殿下の姿が邪悪なクマ男に変わった。体型もモッサリ大きくなったので、すごい効き目だ。
「叔父上も、もう一度」
アドルファス王太子殿下は自らの手から腕輪を引き抜いたが、見た目はクマ男のままでキープされた。
……そういえば腕から抜いても、浄化の力を使わないと、もう元の姿には戻れないのか。
アドルファス王太子殿下が叔父上の腕に嵌め、もう一度見た目を変えた。
結果、この場にクマ男がふたりになった。
「さて」
アドルファス王太子殿下が口角を楽しげに持ち上げる。
「関係者を一堂に集め、一気に問題を片づけますか」
「いいね!」
ルードヴィヒ王弟殿下が陽気に声を上げる。
「せっかくだから、教会で『聖女判定式』をやり直すってのはどうだい?」
そんな訳で、おもだった関係者――当国の国王陛下、私の父、王女殿下、婚約者(もう元婚約者か)などを招集し、改めましての『聖女判定式』が行われることとなった。