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私、彼と結婚したくない

挿絵(By みてみん)


1章(1~4話)は、短編と同じ内容です。

短編を読了済の方は、2章からお読みください。



 好きな人に振り向いてもらえない。


 それってものすごく悲しいわよね。


 私の場合は好きになった相手が婚約者だったから、状況はかなり悲惨だった。


 いっそ婚約破棄してくれればいいのに――そうすれば顔を合わせることがなくなるから、気持ちを切り替えられる。


 だけど彼はそうしなかった。『これは政略結婚なのだから、愛は不要だろう』という考えのようで、それは確かにそうなのかもしれないけれど。


 彼が少しずるいのは、ふたりきりでいる時は、私のことをそれなりに丁寧に扱うところだ。虐げるわけでもなく、冷たくするわけでもなく。だけど根底に愛はない。


 ――何をしても好きな人に振り向いてもらえない。


 もういい加減、疲れてしまったわ。


 ――なんと四年間。


 婚約者は四年間、私を傷つけながら、別の女性を愛し続けた。




   * * *




 自己肯定感が低くなり、私の十代は散々だった。


 けれどそんな私に二カ月前、転機が訪れた。


 もしかするとこれはビッグチャンスかもしれない。


 たぶん私は今、それを掴みかけている。




   * * *




 気持ちが前向きになったおかげか、以前より柔軟にものを考えられるようになった。


 ――私もつらかったけれど、彼もやはりつらかったのだろう。


 今は素直にそう思える。そう思えるようになったというのは、裏返すと、彼への愛が冷めたということなのかも。


 没頭していた状態から抜けたから、『彼も大変よね』と冷静に考えられる。




   * * *




 そもそも彼は、私より先に、王女殿下と出会っているのだ。


 ふたりの出会いは、彼が九歳、王女殿下が八歳の時。


 騎士団長子息である彼は、父親に連れられて王宮に行き、王女殿下と引き合わされたらしい。


 王女殿下はなんというか、スイレンみたいな女性だ。――ほら、あの、水に浮かぶスイレン。


 凛として綺麗だけれど、水の中にあるせいか、見た側は感嘆よりも別の感情を刺激される。容易には近寄れない、異質であるという、不思議な感じ。


 黒髪で、華奢で、妖精のように可愛らしい彼女。保守的かと思えば、前髪を短くパツンと切り揃えていて、そういうところが妙に印象に残る。アンバランスで気を惹かれる、というか。


 せっかく可愛らしいのに、いつも困ったように眉尻が下がっているところも、彼女のトレードマークだ。


 あんなふうに心細そうな顔をされたら、一緒にいる男性は、『護ってあげなければ』と庇護欲をかき立てられるに違いない。


 当時九歳だった彼は、出会ったその日に、王女殿下に恋をしたらしい。


 これは彼本人から聞いたわけじゃない。有名な話で、皆知っているのだ。


 ふたりの出会いを見た大人が、面白可笑しく誰かに語って、それが広まってしまったみたい。


 彼って一途なのよね……初恋相手の王女殿下を、それからずっと、ずっと、変わらず愛し続けた。


 ふたりが結ばれていれば、誰も不幸にならなかったのだろう。


 けれど。


 想い合うふたりを引き裂く悲劇が起こる。


 王女殿下に聖女の力が発現したのだ――それは彼女が十三歳の時だった。




   * * *




 この国の『聖女』という概念は少し変わっている。


 聖女といっても怪我や病気を治す力はなく、『塩湖の浄化』という、たったひとつの限定した能力しか持たない。


 当国の西には大きな塩湖が接していて、その塩湖自体は隣国の領土になる。


 そこで採れる塩は青みがかかっており、ものすごく高価なものだ。


 ただ、塩湖から塩をそのまま採取すると、青のほかに違う色が混ざっていて、口に入れると舌が痺れるような刺激があるらしい。猛毒というわけではないけれど、人体に有害であり、そのままでは食用にならない。


 それを浄化して、クリアなブルーに変え、食用に格上げできるのが聖女の力だ。


 どういう訳か、聖女は当国の人間からしか生まれない。塩湖は西の国の領土なのに、あちらの国では聖女が生まれないらしいのだ。


 塩湖は当国の領土ではないけれど、近接しているから、影響される何かがあるのだろうか。――原理は分からないが、土地が持つ磁気だとか、地下水だとか――そういった何かが一方的にこちら側に影響を与えているとか? それが聖女という特殊な存在を発生させているとか?


 まぁ『なぜか』は我々にとってはどうでもいいことだ。現象として塩湖を浄化できる聖女が生まれる――もうそういうものだから、国はそれを管理する必要がある。


 当国では十五歳前後になると、少女は教会に行き、聖女判定を受ける。


 判定方法はシンプルで、銀盆に載せられた塩湖の塩に手をかざし、浄化できるかどうかを試す。採取したままの濁った塩が盛られているので、それがクリアなブルーに変われば、その者が今代の聖女となる。


 王女殿下は十三歳でその判定を受けた。


 そして見事、塩をブルーに変えてみせた。


 ちなみに私は当時十四歳で、『一年後には受けるようだわ』と考えていたのだけれど、王女殿下が力を発現させ聖女に決まったので、そのまま受けずに終了となった。


 慣例的に聖女が決まったら、教会はそれ以上、判定式を続けないことになっていた。というのも長年ずっと、聖女は時代にひとりしか出現しなかったらしいし、また、ひとりいればそれで十分だったから。ちなみに新しい聖女は、二十年周期くらいで規則的に現れるのだとか。


 ――それで、聖女になった者はどうなるのか?


 取り決めで、その者は隣国に嫁ぐことになっている。『適材適所』というやつだろう。


 隣国は豊かで広大な領土を持つ、当国とは比ぶべくもない大国である。互いの力関係からして、こちらが聖女を差し出すのは当然の流れだった。


 そしてその政略結婚は、こちらの国にとってもメリットが大きい。


 聖女を差し出すことで、塩湖で採れた塩を、優先的に譲ってもらえる。


 食用の塩はとても貴重だ。料理の味が良くなるし、保存食を作る際にもかかせない。


 そしてただでさえ塩は貴重なのに、隣国で採れる塩湖の塩は、ブルーに色づいた特別なもので、栄養価も高く、この上なく美味なのである。




   * * *




 王女殿下が聖女に決まり、騎士団長子息の彼は打ちひしがれた。


 というのも、ふたりは婚約する予定であったらしいのだ。


 婚約前に念のため聖女判定式を受けなければならず、教会に行き、王女殿下は塩の色を変えてしまった。


 それでふたりの婚約は『なし』になった。


 聖女に決まった王女殿下は、本来すぐに隣国に嫁ぐはずであるが、彼女が当時十三歳とまだ年若く、また先方の王太子殿下もふたつ上の十五歳と若年であったので、婚約はもう少し待とうということになった。それは先方からの強い要望であったらしい。隣国の王太子殿下は海外留学する予定があったとかで。


 こちらのほうが立場は弱いので、当然、すべて相手方の都合が優先された。王女殿下と隣国の王太子殿下は、顔合わせしないまま、互いに十代を過ごすことになった。


 ――ただ、それにより宙ぶらりんの状態に置かれたのが、騎士団長子息の彼だ。


 王女殿下との婚約がだめになったので、別の相手を探さなければならない。


 そこで急遽お相手として選ばれたのが、私だった。


 私は、彼とも、そして王女殿下とも、それまで会ったことがなかった。


 婚約が調い、彼と顔合わせしたのが、私が十六歳、彼が十五歳の時。


 初対面の印象は悪くなかった。


 私のほうがひとつ上ということもあるのか、彼は恐縮していて、少し照れていたように思う。


 日頃から鍛錬しているせいか、十五歳のわりに精悍な印象が強かったのだけれど、シャイな部分があるおかげで、それが中和されていた。彼は顔も整っていた。


 ――それで彼はなんというか、少し思わせぶりなところがある少年だった。


 私が話しかけると、頬を赤らめて口元に笑みを浮かべたり、手のひらで太腿をこすったり、そんな可愛らしい仕草をするのだ。


 当時私は王女殿下と彼が恋仲であったことを知らなかったので、彼の態度を見て、ときめきを覚えた。


 結婚する相手が自分に対して良い意味で緊張してくれているのは、素直に嬉しかったから。


 嬉しく感じると、今度は彼の好ましい点に、あれこれ目が行くようになり。


 ――話し方が実直だわ、とか。


 ――鍛錬が好きなのね、努力家なんだわ、とか。


 ――弟さんを可愛がっているの? そういう優しい人っていいな、とか。


 ――武骨なのにピアノを弾けるなんて、ギャップが素敵、とか。


 私、すぐに好きになってしまったの。……ああ、馬鹿だった。


 半年ほどかけて、私の心が彼でいっぱいになった頃に、自分がとんでもない勘違いをしていたのだと思い知らされた。


 それは王女殿下、婚約者、そして私――三者でお茶を飲んだ時のことだ。


 ……そもそもなぜこんな馬鹿げた茶会が催されたのか?


 なんでも、王女殿下に同性の友達がいないので、それを心配した国王陛下(彼女の父)が、私の父にお願いをしたらしいのだ。――娘同士で話をする機会を作ってくれないか、と。


 それでいきなりふたりきりにするのもなんだからと、王女殿下とは古い付き合いの、私の婚約者も同席することになり。


 国王陛下の頼みとあれば、断ることはできなかった。


 この依頼を受けた時には、私はすでに『婚約者と王女殿下が昔、両想いであったらしい』という噂を耳にしていた。だから気は進まなかったのだけれど、それでも茶会に参加するまでは、それほど深刻に悩んではいなかった。だって今の彼は私のことを好いてくださっていると信じていたから。


 そして茶会当日。


 席を囲んでいる三人の中で、私だけがまるでピエロの役割だった。


 王女殿下を愛おしそうに見つめる彼を、私は悲しい気持ちで眺めることになった。


 私が喋っていても、彼はずっと王女殿下を見ている。


 そして王女殿下が、


「三日後、ちょっと買いものに付き合ってほしいのだけれど、大丈夫?」


 と彼に尋ねた時、婚約者は私を裏切った。


 その日は私と会う予定が入っていたのに、


「もちろん大丈夫です。あなたを優先します」


 と即答したのだ。こちらを一切見ずに。


 私は胸が張り裂けそうに悲しくなって。


 あまりにショックすぎて、「私と先約があるわよね?」と問うことすらできなかった。……まぁ口にしていたところで、結果は同じだったでしょうけれど。


 王女殿下が「ふふ」と可憐に微笑んでいるのを見て、彼女のことが嫌いになりそうだった。


 ……どうして私の婚約者を目の前で誘うの?


 せめてこっそりやってくれればいいのに。




   * * *




 そんな感じで月日は流れていった。


 彼はいつだって王女殿下を優先し続けた。


 私との約束があっても、王女殿下に誘われれば、こちらの先約は簡単に破棄する。その際に申し訳ないという顔すらしない。


 一度、勇気を出して、


「先に私と約束していたのに、それをなかったことにされて悲しかった」


 と言ってみたことがあるけれど、


「でも君との約束はその後別の日にちゃんとずらしたし、会えなくなったわけじゃないよね? どうしたの? 機嫌悪い?」


 そんなふうに怪訝に返されて、絶句してしまった。まるでこちらが我儘を言っているかのような扱いをされたから。


 彼は王女殿下のことが別格で好きすぎるから、彼女を何より優先するのが『当たり前』のことなのだ。


 せめて私に対しては、「身分的に、王女殿下の頼みは断れないよ」と上手く言い訳してくれたなら、まだマシだったかもしれない。その気遣いすらされないことで、なんとなく彼から、「二番目の女(君)を、二番扱いして何が悪いの?」と言われた気がした。


 そしてパーティに出席した際は、彼は初めだけ私に見惚れる素振りをするものの、王女殿下が現れると、もうそちらしか見なくなる。


 ……私も馬鹿かもしれない。こんな目に遭っているのに、彼を愛し続けたのだから。


 けれど彼、ふたりきりの時は、私に恋をしているような顔をするのよ。だから期待してしまって。


 いつか――王女殿下が手に入らないと諦めがつけば、私だけを見てくれるようになるかも、って。


 でも、さすがにもう疲れてしまった。


 もう、いらないわ。


 私、彼と結婚したくない。



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