腹黒聖女は病んでます。 前編
「どんなドーピングを施したんだ?」と。
そう思わず聞いてしまいそうな程に、くっきりと浮かんだ筋繊維が目に付く四肢の筋肉で。脂肪など皆無に近いのではないのかと思える程。
これがアスリートであれば人並み外れた驚異的なストイックさの成果だと感心するのだろう。
だがしかし、別に鍛えて作り上げた訳ではない。
それは生まれながらのもの。
そう在る様に定められているのだから当然。
寧ろ、そうではない事の方が異常だと言える。
ボディービルをゴリラが遣ったら、こんな感じに仕上がるのかもしれなない。
そんな風に初めて見た異世界人は思うそうだ。
その相手というのが、マッスーア・エイプという焦茶色の硬毛を持つ猿のモンスターである。
体長2メートル程で、プロレスラーの様な巨躯。しかし、猿である為に素早く、知能も高い。
剛腕・剛脚による格闘主体の戦い方をするのだが稀に武器──人から奪ったり、拾った物を使い熟す個体が出る事が有り、そうなると非常に厄介。
基本的には群れで行動するモンスターである為、その群れ全体に波及すると戦闘力は大幅に強化され人々の生活を脅かす存在になるからだ。
その為、通称“ハイ・マッスーア”と呼称され、ギルドからも最優先討伐対象として指定されるし、高額の報酬が設定されてもいる。
実害が出た群れの場合には更に報酬が上がる。
そんなマッスーア・エイプの群れは、三十七体。普通に考えれば、単独で相手にする事は無い。
況してや、非戦力を二人も抱えている状況でなら遭遇しない様に回避する道を選ぶのが常識。
それなのに、ウルラト・ギハーソンは気にせず、群れが多く生息する“テラホブル山”を突き進む。
純然たる力の差は、圧倒的な暴力とも言える。
それを姉弟はウルラトがマッスーア・エイプ達を雑魚でも相手にしているかの様に容易く倒している姿を見ながら薄れゆく恐怖心や危機感を感じつつ、ウルラトへの畏敬の念を懐く。
だからと言って、ウルラトを警戒する事は無い。その実力が有れば、自分達に構う必要すらない事を理解している。それ故に信頼は揺らがない。
一方、縄張りへの侵入者──と言うよりも獲物に次々と襲い掛かっているマッスーア・エイプ達。
滅多に人は来ないが、来ない訳ではない。
そして、その殆んどは無謀な若者や新人、実力を勘違いした調子に乗った挑戦者達である。
結果、どうなったのかは言うまでもない。
それ故にマッスーア・エイプ達を始め、生息するモンスター達が人を獲物と捉えるのは当然。
そうでなくても、彼等は人を襲う。
そう、本能に刻まれた存在なのだから。
だが、マッスーア・エイプの群れが五つも向かいウルラトを相手にして何も出来ずに壊滅した。
その現実を目の当たりにすれば、如何に本能的に人を襲うモンスターであろうとも生存本能が勝り、ウルラト達には近寄ろうともしなくなった。
その為、テラホブル山でウルラト達に襲い掛かるモンスターは殆んど居なくなったと言えた。
その状況に姉弟は現実感を見失いそうになる。
だが、皆無という訳ではない。
唯一、戦闘の可能性を残す存在。テラホブル山のダンジョンボスだけは例外である。
そして、それがフラグであるかの様にダンジョンボスであるゴサィ・ソゥキュ・クゥンの登場。
静寂を引き裂くかの様な憤怒に満ちた咆哮。
その駆ける足音はドラムを叩く様に激しく響き、地震の様に大地を揺るがした。
体長は5メートル超。金色に輝く硬毛、血の様に真っ赤な三つ目、巨大な四腕。更には長い尾を持つマッスーア・エイプ達、猿型のモンスターの頂点。
正に“ボスザル”と呼ぶに相応しい巨大怪猿。
加えて、口からはブレスも放つから手強い。
ただ、ウルラトにしてみれば、今の様になる前に何十体と討伐した事の有る相手。
例え、黒い縞模様の入った亜種だろうとも。
引っ掻く様に地面を容易く切り裂く金色の剛爪を見せられようとも。
倒し方は大して変わらず──自分の方が強者。
レベルが上がり易いとはいえ、下級ジョブ。
その下級ジョブで、レベル99に到達したという事実はウルラトが純粋に強い事を意味する。
勿論、マッスーア・エイプ達に比べれば、流石に相手はダンジョンボスなのだから手間は掛かる事は否めないのだが。それでも労せず撃破して見せた。
淡々と歩を進めるウルラト。
その姿を見てしまえば驚愕し、畏怖し、尊敬し、最終的には更に強く信頼を懐く様になる姉弟。
そうなるのも無理も無い事だろう。
そんなウルラト達なのだが。ウェイトレスの姉と病の弟に手を差し伸べた翌日には二人とターストを出発。
特にターストに留まる理由も無く、弟が住み込む予定の工房の有るゼービンの街を目指す。
姉弟に他の身内が居ない事も直ぐに動けた理由。
姉の働いていた店からすれば、優秀な店員を失う事は損害ではあるが、彼女の事情は理解しているし現状以上の待遇を提示する事は難しい。
そういう意味でも引き留める事は出来無い。
現実的な事を言えば新しい働き手には困らない。能力に差は有れど、彼女に払っていた給金でなら、新人を三人は雇える。だから質を数で補える。
その為、突然の退職でも受け入れられる。
ウルラト達の目指すゼービンは芸術関係の職人の育成や工房が多く、それ自体を主産業とする街。
ターストからは南西に200キロ程の所に在る。
トナル山という左回りの渦巻き状になった山脈に囲まれた中央の高原に造られている。
このトナル山に有るダンジョンは工芸品に向いた鉱物や粘土等が多く取れ、モンスターからも適した素材が獲られる為、専属で雇われ定住する冒険者も少なくなかったりする。
男冒険者なら工房や商会の娘と、女冒険者ならば職人や跡取り息子と。或いは冒険者同士で。
結婚し、家庭を持つ者も珍しくはない。
件のダンジョンも難易度は然程高くはない。
まあ、ウルラトの基準としては、の話だが。
それでも人が集まる場所である事は確か。
一攫千金と言うよりも現実的な意味でだが。
そのゼービンまではターストからだと一ヶ月近く掛かるのが通常なのだが。
ウルラトは自らの経験と能力を駆使し、正面なら絶対に遣らない最短距離を行く。
件のダンジョン、テラホブル山を突っ切る道程を進もうと考える者は、先ず居ない。
その為に街道は整備され、中継地として町や村が出来ているのだから。
態々危険を冒す理由は無い。
ただ、それを遣れば出来る者は居る。
しかし、それが出来るだけの実力者はターストやゼービンの辺りに居る事が無いというのが現実。
何故なら、結局は低レベルの冒険者が集まる場所だからである。
産業としては好景気で、安定して稼げても。
実力者には更に美味しい場所は多々有る。
それ故に、集まる冒険者の実力も高が知れているというのが冒険者の間では常識だったりする。
それでも普通に生活をするには十分なのだから、限り無い上を見過ぎさえしなければ問題は無い。
そんな訳で、ウルラト達は一週間で目的地であるゼービンに到着する事になった。
地味にターストからの移動としては世界最短記録だったりするのだが。どうでもいい話である。
そのゼービンの街は円形に築かれ、今も拡張中。この先五十年で今の倍になると言われている程。
それだけ人──職人が集まり、競い合って互いに技術やセンスを高め合い、新たな物を生み出す。
その正しい技術競争が良い循環を生むからこそ、産業としても大成功しているという訳だ。
そんなゼービンの街の拡張工事も職人の仕事。
外壁を残したまま増築し、後で取り壊すのだが、そういう遣り方をしているが故に解体不可能となる外壁が偶に出来てしまうもの。
当時の職人達は文句を言われ、責任問題にされ、大変だったというのに。
それが今では街の重要な景観の一部となっており象徴や観光名物となっているのだから判らない。
被害者は納得しないだろうが。
騒がれない様に決着させるのが統治者の力量。
そういう話が態々掘り返さない限りは出て来ないという事実が、上手く折り合った証拠だろう。
血生臭い遣り方をしていれば、必ず何処かに今も禍根が残っているだろうから。
そういった火種が無い以上は、御互いにとっても良い形で手を握ったのだろうと言えるのだから。
当然だが、集まっているのは職人だけではない。職人達の生活を支える人々、特に商人達である。
仕入れで遣って来ている商人も居れば、依頼者の代理人として特注品の発注をしに来ている商人も。更には店を置き、自らが見極めた品を各地の店舗や別店に仲介して卸していたりする商人も居る。
多種多様な形で職人と関わる商人達。
そんな彼等の意欲と商売根性が現在のゼービンを作り上げたと言っても過言ではない。
何故なら職人は職人でしかなく商売人に非ず。
どんなに腕の良い職人だろうと、それは同じ。
職人とは飽く迄も造り手でしかない。
物の良し悪し、出来の評価は出来ようとも。
それを金に変える術を、価値を付ける術を。
彼等は苦手とする者の方が多いと言える。
大量生産重視の考えは職人ではなく商人のもの。その為、そういう考えをする職人は嫌われる。
此処、ゼービンは真の職人達の聖地なのだから。
「……ぅわぁ……本当に凄い街だね、姉さん……」
「そうね、想像以上だわ……」
ゼービンの規模や活気に姉弟は呆然となる。
道幅が10メートルは有る大通り。
両脇に壁が聳えるかの様に店舗が建ち並ぶのは、大きな街では見られる光景。
だが、それでも道幅は5~6メートル程であり、其処まで大きく造りはしない。
通り道よりも店舗や家屋を建てる敷地を確保する事の方が優先順位としては高いのだから。
ゼービンの場合、材料や素材、食料や生活用品、そして職人の作った品々──商品の輸送という点で常に荷馬車の往来が途絶えない。
その為、大通りの中央5メートル程は馬車専用、或いは馬車最優先という決まりが有る。
歩行者はその両脇を歩く事が基本的なルールだ。そうは言っても、侵入禁止・横断禁止といった様な訳ではなく、可能。
但し、怪我や事故は歩行者側の自己責任となり、荷馬車や荷物の損害も弁償するのが決まり。
一方、中央を外れての事故は馬車側の責任。
通行区域を分け、責任の所在を明確にする事で、両者に自覚と自発的な注意喚起を促す。
それによりゼービンの大通りは非常に見易い。
下手な領主の街造りには「ゼービンで学べ」との格言が有ったりする程なのだから。
二人の様子を見て、良いタイミングを見計らって歩き出すウルラトに促される形で後を追う。
興味は有るが、はぐれてしまう事はウルラトにも迷惑を掛けてしまう。
それを理解し、我慢する弟。
そんな弟の様子に成長を感じる姉。
自分が踏み出した一歩が、御互いにとっても良い方向に影響しているのだと実感出来て安心する。
暫らく大通りを進むと円形の広場に出た。
ゼービンは最古となる中心区画から、木の年輪を思わせる様に拡張している。
その為、東西南北と、北東・南東・南西・北西の位置に交互に広場を設けて判り易くしている。
現在ウルラト達が居る広場は第四南広場であり、第七拡張期に造られた場所。
現在は第八拡張期の為、まだ外周部には南広場が出来てはいない。
その第四南広場から北西の通りに入る。
大通りは、中央から八方向に縦に真っ直ぐ伸びる貫状通りと、同拡張期の広場を円形に繋ぐ輪状通りとの二種類が交わる形で存在している。
それ以外は不規則な造りで、迷路の様な裏路地も所々に存在しており、それが観光名所として人気で隠れた料理店や老舗商店等を探すのも楽しみ。
街の在り方そのものを観光資源として活かす。
観光地として造る訳ではない為、廃れるといった心配が無い観光業だと言える。
ゼービンに入ってから1時間程。
ウルラトに付いて歩きながら病み上がりに等しい弟の事を姉が心配し始めた頃。
目的地である場所に到着した。
「ウルラトさん、此処ですか?」
「ああ、そうだ」
「此処が……」
「……?…………え?、シェマインっ!?
あのシェマイン工房ですかっ?!」
「姉さん、知ってるの?」
「知ってるも何もシュマインって言えば──」
「──誰だっ!、人ん家の前で騒いでんのはっ?!」
「──す、済みませんっ!!」
想像してもいなかった事態に驚き、思わず大声になってしまっていた姉。
それに腹を立てたらしく、怒鳴りながら工房から出てきたのは150センチ程の身長ながら、胸囲は身長よりも有るだろう身体の厚みをした髭面の男。その特徴的な体型から一目でドワーフ族と判る。
自分の非を自覚し、直ぐに謝った姉。
その様子に少し怒りを鎮めながらも、一緒に居る謝りもしないウルラト達を睨む。
「──って、んだよ、ウルラト、御前さんか」
「久しいな、ユッシセゥ、元気そうで何よりだ
相変わらず声がデカくて近所迷惑そうだな」
「ハッ、んなもん、此処じゃ何処も御互い様だ
御前さんも元気そうで安心したぜ
まあ、冒険者なんてのは皆、そんなもんだがな」
「生きているか死んでいるか明日になれば判る
そういう生き方を選んでる連中だからな」
そう言って二人は笑い合う。
ドワーフの男──ユッシセゥ・ドゥーゼは、一目ウルラトを見ると破顔し、拳を叩き合わせた。
先程までの怒りが嘘の様に御機嫌なユッシセゥに弟は唖然としてしまうが、姉の方はドワーフの男が職人気質な者が多い事は話に聞いてはいた。
ターストでは滅多にドワーフには会わないが。
それでも知っているのか、知らないのか。
その違いというのは意外と大きかったりする。
そして何気にウルラトの凄さを目の当たりにして姉は内心では改めて緊張し始めていた。
弟の為にも、失敗は出来無いのだから。
ユッシセゥに案内され、工房の中へと入る。
工房と言っても出入口から直ぐの場所に作業場が有るという訳ではなく、応接室となっている。
家ではない為、来客は主に商人。
その為、殆んどの工房では出入口から直ぐ応接室という形の造りが多く、応接室には各工房の作品が展示されている場合が大半である。
それはユッシセゥの工房にしても同じ。
弟は応接室に並ぶ作品に眼を奪われている。
店員──弟子ではなく、接客や事務を専任として雇われている女性に一声掛け、ユッシセゥは着席をウルラト達に促す。
その際、弟の様子を一目見て用件を察する辺り、彼も経験豊富な人物だと言えるだろう。
それも当然と言えば当然の事。
先程、姉が工房の名に驚いていた事も含めて。
此処、シェマイン工房は“八始鎚”と敬称されるゼービンを創建した八人の職人、八工房の一つ。
特に金属製の家具や装飾品の分野では大陸屈指。ゼービンでは間違い無く、最高の工房。
普通なら門前払いされていても可笑しくない。
それを姉は理解しているから、緊張する。
尚、目の前のユッシセゥが工房の当代である事を何気無く知らされ、思わず気絶しそうになったのは仕方の無い事だろう。
「せめて事前に説明して下さいっ!」と。
ウルラトに苦情を言いたくなった姉だったが。
実際に話されていたら緊張し過ぎてしまった筈。
何より、抑がウルラトの紹介による話なのだ。
冷静に考えれば、自分に出来る事は、見守る事。見届ける事しかないのだと気付いた。
尤も、それは話が終わって、宿での事だが。
「それで?、御前さんが連れと一緒に来るなんざ、滅多に無い事だが」
「この子を見習いとして雇って貰いたくてな」
「へぇ……坊主、名は?」
「──ぁ、はいっ、サフォネです!」
「実は少し前まで病を患っていてな
その治療に俺の持っていた魔法薬を使った
その魔法薬の代金は本人が働いて支払う契約だ
ただ、まだ自分では稼げないし、見た目でも判るが冒険者には向いてはいない」
「まあ、そうだな、冒険者に為るにしても若いし、冒険者では直ぐに死ぬ姿しか見えんな」
そう言うウルラトとユッシセゥの容赦無い評価にサフォネは判っていても凹んで項垂れる。──が、凹んでいても仕方が無いと直ぐに顔を上げた。
その切り替えの早さと根性を見て、ユッシセゥの眼差しが僅かに鋭くなった。
一瞬だけウルラトを見て「中々面白そうだな」と視線で伝え、「だからだ」とウルラトは返す。
信頼関係による意志疎通の為、他者は気付かない二人だけの遣り取りではあったが。
観察力に長けた姉は、その僅かな変化に気付き、人知れず緊張を高める。
「聞けば絵を描くのが好きならしくてな
それを活かせる働き口として此処に連れて来た」
「成る程な、事情は判った
それで、その支払い──借金の保証も遣れと?」
「それは姉の彼女が背負う事に為っている
無利子・無期限の条件で、返済は自分で稼げる様になってから、という契約だ
逃亡したり、諦めれば姉が肩代わりする」
「つまり、此処で一人前に成って稼いでの返済しか認めないって訳だな」
「そうなるな」
「……良いだろう、俺の所で預かって遣る」
「助かる」
「何、他でもない御前さんの頼みだからな
サフォネ、だったな?」
「はっ、はいっ!」
「ウルラトの頼みで、俺が御前を預かりはする
だが、雇うだけの価値が有るかは全く別の話だ
無期限という条件だが、それに甘えてると思ったら俺は容赦無く御前を叩き出す
その後、御前や御前の姉がどうなろうが知らん
それは俺やウルラトの責任ではない
御前の責任だ、判るな?」
「──っ…………はいっ」
「良い返事だ、だが、返事だけで終わらせるな」
「はい、頑張ります!、宜しく御願いしますっ!」
ユッシセゥの激励に対し、サフォネは立ち上がり姿勢を正して深々と頭を下げる。
それに姉も続いた。
ユッシセゥは姉弟の様子からウルラトに付いては殆んど何も知らないのだろうと察していた。
「一体、誰に手を差し伸べられたのか。その事を知ったら驚く位じゃ済まねぇだろうな」と。
その時、どんな反応を見せるのかを想像しながら同情しつつも楽しんでもいる。
親友──いや、戦友の御節介だが。
「楽しくなりそうだ」と口角を上げる。
工房を後にしたウルラト達は宿を取り、一休み。
ウルラトが出掛け、一人になると緊張が解けて、気疲れした反動なのか、そのまま寝てしまう姉。
目が覚めた時にはウルラトが戻っていて。
風邪を引かない様に布団が掛けられていた。
つまり、無防備過ぎる寝姿を見られてしまった。その事実に恥ずかしくなり、立ち直るのに暫し。
夕食では誤魔化す様に彼是と喋ってしまったが、逆に「何してるのよ、私はっ!」と頭を抱えた。
結局、落ち着いたのは御風呂を済ませてから。
そんなこんなでウルラトと部屋に二人きり。
今までは弟も一緒だった為、意識はしなかったが実際に二人だけになると、強く意識してしまう。
年齢的にウルラトは父親にも等しいのだが。
数多の女性を相手にしてきたウルラトの魅力には男性経験の無い身では抗い難い。
「何が遇っても惹かれるな」と。
そう言われれば、「無理です」と即答出来る。
つまり、ターストを出る時にはウルラトを一人の男として意識していた、という話。
ただ、自分から言い出す訳にもいかず。出来ればウルラトから迫って来て貰いたい。そうなったら、建前等無視して素直になれる。
だが、一緒に居ても不思議とウルラトは迫る様な雰囲気や仕草はしない。
見せない様にしている、という訳ではなくて。
本当に自分からはアプローチする素振りが無い。だから、もどかしいし、困っているのだが。
それも言えない為、堂々巡り。
取り敢えず、気持ちを紛らわせつつ恥ずかしさも誤魔化す様に質問をする事にした。
「……あの、弟の支払いの事なのですが……」
「自分が稼いだ分を差し引いて、とかは無しだ
それでは何の為の無利子・無期限か判らなくなる」
「え?……あの、それはどういう……」
「姉弟は、いつまでも姉弟だ
その事実は変わらないし、変えられはしない
だがな、その人生は各々であり、別々のものだ
御前達に限らず、誰もが皆、自分の人生を歩む
その上で、対等に助け合える関係で在りたい
そうサフォネが思っていたから、俺は手を貸した
それなのに御前が手を貸してもいいと思うか?」
「…………いいえ、そうは思いません」
「姉からすれば弟は永遠に弟だ
しかし、子供のままではない
弟も成長し、大人になる
単に成人とされる年齢に到達する事ではない
一人の個人として、自らの全てに責任を負う
それが出来る様になるのが大人に成るという事だ」
別に深い意図が有った訳ではない。
ただ普通に弟の事を思って、「少しでも支払いを助けられるのなら……」と考えただけ。
その考えや思いを、ウルラトは否定はしない。
だが、それだけでは駄目だと指摘。それを聞いて自身の浅慮を反省する姉。
その反省が出来る事が重要だとウルラトは思う。
他人の振り見て我が振り直せ。
その様に先人の教えが有るにも関わらず、人類は飽きもせずに同じ過ちを繰り返すのだから。
彼女の様に自らを正せる事は本当に素晴らしい。
そうは出来ず、自らを都合良く甘やかすのが人。自分を正当化し、責任転嫁し勝ちなのが人だ。
ただ、厳しく有る事が正しいという訳でもない。その辺りが面倒で、ややこしく、難しい所。数式やテスト問題の様に明確な答えは無い以上、在り方に正解という概念は無いに等しい。
だから、常に考えなくてはならない。
その事をウルラトは知っている。
「まあ、心配するのも判るがな
病は治ったとは言え、まだまだ身体が弱い
加えて、その境遇が故に世間知らずでもある
常識が無い訳ではないから問題は起こさない筈だが変なトラブルに巻き込まれる可能性は高い
だから、色々と心配になるのも仕方が無い事だ
ただ、自分で考え、経験する事でしか、人は本当の意味での成長はしないものだと俺は思う
今、サフォネは成長する為に一歩を踏み出した
それを尊重し、見守ってやる事が御前の姉としての本当の厳しさではないのか?」
「……そうですね……本当に、そう思います」
上辺だけのつもりなどなかった。
それでも、ウルラトの言葉を聞けば、そう思わず考えて自責の念を懐かずにはいられない。
それも含めて、ウルラトは肯定し、諭す。
ウルラトの半分も生きていない少女からすれば、大きくて、力強くて、厳しくも優しく、信頼出来る理想の様な男性だと言える。
惹かれない訳が無い。
「それから、金額に関しては気にするな
一人前になれば、全額を支払い終えるのに生活費を差し引きながらでも一年と掛かりはしない
ターストでは手に入らない稀少な魔法薬だろうが、有る所には有るという物だ
実力さえ確かなら、入手自体は難しくはない」
「そうなのですか?」
「気付いていただろ?、俺が金に困る事は無い」
「……っ……それでは、どうして?」
「誰しも生きる為には目標が有る方が判り易い
人生の殆んどを家の中で生きてきたんだ
急に元気になったからといって何を望ませる?」
「それは…………」
「こういう言い方をするのも何だがな
御前の弟は他の普通の子供とは違う
自主性という面では心に大きな抱えたものが有る
御前と同じ様にだ」
「…………」
「荒療治、という訳ではないが、一度離れろ
仲の良い、唯一の肉親である姉弟だろうと、軈ては別々の人生を歩む事になる
御互いが錘となっては共に沈むだけだ
御前は弟の、弟は御前の幸せを願っている
だからこそ、自分の道を歩め
自立は、その切っ掛けに過ぎない」
「……はいっ、有難う、御座いますっ……っ……」
感謝と感動で溢れ出す涙に視界が滲む。
拭い切れない程に。心の深淵へと溜め込んでいた様々な感情が、優しく温められて氷解し、箍が外れ流れ出したかの様に。自分でも堪えられず。
無言のまま抱き寄せられたウルラトの胸で泣く。
前に進まなくてはならない。
弟の為にも。自分の為にも。
その事だけは入り乱れ混在する感情の奔流の中で強く、強く思った。
そのまま物語の中の様に進めば良かったのだが。翌朝には自分のベッドに一人で寝ていた。
ウルラトが自分のベッドに座り身仕度をしている姿を見てしまうと少しばかり不満に思う。
残念ながら何事も無かったのだから。
「あんな風にされたら期待もします……」と。
愚痴れるものなら本人に言いたい。
実際には言えはしないのだが。
宿を出て、工房に顔を出す。
早速、怒鳴られているサフォネの姿が有った。
一瞬だけウルラト達を見てサフォネは頭を下げ、直ぐに自分の仕事に戻る。
自分で決めて歩き出した以上、誰にも甘えない。
そういう決意が見て取れた。
姉はユッシセゥに無言で頭を下げる。
ウルラトも小さく頷き、ユッシセゥは胸を叩く。多くの言葉は不要。それだけで通じ合える。
そのままウルラト達はゼービンを発った。
次は姉が自分の道を歩み始める番。
その為に目指す場所はニンコマョハホの都。
ニンコマョハホは“四大食都”と総称される都の一つで、多くの料理人が集い、目指す場所。
豊かであるが故に料理という分野は発展する。
それを実証しているのが美食という概念。
日々の食べ物を獲る事でさえ苦労しているのなら料理という技術は中々に発展し難い。食べられれば基本的には十分だと考える為、味に拘るのは贅沢。そういった意味でも味を追求する事は余裕が無いと成立しない文化だったりするのだから。
それを証明する様に、ニンコマョハホを含む四都というのはエヴァーヴェーユでも屈指の豊かさ。
「食べる物に困った」という話を都の住民からは三百年以上もの間、聞いた事が無い。
そう言われている程だったりする。
勿論、「お金が無くて……」等という理由による場合は除いて、ではあるが。
真っ当に働いていさえすれば、ターストと同様に滅多に生活に困る様な事は無い。
そのニンコマョハホまでは、ゼービンからならば通常であれば約二ヶ月の道程。
ターストからゼービンまでの時の様に基本的には街道というのは安全な道程として定められる。
少なくとも街道で最も多い障害は賊徒の様な輩。つまり、モンスターよりも人だったりする。
そんな街道なのだが、ウルラトが進む訳が無く。好き好んで態々遠回りはしない。
最短距離を突っ切って行く。
同行する姉も最早不安に思ったりはしない。
ウルラトの傍が如何に安全なのかを知っていれば何も慌てる必要は無く、付いて行ける。
尤も、驚くものは驚くので仕方が無いのだが。
それを利用してアピール出来るので困らない。
ただ、そう都合良くは事は運ばないもの。
ウルラトにしてみれば、同行者が二人から一人に変わった事は大きく。一人であれば抱き抱えて進むという選択肢を取る事が可能となる。
抱えて進むだけなら二人でも出来るが、実際にはモンスターの生息域を突っ切る為、戦闘は不可避。その為、片手は空けておかなければならない事から今までは出来無かった。
それをウルラトは実行する。
密着出来るし、合理的に抱き付ける。その状況は姉からすれば大歓迎だったのだが。
結局、ニンコマョハホに到着するまでウルラトと関係が進展する事は無かった。
「ゼービンとは全然違った賑やかさですね」
「職人達の街、という点では同じだと言えるがな
ゼービンは飽く迄も製造産業が主軸だ
対して、ニンコマョハホは消費産業だからな
料理というのは消費される物だ
だから需要が無くなると一気に死活問題になる
それ故に、常に変化が有るのが特徴な場所だ」
「そう聞くと大変な御仕事ですよね」
「冒険者も大概な生き方だが、料理人という仕事も負けず劣らず厳しい競争を強いられる業界だ
尤も、ニンコマョハホ等ではない場所でなら、比較にもならない程、楽になるだろうが……
より厳しく、高い競争に身を置きたいと思う辺りは職人としての向上心や探求心が故だろうな」
「そうですね……楽な道は有る訳ですから……」
或いは、「お金を稼ぐ為だけなら」と。そう続く言葉を飲み込みながら、周囲に目を向ける。
それは悪い事ではないし、間違いでもない。
ただ、上を目指す人から見れば、そういった人は志が低く見えるだろうし、脱落者に等しい。
そして、何よりも当事者の方が、そういう意識を意外と強く持っていたりするもの。
劣等感は羨望や憧憬の裏返しの一面。
他者に見下されるよりも、自分自身が懐く後悔や失望の念の方が深く、大きく、膿む様に溜まる。
「自業自得だ」と言えば、それまでの話だろう。しかし、人の感情や執着というのは容易く片付ける事が出来るという訳でもない。
誰しもが、多かれ少なかれ、大なり小なり、心に抱えながら生きている事。
それを、どうする事も出来ず、抱え続ける。
割り切る事も、枯らす事も、捨て去る事も出来ず抱えていれば、軈ては膿に侵され、歪みもする。
そうは為りたくはない。
ただ、それは決して他人事ではない。
誰にでも起こり得る可能性だと言える。
ウルラトに出逢わなければ、自分も弟も同じ様に軈ては歪んでしまっていた事だろう。
抱えていたものを知った今だからこそ判る。
その先の悲劇は想像したくはないし、想像しても現実は想像以上に悲惨で壮絶な事になっただろう。そう言い切れてしまう程に危うかったのだから。
そうしてウルラトに対する想いを募らせながら、ニンコマョハホの都を進む。
美食で有名ではあるが、それは同時に各地からの旅行客が途切れ無く訪れる観光地でもある。
その為、宿屋──異世界人が創業したと言われる高級宿泊施設のホテルが幾つも存在する。
流石に数十階有る高層ビルの様な物は無いが。
そして、多くの人が行き交うからこそ、利用者が少なくなる事が滅多に無いのが、酒場と娼館。
異世界人が始めたキャバレーも有名。
ただまあ、問題を起こせば厳罰に処されるという現実から悪徳商法の店というのは存在しない。
そういう意味では、正しく合法的である。
ウルラトから半歩程遅れる形で隣を歩きながら、ふと思うのは、客観的に見た自分達の事。
年齢的に言えば、普通は父娘だと思われていても可笑しくはないだろう。
しかし、夫婦や恋人──現実的には愛人といった可能性も無いとも言えない筈。
出来れば、そう見られていたい。
仮に父娘だとしても、義理であれば許容範囲内。そういう話も珍しくはないのだから。
ただ、現実は我関せず。無視する様に無反応。
当然だが、通りを歩く大勢の中の二人を。初めて見る他人様の事情など。余程の噂好きでもない限り、気にもしない。
通りを歩く知り合い等を見掛けたのなら兎も角。見ず知らずの他人に興味を懐く事は少ない。
勿論、それが特筆すべき人物なら別だろうが。
ウルラトは見た目には何処にでも居る冒険者で。姉自身も美人ではあるが、多くの美人の中に入れば埋もれてしまう程度。
田舎では目立つが、都では珍しくなくなる。
つまり、二人に注目する者は居ないのも同然。
その事に気付き、姉は小さく肩を落とす。
だが、そういった事を気にし、考えられる事こそウルラトが彼女に示したかったものでもある。
誰かの為に生きる事というのは美しいだろう。
しかし、自らを犠牲にし、尽くす事が正しいなら世の中の殆んどの者は愚者であり、罪深き咎人。
けれど、現実には誰も自らを貶めたり、悔いたりするという事は無く、己の幸せを追求する。
だとするなら、誰かの為に生きる事よりも、己の幸せの為に生きる事の方が正しい事だと言える。
感動的な美しい生き方が正しい訳ではない。
必ずしも、自らを犠牲にする事は無いのだと。
ウルラトは教えようとしているだけ。
しかし、それは誰かの為ではない。
結果、巡り廻って、それはウルラトの利となる。恩は直接的なだけではなく、間接的にも利を生む。その事をウルラトは学び、理解し、実践している。ただそれだけの事なのだから。
昼食を含め、街に入って2時間程。
ウルラトに案内され、目的地へと到着した。
街の中心部に建てられた朱塗りの門扉が目を引く派手さだが、装飾等は量より質を重視してある為、見た目以上に上品でもある。
周囲が白を基調としている為、より存在感が有り一際目を引く存在だと言える。
だが、その装飾や造りは緻密である。
昼間は朱が目を引くが、夜、街灯が点れば一転。闇夜に溶け込む様に、其処は密やかな隠れ家に。
昼と夜。その違う顔の意味を理解が出来無い程に姉は幼くも世間知らずでもない。
だから、顔が赤くなってしまっても仕方が無い。
しかし、実際には彼女の顔は青くなっていた。
別に、ウルラトに売られるという訳ではない。
目の前の建物。その掲げられた看板の店名を見て想像すらしていなかった展開に緊張していた。
「…………ァ、ア・クァーシャ・トラ……」
息を飲みながら、呟く様に溢れた名。
それは、ニンコマョハホで常に五指に入る老舗。名店では済ませられない四大食都屈指の超高級店。ターストで生まれ育った小さな子供でも知る名。
それが目の前に有る。
それも、前を通り掛かったという訳ではないし、これから御客として入るという訳でもない。
自分が、これから此処で働く事になる。
そう考えれば、緊張で青くもなるだろう。
だが、ウルラトは待ってくれはしない。
一声掛けると中へと入って行く。その背を見送るという事は出来ず、覚悟を決め、後を追う。
ただ、「せめて、事前に一言っ!!」と泣きたい。そう姉が思ってしまうのも無理も無い事だろう。
門扉を潜り、緩やかなスロープの石畳を進む。
スロープは、意図的に表面に不規則な凹凸の有る仕上げを施されており、雨や雪で足が滑らない様に所々に木を埋め込んで配慮されている。
スロープの先にはガラス張りのエントランス。
門扉が有る為、入らないと見えないが、中からは入ってくる人の姿は、よく見える事だろう。
現に、ガラスを嵌め込んだ金属製の扉を一足先に開いて出迎える男性従業員。
その為なのかは定かではないが、凄いと言えた。
ウルラトはエントランスを進み、カウンターに。
その際、姉はウルラトを見て受付嬢が僅かにだが期待する様に瞳に熱を宿した事に気付く。
観察力と言うべきなのか、或いは女の勘か。
──とは言え、それは受付嬢の意図的な仕掛け。如何にウルラトが相手でも彼女達はプロである。
その対応に私情を挟む事はしない。
では、それは何の為だったのか。
答えは単純。姉の力量を計る為。
そういう意味では、気付いた事で合格と言えた。感情が表情と雰囲気に出てしまった点は課題だが。それは未熟な為。幾らでも学び、身に付けられる。だから、受付嬢達は新しい後輩を歓迎する。
勿論、ウルラトにも個人的にも期待をして。
淡々とした会話の後、カウンターから出た一人が直接ウルラト達を奥へと案内してゆく。
当然だが、他の御客が騒付いたのは余談。
その辺りの対応にも抜かりは無かった。
一般人では決して入る事の出来無い関係者区画に当然の様に案内をされ、緊張が高まる姉。
その一方で、ウルラトは案内する受付嬢と談笑。流石に何方等も弁えてはいるが。エントランスから離れて外部の目や耳が無いという事から気も緩む。その為、その雰囲気から二人が親しい関係であろうという事は少し見ていれば気付く事だったりする。
それだけの違いは明確に出ているのだから。
案内された先には黒檀の様な木製の立派な扉。
ノックし、返事を待ってから受付嬢が扉を開けて先に入り、部屋の主にウルラトの来訪を知らせる。それからウルラト達を部屋へと招くと席に案内し、テーブルに御茶等を手早く用意して退室。
接客される立場から見ても、無駄の無い動きには思わず拍手を送りたくなった姉。
彼女達が自分の先輩であり、目指す直近の目標。そう考えると胸の奥で湧き上がる想いが有る。
その想いを宥めながら、ウルラトに倣い御茶等を頂きながら気持ちを落ち着ける。
部屋の中には仕事中の女性が一人。
唐突な来訪でも、こうして面会して貰えたのだ。仕事が一区切りするのを待つ程度は当然の事。
──とは言え、実際には然程待つ事は無かった。その仕事振りを眺めていたから。
仕事机を離れ、ウルラト達の座る卓の方に移動。それだけなのだが。その所作が優雅であり美しく、同性でありながら、思わず見惚れてしまう。
加えて、彼女はエルフ。年齢こそ定かではないが容姿は抜群。森の木漏れ日を思わせる淡い金の髪は艶やかでありながらも微風に戯れる様に軽やかで。宝石の様な深い緑色の双眸は切れ長で凛々しくも、とても優し気な印象を受ける。
「御待たせしました
御久し振りですわね、ウルラト様」
「そうだな、前に来た時から一年は経っているか」
「一年と一ヶ月と十一日で御座います」
そう笑顔で断言する。
言外に「待っていましたのよ?」と愚痴を言われウルラトは思わず苦笑してしまう。
同時に、今夜の予約が確定した。
その程度の埋め合わせで赦して貰えるなら容易い要求だと言えるのだから。
女性はウルラトの了承を得た事で本題へと移る。
内心では跳び跳ねる程に狂喜乱舞していようとも微塵も表に出さないのが淑女の嗜みというもの。
「初めまして、私はネヴェスァレ・ミェ・スーラ
当館のオーナーをしております」
「──っは、初めまして、ミアレッタと申します
宜しく御願いします」
二人の遣り取りに僅かに気を取られてしまったが直ぐに我に返り、ミアレッタは挨拶を返す。
此処で、勢い良く立ち上がり頭を下げて挨拶。
緊張から遣り勝ちな事なのだが、それは結果的に相手を見下す形になり、相手に見上げさせる。
そうする事の方が失礼に当たるという考えも有りエヴァーヴェーユの礼儀作法としては座ったままで相手が挨拶をしたら、座ったままで返すもの。
ただ、これが意外と知られてはおらず、貴族でも前例の間違った返し方をする事も珍しくはない。
その為、ネヴェスァレは僅かに目を細めた。
ウルラトが入れ知恵をする可能性は無い。
勿論、彼女自身が学ぼうと訊ねれば教えるが。
良く見せる為だけに、一時的に評価を上げさせるといった真似は絶対に遣らない事を知っている。
だからこそ、ウルラトの紹介する娘は皆、逸材。その事を経験からも知っている。
だから疑いはしない。
ただ、だからこそ素直に感心しただけ。
そのまま雑談する様に幾つか質問。
その回答の度に驚かされ──同時に納得もする。これだけの逸材をターストの様な場所で埋もれさせ終わらせるという事は業界の損失に等しい。
それをウルラトは判っているから連れてきた。
ネヴェスァレの脳裏では既に、明日から行われるミアレッタの指導カリキュラムが作成されている。まだまだ蕾でしかない才能。しかし、十年に一人、いや、それ以上かもしれない才能の開花を思って。今から楽しみで仕方が無くなる。
そんな訳で無事にミアレッタの就職は決定。
ウルラトとは別れ、館の女性従業員専用の寮へと案内されていった。
「その前に私の初めてを……」と言いたくなった気持ちはネヴェスァレとの会話で一旦飲み込んだ。
どうやら、暫くは滞在するみたいだから。
まだチャンスは有る。そう自分に言い聞かせて。
ミアレッタと別れた後、ウルラトは館を出る。
宿を取る必要は無い。当面は此処で寝起きをする事は確定しているのだから。
ウルラトが向かう先は冒険者ギルド。
受けている依頼が有る訳ではないし、自分の居る場所を報せる義務も無いのだが。
滞在する以上、困った事が有れば力になる。
そうする事で、より良い関係性を築く事が出来る訳だから手間を惜しむ理由は無いと考えている。
尚、ウルラトの滞在中は街の受付嬢達が喜ぶ為、大歓迎されているという事実は秘密である。
そして、ウルラトが街の門を潜った時点で極秘にギルド上層部への報告も届いている。
「頼むっ、滞在してくれっ!」と念じながら待つ彼等が歓喜するのは、もう間も無くの事。
そんな事はウルラトが知る必要の無い話だが。
ウルラトはギルドに顔を出した序でに夕方までに片付きそうな依頼が無いかをチェックする。
ただ、今のウルラトであれば大抵の依頼が直ぐに片付いてしまう。それを遣ってしまうと悪目立ち。採取系でも運が絡む様な内容であれば誤魔化せる。その辺りの事を考えながら、幾つかを請け負った。
日が傾き、空を赤く染め始めた頃。
ウルラトはギルドの休憩室から出てくる。
後に続いた受付嬢は満面の笑みであり、充足感を隠そうともせず、溢れさせる。
想定よりも早く依頼が片付き、暇潰しをするのも可笑しな為、戻ったウルラトを我慢出来ずに捕まえ休憩室に引き込んだのは受付嬢の中ではベテラン。それだけに手際も良く、怪しまれる時間ではない。勿論、同じ受付嬢は気付くし、妬むし羨むのだが。明確な上下関係が有無を言わせない。
尤も、ウルラトが街に滞在する以上、少なからず機会は得られる事も知っているので不満は小さい。そうでなければ、途中でも乱入者が居る事だろう。
ギルドを後にしたウルラトは館に戻る。
夕食はミアレッタとネヴェスァレと共にしたが、ミアレッタとは其処で御別れ。
ウルラトの左腕に右腕を絡ませるネヴェスァレを見て気付かない程、ミアレッタも鈍くはない。
後ろ髪を引かれる思いではあるが、今は我慢するべきなのだと自分に言い聞かせて寮へと戻る。
その様子を見て、ネヴェスァレはウルラトが街を立つ前には機会を与えようと決める。
御褒美の良さを知っていた方が励みにもなる事を彼女自身、よく理解しているのだから。
館の奥、ネヴェスァレの住居に向かう二人。
初めてではないが、久し振りな為、変わった点にウルラトも気付けば他愛無く話題にする。
ネヴェスァレも既に二人きりで焦りもしないし、がっついたりもせずに会話を楽しむ。
過ぎた時を、離れていた季を埋め合わせる様に。御互いの出来事を知り合う事で深く繋がる。
意識して遣ってはいないと判ってはいるのだが。そういう所も狡いとネヴェスァレは胸中で思う。
勿論、その昂りの責任は取って貰うのだが。
小さな町とは違い、夜になっても明るく照らされ眠る事を忘れたかの様に賑わう街。
そういった様な謳い文句が有る程なのだけれど。実際には24時間営業をしている訳ではない。
単純に昼間営業する所と、夜間営業する所が有るというだけの話で。其処までして営業しようという人も店も無いのが現実。
ただ、中には同じ店舗を昼間と夜間で別々の店が交代で営業しているシェアリング形態も有る。
維持費や管理費は半分ずつの為、狙う客層だとか遣りたい内容により、そういう関係が成立し易い。失敗した時のリスクも小さくなる利点も有る事から出店初期の店の営業形態に多く見られる。
そんな昼間とは違う、夜の顔を見せる街の景色を眺めながらウルラトはグラスを傾ける。
中身は酒ではなく、氷水だが。
その唇から奪い取ろうとする様に吸い付く唇。
「自分で飲め」等と言う様なウルラトではなく、抱き寄せる様に腕を回し、一糸纏わぬ肌を密着させ零れた水が首筋を伝えば、舌を這わせて舐め取る。
そうして小休止は終わりを告げる。
前世の印象では、エルフというのは性欲が希薄。そんな感じだったが、現実には違う。いや、実際に性欲が旺盛という種族ではないのは確かだ。
ただ、希薄な訳ではない。
長寿な為、種の保存の為にと盛んになる必要性が極端に低く、エルフ自体も存続の危機に瀕しているという訳でもない。だから、あまり性欲を刺激し、活性化させる必要が無い。
しかし、皆無という訳ではない。
その為、一度刺激された事で、眠っていた性欲が解放され、旺盛になるという事は珍しくはない話。知ってしまったが故の欲求、という事だ。
そして、その欲求をネヴェスァレに教えたのが、ウルラトだったりする。
ネヴェスァレにとっては初めて知った男であり、唯一、身も心も許す男。それがウルラトだ。
他の男に興味は無いし求めもしない。
彼女が欲し求めるのはウルラトだけ。
それなのに何故、結婚は兎も角としても、二人の間に子が一人も居ないのか。当然、理由が有る。
長寿のエルフの場合、初体験が五十歳、六十歳と遅くなる事は珍しくなく、人の様に早ければ良いと考える様な価値観も無い。
その為、貞操観念は強いが、絶対でもない。
興味本位で、という者も少なくはない。
ネヴェスァレの初体験は六十六歳の時。その後、実はウルラトからプロポーズもされている。
だが、ネヴェスァレは断った。いや、断らざるを得なかったのだ。
愛が有れば恐れるものは無い?。
そんな訳が無い。有るに決まっている。
そんな風に思ってしまうのは、熱に浮かされて、地に足が着かずに我を忘れてしまっているから。
強烈な薬物に侵されているのと変わらない。
集団の中で、社会の中で生きる以上は、恐ろしい存在というは少なからず有るもの。
それが当然であり、必然なのだから。
当時のネヴェスァレは今の様に都を動かせる程の影響力や知名度、伝手は無かった。
それでも、以前は冒険者をしていたので実力には自信が有ったし、ウルラトとならば遣っていける。そう即座に言い切れるだけの想いも有った。
ただ、それでも無理なものは無理だった。
当然だが、ネヴェスァレはエルフの中では若い。百歳にも満たない様なエルフというのは人で言えば十代か二十代前半といった所。
そして、当時既にウルラトと関係を持つエルフに彼女の大先輩も複数居た。
その皆に「判っているわよね?」と無言の笑顔を向けられたなら……という訳だ。
だから当然、今でもウルラトとの子供は欲しい。一人二人と言わず、ウルラトの生有る限り何人も。何だったら逝く直前まで抱いていて欲しいと思う。それ位に思うが──やはり、現実は非情である。
ただ、決して可能性が無い訳ではない。
抑、ウルラトが無理矢理にでも孕ませ、力ずくで自分の女にしようと。
そう思って行動に出れば誰も文句は言わない。
寧ろ、その一人が出るのを待っている位だ。
一人、そういう相手が出れば、子供を作る事へのハードルが一気に下がり、解禁状態になる。
牽制し合い過ぎた結果、もどかしいのが現状。
それを誰もが打破したくて仕方が無いのだから。
尚、ウルラトの財産目当てに近付く女は自動的に綺麗に排除される為、心配要らない。
少なくとも自立していない者には権利は無い。
そんな裏事情をウルラトは知らない訳だが。
実は、ウルラトにも少なからず問題は有る。
ウルラトは一度断られると関係を持ってはいても再びプロポーズしたり、子供の話はしない。
「何で来ないのよ!」と言いたい女達が何れだけ居るのかも判らないのだが。
ウルラトは引き際が良過ぎた。
少なくとも、ウルラトには“三顧の礼”は無い。断れば其処で終わってしまうだけ。
つまり、駆け引きや遣り直しを考えてはいない。それがウルラトの人生観でもあるから仕方無いが、それが現状を生み出した要因の一つでもある。
ただ、それは考えても仕方の無い事でもある。
だから今はネヴェスァレはウルラトを求める事に全身全霊を傾ける。
どんなに愛と肉欲に溺れたいと思っていようとも習慣化した生活リズムやサイクルというのは簡単に無視する事は出来無いもの。
ウルラトが日々、稼ぎを怠らないのと同様に。
ネヴェスァレも自身の仕事から離れられない。
勿論、それを嫌だとは思わない。
好きで始めた仕事であり、自身の誇りでもある。だから定時通りに目が覚めても文句は言えない。
尤も、今日に限っては早起きは得である。
朝一番で銜え込み、新鮮な一番搾りを頂く。
一緒に朝を迎えなければ得られない贅沢である。
身仕度を整え、朝食を済ますと昨日の仕事部屋にウルラトは呼ばれていた。
その意味を理解出来無いウルラトではない。
「仕事か、ネヴィ」
「ええ、実は貴男に頼みたい事が有るのだけれど、ペーレ・ピパシーって知っているかしら?」
「確か……東部地域の古い郷土料理集、だったか」
ネヴェスァレの言った言葉を記憶の糸を手繰り、思い出す。かなりマニアックな情報ではあったが、ウルラトの性分も有り、一応は知ってはいた。
その事を知っているというだけでも「流石ね」とネヴェスァレのウルラトへの評価は上がるのだが。ウルラトは虚栄心が無い為、無意味な嘘を吐いたり見栄を張ったりはしないのが彼の良さでも有る。
関心しながらウルラトの前に差し出されるのは、ラミネート加工された様な一枚の紙。
正確には貴重な古文書等が劣化しない様に状態を維持しながら保存する特殊な技術なのだが。
それは今は関係の無い事。
透明な保護シートの中に収められた劣化の激しい一枚の紙切れこそが、件のペーレ・ピパシー。
料理集と言われてはいるが、実際には本ではなく一枚一枚のレシピメモに近いもの。
勿論、元々の原形は本だったのかもしれないが、今では一枚ずつバラバラの状態でしか存在しない。複数枚が一緒に発見された事例も有るが、何れにも通しのページ数等が記載されていた様な痕跡は無いという事から意見は分かれていたりする。
ウルラト自身、知識としてだけは知ってはいたが現物を見るのは初めての事。その為、手に取るだけでも軽く好奇心が疼く。
こういった事が楽しいから冒険者は面白い。
それはウルラトもネヴェスァレも同じである。
「しかし、よく手に入れたな……」
「元々ね、ずっと探してはいたのよ
手に入ったのは偶然では有ったけれど」
「運も実力の内だ」
抑、バラバラなのに、一枚として同じ内容の物は見付かってはいない。その為、原形が本だとしても個人が作った説や本にする前段階で何かしらの理由によって拡散してしまった説が有力視されている。
一冊でも完全な形の物が見付かれば、本だったと結論付けられるのだろうが。今の所は未発見。
だから、中には「神が与えしレシピだ!」と宣う飛び抜けた発想をする者も居たりするが。
異世界人を召喚する事が出来るのだから。
それも決して突飛過ぎるとは言えないのだろう。真実は未だ謎のままだが。
「…………ネヴィ、これは一体どんな料理だ?」
「作って見なければ判らないわ」
そう当然の様に答えたネヴェスァレ。ウルラトは内容を読み返しながら納得する。
少なくとも、既存の料理とは掛け離れている事は間違い無い。そして、それ故に料理人や美食家達がペーレ・ピパシーを追い求めるのだろう、と。
「……試食をしろ、と?」
「それはそれで御願いするわ
勿論、強制はしないけれど」
「……何事も経験、自らを以て確かめてみなければ真の価値は判らない、か……判った
楽しみにさせて貰おう」
「ええ、楽しみにしていて頂戴
それでね、貴男に頼みたいのは材料の入手なの
殆んどは集まったし、私の【アイテムボックス】に入れて保管しているから品質にも問題は無いわ
ただ、まだ“アウケァの生き肝”と“シヴの芽”が手に入っていないのよ」
「アウケァの生き肝か……確かに難しい素材だな」
「勿論、ギルドに採取依頼は出したのよ
だけど、彼是もう一年が経っていてね……」
「達成者は無しか」
ネヴェスァレは静かに首を縦に振る。
ウルラト自身、その素材を入手した経験は有る。ニンコマョハホから西北西、フィールドダンジョンである“ボラデ大森林”の中に存在する生態連動型ダンジョン“ダヴラナラヴダ洞窟”にのみ出現する固有種アウケァ・テトラ・ケトラテアから獲られる激レアアイテムである。
超高級薬剤として取り引きされる為、先ず料理に使おうなどという暴挙を考える者は居ない。
──とは言え、はっきり言って冒険者にとっては用途など、どうでもいい話。金に成れば良いのだ。だから、報酬額が確かなら依頼は成立する。
それが判らないネヴェスァレではないのだから、報酬額をケチる真似はしていないだろう。
つまり、引き受ける者が居ないのではない。
単純に入手出来た者が居ないのだ。
そこで、訊ねて来たウルラトである。
ペーレ・ピパシーの入手が前に来た後だった為、頼む事は出来無かったのだが。これも巡り合わせ。ウルラトに頼まない理由は無い。
勿論、ネヴェスァレがウルラトに直接依頼をする形だがギルドに出した依頼を受けて貰う様にする。
依頼を取り下げ、既知であり直接依頼という事で報酬額を下げる、という事も出来るが、遣らない。
ウルラトは文句は言わないだろうが。
ギルド側にとっては面白くないし、信用問題にも繋がってくる為、一度出した依頼を取り下げる事は滅多には無い事だったりする。
依頼を引き受け、ウルラトはギルドに向かう。
ネヴェスァレからの書状と、もう他の冒険者への依頼の必要が無くなった為、処理が必要となる。
勿論、持ってくる者が居れば一ヶ月以内であれば依頼通りの報酬額で買い取るという猶予付き。
こういった配慮の有無が地味に大きな違いを生みギルドとの信頼関係に影響していたりもする。
ギルドを出たウルラトは真っ直ぐボラデ大森林を目指して走って行く。
通常なら片道三日は掛かる道程だが、ウルラトの前では暇潰しの散歩感覚──は流石に言い過ぎだが軽いジョギング程度で到着出来る。
事実、最短距離を進めば僅か二時間程。
自重しても、コレなのだから今のウルラトの全力というのは本人ですら引く領域なのだから。
ボラデ大森林はニトイーレの静寂と同じ森林型のフィールドダンジョン。勿論、両者の難易度の差は言うまでも無い。ボラデ大森林は中級の冒険者達も素材採取等で多く訪れている場所なのだから。
その為、ウルラトは目立たない様に行動する。
先ずは比較的入手が簡単なシヴの芽を狙う。
此方もボラデ大森林のみの固有種である植物型のモンスター、パラセミエス・シヴネリァウリウから獲られる素材。
ただ、今まで達成者が出ていない様に基本的には採取の難しい素材である事は間違い無い。
比較的簡単なのは、飽く迄もウルラトの感覚で。常識的には、此処での採取難易度のトップ5に入る素材だったりするのだから。
そのパラセミエス・シヴネリァウリウというのは所謂“冬虫夏草”の様なモンスター。モンスターに寄生・侵食して成体になる特殊な生態を持つ。
シヴネリァウリウが種名であり、パラセミエスは寄生したモンスターの名前である。
その為、シヴネリァウリウは大半が固有種という特殊なモンスター。だが、その如何なる環境下でも生き残ろうとする生命力は恐るべきものである。
パラセミエスは体長1メートル程の蝉に似ている魔蟲型のモンスターであるミンミボラデミンゼーの進化前の謂わば幼体。此処等も固有種だ。
植物・魔蟲のモンスターには特に固有種が多いが環境に適応した結果と考えれば可笑しくはない。
まあ、モンスターに環境適応したという考え方を適用するべきなのかが根本的に分かれる所だが。
それは兎も角として。
パラセミエスは基本的には土の中で生活する為、地上に出て来る事は少ない。
シヴネリァウリウは寄生し侵食した相手の習性や特性を持つ為、パラセミエス・シヴネリァウリウは基本的には土の中だ。それが採取難易度が高くなる理由の一つだったりする。人は土中を簡単には掘り進めないのだから。
相手がモンスターである以上、人が側に近寄れば襲おうとするのが本能である。
ただ、シヴネリァウリウの種は警戒心が強い上に人に対する捕食衝動が低い。つまり、歩いていれば向こうから襲ってくれる様な事は無いという事。
余程、栄養不足で飢えていれば違うのだが。
では、普段は何を栄養源にしているのか。
モンスターと言えど植物である為、肥えた土壌と綺麗な水、そして太陽光が有れば問題無い。
加えて他のモンスターが死ねば、その養分により生きていく事は十分に出来る。
結果、余程攻撃性の強い種や個体でない限りは、植物型のモンスターは狩り難くなる。
では、どうするのか。
確かにパラセミエス・シヴネリァウリウを探す事自体が難しいのだが、不可能ではない。
モンスターは、ダンジョン内で無制限に近い程に自然発生するのだが。繁殖能力も備えている。
その習性を利用し、誘き寄せる。
さて、パラセミエス・シヴネリァウリウの場合、ダヴラナラヴダ洞窟にのみ生息する固有種の植物型モンスター、ベラダラベの花粉でのみ受粉する。
花粉は素材として入手可能だが条件が揃わないと入手出来無い為、レアなアイテム。
まあ、ウルラトの【アイテムボックス】には軽く百を超える量のストックが有るのだが。
尚、花粉という名だが、実際には花粉の詰まった木の実の様な物だったりする。
その花粉は人や他のモンスターには判らないが、固有のフェロモンの様な匂いを出しているらしく、人気の無い場所で取り出して右手に持っていると。
5分程で、地面から我先にと興奮した様な勢いで五体のパラセミエス・シヴネリァウリウが出現。
花粉を収納し、サクッと仕留めるウルラト。
難無く、シヴの芽を入手する。
因みに、シヴの芽とは植物の新芽と同じ。
ただ、パラセミエス・シヴネリァウリウの新芽は今の時期にしか入手する事の出来無い稀少な物で。1体から一つ、運が良ければ二つまで採取出来るが極めて稀な話である。
ウルラトは運が良いのか、3体に1体は二つ持ちだったりするのは余談。今回は計八つだった。
尚、シヴの芽も高級薬剤として取り引きされるが高級食材として有名。特に天ぷらが絶品。
「……折角だ、もう少し狩って行くか」
そう言い訳をする様に呟くとウルラトは移動。
花粉の匂いが届く範囲は意外と狭いらしく、同じ場所で待っていては時間の無駄。
パラセミエス・シヴネリァウリウは単独行動で、群れを作ったりはしない。
だから場所を変えて誘き寄せた方が効率的。
そんな事を態々考えながら動くのが人である。
別に、天ぷらの旨さが酒に合う事を想像したり、親しい女達への手土産にしよう等々。
誰に憚る必要など無いのだが。
つい、そうしてしまうのが人という生き物。
何故か其処に理由を求めてしまうのだから。
暫し、パラセミエス・シヴネリァウリウ狩りへと注力していたウルラトだが、目的を忘れはしない。もう一つの素材を得る為に移動する。
──とは言っても、目的のダヴラナラヴダ洞窟はボラデ大森林の中に有るのだから楽である。
ダヴラナラヴダ洞窟はボラデ大森林内に五つもの出入り口を持った巨大な地下洞窟型のダンジョン。何処から入るのかで洞窟内の目的地への距離や道、その難易度は変わってくる。
ウルラトは過去に制覇している為、余裕なのだが複雑に入り組んだ内部は迷い易い。
その為、入って戻って来られなくなって、飢えて死亡したり、弱ってモンスターに襲われるといった最後を迎える冒険者も少なくない。
上級者でも、先ず単独で入る事はしない場所だ。その為、単独で制覇した事実をウルラトは伏せる。
友人やギルドも察していても言わないのは沈黙に利が有る為。
それはそれとして。今回に限ってはウルラトでも達成への難易度の高さは他の者と変わらない。
それでも、ウルラトの方が圧倒的に安全であり、確率的にも高くはなるのだが。
先ず初めに、ダヴラナラヴダ洞窟の固有種であるアウケァ・テトラ・ケトラテアは既に存在からしてレアなモンスター。
他のモンスターと比べると圧倒的に数が少なく、特定の場所に居る、という事が無い。
また数自体も多い時も有れば少ない時も有る為、常に一定数を狩るという事が不可能。
そして、強さは勿論だが、警戒心が物凄く強く、戦闘になっても素早く仕留めなければ逃走される。加えて逃走して生き延びた個体は更に強くなる為、余計に倒し難くなるという悪循環を生み出す。
一説には、百年以上生きる個体が存在していても可笑しくはない、とされているが、まだウルラトは遭遇した事は無い為、話半分、といった感じだ。
その姿は兎の耳と毛皮を持ったエリマキトカゲ。体長は1~2メートル程で、全体的に平べったい。その為、洞窟の壁や天井に張り付いていたり、壁や岩の隙間に潜んでいたり、影に隠れていたりする。
【気配遮断】のスキルを持つ事は判っているが、それでも見付け難い事から他にも隠行系のスキルを持っているだろうと予測されているが未だに真相を確かめられた者は居ない。
如何に勇者であろうとも運だけは天佑が必要。
そう言われる位に、運次第な事は少なくない。
「…………もう日が暮れるか」
そんな訳で、ウルラトの一日目は終わった。
アウケァ・テトラ・ケトラテア自体は七体発見し倒したのだが、目的のアウケァの生き肝は未入手。そう簡単に手に入るとは思ってはいなかったので、報告を聞いたネヴェスァレも落胆はしない。
寧ろ、初日で十分過ぎる量のシヴの芽を採取して帰ってきただけでも凄いのだから。
その夜はネヴェスァレに加え、関係を持っている従業員による総力戦を挑まれ──返り討ちにする。翌朝、新たな伝説を残してウルラトは狩り二日目に挑む為に館を後にした。
それから、あっと言う間に五日が過ぎた。
ウルラトがネヴェスァレの依頼を受けて一週間。予想していた事とは言え、頼んだネヴェスァレでもウルラトに悪い気がしてしまう。まあ、その分だけ全力でウルラトには尽くしてはいるのだが。それは依頼の有無に関係無いと言えば関係無い。
しかし、現実的な事を言えば、まだ一週間。
アウケァの生き肝は数十年に一つ、と言われる程稀少であり、入手が困難な素材の一つである。
少なくとも、そう簡単に入手する事は出来無い。
何故、其処まで難しいのか。それは入手するには運が絡む為──と言うか、略運頼みである為。
先ず、アウケァの生き肝の入手には幾つか条件が有るという事が難易度を上げる要因。ただでさえ、個体数が少ない上に複数条件なのだから。
条件1、対象のアウケァ・テトラ・ケトラテアが当日未戦闘であり、ノーダメージである事。
人に限らずモンスター同士の戦闘も含まれる為、実に厄介な条件だと言える。
条件2、対象のアウケァ・テトラ・ケトラテアを一撃で仕留める。二回以上ダメージを与えた場合は入手する事が出来無い。
尚、スキルによる攻撃の場合、連撃・同時多重の効果を持つ物は一つのスキル攻撃として見なされ、一撃として判定される。
条件3、対象のアウケァ・テトラ・ケトラテアの肝が損傷してはいない事。
肝は特定の位置に有る訳ではなく、個体によって備わっている位置が異なり、外見的特徴も無い為、場所の特定は不可能に近い。
条件4、毒や麻痺、眠りといった状態異常効果をアウケァ・テトラ・ケトラテアに与えると肝が汚れ入手出来ても使い物にならなくなる。
つまり、正々堂々と戦って倒せ、という事。
条件5、個体差は有るが、属性攻撃を受けた場合にも肝が損傷し、使い物にならなくなる事も。
どないせいっちゅうねん。
条件6、肝は必ずしも全ての個体に存在しているという訳ではない。
肝の生成条件については未だ不明である。
──とまあ、そういった訳である。
その為、如何にウルラトでも一発入手は不可能。どうしても長期戦になるのは覚悟の上。
現状は余裕で想定の範疇でしかない。
ただ、長期戦とは言え相手は決して弱くはない。それを毎日、しかも通勤する様に連日熟す。
加えて、街に戻って毎晩御務めも果たす。
こんな非常識な真似はウルラト以外には不可能。だからこそネヴェスァレも信頼している。
そんな生活を始めて十日目。
ウルラトは珍しくダンジョン内で他者と居た。
「いや~、本当、助かりました……」
「もぉーっ、だから危ないって言ったじゃないっ」
そう言って御立腹なのは上級冒険者である女性。名をユリカ・カァビン。二十一歳。
怒られているのは地面に座り込む冒険者の青年。名をロフラー・カァビン。二十三歳。
同姓ではあるが、兄妹ではなく、夫婦。ユリカの家にロフラーが婿入りした為、家名が付いた。
ウルラトが二人を助けたのは放って置けなかったという訳ではなく。ユリカと既知で有った為。
「先生、本当に有難う御座いました」
「あの跳ねっ返りが正面に礼を言う様に成ったか」
「む、昔の事は言わないで下さいっ!」
ウルラトの言葉に顔を赤くするユリカ。
二人の出逢いは六年前。ユリカが新人の時の事。ユリカの亡き父親とは知り合いであり、同じく亡き母親とは……まあ、そういう関係だった。
冒険者をしていた両親も結婚し、現役時の功績で姓を賜り、一つの町を任されていた。
子供はユリカの上と下に男子が一人ずつ。
幸せな家庭だったが、幾つかの不幸が重なった。その結果、両親と兄弟を亡くし、天涯孤独に。
その町を守った功績から十五歳までは援助を受け学問等を学ぶ機会も与えられた。
警備団への話も有ったが、断り、冒険者に。
その指導役を頼まれたのが、両親とも既知だった偶々居合わせたウルラトだった。
二人の死を知ったのも、その時だった。その位の関係でしかなく、珍しくもない不幸だった。
兎に角、負けん気が強く、反抗的だったユリカ。頭も良く実力も有り、次々と依頼を熟していった。しかし、何度目かの依頼で死に掛けて、ウルラトに助けられた事で反省した。
それからはウルラトを「先生」と呼び慕う様に。
因みに、ウルラトの指導経験は少ない方なのだが全員が若くして大成し、一つの勢力に等しい規模に孫弟子や曾孫弟子が居るのだが。
そういう事からは距離を置くウルラトは知らない事だったりする。
ユリカも、その内の一人。冒険者を続けているが一国の騎士団の団長として団を一つ預かる身。
そして、ロフラーは副団長として公私に支える。逆玉な話だが、多少の政略が絡む事は仕方が無い。
今は溜まりに溜まった休みを消化する為に二人で休暇を取って、ニンコマョハホに滞在中。
宿が違った事やウルラトもダンジョンに入り浸る毎日である為、御互いに知らなかった。
二人は明日には発つという話で。
その夜、ウルラトを独占したのはユリカ。
師弟の頃からの関係であり、自分の母親相手でも持ち前の負けん気を見せた程である。
結婚しようと、それはそれ、これはこれ。
久し振りに目一杯、ウルラトを求めたし、翌朝の別れ際には態と宿に忘れ物をしてロフラーに取りに行かせて時間を作ってウルラトを求めた。
彼女もウルラトとの子供が欲しいが、彼女もまた色々と恐い御姉様方を敵に回したくはない一人。
「先生、誰でもいいから早く孕ませてよね!」と心から声を大にして言いたいのを飲み込んだ。
依頼開始から二週間が経過した。
一向に入手出来そうな気配が無いのは当初に比べ一日当たりの平均遭遇数が日毎に下がっている為。
昨夜、ネヴェスァレと「一旦狩りを止めるか」と話し合ったりもした。
数を熟せば確率が上がる訳ではないのだから。
取り敢えず、もう数日は様子を見ようとなった。
「……で、こうなるという訳か」
そう呟くウルラトの視線の先──回収した素材の一覧を表示したアイテムリストに記載されたのは、そのアウケァの生き肝だった。
しかも、「昨日までの苦労は何だったんだ?」と愚痴りたくなる様に、今日の一体目からの三連続。運が全て吸い取られているのではないかと思う程に大当たりの予感しかしなかった。
勿論、冒険者としては此処で退きはしない。
毒を喰らわば皿まで、である。
結果から言えば、前代未聞の十三連続となった。十分過ぎる成果であり、全てを渡す必要も無い。
もしもの時に備えるのがウルラトの遣り方だ。
終業時刻となり、引き上げるウルラト。
定時帰宅は前世では憧れだったのに。今では逆に普通なのだから可笑しなものである。
──と、ウルラトの人並み外れた聴覚が微かに、若い女性の悲鳴を拾い上げた。
彼是と考えるよりも先に身体は動き出す。
次いで思考が研ぎ澄まされた五感や各スキルにて収集される情報を処理し、状況を把握してゆく。
悲鳴を聞いてから──僅か、10秒。
今にも襲い掛かろうとするブプッサボクロプスを気付く暇すら与えずに両断した。
道を違えた様に、左右に永遠の別れを迎えながらブプッサボクロプスの巨体は地面に倒れ込んだ。
その間、V字の隙間に収まる様な格好で、地面に座り込んでいる少女は目の前に立った、急に現れたウルラトの背中を見詰め、茫然としていた。
目の前に死が迫っていた絶望的な状況。
助かった事には安堵したし、助けられたという事自体も理解しているし、感謝している。
ただ、それ以外の理解が追い付かない。
ブプッサボクロプスはダヴラナラヴダ洞窟の中でダンジョンボスを除けば五指に入る強敵。
それを、いとも容易く一刀両断にした。
訳が判らない。
ただ、圧倒的に強いという事だけは判る。
それしか判らない。
頭の中が可笑しな事になるのは当然だと言えた。
「大丈夫か?、俺はウルラト・ギハーソンだ」
そう言ってウルラトは冒険者カードを見せる。
既知の相手でなければ、こうする事が助けた時にトラブルを回避するマナーだったりする。
尤も、ダンジョン以外では遣る事は少ない事だ。それはダンジョン以外では逆に個人情報を自分から流出させる事に繋がるし、その信頼を逆手に取って詐欺に利用する輩が居る為である。
また、ウルラトは極端に優しくしようとはしない様に心掛けていたりする。
安心させ様とする事自体は悪い事ではないのだが無意味な警戒心を懐かせる事にも繋がる。
まあ、イケメンなら違うのかもしれないが。
其処まで容姿に自信が有る訳ではないウルラトは優しくして下心が有ると勘繰られない様にするのは当然と言えば当然だったりする。
ただ、そういった事を実際にウルラトが経験したという訳ではない。飽く迄も自主的に、である。
それはウルラトに前世という知識が有る為。
実際の所を言えば、今までウルラトに助けられた女性でウルラトと関係を持たなかった女性は無い。
同時は五歳だった女の子も、十年後には少女に。そして、結婚・出産しても当たり前の世界だ。
再会すれば長年懐いていた想いを成就させようとウルラトを求めても何も可笑しな話ではない。
それ位には、ウルラトも生きているのだから。
まあ、それは兎も角として。
目の前の少女はピクリともせず、ウルラトの事を見詰めたままだ。
大きな怪我をしている様子は無いのだが。流石にウルラトも心配になり、もう一度声を掛ける。
「……大丈夫か?、何処か怪我をしているのか?」
「…………ぇ?……ぁっ、し、失礼しましたっ
危ない所を助けて頂き、有難う御座います
私はシャルリィル・ラ・ルルリラ・リ・ルルルエ・シャリル・ル・リシャラ・レ・シャレル・ラルー・レシェラ・ロ・ロリシュ・ロロルラ・ルリシャルと申します」
立ち上がり、軽く埃を払う様に乱れていた衣装を整えてから御礼を言い頭を下げ、姿勢を正してから改めて冒険者カードを提示して名乗った少女。
それは冒険者らしくない礼儀正しさだと言えた。
しかし、ウルラトは直ぐに少女の素性を察した。決して何処ぞの王女様や御令嬢という訳ではない。いや、寧ろ、その方が良かった。出来る事ならば、今からでもチェンジして欲しいとすら思う。
だが、人の出逢いにクーリングオフは効かない。
「……その名からすると、シァメ真教会の聖女か」
「まあっ、御存知でしたか、光栄で御座います」
ウルラトの言葉を肯定する様に少女は微笑む。
可愛らしい掌を、本来であれば清楚な筈の聖衣が卑猥にしか見えない程に自己主張している胸の前で小さく叩く様に合わせる仕草は無意識なのだろう。
だが、その所為で寄せられて行き場を失った為、バルーンアートの風船の様に、はち切れんばかりに飛び出そうとする。
男であれば、見ないという方が難しい光景だ。
しかし、ウルラトにとっては珍しくはない。
少女の胸は豊かだが、世の中、上には上が有る。ウルラトを窒息死させ掛けた物に比べれば可愛い。邪な感情など持たずに受け流せる。
因みに、窒息死し掛けたのは寝ている時に、頭を抱き抱えられてしまった為。彼女の膂力も有ったが大きく柔らかい事が最大の要因であったのは余談。
それは置いておくとして。
ウルラトは珍しく頭を抱えたい衝動に駆られる。
シァメ真教会というのは、勇者信仰の教会。
そうは言っても勇者の血を取り入れ様としたり、プロパガンダとして信者を集めている、という様な真似は一切行ってはいない。
信者達は自らを高め、或いは経済的に、勇者達を支援している。ただそれだけ。
それだけなのだが──その献身振りが恐ろしい。
人の欲を、全て献身に傾けている者達。
その献身は狂喜であり、異常だと言える。
少なくとも、ウルラトには理解の出来無い価値観である事だけは間違い無い。
勿論、その在り方や生き方を否定はしない。
それは個人の自由なのだから。
ただ、今となっては他人事ではない。
何故なら、そう。ウルラトは勇者なのだから。
──とは言え、それを知られる事は無い。
しかし、目の前の少女に油断は出来無い。
シァメ真教会の歴史は長く、特徴的なのが名前。師から弟子へと名を与えられる洗礼名は勿論だが、後継者だけが名乗れるのが継志名。
少女の名前の長さこそが、その継志名である証。王公貴族にも、そんな長い名前の者は居ない。
そして、その舌を噛みそうな名に。
ウルラトは聞き覚えが有った。
シァメ真教会の中でも最古であり、最長の系譜。そして、最も常軌を逸した真の聖女のみの聖流。
通称、“勇者厨聖女”。
その数々の非常識さは語り継がれている。
中には、勇者の匂いが判る、という話も有る。
真偽は定かではないが、決して不可能な事だとは思えないのが、彼女達の壊れ具合だと言えた。
その当代──謂わば、現時点での最高傑作である聖女が目の前で無邪気に微笑んでいる。
ウルラトには、同じ様に無邪気に微笑んでいてもサキュバスの方が愛らしく見えた。
「ギハーソン様は御一人なのでしょうか?」
「ああ、俺はソロで長年遣っている
それと、ウルラトで構わない
姓は生まれた時から付いているだけだからな
それに俺の歩みは含まれてはいない」
「はい、判りました、ウルラト様
それから、私の事はシャルと御呼び下さい」
「判った」
「それにしても、素晴らしい御考えですね
中々、その様には出来無いものです」
「それだけ長く続けている、というだけだ」
「そんな、御謙遜を……
我々の知る勇者様方でも其処までの御考えを御持ちしているという御方は居らっしゃいません
……もしや、ウルラト様は勇者様でしょうか?」
「だとすれば、ソロではないと思うがな」
「そうでも有りませんよ?
極々稀にですが、御一人での行動を好まれる勇者様というのは居らっしゃいます
最初は御一人で、途中からはパーティーを組んで、或いは逆に途中から、という事も有ります」
「ほぉ……それは珍しい話を聞いた、勉強になる」
「ふふっ、ウルラト様は素敵な御方ですね
謙虚な姿勢を忘れず、けれど、とても向上心の強い御方なのだと話していて伝わってきます」
「それが冒険者としては生命線だからな」
そう言って誤魔化すが、内心は冷や冷やしているウルラトだったりする。
彼女の勇者センサーが自分をロックオンしている様な気がして仕方が無い。
勿論、確証は無い。
自分がミスらなければ、自爆しなければ大丈夫。凌ぎ切る事は不可能ではない。
そう必死に自分に言い聞かせる。
正直な話、此処までの危機感は久々だと言えた。其処等のダンジョンボス等よりも遥かに恐ろしい。
「それにしても、シァメ真教会の、それも聖女が、何故一人でこんな場所に居る?
いや、ダンジョンに居る事は可笑しくはないのだが勇者一行が入っているという話は聞かないが……」
「はい、勇者様は居らっしゃいません
此処には私一人で来ています
……その、とても個人的な事情でして……」
「済まない、詮索するつもりは無かったんだがな
冒険者としての習慣、とでも言うのか……
つい、状況把握しようとしてしまった
不甲斐な思いをさせたな」
「いいえ、此方等が助けて頂いた訳ですし、状況を把握されようとするのも当然の事です
私が一人でなければ助けを必要としている可能性は十分に考えられますので大事な事だと思います」
話を逸らし、相手の嫌がるだろう部分を態と突き嫌悪感や忌避感を持たせようと目論んだウルラト。だが、目の前の少女が如何に突き抜けた価値観でも聖女と呼ばれているだけではないのだと実感した。そして、こんな聖女を側に置けば勇者は勇者として果たすべき役目を果たそうとするのだろうと納得。意識的にではなく、それが当然の様に他者を尊ぶ。それこそが聖女が聖女たる所以だろうと。
ダンジョンで立ち話も可笑しいし、ウルラトにはダンジョンに留まる理由も無いので帰る事に。
そう話せば少女も引き上げるという事だった為、一緒にダンジョンを出て──ウルラトが抱き抱えてニンコマョハホまで戻った。
ボラデ大森林の近くに有る冒険者の利用する村で一泊して誤魔化す手も有ったが、顔と名を知られた以上は調べられたら日通いなのもバレるだろう。
それならば、最初から見せてしまった方が良い。隠してからバレる方が面倒だからだ。
それに、上級冒険者であれば似た事は出来る。
時と場合と場所にも因る事ではあるが。決して、真似出来無い事ではない。
事実、少女は感心したが、驚愕はしなかった。
冒険者ギルドで別れ、直帰せずに街を彷徨く。
特に用が有るという訳ではないのだが。少しでも自分に近付かれない様に、と。用心をして。
後を付けられている、という訳ではないのだが。
元々の苦手意識が、そうさせている。
直に接してみれば、本当に聖女に相応しい娘だ。そう素直に言い切る事が出来る。
自分の持っていた苦手意識や印象が偏見なのだと認める以外には無いとすら言える。
以前なら、それで済んだ話だ。
だが、今のウルラトは勇者だ。
それも存在しない筈の十三人目の勇者。
絶対にバレる訳にはいかない。
少女──シャルリィルとは初対面だ。
しかし、直系ではないが、同じ聖女だった女性と過去に関係を持った事が有る。
当時のウルラトは勇者に対する嫉妬や劣等感から嫌がらせとして所謂“寝盗り”を行ったのだが。
その女性は初めてだったし、勇者には恋愛感情を一切持っていなかったとは思わなかった。
只々、勇者を支え、勇者に尽くし、勇者と共に。
結局、その女性は勇者と一緒に戦いに身を投じて最後を迎えた。他の仲間も含めて。
その話を聞き、当時のウルラトは納得もした。
聖女は聖女として在り、居きる事が全て。
必要であれば、勇者に身を差し出しもする。
実際には、そんな勇者は居ない様だが。恐らくは手を出したくても出せない程に聖女だから。
他の男達にしても同じだろう。
そういう意味では、ウルラトも聖女に手を出した男というのは自分以外には知らない。
だからこそ、苦手意識が出来たのだろう。
結局、その聖女にはウルラトは一人の女としての在り方や行き方を感じる事は出来無かった。
どんなにウルラトの前で乱れ、愛らしくとも。
その本質は、勇者の為の存在、だったから。
其処に勝敗も、優劣も在りはしないのだが。
若かったウルラトには少なからずショックだったという事だけは間違い無かった。
──と、今のウルラトには思う事が出来る。
ある意味では、長い時間の掛かった答え合わせ。それでも、その聖女──いや、一人の女が居た事をウルラトが忘れた事は無かった。
思い上がりだと言われても仕方が無い事だが。
ウルラトは、一度でも自分が関係を持った女には出来る限り幸せに成って貰いたいと思っている。
自分との関係が過去に成っても構わない。
今が幸せであるなら。
その幸せに至る途に僅かにでも意味が有れば。
ウルラトにとっては、報われる気がする為だ。
だから、それはウルラト自身の自己満足。
決して、女達の為ではない。
そう考え、そう思っているのがウルラトだ。
「────あら?、ウルラト様?」
ただ、そんな感傷に似たウルラトの独り善がりは館のエントランスに入った瞬間に終わった。
其処に居たのはシャルリィル。
「何故、聖女が此処に?」と思ってしまったが、此処はウルラト専用という訳ではない。
きちんと料金を支払い、ルールを守りさえすれば犯罪者でも無い限りは誰でも利用する事が出来る。ただ値段が笑える位に高いというだけで。
しかし、それに見合うから利用客も多い。
特に、女性客に人気が有るのだから。
「ウルラト様も此方等に泊まられているのですね」
「……ああ、昔からの常連だ」
入ってきただけなら、「人を探していてな」等と言って誤魔化す術は幾らでも捻り出せる。
しかし、長期滞在する利用客だけが使う出入口を入ってきたのを見られてしまった。──と言うか、その先に彼女が居たのだから誤魔化せない。
流石にオーナーの館の方で寝泊まりしているとは言えなかったが、其処はベテランの受付嬢達。
直ぐにシャルリィルとは会い難い部屋を割り出しウルラト用に当てて長期滞在を仕立て上げる。
事が事だけに、オーナーであるネヴェスァレには事後報告でも問題は無い。
後は、然り気無く二人に声を掛け、然も出掛けにウルラトが頼み事をしていた体で鍵を手渡す。
当然、今夜は彼女達へ感謝を示すのは確定。
軽い雑談の後、オーナーから依頼を受けていると伝えてシャルリィルとは別れ、受付嬢に案内されてネヴェスァレの仕事部屋へ。
途中、一足早く御礼を強請られたが、快諾。
勿論、時間は限られてはいたが。本番は夜だ。
「有難う、本当に助かったわ」
そう報告を受け凛とした表情で言うネヴェスァレではあるが、ウルラトの膝の上に跨がる服の内側が如何な状態かは言うまでも無かったりするだろう。
偶々、今日は仕事で苛ついていたのでウルラトが遣って来た早々に襲ったというだけなのだから。
ウルラトにしても気にはしていない。
だから、今は報告をしつつ、という感じだ。
その序でにシャルリィルの事を訊く。
本来であれば顧客の情報はウルラトであろうとも教えたりはしないのだが。
ウルラトが聞きたい内容は少し調べれば判る程度でしかない事も理解しているので躊躇いはしない。それ以上の事はウルラトなら訊きはしないから。
「……そうか、俺が依頼を受けた日からなのか」
もしも、一日早くニンコマョハホに入っていれば違う宿にしていた──可能性は低いか。
彼女が何処に泊まるかは勿論、居る事でさえも。自分は知らなかったのだから無理な話だ。
“たられば”ですらなく、只の愚痴でしかない。そう自分自身に言い聞かせる様に胸中で愚痴る。
こうして愚痴る事しか出来無いのだから。
ネヴェスァレからすると今のウルラトは珍しい。基本的に女性に対しては紳士的であり、平等。
関係の有る相手なら別だが、そうではない相手に必要以上に気を使ったり関わったりはしない。
先のミアレッタの件の様な御節介も、最終的には本人の意志を第一とする為、それ以上は踏み込んで強引に関わるという事はしない。
何かしらの関係が有る場合には別ではあるが。
そういった質のウルラトを知っているからこそ。ネヴェスァレは興味を懐く。
しかし、ウルラトが嫌がるだろうから踏み込んだ詮索をしようとはしない。ウルラトも此方等の事を理解した上で情報を欲しはしないのだから。
気持ちと思考を切り替える様にウルラトは話題を例の料理へと変える。その為の素材集めなのだから気に為らない訳は無い。
ネヴェスァレの話では、調理にも色々と下準備が必要ならしく、実際に食べられるのは一週間後。
つまり、その間は滞在するか、一旦離れるか。
それを決めなくてはならない、という事だ。
ウルラトは再び悩む事になった。
結局、ウルラトは滞在する事を選んだ。
シャルリィルが、一週間後には居なくなっているという保証も確証も無いのだから。
「一々気にし過ぎだな」と自嘲した。
「御早う御座います、ウルラト様」
「……ああ、おはよう」
そんな自分を直ぐに殴り殺したくなった。
エントランスで笑顔で待っていたシャルリィルの姿を見付け瞬間に。
150センチ前後だろう小柄なシャルリィルだが今の彼女はウルラトには自分と同等以上の存在感。明らかに昨日とは違う腹黒い笑顔。
多くの女性を、数多の人物を見てきた経験から。即座にウルラトの直感が警鐘を打ち鳴らした。
だが、聖女からは逃げられない。
そんな随分と懐かしいフレーズが脳裏に浮かぶ。それ位にウルラトは現実逃避したくなった。
相手はウルラトを逃がすつもりは無い様だが。
「御時間を頂いても宜しいでしょうか?」
シャルリィルは「少々」とは言わなかった。
つまり、少々ではないからだな。そうウルラトは解釈し、左腕に絡められた細い腕を乱暴に振り解く事も出来るが、其処までする理由が無い為、諦めて了承すると促されるままに歩き出す。
決して、押し当てられた柔らかさと弾力の魅力に負けて日和った訳ではない。
色仕掛けが通用する程、初ではない。
尤も、魅力を感じないという訳ではないのだが。それは今は関係の無い事である。
シャルリィルがウルラトを連れ込んだ場所は館に常設されている会談等に用いる個室。
受付で申請すれば誰でも使用する事が出来るが、必ず利用者を明確にしなければならない。
使用申請をしたシャルリィル自身は当然として、ウルラトも利用者として先に申請して置かなくては利用規約違反として厳重に罰せられる。
多目的な使用用途が可能だが、犯罪に利用される事が無い様にする為の事前防止策であり、万が一の有事の際には責任の所在を明らかにする為。
自由で便利な事が必ずしも良いとは限らない。
その事をネヴェスァレは理解しているから。
ただ、そうは言っても利用者の部屋での内容まで把握しているという訳ではない。
だから、時には怪しい密談等も行われるのだが。今の所は特に被害や損害は出ていない。
その辺りは利用者側の良識に委ねるしかない為、館側としても踏み込む事は難しいと言える。
「ウルラト様、率直に申し上げます
どうか、私に御力を御貸し頂けないでしょうか?」
「……それはつまり、依頼をしたい、という事か?
それなら、先ずは依頼内容を説明してくれ
話を聞かなければ判断は出来無い」
「はい、勿論です」
ウルラトの指摘に素直に応じるシャルリィル。
その反応からすると、隠す気は最初から無かったのだろう。だとすると、今のは態とか。自分を必ず交渉の席に座らせる為。その為に敢えて、切迫して助力を冀う様に振る舞った、と。そういった所か。成る程、見た目以上に強かだな。
そうウルラトはシャルリィルを評価し直す。
そんな風にでも考えないと泣きたくなるから。
「ダヴラナラヴダ洞窟のダンジョンボスに付いては御存知でしょうか?」
「ああ、ヒュドマス・ヴァルパダスだな」
それは七首の毒蛇の尾を持つ巨大な蜘蛛。
ボス単体の戦闘力は大した事は無いが、毒蜘蛛と毒蛇の眷族を召喚する能力を持っている為、戦闘が長引くと物量的に押し負ける危険性が有る。
──と考えるのは、ウルラトだから。一般的には単体でもダンジョンボスなので滅茶苦茶強い。
はっきりと言って、その辺の勇者が単独で挑めばギャグ展開の如く「やっぱり無理だったーっ!」とあっさり返り討ちにされてしまう位には強い。
まあ、ウルラトは過去に十体以上討伐しているが自ら墓穴を掘る様な真似はしない。
断れるものなら断りたいのが本音なのだから。
「それでは、ボラデ大森林とダヴラナラヴダ洞窟は連動した特殊ダンジョンの為、其処には真のボスが存在する、という御話は如何でしょうか?」
「……いや、そんな話は初耳だ
だが、言われてみれば、成る程と頷ける話だ」
何方等にも、ダンジョンボスは存在しているし、ウルラトは倒した事が有る。出現条件も判る。
ただ、二つのダンジョンの生態系が連動しているという事は知ってはいたが──ダンジョンとしての機能までもが連動しているとは考えなかった。
しかし、言われてみれば、その可能性は有る。
他にも同じ様なダンジョンが有る訳ではない。
だから、今までは気にもしなかった事だったが。その可能性を知れば、自分で確認してみたくなる。挑んでみたくなる。冒険者の性として。
だが、それはそれとして。
何故、そんな情報を知っているのかも気になるが自分に話したのか──は、まあ、そういう事か。
そう一人でウルラトは納得した。
「その真のボスが依頼に関係する訳か」
「はい、その真のボスから特定条件下でのみ入手が出来る素材が必要なのです」
「……一つ、確認したい
単独という事だが……何故、勇者に頼らない?」
「それは私事により必要な物です
勇者様の御手を煩わせる訳には参りません」
「だが、それなりに共に行動していのだろう?
それなら勇者は勿論、他の仲間も協力を惜しむとは俺には思えないが?」
「そう、ですね……きっと、御話しすれば、御力を御貸し下さる事でしょう」
「だったら、そうした方が良いと思うがな
冒険者に依頼するよりも信頼出来るだろう?」
「いいえ、それは出来ません
我々の務めは勇者様の使命を御支えする事です
勇者様の御手を煩わせる事は赦されません」
「だから、その為にも勇者達の協力を──」と。そう言いたくなるウルラトだが、無駄だと察した。
鶏と卵、何方等が先か、ではないが。
シャルリィル自身、聖女としての在り方・生き方というのを簡単には変えられはしない。
そう育てられ、そう形作られたのだから。
だから何を言っても無駄だとウルラトは悟る。
そして、この依頼を断る事も不可能だと。
何故なら、自分が断れば、シャルリィルは一人で再びダンジョンに向かうだろう。
冒険者なら誰でもいいという訳ではない。
彼女からしても頼れるだけの実力者でなければ、自分だけではなく、命を落とす事になる。
私事である為、自分が命を落とす事は構わないが他者を巻き込む事は極力避けない。
目的を達成する事よりも、きちんと手段を選ぶ。
正しく、聖女の在り方・生き方だと言える。
それだけにウルラトには痛々しく見える。
彼女達に同情や憐憫を向けるのは侮辱にも等しい事なのかもしれないが。
ウルラトは、そう思わずには居られなかった。
だから、断るという選択肢は消えていた。
面倒事を避け、慎重でも、ウルラトはウルラト。困っている女性には馬鹿が付く程、甘いのだから。
「……判った、その依頼、俺が引き受けよう」
「──っ、有難う御座います!」
まだ交渉の途中ではあるが、ウルラトは最終的な答えは変わらない為、現時点での承諾を明言した。その方が情報も深くまで引き出し易くなる──等と自分への言い訳を胸中でしながら。
一方、シャルリィルは難しいだろうと思っていただけにウルラトの現時点での承諾の決断は予想外。しかし、素直に嬉しく思うと同時に深く感謝する。
「しかし、よくそんな話を知っていたな」
「代々、聖女のジョブと御役目と共に受け継がれる口伝の極秘情報ですので……」
「依頼の説明上、話さないとならないが……
それは俺に話しても良かったのか?」
「偶然であれ、誰かが知る可能性は有りますので
極秘情報とは言っても、所詮は一つの情報です
ですから、命懸けで守秘する必要は有りません」
「そういう事なら此方等も遠慮無く訊けるな
素材の採取依頼、という形で良いんだな?」
「はい」
「ギルドには通すか?」
「……出来れば、この件は伏せて頂ければと……」
「それが依頼主の希望なら尊重する」
「有難う御座います」
頭を下げるシャルリィルを見ながら、ウルラトは連続している高難度の採取依頼に胸中で苦笑する。ネヴェスァレの場合は身内という事も有ったが。
実は、その序でにギルドからの多数の採取依頼を熟していたりもする。
その報酬額は数年は楽に遊んで暮らせる程だが。普通に働くのがウルラトだったりする。
「採取する物の名前や特徴、それから条件は?
真のボスに付いても知っている事は教えてくれ」
「はい、勿論です
先ず、ボラデ大森林のダンジョンボスを出現させ、倒さずにダヴラナラヴダ洞窟内に侵入させます
その状態でダヴラナラヴダ洞窟のダンジョンボスを出現させた後、同時撃破すると出現するそうです」
「……いや、ちょっと待て……それは、偶然か?
最初から狙って、それを遣ったのか?」
「伝承によれば、偶然だったそうです
それから、正確には確認してはいないそうです」
「…………まあ、そうだろうな
余程の物好きでなければ態々確認はしないな……
寧ろ、それを聞いて今まで秘密にされていた理由も判った様な気がする
こんな情報を公にすれば死者は絶えないだろうし、聞いた異世界人は間違い無く挑むだろう
──で、次々と死んでいく訳だ」
「はい、私も恐らくは、そう為らない様にと考えて伏せられてきたのだと思います」
「聖女の役目としても悪戯に勇者を死なせる訳にはいかないだろうしな」
そうウルラトが言えば、知り合って間が無くともシャルリィルには珍しく苦笑を浮かべた。
勇者有りきの聖女。勇者が居なければ存在意義が失われてしまう彼女達にとっては正しく死活問題。勇者を失う訳にはいかないから有力な情報だろうと伏せる事にした。しかし、その一方では後々に備え情報を伝承し続けている事は称賛に値する。
そう思いながら、ウルラトは思う。
聞けば納得が出来るだけの理由は有る。
そういった事というのは決して珍しくはない。
何でもかんでも解き明かせば良い訳ではないし、真実を明るみに出す事が正しいとも限らない。
そうする必要性や理由が少なからず有る。
そう考えて、一線を越えない様に踏み止まる事も時には必要な事だろう。
ウルラト自身、冒険者として、その一歩が生死を分けてきた事は数え切れない。
その一歩の違いで命を落とし、破滅した者の姿を見飽きる程に見てきた。
だから、その見極めをウルラトは怠らない。
その結果、ウルラトは今日まで生きている訳で。自身の経験だけではなく、他者から得られる情報も大きな意味を持っていると意識する事。その意識が謙虚さを生み、慎重さに繋がる。
まあ、言葉にすれば、大袈裟になってしまうが。実践するとなると大変な事。
それを常と出来るのが、ウルラト。
それを知れば、シャルリィルがウルラト勇者説を強く意識し始める事だろう。
「話を戻すが、それが出現条件なら当の真のボスが出現する場所はダヴラナラヴダ洞窟内か」
「はい、確実な事は判りませんが……倒した場所に出現する可能性は高いと思われます」
「……となると、連戦だな」
そう言ってウルラトは静かに目蓋を閉じる。
二体のダンジョンボスの同時撃破というだけでも十分に厄介な条件だと言えるのに、そのまま連戦。しかも、前者より確実に強敵であろう相手とだ。
ウルラトでなければ間違い無く一度引き受けたが頭を下げて違約金を支払ってでも断るだろう。
事実、シャルリィルも覚悟しながら話している。断われても仕方が無い程の依頼なのだから。
だから、シャルリィルはウルラトに強く惹かれる自分を抑える事も、止める事も出来無い。
「何故、貴男は私を助けて下さるのですか?」と何度も口にしたい衝動に駆られていた。
正直な話、まだ報酬の交渉は何もしていない。
報酬次第で、というのが冒険者。
その事はシャルリィルも十分に理解はしている。理解しているから──判らない。
ウルラトが自分の話を聞いても、どうしても彼が依頼を断るという気がしないのだから。
可笑しな話だが、シャルリィルはウルラトならば絶対に自分を裏切らないし、見捨てはしない。
そう、明確な理由も無く思えるのだから。
本当に……どうしてなのか判らない。
そう思い悩むシャルリィルと違って、ウルラトはウルラトで瞑目したまま頭の中で、一手一手詰める様に仮想シミュレーションを組み立てていた。
同時撃破までの道程は今までのウルラトの経験上不可能な事ではない。
ただ、洞窟内に何処から入り、どのルートを使いダンジョンボスを出現させ、何処を戦場とするか。その選択を間違えれば痛い目では済まない。
それだけに集中し、様々な状況を考慮した上で、試行錯誤を繰り返し──3分と掛からずに終える。
「……よし、其処までは取り敢えず行けるだろう
真のボスと、採取素材に付いて頼む」
「真のボスと呼ばれている相手は、ヒュプニツプ・ヒドゥビトゥン・スプツニツピュラピスという名で毒蛇の毛に被われた身体を持つ巨大な亀だそうです
蜥蜴の様な六脚、蠍の様な三尾、蜘蛛の様な八眼、珊瑚の様な鶏冠を持つと伝承では云われています
ただ、それ以上の詳しい情報は有りません」
「まあ、話を聞いただけでも毒を中心に状態異常は要注意だろうし、長期戦は不利な事は判る」
ウルラトは頭の中で想像された姿は兎も角として少なからず、二体のダンジョンボスの特徴を持った相手だろうという事は想像出来る。
それは弱点、という意味ではなく。
戦闘能力や戦い方に関して、という事。
恐らくは長期戦となれば眷族の召喚も有り得る。そう考えておくべきだろうと。
「そして、求めている物は舊亀の紅玉と言います
直径15センチ程の大きさの深紅の結晶です
見た目からボスの血晶塊だとも云われています」
「ただ倒せば手に入るのではないんだな?」
「何分、一度しか前例が無い事ですので、入手には幾つかの条件が有る、と考えた上の話です
ですから、その全てが必要であるとも、正しいとも限りませんし、足りない事も考えられます」
「まあ、未確認なんだから、そうなるか……で?」
「先程、ウルラト様が仰有った様に連戦となります
その上で、戦闘への途中参加者は無い事
出現の場所である部屋からは移動していない事
そして──聖女が参戦している事です」
「………………待て、聖女が?……
いや、伝承の内容や当時の状況から考えると確かに其処に居たと考えた方が自然だが……」
「…………やはり、厳しいでしょうか?」
「……正直な話、実態が判らないからな……
同行させるにしても普通のダンジョンボスなら一度戦って確かめてから遣り方等を考えればいいが……
話を聞く限り、かなり特殊だからな
今回の様な場合、再誕期間が有るかもしれない
そうなると、チャンスは一度と考えるべきだろう」
ダンジョンボスはダンジョンが存在する限りは、基本的には何度でも出現する。
一応、一ダンジョン毎に一日に一体のみだが。
ただ、中には特殊な場合が有る。ダンジョンボスだけに限らず、条件出現のモンスター等だ。
その場合、一度倒すと再び出現させらるまでには時間を要する事が有る。
ウルラトが知っている中では最長で一年。
今回の場合、それを超える可能性が高い。
そうなると、一度で入手出来無ければ失敗。
シャルリィルは何も言いはしないが、ウルラトは次の無い依頼である事を察した。
つまり、失敗は絶対に出来無いという事だ。
正直、ウルラトは一人で遣るつもりだった。
それが──え?、聖女同伴が条件?、である。
如何にウルラトでも、思考回路がショートしても可笑しくはないだろう。
そうは為らないのもウルラトだと言えるのだが。
シャルリィルは、実際に下調べをしていた時点で単独での入手は不可能に近いと考えていた。
命懸けで入手しても、生きていなければ無意味。生きて持ち帰る事が大前提なのだから。
その為、暫しの沈黙が訪れる。
ウルラトは単純に考え込んでいるだけなのだが。シャルリィルには判らないので緊張している。
断られる気はしてはいないが。
緊張しないという方が無理な話だろう。
一方、シャルリィルの話した条件自体に可笑しな部分は無いとウルラトは考える。
人数に条件が有る場合、出現条件に関係している事が殆んどであり、再誕期間が有る場合には条件に先ず入ってはいない。
少なくとも、そんな設定では人が集まらない。
ダンジョンというのは、謂わばテーマパークだ。如何に集客出来るのかで価値が決まる。
そう考えれば、検証する事自体が難しくなる様な条件というのは考えられない。
まあ、聞いている条件だけでも大変ではあるが。それらは判り易い条件だと言えるのだから。
途中参戦禁止は人数は同じでも入れ代わりながら戦うというのも駄目だろう。
それが可能ならネヴェスァレに協力して貰う手も使えたのだが。無理そうだ。
戦闘場所の移動禁止というのは問題無い。
寧ろ、最初から場所を選んで仕掛けられる以上、自分達に遣り易い場所を選べばいいだけの事。
状況によっては破壊して舞台を整えれば済む話。問題とする程の条件ではない。
そう考えると、仮に他にも条件が有るにしても。ウルラトにとっての問題は聖女の参戦だ。
勿論、単独でダヴラナラヴダ洞窟内に到れる位の実力は有るのだし、昨日はウルラトが助けはしたが致命傷を負っていたという訳ではなかった。
仮に、ウルラトが助けなければ、無傷ではないが自力で倒し、脱出もしていただろう。
その位は出来無ければ、攻略を単独で遣ろうとは考えてはいないだろうから。
「……因みに、一人で遣ろうとしていたんだ
どういう風に遣ろうと考えていたんだ?」
「幸いにも、各々のダンジョンボスの出現条件等は判っていますので、何処から入り、進んで行くのか洞窟内を確認してから……後は運頼みでした」
「単独なら、そうなるだろうな」
そう言いながらもウルラト自身はシャルリィルが自分と同じ様に考えていた事には感心する。
只の世間知らずの勇者厨信者ではない。
やはり、冒険者としての実力は確かなのだと。
だから、決して馬鹿にしてなどいない。
「大体は判ったが、実力を確認にしたい
取り敢えず……まあ、ダヴラナラヴダ洞窟で良いか
実際に個人戦闘能力と戦闘連携能力を見せて貰う、直ぐに出る掛けようと思うが、構わないか?」
「はい、問題有りません」
「よし、それじゃあ、行くか」
「…………ぇ?、あ、あの!」
話を終わらせ、直ぐに洞窟へ向かう為に席を立つウルラトにシャルリィルは慌てて声を掛けた。
呼び止められたウルラトは小首を傾げる。
「ん?、何か用が有ったのを思い出したか?」
「い、いえっ、そうではなくて……
その、まだ報酬の件の御話が……」
「……ああ、そう言えば、まだだったな」
少し言い難そうにするシャルリィルの言葉を聞きウルラトは再び席に座る。
色々と濃い話だったので忘れていた。
いや、正確に言えば、そうなるのも当然だった。
何しろ、シャルリィルの依頼に対する報酬を金額として換算すると到底個人が払える額ではない。
ギルドを通せば、更に手数料等が掛かる。
ギルドを通さない理由は、此処にも有る。
仮に、ネヴェスァレなら払えない訳ではない。
しかし、勇者に尽くす事を全てとしている彼女に其処までの財力や貯蓄が有るとは考えられない。
そうウルラトは考え、後回しにしていた。
事実、シャルリィルは自分で言ったものの非常に気不味そうにしているのだから。
気付かない方が可笑しいと言える。
それでも、こうなった以上は話し合う。
御互いに通すべき筋は通すのが当然なのだから。
「……それで、どうするつもりだった?」
「これが私の個人財産と所有品の全てです……」
そう言ってシャルリィルが取り出したのは交渉で提示する為に事前に用意していたのだろう。私財を纏めたリストをウルラトの前に差し出した。
それを手に取り、目を通すが──目眩がした。
正直な話、察しの良いウルラトだから、そういう反応で済んでいるが、ウルラトでなければ、此処で声を荒げてキレていても可笑しくはない。
はっきり言って、先のネヴェスァレの報酬額から考えても有り得ない程に低い。低過ぎる。
先ず、この報酬では正面な冒険者であれば、誰も引き受けない──と言うか、ギルドですら依頼書を突き返す。それ位に有り得なかった。
勿論、シャルリィルは巫山戯てはいない。
本当に、これが彼女の個人私財。ケチろう等とは微塵も考えてはいない。だが、無い物は無い。
そういう事なんだろうと判るからこそ。
ウルラトは頭を抱えたくなった。
「……言わなくても判ってはいるんだな?」
「………………はい、申し訳御座いません……」
言い訳のしようもない現実であるからこそ。
シャルリィルは身を縮こまらせるしかない。
しかし、ある意味では彼女は強かだと言えた。
「ウルラト様ならば、もしかして……」と。
期待を計算の上で、ウルラトを待ち伏せていた。先回りし、逃げ道を塞ぐ様にして。
そんな腹黒さを持つ一方で、真面目でもある。
その矛盾している所も、ある意味ではウルラトが聖女やシァメ真教会を苦手としていた理由だ。
どうするべきか。ウルラトは考える。
先ず、無償で引き受ける訳にはいかない。依頼の内容からしても、絶対に遣ってはならない。
しかし、正当な報酬を要求しては成立しない。
仮に、この情報自体に価値を見出だすとしても。精々で百分の一、といった所。
真のボスの確認、という程度の内容であったなら彼女の私財でも報酬としては十分。
その代わりに、手に入る素材等は全て頂く。
そういう契約内容なら、問題は無い。
だが、今回の素材の入手が依頼だ。
この場合、どうしても報酬額は跳ね上がる。
その上、入手する素材は報酬から外れるのだから減額しようにも出来無い。
二体のダンジョンボスや他のモンスターの素材、依頼の過程でダンジョン内で手に入る全てを対価に回して減額したとしても。
やはり、正当な報酬額の五十分の一が限界。
何しろ、一番価値が有る物が依頼の入手素材だ。それが含まれないのだから当然だと言える。
ウルラト個人としてなら、それでも構わない。
未知の情報という事で、個人的な付加価値を付け減額する事は出来る。
ただ、冒険者としては看過出来無い事。
こういった特例や前例は極力、作るべきではないという事をウルラトは理解している。
だからこそ、ウルラトは頭を悩ませる。
「……っ……その……足りない分は……か、身体で御支払いする、という事では……」
「…………言っている意味は判っているのか?」
「は、はい……」
静かに覚悟を問う様に、ウルラトに見詰められ、顔を赤くするシャルリィル。
何を考えているのか。判り易い反応だった。
しかし、「絶対に何も判ってはいないな……」とウルラトは思うしかなかった。
「勘違いしている様だから言って置くが……
それは一度だけ、一夜だけの話では済まないぞ?」
「…………………………そ、そうなのですか?」
「そういうのは少し不足している程度の話だ
実際、勘違いしている女性依頼者は少なくない
だが、考えてもみろ、それが報酬や対価として通用するというのなら、世の中の依頼の大半が、それで成立する事になる
しかし、実際にはそうは成ってはいない
それが妥協点として成立するのは、それで減額する事が出来る程度だからだ」
「…………言われてみると確かにそうですね」
「現代では奴隷制度が廃止されているが、そうなる要因の一つが、報酬や対価としての人身売買だったという説も有る位だ
だがな、奴隷ではないというだけで近い事は有る
報酬を用意出来無いから娼館に就職する
そう遣って肩代わりしたり、用意する方法も有る
だから、ある意味では間違いとは言えない
だが、そういう意味ではないのだろう?」
「…………はい」
「因みに、今回の報酬を全額身体で支払うとしたら確実に永久就職になるな」
「──はぅっ!?」
その意味が判らない訳ではないシャルリィル。
今まで以上に顔を赤くする反応には、ウルラトも内心で満足する様に頷いた。
ただ、ウルラトもシャルリィルの胸中を覗き見るという事は出来無い訳で。
少しばかり、二人の間にはズレが生じる。
ウルラトは話の流れ上、娼館へのつもりで言った訳なのだが。
シャルリィルはウルラトにと捉えた。
勿論、何方等の意味でも間違いではない。
ウルラト個人への対価としてなのか。
娼館に肩代わりして貰った場合なのか。
何方等の可能性も有り得るのだから。
その為、二人の認識のズレは仕方が無い。
仕方が無いのだが──シャルリィルの脳裏には、ウルラトとのキスシーンから脱衣を経て──五人の子供に恵まれ、御腹には六人目が居るという自分の幸せ一杯の姿が浮かんでいた。
因みに、三人目と四人目は双子で、女・男・女・女・男という順番だったりする。
尚、本人に経験が無い為、具体的な行為シーンはスキップされているのだが。
ウルラトは知らない事である。
そして、そんな自分の可能性を初めて考えた事でシャルリィル自身にも変化が起きている事に。
シャルリィル自身ですら気付きはしなかった。
「まあ、そういう訳で、その話は無しだ」
「…………………………」
「……聞いているか?」
「…………ぇ?……?…………ぁっ、は、はい!」
「……そういう訳で身体で支払う話は無しだ」
「ぁ……そう、ですよね、はい……」
「…………別に魅力が無いと言う訳ではない
個人的な話をするなら、御前を抱きたいと思わない男は居ないだろうからな」
「そっ、そうですかっ……」
「……俺は何を言っているんだ?」と思わず頭を抱えたくなるウルラトだが、恥ずかしがりながらも何処か嬉しそうなシャルリィルの照れ笑いを見ると何も言えなくなってしまう。
しかし、会話が混沌としている事には違い無い。だから一つ咳払いをし、強引に話を進める。
「少し触れた話になるが、報酬を情報という対価で支払うという方法も無い訳ではない
勿論、何でも良いという訳でもない
ギルドを通せば、公的な情報としての価値を判断し報酬と比較して考慮される
今回の場合は個人依頼だ
だから、判断は俺に委ねられる
此処までは判るな?」
「はい、大丈夫です」
「その上での提案だ
立場上、勇者等の情報は口に出来無いだろう
だが、聖女やシァメ真教会、そして同じ様に長きに渡って伏せられてきた秘密……
そういった情報なら、話せるか?」
「それは……………………………………可能です
ですが、その……公表したりされると……」
「ああ、その辺りは心配するな
俺も得た情報を売ったりするつもりは無い
飽く迄も、俺個人が冒険者として活動する上でだ
聖女やシァメ真教会、勇者達の立場を悪くしよう等とは思ってはいない」
「…………判りました、ウルラト様を信じます」
「報酬は情報が第一、次いでリストの私財
依頼対象以外の素材や収穫は全て報酬に当てる形で俺が貰う、という事で良いか?」
「はい、宜しく御願いします」
「ああ……さて、改めて実力を確認しに行くか」
そう言うとウルラトは席を立ち、報酬の話を蒸し返す様な事には為らない様に足早に部屋を出る。
決して、シャルリィルに魅力が無い訳ではない。ただ、聖女やシァメ真教会への苦手意識が勝つのはウルラトにしても仕方が無い事。
その為、身体で支払うという事態は避けたい。
それが出来るなら、情報を対価にするというのはウルラトにしても名案だと言えた。
その情報の価値はウルラトが決める。
だったら、シャルリィルの恥ずかしい情報だとか先達の聖女達やシァメ真教会の裏事情等々。
所謂、ゴシップ紙のネタの様な情報でも有りだ。寧ろ、そういった情報こそ敢えて高く評価しよう。そうしよう。それが良いな。
そう自己完結するウルラトだった。
一方、シャルリィルは泣きそうだった。
恥ずかしさからではない。
ウルラトに申し訳無いという気持ちは有る。
しかし、それ以上にウルラトに対しての感謝が。その厳しさと優しさに対する尊敬が。
シャルリィルに大きな罪悪感を懐かせ。
その罪悪感は──真逆の強烈な崇拝へと至る。
「嗚呼、ウルラト様が勇者様だったら……」と。
その可能性を想像し。
先程の脳裏に思い浮かんだ未来図が重なる。
そういう事を勇者様が望まれたなら。
そう考えた事が無いという訳は無かった。
ただ、シャルリィルが初めて同行したのは女性の勇者だったし。その後、最近まで同行していたのは男性だったが、そういった意識を向けられた感じは一切しなかった。
だから、シャルリィル自身、判らなかった。
今、ウルラトに対して懐く自身の中の感情が。
芽生えたばかりの、小さな欲求の火種が。
一体、どういうものであるのかを。
あっさりとシャルリィルの実力の確認は終了。
ウルラトはギルドに向かい最近の冒険者の動向や出入りの頻度等を受付嬢から聞き、状況的に見ると三日後が実行するのに良さそうだと判断。
シャルリィルにも話し、了承を得た。
内容は兎も角、今は依頼の重複は難しい状況だとネヴェスァレには伝えておく。
館に世話になっている身なのだから。
「そういった訳で済まないが明日明後日中に片付く様な急を要する事以外は難しい」
「それは仕方が無いから構わないのだけれど……
貴男って普段、休んでいないのかしら?」
「?、きちんと休んでいるが?
誰も好き好んで徹夜をしようとは思わない」
そう答えたウルラトを見てネヴェスァレは呆れた様に溜め息を吐く。
小首を傾げるウルラトの唇を塞ぎながら押し倒しマウントを取る様に馬乗りに為る。
そのままウルラトの顔を両手で掴まえ、睨む。
「あのね?、休眠の有無じゃないの、休日の話よ
貴男、特に依頼や予定が無ければ、当たり前の様にダンジョンに入っているでしょう?
普通はね、そんな事はしないの
言って置くけれど別にダンジョンに入って稼ぐなと言っている訳ではないの
ただね、普通は、ダンジョンに入る事が仕事なの
だから、休日はダンジョンには入らず、鋭気を養う為に過ごしたりするものなの
判る?、貴男は休まな過ぎなのよ」
「そんな事は無い」と言いたいが……言えない。あまりにも心当たりが有り過ぎてしまう。
いや、ウルラトからすれば無理はしていない。
ある意味、その生活がウルラトの普通だ。
如何に前世の染み込んだ価値観や習慣が有れど、それが今、必要という訳ではない。
だから、そうしているのはウルラトの意思であり価値観だと言うしかない。
ただ、言い換えると、そうなるまで働き続けたが故の慢性的な労働者体質になった、とも言える。
それを他者に求めたり強要したりはしないから、特に問題になる事は無かったが。
此処半月、一緒に生活をしていたネヴェスァレは改めてウルラトの異常さを再認識した。
“働き者”の範疇を疾うに超えているのだ。
それで体調を崩したり、無理はしていないが。
人を雇い、使い、育てる立場であるネヴェスァレからすると、ウルラトの現状は看過出来無い。
だから、こうして怒っている。
手も、足も、全身を使ってウルラトを捕らえる。言外に「逃がす気は無いわよ?」と言う様に。
「彼女──シァメ真教会の聖女様だって、毎日毎日ダンジョンに向かっているという訳ではないわ
きちんと休日を作りながら無理をせずに、よ」
「……無理はしていないが」
「黙らっしゃい」
ウルラトの反論を一言で叩き落とす。
今のネヴェスァレは妻か、母か、姉か、恋人か。何かは判らないが──ウルラトに有無を言わせない圧倒的な存在感を放つ。
百戦錬磨のウルラトが縮こまりそうになる程。
勿論、それは気持ち的にであり、一切萎えたりはしないのだが。
「毎日、しかも通いで潜れるのは貴男だけよ」
「……判った、二日間はダンジョンには入らない」
「仕事をするな、と言っているのよ!」
ウルラトの言葉に流石にネヴェスァレもキレた。
そして、奥の手に出る。
頭元に有ったベルを鳴らす──が誰も来ない。
ウルラトは「人払いをしているだろ?」と思わず言いたくなるのを飲み込んだ。
これ以上怒らせるのは不味いと感じたからだ。
だから、ネヴェスァレに誠心誠意に謝り、自分を心配してくれた事に感謝する様に応える。
しかし、暫くして、ウルラトは勘違いに気付く。気付いた時には、時既に遅しなのだが。
ウルラトと関係を持つ館の女性達は勿論、何故かギルドの受付嬢、冒険者、更には娼婦達まで。
百人は居るだろう人数が部屋に雪崩れ込む。
この状況が、意味が判らない。
ただ、言い知れぬ寒気がした。
自分に跨がり見下ろすネヴェスァレを見た。
「覚悟しなさい」と。
妖艶に微笑むが、眼は笑ってはいなかった。
ウルラトが予期せぬボス戦に突入していた頃。
シャルリィルは自分の部屋で祈りを捧げていた。
シァメ真教会に主や神となる存在は居ない。
勇者への奉公精神こそが教義であり、全て。
その為、彼女達が捧げる祈りは全ての勇者達への無事や活躍を祈るもの。
勇者という存在の使命を理解していればこそ。
彼女達は勇者を支え、尽くし、全てを捧ぐ。
部屋の床に広げ敷いているのは1メートル四方の普段は羽織っている聖布。
其処に裸足で正座し、瞑目する。
教紋である二環十字架。
普段は服の中の奥に隠されている聖銀の首飾りを取り出し、両手を組み、包み込む様にして握って、額に付ける様に祈る。
決まった文句や教言が有る訳ではない。
しかし、それで良い。それこそが正しい。
一人一人に各々の考え方が有り、価値観が有り、その上で、勇者を支え、尽くし、捧げる事。
それこそが真の奉公である。
それがシァメ真教会の教義。
「……罪深き我が身を焼こうとも構いません
ただ、どうか、あの御方の命だけは御守り下さい」
誰に、何に、そう冀うのか。
シャルリィルは真摯に祈る。