プロローグ
陽の光が届かない、深く暗い闇が支配する空間。だが、全てを飲み込み隠す程の濃い闇ではない。
目が慣れれば、其処が四方の壁と、床と天井とで隔てられた空間であると判るだろう。
よく見れば、壁の一角に微かにだが滲み出る様に光が有る事に気付く。
それは四角い窓。だが、ガラス製の窓ではなく、木製の窓で、今は閉じ切られている。
その為、今の時間は判らない。その光が自然光か人工光なのかも定かではない。
その暗がりの中、僅かな凹凸が見える。
壁際に有るのは、大人の膝丈程の高さのベッド。その上に山の稜線の様な起伏が見える。
「…………ぅ……ぁ゛あ゛…………朝か?……」
寝起きの渇いた喉から出る、呻く様な掠れた声。それでも声音から声の主は男だろうと判る。
静寂の中、脱皮するかの様な衣擦れの音を立てて布団から這い出た男はベッドを降り、暗がりの中を迷う事無く窓の方へと向かう。
それは男に【夜目】【暗視】のスキルが有る為。
そうでなければ、如何に住み慣れた部屋だろうと身体を何処かに打付けてしまうだろう。
それ位に、男の居る場所は暗いのだから。
施錠用の閂を外し、木製の窓を両手で押し開く。
割れた暗闇の隙間から射し込む光は寝起きの眼を眩ませるには十分だが【視覚保護】のスキルにより男の眼が眩む事は無い。
だから、気にせず一息に開けた窓からは風が吹き込み男の頬を撫で、髪と服を揺らした。
陽に照らされ、暗闇に能面が浮かぶ様に男の顔が露になった。
ボサボサのダークグレーの髪、適当な手入れしかしていないだろう無精髭。其処に不釣り合いな程に綺麗なサファイア・ブルーの双眸。特筆すべき事は他に無い顔立ちは……普通、だろうか。御世辞にも美形とは言えない。
欠伸をしようとしたまま──男の動きは止まる。
「………………ぁ?、何処だ、此処は……」
男の視界には十分に陽が上っている空が見える。
陽の高さから、大凡午前八時辺りだろうと判断。普段よりは遅い時間に起きたが、それは些細な事。
それよりも、今、自分が居る場所が何処なのか。
その事の方が男には問題だった。
「…………いや、待て……アレはモンサ大聖堂か?
だとしたら──ああ、ポリオンス教会の神殿だな
──って事は、此処は“初心者の街”ターストか」
窓の縁に両手を掛け、身を乗り出す様にしながら外の様子を見回した男は特徴的な建物に気付くと、記憶の糸を手繰り、其処に有る事だろう別の建物を探して、自分の居る場所を特定した。
ターストは男の言葉通り、一攫千金や立身出世の野望を胸に集まる若者の多い街。
ある程度の治安と交通網が整い、経済的に見ても収入は悪くないし、物価も安く、住み易い。
だから此処で己を鍛え、或いは仲間を得て。
更なる広い世界へと旅立って行く。
そういう場所だから、その様に呼ばれている。
尤も、一部の者達にとっては全ての始まりの地。それ故に違う意味で特別視されてもいる。
「…………何でターストに居る?」
振り向き、自分の寝ていた部屋を見る。
縦長の部屋には有る家具はベッドのみ。入り口の脇の壁に設けられた引っ掛けるだけのフックが三つ申し訳程度に並ぶだけ。
クローゼットや箪笥、椅子の一つも一切無い。
ただ眠る為に使うだけの部屋。
だが、男にとっては馴染み深い造りでもある。
金さえ払えば豪華な部屋の宿は幾らでも有る。
しかし、別に寝られさえすれば文句が無いなら、これで十分、という考えの者にとっては最適。
通称“馬宿”と呼ばれる最安値の宿。
よく男が利用する営業形態の宿である。
その点では、可笑しな事ではない。
しかし、ターストに居る事は判らない。
少なくとも、昨日、男が居た場所ではない。
「イーデオンから五百キロは離れてるんだぞ?
飛行機や新幹線も無いのに、一晩で?
何の冗談だ?、悪夢にしても笑えないぞ……」
男はベッドに戻り、腰掛けると頭を抱えた。
男の名はウルラト・ギハーソン。四十一歳になるヒュームの男性。
数え年で言えば、大厄になる年齢だ。
まあ、この世界には、そんな事を気にする者など滅多に居はしないのだが。
ウルラトは“転生者”と呼ばれる存在で、曾ては三十三歳の日本人だった。
残業で徹夜続きのブラック企業に酷使されたのが原因だったのかは判らないが、職場で身体が弛緩し視界が回り出して立っていられずに床に倒れた後、意識が遠退き──気付いたら赤ん坊だった。
「まさかの異世界転生?、俺の逆転勝ち確新人生ようこそーっ!」と期待していたのは一時。
成長する程に自分が不運な事を実感する事に。
この世界──エヴァーヴェーユの殆んどの生命にレベルという概念が付随している。
だが、ウルラトの前世の知識で言えば、レベルを上げてステータスを強化、スキルや魔法を獲得して無双モードのハーレムライフ!、だった。
しかし、レベルは有るがステータスは無い。
正確にはステータスに能力値は存在しない。
この世界でのステータスは名前や年齢・レベル、性別・種族・ジョブといった情報を指す。
スキル・魔法は存在するが、それらは基本的には他者が直接的に知る事は出来無い。
自分の所持しているスキル・魔法を知りたければステータスを見れば知る事が出来る。
その辺りはウルラトの前世の感覚に近かった。
──とは言え、レベルを上げれば強く成れる。
それ自体は間違いではない。
ウルラトにはギハーソンという姓が有る。
この姓とは家名であり、ヒューム特有の風習で、他種族には殆んど見られない。
家名持ちというのは一般人ではないが、必ずしも裕福な訳ではないし、優れた能力を血統として代々受け継ぐ一族という訳でもない。
謂わば、名誉勲章の様な物。
だからウルラトには何の恩恵も齎さなかった。
それでも生きる為、僅かな可能性を捨て切れないウルラトは冒険者という道を選んだ。
この世界にはレベルの様に、存在する全て人にはジョブというものが付随する。
特殊な場合を除き、生まれた瞬間から基本となるジョブ、“村人”に人は就いている。
他のジョブには幾つかの方法で変わる事が出来、より上位のジョブに就く事で強く成る事が可能。
上位のジョブに就く事で、上位のスキル・魔法を獲得する事が可能にもなる。
つまり、レベルとジョブが肝心。
ただ、ジョブにレベルは存在しない。
レベルは飽く迄も個人の強さを示すもの。
しかし、ジョブと無関係という事でもない。
レベルが規定値を越えている事が上位のジョブに変わる為の条件だったりもするからだ。
しかし、ウルラトは才能や適性が乏しかった。
一般的に、村人からジョブを最初に変えるのは、五歳を過ぎた辺り。
大体、四つから六つの候補が有る。
所が、ウルラトには一つしかなかった。
選択する権利すら与えられなかった。
だから、最初の機会は見送り、ジョブの候補数を増やす為に彼是と試した。
その結果──候補数が増える事は無かった。
結局、ウルラトは村人から唯一である“兵士”にジョブを変え、頑張る事にした。
だが、本音としては「どうせなら生産職だったら命懸けで生きなくても済んだのにな……」と。
そう思わずには居られなかった。
兵士のジョブ自体は珍しくないが大人になっても兵士のままでいる者も少なくはない。
ただ、大体は上位か別方向にジョブを変える。
何故なら、兵士のジョブで獲得出来るスキル等はレベルが20に達すれば無くなる。
だから兵士のままでいる者の多くは、生活に困る事が無い立場だったりする事が多い。
ウルラトは十八歳の半ばまで兵士で過ごした後、唯一現れた上位の“傭兵”に就いた。
その時のレベルは31だった。
傭兵になり、以前よりも確実に活動範囲を拡げる事が出来る様になったウルラトは旅に出た。
弱いから狭い活動範囲の中でしか探せなかったが強く成れる可能性を諦めてはいなかった。
極めて稀にだが、特別な方法でのみ獲得が出来るスキル・魔法という物が存在している。
それを探し出し、獲得する。
そうすれば、未来が拓けると信じて。
だが、現実はウルラトに無慈悲だった。
二十九歳、レベル49の時、十年以上経ってから現れたジョブが何故か“盗賊”だった。
珍しくもないし、傭兵よりも下位のジョブ。
どうするか悩み──ジョブを変え、1ヶ月もせずレベル50となった時点で傭兵に戻った。
【暗視】等のスキルは有難かったが。それ以上は期待出来る物は無かった。
前世の享年を越えた、三十四歳の誕生日の事だ。レベルが77に到達していたウルラトに世界からの贈り物の様に新しいジョブの道が与えられた。
“探索者”という聞き馴染みの無いジョブ。
しかし、少しでも可能性を得たいと考えて常日頃情報収集をしていたウルラトには心当たりが。
それはウルラトが欲した可能性の一つ。
名の通りに、様々な探索に秀でたスキル・魔法を獲得出来るユニークジョブ。
しかし、先天的なジョブの為、後天的に発現したという事例は一度も無く、マニアックな古い記録に記載されていた確認された就職者は僅かに七人。
少しばかりの縁を感じつつ、ウルラトは迷わずに探索者となった。
それから時は流れ──現在、そのレベルは99。極一部を除き、レベルは限界を迎えていた。
もう、これ以上の成長は望めない。
それが約一ヶ月前の事。
一先ず何かしら獲得出来るかもしれないと思い、村人から一通り変わってみたが、何も増えず。
それ所か、探索者のジョブが消えた。
傭兵に戻り、新しいジョブもスキル等も増えず、ウルラトは失意のドン底に落ち、自暴自棄になって貯めていた金を湯水の如く使い、酒と女に溺れた。典型的な為、想像に難くないだろう。
その様にウルラトは己自身を振り返った。
その流れで自分のステータスを開き──硬直。
「………………は?、な、何で……レベル、1?」
ウルラトのステータスには確かに、レベル1。
そう表記されている。
ステータスは書類と違い記入ミスも無く人為的に書き換えたりする事は出来無い。
他者が自分のステータスをスキルや魔法等を使い知ろうとした場合に隠したり、偽りの情報を見せる事が出来たりはするのだが。
自分のステータスを操作したりする事は不可能。
況してや、レベルが下がる──リセットされる等という事例や現象は聞いた事も見た事も無い。
だから、驚き、戸惑う事も無理も無い。
ただ、それだけでは終わらない。
ウルラトのステータスは名前・性別・種族以外、新しくなっていた。
「年齢が……0歳?!、ジョブ──“勇者”ァっ!?」
ウルラトは意味が判らなかった。
いや、勇者の事は判る。知っている。
この世界で、他の転生者に会った事は無い。
転生者という概念自体、存在しないのだから。
しかし、転移者──“異世界人”は存在する。
その理由が、幾つもの特定条件が揃う事で施行が可能となる“召喚儀式”である。
召喚儀式により、この世界に異世界から一人から数名が召喚される。
召喚儀式は此処、ターストにあるモンサ大聖堂で行われ、異世界人達は世界に旅立って行く。
召喚された異世界人達には強力だったり、特殊なスキル・魔法、稀にギフトと呼ばれる最上位の力を発現させる為、期待され、優遇される。
そんな異世界人だけが就けるジョブが勇者。
その名に恥じぬスキル・魔法を獲得可能。
獲得には幾つかの条件付きだが、【鑑定】というユニークスキルはチート能力で、その有無だけでも圧倒的優位に立てる。
但し、異世界人なら誰しもが成れる訳ではなく、早い者勝ちという訳でもない。
勇者は最大で十二人までと決まっている。
理由は定かではないが、絶対に同時に十二人以上勇者が存在する事は過去に一度も無い。
そう世界が定めている。
それが最も有力とされている。
だからなのだろう。勇者が死亡すると間髪入れず新しい勇者が選定される。
勇者の選定には当事者の意思は一切介入出来ず、拒否権も存在しない。
ただ、その性質上、死ねば解放される。
勇者に憧れ、勇者を尊び、勇者を目指し、勇者に成りたいと考える者は決して少なくない。
ただ、勇者に成れるの異世界人だけという事実は一般的には知られていない事。
ウルラトが知っているのは、偶然手にした過去の勇者の手記を読む事が出来た為。
日本語で書かれた手記を。
そう、何故かは判らないのだが。
召喚される異世界人は全て日本人という事。
但し、一つの世界の日本人という事ではなくて、多世界の日本人が、召喚されているらしい。
尚、勇者に成れるのは異世界人だけだが、彼等がエヴァーヴェーユの人々と子を成しても、その子は異世界人ではない為、勇者には成れない。
つまり、召喚される事そのものが、一つの条件に為っているのだと考えられる。
これは余談になるが、異世界人は戦闘、若しくは戦闘補助のスキル・魔法しか獲得が出来ず、一部を除いて生産系や生活補助系のスキル・魔法の獲得は一切が不可能だったりする。
この事からも勇者には何が求められ、異世界人の存在価値・使命が何なのかが窺い知れるだろう。
そんな勇者だが、ウルラトにとってみれば単純に羨ましい存在。この世界での勝ち確組だった。
だから、妬ましくもあり、嫌いでもある。
その勇者に、今、自分は成っている。
その事実を如何にして受け入れるのかが問題。
「──おおっ、何だよコレ、神転プレかよ!」
──という様に、悩んだりはしなかった。
ステータスで自分の所有するスキル・魔法一覧を見て見れば、多種多様なラインナップ。
昨日までの自分では夢でしかなかった物ばかりが目の前に自分の所有物として並んでいる。
感動を超え、興奮し過ぎて落ち着かない位に。
ウルラトは一覧を見詰めていた。
──と、急に動きを止め、目を細めた。
「……そうか、コレが謎を解く鍵って訳か」
ウルラトは魔法の一覧表に表示されている一つ、勇者専用魔法の【ワープ】を見て確信する。
【ワープ】は自身が一度は行った事の有る場所に瞬間移動する事が出来る魔法。
一度自力で行く事、移動先に多少の制限は有るが反則急に便利な魔法。
念の為、ステータスから【ワープ】を選び、現在移動可能な場所を確認してみると、表示されている場所は一つのみ。此処、ターストだった。
つまり、ウルラトは勇者に成って、【ワープ】を使って昨夜の内にターストに来た。
そのまま宿を取り、寝た、と。
恐らくは、そういう事だろうと考えた。
──が、根本的な疑問は解決していない。
何故、ウルラトが勇者と成ったのか。
ウルラトは召喚された異世界人ではない。
元は異世界人の転生者だ。勇者には成れない。
そう、成れない筈だ。
だからこそ、其処には必ず絡繰りが有る。
そう考えて、ウルラトは昨日の事を思い出す。
自分はターストから遠く離れたイーデオンという街で生活をしていて、昨日も其処に居た。
イーデオンはゲームで言うラストダンジョン前の最後の街の様な場所で、住民は勿論、訪れる者達も高レベル・上級ジョブの猛者揃い。
ジョブは傭兵に戻ったが、レベル99は彼等から侮られる理由には為らない。
何故なら現在、勇者でさえ、最高はレベル56。
勇者はレベルが上がり難くなるとは言ってもだ。
しかも下位職でレベル99に至る事は至難。
それ故にウルラトに対する評価は低くない。
そんなイーデオンの街の、最高級娼館の特別室でウルラトは目覚めた。
傍らには、ウルラトの左腕を枕にして眠る娼館の女主人と、その二人の娘が右腕を枕にしていた。
ウルラトが起きたのが判ると娘達は布団の中へと潜って行き、強請る様に催促し始める。
二人は娼婦ではない。勿論、母の女主人もだ。
だが、母とウルラトの関係を知って興味を持ち、母に頼んでウルラトに初めてを捧げた。
それ以降、母娘でウルラトと関係を持っている。恋愛・結婚は別で、飽く迄も身体のみの関係。
ウルラトも理解はしているし、付き纏ったりする様な粘着気質でもない。
事実、そういう関係になった相手は現在の人生で軽く一万人を越えている。
到底、前世の日本人だった頃には考えられない。そういう意味では、ウルラトは勝ち組だろう。
「恋愛・結婚は無理」と言われなければ。
それを差し引いてもウルラトは現在の生活自体を気に入っていたのは間違い無い。
個人的な失望が有ったにしてもだ。
女主人が起きた後、娘達と共に朝の挨拶をして、朝食も共にしてから、娼館を出た。
通りを歩けば他の娼館の娼婦達から声を掛けられ挨拶とキスをし、夜の誘いを受ける。
全てには応えられないし、気分次第だが。
ウルラトは今夜の予定を考え始める。
何故、そんなにウルラトは人気なのか。
決して、イケメンではないのに。
自棄になっていようと、金払いの良いウルラトは娼婦や娼館には太客で特上の御得意様。
中には新入りや生娘の初仕事の相手として逆指名されている位だったりする。
それはウルラトが冒険者は勿論、勇者ですら凌ぐマナー良識者である為。
正確には、ウルラトは暴力的でも高慢でもなく、問題を殆んど起こしてはいないから。
過去に起きた事は全て相手側に問題が有ったか、第三者として仲裁・制止に入った結果である。
その為、そういう問題に直面する事が少なくない娼婦や娼館からの信頼は厚くなった。
尤も、女に溺れているのは自棄になる前からとも言えるのだろう。頻度が増しただけで。
現在のウルラトは自棄になってはいるが、決して自堕落な訳ではない。
貯めている金は何もせずとも高級娼館で半年間は遊び尽くせる位の額が有る。
それでも、根が日本人のウルラトは殆んど毎日、金を稼ぐ為に動いている。
働いている、とは考えない。ウルラトにとっては自分の為の仕事は活動。
何処かに属し、仕事を貰い、熟すのが労働。
そんな価値観を持っている為だ。
冒険者の主な収入源は二つ。
一つは冒険者ギルドに集まる依頼を受け、達成し報酬を受け取る事。
もう一つはモンスターを倒し魔宝石や素材を持ち帰って売ったり、ダンジョンで宝箱を求めて探索し獲得した物を売るというもの。
何方等もよく有る話だ。
イーデオンの周辺には、高難易度のダンジョンや激レアや超厄介なモンスターが多い。
駆け出しの異世界人など瞬殺されるだろう。
其処で、ウルラトは何年も生還し、稼いでいる。
ジョブの恩恵、スキル・魔法の数も他の冒険者と比べるまでもなく。例え、レベル70越えだろうが単純な力比べをすれば、レベル30以下の勇者にもあっさり負ける程度でしかない。
それでも、ウルラトは生き抜いている。
ウルラトの強さは知識と経験の量から成る知恵。そして、腐らず止めずに続けた鍛練による技巧。
これにより最前線の一つだと言えるイーデオンで戦い、生き残り、結果を出し続けている。
それ故に、ウルラトを知る冒険者ギルドの関係者からの信頼も厚かったりする。
今夜の事を考えながらも当たり前の様に街を出て遭遇するモンスターを倒しながら進むウルラト。
日々の糧を得る為、イーデオンの街の南東に在る難関ダンジョンの一つ、“グイドラの炎獄城”へと酒屋の暖簾を潜るかの様に入って行った。
グイドラの炎獄城は滅多に冒険者は挑まない。
火山洞窟を軽く超えるエヴァーヴェーユ最高熱地である其処は生きて戻ってくるだけでも至難。
モンスターに敗れれば当然の様に死が待っている事は言うまでもないが、過酷な灼熱の環境が挑んだ冒険者達に容赦無く襲い掛かる為。
それを克服、或いは対策していないと熱中症等で簡単に命を落とす。そういう場所である。
ウルラトは探索者に成った際に、【環境適応】のユニークスキルを得ている。その効果で、あらゆる環境下で概ね問題無く活動・生存が可能だ。
人である以上、呼吸が必要な水中等は難しいが。兎に角、破格の効果である事は間違い無い。
そんな数少ないウルラトの強みを活かし、他者が攻略を躊躇ったり、忌避する場所に挑む。
稀少価値・付加価値が収入を底上げする為だ。
因みに、スキル・魔法の獲得には条件のジョブに就く必要は有るが、ジョブが変わってもスキル等が失われるという事は無い。
勿論、ジョブを変えた事で威力・効果が変動する事は仕方が無いのだが。
ジョブ自体は適した能力への強化が主であって、スキル・魔法が付随している訳ではない。
その為、同じジョブ・同じレベルでも、個人差でスキル・魔法の獲得の可不可が出てくる。
その辺りはシビアだったりする。
日が傾き始める頃、ウルラトは街へと戻る。
まるで何事も無かったかの様な姿は、ウルラトを知らなければ何処から戻ったか話しても信じる事は無いだろう。
賑わっているギルドに入り、顔馴染みの受付嬢の担当するカウンターに向かうと受付嬢もウルラトの姿を見て無駄を省く様に準備を整える。
ウルラトがカウンターに着くのと同時に受付嬢が起動させた魔道具により、目の前に縦20センチ、横40センチ、深さ3センチ程の大きさをしている半透明な光のトレーが出現する。
トレーに乗せられた物は亜空間に転送される。
通常は、其処に換金物を乗せるか、ギルドが貸し出していたり、個人で所有する【収納】の魔道具を乗せて自動精算して貰うのだが。
ウルラトは掌紋認証するかの様に右手をトレーに押し付けながら、【アイテムボックス】を発動。
レアスキル【アイテムボックス】はダイレクトに指定した内容を魔道具の亜空間へと転送が可能。
内容を他者に見られないのも大きな利点である。
手を離すと、受付嬢と精算されるのを待ちながら今日の成果等に付いて雑談。
時には夕食から共にする事も有る。恋愛・結婚の相手としては無理だそうだが。
受付嬢の中にもウルラトと関係を持つ者は多い。ウルラトは威張ったり、自慢話はしないから良く、加えて娼婦達を相手に満足させる実力も魅力的。
また日本人的な勤労気質の為、ウルラトの身体は鍛えられているし、エネルギッシュ。しかし、清潔なので女性からすると安心出来る。
185センチと長身だが、意外と着痩せするので初対面では意外と軽蔑視され易い。
それを利用し「身の程を判らせて遣って」という依頼をギルドから受ける事も有る。
ギルドにとってもウルラトは太客である。
尚、【アイテムボックス】は探索者で獲得した。他にも幾つか獲得可能なジョブも存在している。
精算が終わると光のトレーが再び出現し、右手を押し合てて【アイテムボックス】を発動。
代金がウルラト専用の亜空間へと転送される。
然り気無く「今夜の御予定は?」と訊く受付嬢。それが誘いの合図である事を知るウルラトは快諾。ギルドを出て裏口脇で待ち、仕事を終えて出て来た受付嬢三人と食事と宿泊が出来る高級宿へ。
突発的に人数が増えてもウルラトは嫌な顔はせず普段通りの態度で受け入れる。
それだけの財力と、【精力絶倫】【性皇天技】の二つのユニークスキルを獲得している事が圧倒的な余裕と寛容さを生み出している。
因みに、ウルラトに子供は一人も居ない。
避妊の為の魔法薬や魔道具等は有るが、それらを用いらずとも【性皇天技】には自他を対象に避妊を自由に出来る効果が有る。
詳しい事は説明しなくとも、現に子供が出来無い事実さえ有れば、信頼は生まれる。
どんなに関係を持とうが、望まない妊娠をさせて女性も子供も不幸にさせる真似はしない。
快楽は好むが、無責任ではない。
そういう所も女性達が安心して関係を持てている理由の一つだったりするのだが。
その辺りは女性側の共通認識であり、ウルラトは自覚も無いし、特に気にもしていない。
冒険者ギルドの受付嬢が冒険者や勇者等と親密な関係になる事は禁止されてはいない。
ただ、ギルドからすると好ましくないのも事実で孕まされて寿退社になろうものなら戦力ダウン。
また新人を加え、育成しなければならなくなり、若い娘は目立ち、手を出され易い。
つまり、一向に改善しない。
だが、受付嬢も人であり、一人の女性。
その人生を拘束は出来無い為、結婚後も続け易い職場作りという方向でギルドも頑張っている。
そんな中、ウルラトの存在は別格だと言えた。
ギルドの受付嬢には能力・人格・容姿が求められ業務は命懸けの冒険よりも過酷かもしれない。
それ故に彼女達の抱えるストレスは計り知れず、ギルドの密かな悩みでも有るのだが。
それをウルラトが解決してくれている。
美味しい料理や酒を楽しみ、相談や愚痴に答え、心も身体も解しに解して、ストレス解消。
しかも受付嬢の懐は一切痛まない。
時には高価なプレゼントもウルラトは躊躇わず、予期せぬ御褒美として贈る事も有る。
ギルドからは勿論、依頼を出す各種職業側からも密かに「彼女達の為になるなら」と機密扱いとして協力が有ったりもする。
それだけ受付嬢の仕事の出来は大きな影響が有るという証拠だと言えるだろう。
だから、ウルラトが受付嬢達と過ごした情報等は当人以外が知る事が無い様に徹底的に伏せられる。
ウルラトに対するサービスは無いが、ウルラトも支払いを渋ったり、問題を起こしたりはしない為、自然と扱いは最上位に位置付けられる。
そう言った訳で受付嬢達とウルラトの関係だけは公然の秘密、という事。
これは極一部での噂話に過ぎないのだが。
そんなウルラトに恋愛・結婚の話が出ない理由は受付嬢や娼婦が暴動を起こさない為、或いは誰もが狙ってはいるが牽制し合っているから、抜け駆けは容赦無く抹殺されるから、等々。
女達のドロドロした事情が絡むとか何とか。
飽く迄も、噂話の域を出はしない事ではある。
幸せそうに眠る肢体を晒す受付嬢三人の身を拭き風邪を引かない様に布団を掛けてから部屋を出る。
朝まで一緒に居る事も有るが、それは一人の時。複数の受付嬢と一緒の場合は先に出る。
それがウルラトの彼女達の立場への配慮。
自分への妬み嫉みは全く気にもしないが。
外に出ると、まだ日付も変わっていないらしく、街の一角は不夜城の如く明々としていた。
娼館に行こうかとも考えたが、止めた。
何と無く、冒険者らしい雰囲気が懐かしくなり、冒険者達の集まる冒険者ギルド直営の酒場に。
誰が来て、誰が去ったか。
誰も気付かないし、誰も気にしない。
そんな感じで各々のパーティーや知り合い同士で固まって盛り上がっている店内。
ウルラトはカウンターに行き、一人の冒険者からウインクで「此方に来なよ」と誘われ、応じる。
娼婦・受付嬢とは長く関係を続ける事が多い。
だが、関係を持った人数という意味でなら一番は同業者──冒険者の女性だ。
ウルラトを誘ったのも、そんな中の一人。
ウルラトの記憶では最後に会ったのは約一年前。然り気無く話題にして確認すれば合っていた。
簡単な近況報告と以前からの出来事。
それが済めば、上階の宿に向かい、求め合う。
既に酒が入っていた事も有り、女冒険者は部屋に入ると同時にウルラトを求めた。
脱衣も愛撫も飛ばして一気に攻め立てる様に。
その職業柄、滅多に会えないからこそ、少しでも多く時を共有しようとすら思わせる程だが。
やはり、「恋愛・結婚は無理」である。
ウルラトからすれば、女心は理解不能だった。
そんなこんなで女冒険者の部屋を出て、酒場へと戻って飲み直していたウルラト。
一人で飲みながら、肴代わりに他人を観察する。常に情報収集を怠らないウルラトの生命線であるし無意識で遣る域にまで到達した習慣でも有った。
──と、そんな中で、一組のパーティーの様子がウルラトの目に留まった。
確か、一週間程前にイーデオンの街に遣って来たという話を受付嬢から聞いた記憶が有った。
現在の、十二人の勇者の中で最高レベル到達者。勇者、ヒロナリ・クゼ。
異世界人は大体が姓を持っているし、日本人的な名字なので一度聞けば、判る者には判る。
170後半だろう身長に、ライトブラウンの髪、整った顔立ち、歳は……二十歳か、その前辺り。
綺麗な身形からしても稼いでいる事は判る。
側には男女二人ずつ、計四人。勇者のパーティーメンバーだろう。
長く美しい金髪が目を引く長身の美女。頑固さや生真面目さを表す様な鋭い目付き。起伏は緩やか。
勇者に心配そうに話し掛けているのはピンク色の柔らかそうなボリュームの有るパーマを掛けた様な長い髪の美少女。大きな垂れ目が童顔さを強調する事から年齢は勇者と同じか上の可能性も有る。
ウルラトから見たら間違い無く勇者より年下だ。
女性陣に窘められるが、勇者は席を立たない。
呆れた様に、酔って気が大きくなっている勇者を残してパーティーメンバーは酒場を出て行った。
恐らく、高い宿を使っているのだろう。
そう考えながら、ウルラトは勇者に近付いた。
迂闊に、不用意に、衝動的にでは無く、しっかり準備を整えてから行く辺りが冷静。
失望から来る行き場の無い不満や鬱憤が溜まりに溜まっていた事も有るのか。
ウルラトは勇者に酔った振りをして絡んだ。
ウルラトが信頼される理由の一つは酔わない事。酔った様に見せてはいるが、深く酔いはしない。
それには異世界人には獲得出来無い生活補助系のレアスキル【大酒豪】を持つという絡繰りが。
ただ、絶対に酔わない訳ではない。
限界は存在しているが、滅多な事では潰れない。
軽く酔う程度なら、演技で十分に誤魔化せる。
それでも、普通ならば【鑑定】を持った勇者には見抜かれてしまう。
ウルラトの振りが勇者に見抜かれなかったのにはエクストラスキル【隠者の幻影】の御陰。
それは探索者になって各地を巡っていた時の事。とあるダンジョンの未踏エリアを発見し、攻略して獲得したスキルなのだが。
戦闘には一切役に立たない。
ただ、このスキルは自分のステータスを他者から見られた時に意図した内容で見せる事が出来る。
スキルは稀少さでレアリティが評されているが、それは人の勝手な評価でしかない。
実際には、ノーマル・ユニーク・エクストラで、後者になる程、上位のスキルとなる。
最上位はスキルの範疇を超えたギフトである。
勇者の【鑑定】はユニークスキルの為、使ってもウルラトの本当のステータスは判らない。
ウルラトの巧い所は、見せるステータスの程度が絶妙であり、勇者に疑わせない、という点に有る。
ちょっとした嫌がらせではあるが、ウルラト自身問題を起こすつもりは無い。
勇者が起こす様に仕向けはしてもだ。
だから、ウルラトの言動は酔っ払ってはいるが、無駄な様で無駄の無いもの。
ある意味、物凄い能力の無駄遣いと言えた。
ウルラトの狙い通り、勇者は苛立ち始める。
ちやほやされてきた異世界人、特に勇者にとって敵意ではなく、人として全うな駄目出しをされると馴れていない為、自尊心を傷付けられる。
だが、酔っ払っていても正論は正論。
勇者が手を出せば、酔っていても勇者が悪い。
悪魔の様な狡猾な罠を、蜘蛛の糸の様な悪意を、道化の笑みの様な無邪気さで戯れる様に忍ばせる。
ただ、勇者も伊達に勇者ではなかった。
ウルラトに対し、勝負を仕掛ける。
勇者が「先に酔い潰れた方が敗けだ」と言うと、ウルラトは了承し、二人は飲み始める。
ビールから始まり、カクテル、ワインと十杯毎に強い物に上げて行き──開始から凡そ二時間。
エヴァーヴェーユで最も強い酒“バールドル”を十杯飲み干していた。
それでも決着は着かなかった。
其処でウルラトは「バールドル一本を先に空けた方が勝ちでどうだ?」と提案し、勇者が了承。
ウェイトレスの掛け声で一気に煽り──半分以上差を着けた圧勝で、ウルラトが勝った。
勝負で飲んだ代金は全て敗者の勇者持ち。
ウルラトは気持ち好く、深夜の街を歩く。
勇者に対し色々と思う所が有ったのは否めない。それでも久し振りに酔ったからか、気分が好くて。今更潰えた可能性に拘っていても何の意味も無い。そう胸の奥に有った怨念・執着に等しい感情が燃え尽きていくのを感じていた。
そんな夜風を心地好く感じながら歩いていたら、唐突に頭の中で声が響いた。
それはスキル・魔法を獲得したりジョブに就いた時に聞こえてくる、システムアナウンスだった。
《──勇者ヒロナリ・クゼのギフト【弱肉強食】の効果により、ヒロナリ・クゼの所有している全てのスキル・魔法、所持品・現金、レベル及びジョブの補正ボーナスが対象であるウルラト・ギハーソンに移譲されます》
《──ウルラト・ギハーソンが新たなる勇者として選定されました》
《──重大なシステムエラーが発生しました》
《──システムが修正を実行します》
《──修正は不可能、システムに支障が発生》
《──システムの自己保全解決機能を発動します》
《──エラーの原因であるウルラト・ギハーソンに対してステータスの一部を再構築します》
最初は驚いたウルラトだったが、酔っていた所に頭の中に大量の情報が直接送られてきた為、気持ち悪くなって思わず吐いた。
ただ、それでも好奇心が勝り、ステータスを見て魔法一覧に増えていた【ワープ】を使った。
それで更に興奮したのだが──状態は悪化。
高級宿と違い、部屋が空いてさえいれば何時でも利用可能な馬宿に入った。
本当に久し振りに吐いた事も有ってか、そのまま酔いも合わさって眠ってしまった。
──と、一通りの事をウルラトは思い出した。
自分の推測が間違っておらず、経緯も判った。
まだ幾つか謎は残ってはいるが。
事の発端──最大の要因は勇者のギフトと考えて間違い無いとウルラトは思った。
だが、その【弱肉強食】は一覧には存在しない。
「……ギフトは対象外って事か」
その為、詳しい事は判らない。
ただ、ある程度の推察は現状でも出来る。
恐らくだが、【弱肉強食】は対象からスキル等を問答無用に奪うギフトなのだろうと考えられる。
殺した対象から、と考えるのが無難ではあるが、ウルラト自身は生きている。その事実を加味すれば条件設定をし、達成──勝利する事によって発動。そう考えると一応は辻褄が合う。
また勇者から移譲されたスキルにはモンスターの専用スキルも含まれている事から、殺した対象から獲得出来る可能性も高いと言えた。
──とは言え、見る限りでは戦闘関係ばかり。
其処は勇者だろうが、ギフトだろうが縛りが有る事に変わりはなかったのだろう。
今回、勇者がウルラトを対象に設定した条件だが本人が言った通り、「先に酔い潰れたら敗け」だと仮定すると一応は納得が出来る。
勇者のスキルに【大酒豪】の様な物は無い。
ただ【状態異常耐性】が有る為、それが酔いにも幾等かは効いていたのだろう。
しかし、ウルラトには勝てなかった。
勝てはしなかったが、勇者の設定した発動条件は満たされなかった為、酒場では不発。
だが、解除されてはいなかった。
いや、もしかしたら勇者自身、一度設定してから解除した事は無かったのかもしれない。それならば解除不可能な事を知らず、また一度設定した条件の変更も不可能という事も知らなかった。
その可能性は十分に有り得る。
敗けた事が無い。その結果が故の死角。
それに加えて泥酔状態。判断力は低下していた。
勇者は酒場を出て宿に戻り──意識を手放す。
実質的に、先に酔い潰れた、という判定となってウルラトが勝者に。
そう考えれば、現状の説明は出来るだろう。
強力なギフトが故の制約。
【弱肉強食】を使用して敗けた場合、勝った者が勇者の全てを得る事になる。
そういった類いのリスクが有るからこそ、強欲で傲慢な効果のギフトだと考えられる。
それ自体に戦闘効果や補正効果は無い辺りからもギフトという力の性質が窺えるだろう。
ウルラトは【弱肉強食】に興味は有るが、自分が使いたいかと言えば、微妙だった。
勿論、使うなら慎重に使うだろう。
あの勇者の様な誤爆する可能性が無い様に。
「何であれ、これらは全部、俺の物な訳だ」
スキル・魔法は勿論、更には勇者専用エクストラスキルの【亜空間収納】に入っていた金や装備等も全てがウルラトの物となった。
だから口元が緩んでしまうのも仕方が無い。
あの勇者──否、元勇者が全てを取り戻しに来る可能性は有るだろう。
だが、勇者でなくなり、スキル・魔法、装備等も全て失った今、ただの雑魚でしかない。
それ以前にだ、元勇者は他者から【弱肉強食】でスキル等を奪っていたと考えて間違い無い。
況してや、自分がギフトを使い、敗れた結果だ。返せと言われて応じる理由も無い。
それに元勇者はウルラトの事を正しく知らない。
最初に【鑑定】で確認しただろうが、ウルラトの情報は【隠者の幻影】で偽装されたもの。
其処に有る本当の情報は性別のみ。それに加えてウルラトはトイレに行き服を着替え、鬘や付け髭を使って変装までしていた。
ただ、それらは【鑑定】に引っ掛からない。
何故なら魔道具等でもないし、鬘も髭もウルラト自身の髪等を使用して作った自分専用の変装道具。そういったスキルを持つ相手対策用だからだ。
こんな物を持っているのはウルラトだけ。
だから、勇者も気付かず、怪しみもしない。
普通は、そこまでする理由が無いのだから。
だからと言って、ウルラトが悪意や悪事を理由に変装道具を作った訳ではない。
バレずに情報収集や接触する、というのは前世と違って簡単な様で意外と難しい。
相手の情報等を見抜くスキルや魔法、魔道具等が存在しているからだ。
その警戒網を潜り抜ける為に、【隠者の幻影】と変装道具を用いていた、というだけの事。
そして、それらは犯罪でも違法でもない。
飽く迄も、自己防衛と駆け引きの範疇だから。
そういった理由から、元勇者がウルラトを特定し探し出すという事自体が、抑難しい話。
加えて証拠が無いし、【弱肉強食】の効果による結果なら、元勇者の自己責任。
ウルラトに態々相手をして遣る理由は無い。
序でに言えば、恐らくは【弱肉強食】に二度目は存在しないとウルラトは考えている。
要は生きるか死ぬか、遣り直し無しの一発勝負。ハイリスク・ハイリターン。だからこそのギフト。
元勇者が死ねば、殺した相手が全てを得る。
勝負の場合、御互いに死にはしないが、相手側はスキル・魔法等を一つ失う程度で済む。
しかし、ギフト所有者側は死にはしないだけで、全てを失うという点は同じ、と。
そうウルラトが考える根拠が、元勇者の所有したスキル・魔法の内容。
モンスターの物は兎も角、人──ヒューム以外の種族固有の物が幾つも存在している為。
もし元勇者が殺して【弱肉強食】で奪ったなら、ギルドが発行・管理・確認している冒険者カードに自動的に犯罪履歴が記載され、冒険者カードを通じ全ギルド店舗に手配が懸けられている。
当然だが、勇者のジョブも消失する。それを遣る馬鹿は今は居ないが、過去には勘違いして好き勝手遣ろうとして勇者ではなくなり、即座に捕まって、公開処刑された輩が居た。
その事を異世界人は一度最初に教えられる。
だから、犯罪者になる異世界人は滅多に居ない。
そうなってはいない以上、その可能性は無い。
相手が犯罪者なら、殺しても問題は無いのだが。殺り過ぎれば、妙な噂や悪評が付き纏うもの。
そういう話も聞かない為、勝負して勝ち、一つ位得ていたと考えた方が無難だとウルラトは思う。
「まあ、態々危険を冒してまで此方から奴に近付く理由なんて無いんだ、放って置けばいい
それよりも、あの時の声の内容の方が問題だな」
腕を組み、ウルラトは思い出しながら考える。
本来、勇者が選定される理由は死亡か犯罪者化。その何方等かだと言い切れる。先ず後者が無い以上前者が現在の選定が行われる理由だろう。
だが、今回の場合、想定外だった可能性が有る。
【弱肉強食】のギフトを持つ勇者が、同じ勇者と戦う可能性は低く、殺されるとしたらモンスター。そのモンスターは超強力に成ってしまうが、勇者が倒せる可能性は十分に残る。
【弱肉強食】自体は元勇者専用で、敗けた時点で消失する可能性が高いのだから。
そうだとすればウルラトの様に人が勝つ可能性は殆んど考慮されていなかったのかもしれない。
だから、此処でシステム的にエラーが生じた。
恐らくは、元勇者の敗北で【弱肉強食】が発動しジョブとしての勇者に自動変更がウルラトに発動。一方で元勇者が勇者ではなくなった為、従来通りに新しい勇者が選定された。
皮肉な事だが、先に処理されるべきウルラトより無駄を省き最適化されていた後者の方が先に完了。
其処に、ウルラトのジョブが勇者への変更が先に確定している事で矛盾が生じた。
十二人の勇者が確定、その上でもう一人だ。
その有り得ない状況を解決する為に。システムはウルラトのステータス──存在を再構築した。
年齢が0歳なのは、その為だろう。
システム的にもウルラトの方が優先順位が高く、しかし、先に勇者に変更した方の処分は不可。
そうなると、新しく枠を設けるしかない。
ただ、この十三人目はウルラト限定。
ウルラトが死ぬか、或いは他の勇者の誰かが死亡した時点で特例措置は解除されるだろう。
一人減れば、従来の枠に収まるのだから。
一先ず、納得出来る仮説は立てられたウルラトは別の疑問の事を考える事にした。
それはレベル及びジョブの補正ボーナスの事。
何方等も能力の強化を意味しているのだろうし、そういう効果なのだろうと思ってはいた。
ただ、システムアナウンスが間違いではないなら今のウルラトは自身のレベル99とジョブの分に、元勇者のレベルとジョブの分が有効な状態。
その状態で──レベル1。
恐らく、純粋な殴り合いなら人類最強だろう。
更にはスキル・魔法の効果も加わる。
ウルラト自身もドン引きする、ぶっ壊れ具合だ。
しかし、ウルラトにとっての問題は少し違う。
今のウルラトは急に強くなった状態。例えるなら強力な武器や防具を装備しただけの村人レベル1。つまり、使い熟せず、雑魚モンスターにも殺される可能性を持っている、という状態。
或いは、扱い切れない超高性能さが故にミスして自滅・誤爆してしまう可能性が有る状態。
今になってウルラトは冷や汗を掻く。
一歩間違っていたら、【ワープ】を使った所為で死んでしまっていたかもしれない。
【ワープ】自体は安全だったとしても、その後は安全だとは限らないし、少し間違えれば誰かを殺め犯罪者に為っていたかもしれない。
それを想像しただけで、自分の愚かさを痛感。
同時に酒の怖さも再認識させられた。
尚、ウルラトが御世話になっていた【大酒豪】はエクストラスキル【酒呑童子】に強化され、今後は一切、深酔いとは無縁となった。
この様にスキルが強化される事は稀に起きる。
明確な条件は解明されていないが、複数の要因が重なって起こる現象である事だけは確かとされる。
「……よし、取り敢えず、確認してみるか
ターストだと人が居なさそうなのは…………ああ、彼処なら大丈夫か」
久し振り過ぎて思い出すのに多少時間が掛かったウルラトだったが、目的に適した場所を思い付き、忘れ物が無いか確かめると着替え──ていて、一つ大事な事を思い出した。
視点や身体の感覚は変わっていなかったが年齢が0歳に変わっている以上、多少だろうと何かしらの変化が有る可能性を。
だが、確かめた限り、容姿に変化は無かった。
強いて挙げるなら、肌艶が物凄く良い事だろう。俗に言う、もちもちスベスベの赤ちゃん肌。
後は………………ああ、手足や脇の毛、髭が全部綺麗に無くなっていた。毛深い訳ではなかったが。無くなると無くなったで妙な違和感が有った。
その程度の違いだった為、ウルラトは安心した。自分が自分でなくなるのは一度で十分だから。
仕度を整えて部屋を出る。
見た目が変わっていない為、変に駆け出し冒険者に寄せると不自然になる。だが、普段の装備品では浮いてしまうのも事実。その辺りの加減を間違えば無駄に目立ってしまうので注意が必要だ。
ウルラトは宿を出て歩くながら改めて久し振りに見るターストの街並みを眺める。
冒険者は常に彼方等此方等に行く事の多い職業。定住する者も居るが、そういう者は家族が居たり、出来たりして安定を求める為。
対して、ウルラトの様な独り身では気にしない。好きな時に、或いは良い依頼が有れば、身体一つで何処へでも行く事が出来る。
不安定だが、実力次第で幾らでも稼げる冒険者はウルラトにとって天職だと言えた。
その結果、色んな場所にウルラトと関係を持った女性達が居るのも冒険者ならではだろう。
「……そう言えば、此処には居なかったか……」
ふと、昔を懐かしむ様に回想しながら気付いた。
冒険者にとって要所となる場所には、ウルラトが誘えば、或いはウルラトを見れば誘う女性が必ずと言っていい程、存在しているのだが。
ターストには、そういった女性が居ない。
偶々、用事が有って来ている冒険者等の女性なら居るかもしれないが。定住している女性は居ない。ターストは平和で暮らし易いが、高が知れている。ターストの生活水準は低い。だから、態々自分から生活水準を落としてまで移り住む者は居ない。
ウルラトが関係を持った女性達がターストに移るという事は追放・都落ちの様なもの。
だから、そういう女性は居ない。
ウルラトは強かな女性は好ましく思うが、自分の身の丈に合わない野心・野望を持つ者は嫌う。
現実主義者とまでは行かないが、現実の見えない妄想家の相手をする暇人でもないのだから。
ただ、ふと思っただけの事。
「一人位はターストにも関係を持つ女性が居ても悪くはないか」と。
ターストを出て北北東に徒歩で半日程行った所に人が近寄らない岩山が有る。
其処は、“ヤインジアの岩床”というフィールドダンジョン。ただ、不人気も不人気。
駆け出しの多いターストの冒険者達にとっては、此処のモンスター達は懐に痛いだけ。
殆んどのモンスターが硬く、武器も防具も一日と持たずに駄目になり、倒しても旨味は無い。
だから、余程の好き者か馬鹿しか来ない。そんな訳で穴場だったりする。
ウルラトにとっては、曾ては己の技術を磨く上で御世話になっていた場所でもある。
何しろ、他の冒険者が居ないのだから気兼ねなく修練に集中し、どんな事を遣っても問題無い。
そういう場所なのだから。
【ワープ】は使えないし、使う気も無いが。
軽くジョギングでもする感覚で走って向かったら一時間と掛からずに着いてしまった。
街道等を使わず、一直線に最短距離を進んだが。それでも、今の自分の身体能力にウルラトは引く。
昨日の自分なら、頑張っても四時間は掛かる。
恐らく、元勇者でも三時間は掛かるだろう。
それが一時間足らず。軽く流して、だ。
改めて、今の自分の異常さを実感する。
そして、昨夜、誰にも絡まれず、誰とも共にせず眠った事を自分で自分を褒めたいと思う。
下手をすれば、腹上死させていたかもしれない。力加減の具合が明らかに狂っているのだから。
ウルラトは真剣に取り組む必要性を再認識する。
犯罪者──賞金首を殺す事は珍しくはない。
だが、自動的に判定・手配される冒険者と違い、他の人々の有罪無罪の判別は難しい。
今なら、【鑑定】で見えるだろうが。
基本的には断定は出来無い。
だから殺人の経験となると専ら賞金首になる。
それこそウルラトは万を越える賞金首を討ち取り治安の維持・改善に貢献してきた。
それだけに、身体を重ねる女性を行為中に誤って死なせてしまう様な笑えない事態は避けたい。
野郎が何れだけ死のうと気にもしないが。
男であるウルラトにとっては、魅力的な女性とは何れだけ居ても困る事は無いのだから。
そんな訳で自分の状態を把握する為に現れてくるモンスター達を次から次へと相手取る。
先ずは素手、次に武器や防具、スキルに魔法と。一つ一つ威力・範囲・効果・注意点を確認。
気付いた頃には西の空が赤く染まり始めていた。
ウルラトの周囲の地形まで変わってしまったが、ダンジョンという場所は一部を除き、地形や状態が固定化されている。
その為、ダンジョン内から人が存在しなくなると自動修復されて元に戻る。
ヤインジアの岩床も、ウルラトが立ち去った後、3分と掛からずに元の状態へと修復される。
だからこそ、ウルラトは修練場にしていた。
目撃者は勿論、一切の痕跡を残さない為に。
「まあ、普通に生活する分には問題は無いか
さて……ああ、やっぱり、勇者は重いな」
ステータスを確認してウルラトは溜め息を吐く。
今日、ウルラトが倒したモンスターの量であれば上級のジョブでもレベル1なら10は越える。
上級ジョブのレベル1など召喚された異世界人、その中でも一握りしか居ない稀な存在だが。
其処までは届くと言える。
それなのにウルラトのレベルは──1のまま。
所謂、“経験値”は蓄積しているだろうが。
如何せん、勇者は能力が飛び抜けて高い分、そのレベルが上がり難い事で有名。
低レベルで勇者に成るケースは滅多に無いが。
上がり難さは上級ジョブと比べるまでもない。
尚、レベルアップはステータスで確認しなければ確かめる術は基本的には無い。
システムアナウンスは、ジョブやスキル・魔法に関連した時にしか聞こえない。
ゲームの様に親切に教えてはくれないのだから。
──と、ウルラトは足元から伝わる小さな揺れを感じ、直ぐに原因を思い出した。
「大正解!」と言わんばかりに大きく揺れ地面が裂けると亀裂から伸びた岩の巨腕が縁に手を掛け、ベッドから起き上がる様にして姿を現す巨躯。
翼無き大蜥蜴、恐竜の様な形の岩のモンスター。それがガロードラゥド。
身体は非常に硬く上級ジョブの一撃でも少し傷が付く程度で、魔法耐性も高い為、厄介。
長期戦必死の嫌なモンスターだ。
だが、普通のモンスターではない。
此処はダンジョン。
ダンジョンにはボスが付き物。
それはフィールドダンジョンでも同じ事。
ガロードラゥドは此処のダンジョンボスだ。
ウルラト以外には無名にも等しくともだ。
ただ、知られていない事には理由が有り、此処が忌避されている事と、フィールドダンジョンの場合ダンジョンボスの出現には様々な条件が存在する。その為、存在を知られていない事は多々有る。
「ガロードラゥドか……ん?、レア個体か?」
ゲームとは違い、モンスターにも個体差が有る。そして、それはダンジョンボスにも言える事。
ただ、そうは言ってもダンジョンボスは存在自体が特殊個体である為、個体差が出難い存在。
比較的攻略し易いダンジョンのダンジョンボスで百年に1体といった具合である。
正確に把握されている訳ではない為、飽く迄も、明らかに違うと判る場合に限られているのだが。
今、ウルラトの目の前に立ち塞がり、巨躯の影が容易くウルラトを覆い尽くすのだが。
過去、ウルラトが倒したガロードラゥドに比べて一回りは大きかった。
加えて、今回の個体には額にも眼が存在する。
その二点で十分にレア個体だと言えた。
ただ、レア個体は通常個体よりも遥かに強い。
当然と言えば当然だが。それ故に価値が有る。
しかし、今のウルラトの前では意味は無かった。先ず【鑑定】して確かめ、右拳の一撃で終了。
非常に手間の掛かる出現条件のガロードラゥドは直ぐに退場する事となった。
元々所有しているユニークスキル【自動解体】と元勇者から得た【自動回収】によって、一瞬にしてガロードラゥドの屍は消え去る。
それだけを見ればゲーム感が強いが、血や体液の痕跡は消えずに残る。
ダンジョンが修復されれば消えるのだが。
そんな些細な差に、現実感が有ると言える。
「──お?、今ので上がったか」
長く冒険者をしている習慣から、ダンジョンボス討伐後はステータス等の確認は必須作業。
其処でウルラトはレベル2に上がった事を知り、先程のガロードラゥドに感謝する。
キリが良いのは、気分が良いものだからだ。
新しいスキル・魔法の獲得は無く残念だったが、それは元勇者から得た内容と重複する為だろう。
ウルラトの知る限り、レベル10までに獲得する事が出来るスキル・魔法は個人差こそ有るらしいが基本的に決まっている。
其処から獲得の有無に差は出るらしい。
ウルラトの知る勇者が獲得可能なスキル・魔法は一通り揃っているので間違い無い。
──と言うか、ウルラトが勇者に成った時点で、既にレベルは99だった。だからウルラトが新しく勇者のスキル・魔法を獲得する可能性は低い。
処理し切れなかっただけで、勇者専用のスキルや魔法は全て獲得済みなのだから。
後は特殊条件が絡む物ばかりだろう。
欲しくない訳ではないが、渇望する程ではない。コンプリートしたい訳でもないのだから。
ヤインジアの岩床を出て帰路に付くウルラト。
今朝と同様に走ってターストに戻る。
冒険者ギルドで換金したりしなければウルラトが何処で何をしていたかを知る情報は無いに等しい。
そして、昨日よりも少しだけ良い宿を取る。
昨夜は時間帯が時間帯の為、他に利用出来る宿は無かった事が理由として考えられる。
だから、手頃な料金の宿に止まれば怪しまれず、余計な詮索を受ける事も無いだろう。
そうウルラトは考え、事実、その通りだった。
取った部屋に入り、ベッドを無駄に汚さない様に置かれている椅子に座る。
途中、通りの屋台で買ったビールと串焼きを机に置き、ビールを一口飲んで一息吐きながら考える。
「勇者には成ったんだが……勇者として生きる?、俺が?、無理だな、無理、似合わなさ過ぎる」
「俺は勇者だ!」と堂々と名乗る自分の姿を思い浮かべると折角のビールが不味くなった。
抑、似合う似合わないという話の前に勇者という在り方・生き方を強制される事が不愉快だった。
もう既に成ってしまったものは仕方が無いが。
少なくとも、悪事を働きさえしなければ、今まで通りの生活を送っていても問題は無いだろう。
ウルラトが勇者である事は、ウルラト自身以外はシステムが知っているだけ。
加えて【隠者の幻影】を持つ為、ウルラトの真のステータスを知る事が出来る者は先ず居ない。
更に言えば、ウルラトは十三人目の勇者だ。
イレギュラーであり、一時的な特別措置だ。
他に勇者は十二人居る。
誰かが死なない限り、ウルラトの存在を探そうと考える者は出ては来ないと考えられる。
元勇者は別にしてもだ。
ウルラトは自分が勇者として表舞台に立つ必要は今の所は皆無だと思った。
少なくともウルラトには利が感じられない。
寧ろ、百害有って一利無し──は言い過ぎだが、デメリットの方が多いと言えた。
まあ、もしかたしたら彼女が出来たり、結婚して子供を授かる事が出来るかもしれないが。
それは今更だと言えた。
いや、ウルラト自身、本音を言えば、彼氏彼女の関係の女性は欲しいし、結婚もしたい、子供も沢山授かりたいのだが。
果たして、四十一歳の姿なのに年齢が0歳という意味不明な状態の自分は今後どうなるのか?。
単純に寿命が伸びるだけなら構わない。
しかし、元の年齢──肉体の状態に、今の年齢が追い付くまで不老化していたら。
ウルラトの存在は明らかに目立つ。──と言うか妻子を厄介事や危険に巻き込む可能性が高い。
そうなると、色々と面倒臭い事ばかりになる。
そう冷静に考えれば今の状態は好ましくない。
いっその事、姿も変わっていたら楽だったのに。
そう考えてしまったウルラトは可笑しくはない。
「…………いや、待てよ、一つだけ手が有るな」
ウルラトの脳裏に閃くものが有った。
前世で言う所の全身整形。まあ、全身でなくとも顔さえ変えてしまえば十分なのだが。
この世界の医療技術というのは、スキル・魔法に依存している為、前世とは在り方が異なる。
だから、整形という考え方は無いに等しい。
ただ、そういう事が可能な方法なら有る。
それが“カー・タースの美妖園”という、数有るダンジョンの中でも異色のダンジョンだ。
そのダンジョンには特定条件を満たすと自動的に発生する特殊イベントが幾つか有り、その一つに、容姿を変える事が出来る物が有った。
効果は永続だが、一度しか変えられない。
また、飽く迄も容姿を変えるだけでステータスの情報は変わらない為、冒険者カードでバレる。
だから、あまり意味の無い事なのだが。
今のウルラトには利用する価値は有る。
ただ、即決するには悩み所も少なくない。
ウルラトを知る相手──殆んど女性だが──への説明という難題が待ち受けている事。
「過去の自分と決別して遣り直す!」という様な固い意志が有っての事なら悩まないだろうが。
ウルラトは今の容姿で不便はしていない。
特筆するイケメンではないが、モテはする。
顔で、という訳ではないが。
ウルラトと関係を持つ娼婦達は街中でも気にせず抱き付いたりキスしたり甘えたりする。
それを見て悔しがったり、睨み付ける男達が居る事実からしても、決して女性に嫌がられる様な容姿という訳ではないと言えるだろう。
だから、天秤に掛けるまでもないとも思えた。
少なくとも数年は誤魔化せるだろうし、写真等の技術は一般的ではないので遣り様は有るだろう。
寧ろ、此処で下手な真似をする方が不自然だ。
そう結論付け、その考えを放棄する。
放棄はする──が、行ってみようとは思う。
今のウルラトにとっては丁度良い腕試しになる。そう考えたからだ。
「そうと決まれば先ずは夕飯だな」
残っていたビールを飲み干し、空いた木杯を手に部屋を出るウルラト。
ビールの木杯は買った店に返すと、代金の一割が返金される仕組み。
各店の焼き印が入っているので間違えはしないし詐欺を働こうにも木杯を購入する方が高い。
自作しても出来が悪ければバレるだけ。
だからなのか、木工職人の採用試験の作成課題が木杯である事が多かったりする。
腕の良い職人は何処も欲しい人材だからだ。
ターストで目覚める二日目。
ウルラトは久し振りに女性と過ごさずに朝を迎え自分の身体が思っていた以上に若いのだと気付く。
別に悪い事ではないのだが、四十一歳の男性には随分と昔の事の様に感じられる事だった。
【精力絶倫】の効果は飽く迄も無尽蔵なだけ。
そういった反応はウルラトも年相応だった。
勿論、遣る気スイッチが入れば若いだけの連中に遅れも劣りも敗けもしないのだが。
それはそれ、これはこれ。
昨日の朝に関しては泥酔明けだった事も有るし、ウルラト的にはノーカウント。不可抗力である。
利点なのか弊害なのか。悩ましい所だろう。
宿を出ると人目に付かない場所に入って、変装。元勇者の時の物とは違う鬘や髭を使うのは当然。
それからターストの冒険者ギルドにて情報収集。貼り出されている依頼や募集情報等をチェック。
直営の食堂で朝食を頼み、ウェイトレスと世間話しながら地元の住人ならでは話題を収集。
然り気無くタースト近隣の周辺事情なども訊き、代金を支払って出る。
そのまま寄り道もせず、ターストを発った。
カー・タースの美妖園はターストから街道沿いに進めば約二ヶ月は掛かる。
所が、西北西に真っ直ぐ進めば100キロ弱。
ただ、それには世界十大難所の一つである総延長1000キロを超える“チパーイ山脈”を突っ切る必要が有る為、勇者御一行様でも遣らない近道。
自殺行為に等しい事を、ウルラトは実行する。
チパーイ山脈は起伏は有れど全体の標高は他所の山や山脈に比べて然程高くはない。
その為、山越えや縦走自体は問題無い。
だが、その全域がフィールドダンジョンであり、棲息しているモンスター達は獰猛で凶悪で狂暴。
“二度と行きたくないダンジョン”ランキングで常にベスト3に入る場所だったりする。
中でも特に、体長50センチ程のラバットという兎の頭と身体に蝙蝠の翼と手足を持つモンスターが厄介で知られている。
ラバットは群れで行動するモンスターなのだが、指揮官等の役割分担もしている組織的なモンスターとして個の強さ以上に危険度が認知されている。
非常に素早く、一度戦うと死ぬか殺すまで執拗に追い掛け続け、ダンジョン外まで襲って来る。
基本的な事だが、ダンジョンからモンスター達が出るという事は通常は有り得ない。
ダンジョン外に居るモンスターはダンジョンから生まれたモンスターではなく、世界各地に自然発生している“禍の渦”と呼ばれる場所から生まれる。その為、ダンジョンには縛られない。
尚、ダンジョン外で生まれたモンスターは滅多にダンジョンに近付きもしないが、仮にダンジョンに入った場合、普通に襲われ、殺される。
ダンジョンやダンジョン生まれのモンスターには自分達以外の存在は等しく敵である為だ。
その根本的な法則を無視するのがラバット。
救いが有るとすれば、一つの群れは50体前後。ラバットだけに集中出来れば対象は可能。
しかし、他のモンスターが待ってくれたり、気を遣ってくれたり、空気を読んでくれる訳でもない。
また、ラバットは異なる群れに所属する者同士が混ざって集まっている事も珍しくない。
悪意の塊としか思えない罠である。
だから踏み込めば死ぬ気で戦うか、一切合切無視して逃げに徹して突っ切るか、となる。
その為、チパーイ山脈に行こうと思う者は稀。
基本的に、近付きたくはない場所である。
そのチパーイ山脈をウルラトは平然と突っ切る。ラバットや他のモンスター達が襲ってくるが御構い無しに返り討ちにし、ダンジョンボスすら撃破。
因みに、チパーイ山脈には複数のダンジョンボスが居る事は殆んど知られていない。
出現条件が異なる事は勿論だが、単独行動が条件である事も有り、勇者にも不可能な全種討覇を成し遂げたのは実はウルラトだけだったりする。
尚、今回の件で条件を満たしたのか、ウルラトは新しいスキル・魔法に装備品を得た事は余談。
予想としてはチパーイ山脈を一度も出ないままで一日以内に全ボス撃破を達成だろうと考えた。
そのチパーイ山脈を無事、通過したウルラト。
流石に三時間程掛かってしまったが、その程度はウルラトの予想した通り。
寧ろ、早過ぎず遅過ぎない予想が出来る事の方が驚異的な凄さなのだが。本人に自覚は無い。
チパーイ山脈を越えた先には深緑の湖の様な森が広がっている。
巨大なエメラルドを眺めているかの様な美しさ。それは森がダンジョンが故の魔性の魅力と言える。
“二トイーレの静寂”という森は植物系と蟲系のモンスターの巣窟であり、毒や麻痺等の状態異常系スキルや魔法を使われ、搦め手の罠も多い。
何より、森が異常な程に静かな為、侵入者は自ら存在や位置を教えてしまう事になる。
それ故に相当の実力がなければ、あっと言う間に人生を終わらせてしまう事になる。
その森の中央に、一見しただけでは同化して見え気付かない同じ深緑の屋根の建物──館が在る。
その館こそが、カー・タースの美妖園。
見た目は洋館だが、正真正銘のダンジョン。
決して、侮ってはならない場所である。
ウルラトは適当に座り、【亜空間収納】から昨夜買った冷えた瓶ビールを取り出して栓を抜き呷る。
冷えた発泡・炭酸系飲料は何故か染み渡る旨さ。よく売れるのも納得出来るというものだ。
ウルラトは【亜空間収納】に感謝する。
【アイテムボックス】は一部を除いて生活用品は収納出来無いが、【亜空間収納】には制限が無い。しかも納時の状態でキープされる優れ振りである。使用しない理由は無かった。
また二つのスキルは統合されたりはせず、別々に独立している為、ウルラトにとっては使い分ければ勇者である事を隠せる点が大きい。
それなのに、その中身は両方の収納一覧を出し、タッチパネルの要領で少し操作するだけで一々外に出さずとも移動が可能。便利過ぎだと言えた。
ただ、両方を持つ勇者が居るという話も、過去の記録も無かった為、ウルラトが初かもしれないが、真偽を確かめる術は無いし、興味も無い。
森と館を眺めながらウルラトは一息吐く。
一度森に入れば館に辿り着き中に入るしかなく、小休止出来るのは外に居る時だけ。
森よりも館の中の方が休む余裕は出来る。
それ程に森は危険なのだから。
油断せず、まだ余裕が有ろうが、一先ず休む。
そうしてウルラトは生き抜いて来たのだから。
因みに、森も館も世界十大難所の一つである。
三つも固まっているのは此処しかないのだけれど必ず行く必要の有る特別な場所というではない。
ゲームで言えば、遣り込み用要素の超高難易度のダンジョンが、世界十大難所という存在である。
だから普通は勇者が訪れる事は先ず無い場所だ。
一時間程、休息を取り、ウルラトは森に入る。
幸い、チパーイ山脈の突破でレベルが5まで上昇している事も有り、面倒な真似はせず、真っ直ぐに力業で最短距離を突き抜ける事にした。
以前のウルラトには出来無かった事。以前ならば可能な限り、隠密系のスキル・魔法に装備等を使い自分の存在を隠して進んでいた。
だが、元勇者の収集したスキル・魔法も含めて、隠れる必要が今のウルラトには無かった。
だから、未知のダンジョンボスが出現した事も、ある意味では必然だと言えた。
森の木々の間を縫う様にして猛スピードで接近し自ら森の静寂を破る様に甲高い咆哮を響かせて姿を現したのは、樹と蔓が絡み合った様な長い巨躯。
蛇や鰻等を模した自然アート作品の様な神秘的な美しさと不気味な怪しさとを合わせ持っている。
「ウォーロン・ナーガラージャの亜種辺りか?」
そう呟きながらウルラトは【鑑定】を発動。
すると、ヴリクショフ・ウォーロ・ドラゴア、とダンジョンボスのステータスが表示された。
人のジョブが表示される場所にダンジョンボスと出ているので間違いは無い。
それはそれとして、ウルラトは小さく舌打ち。
希望的予想だったウォーロン・ナーガラージャは別のダンジョンボスだが、その系統なら殺り易い。何百と狩り、熟知している為だ。
だが、結果は違った。
見た目には判らない為、【鑑定】の類いが無いと苦戦・長期戦となり、削られる事だろう。
何しろ、相手はドラゴア──ドラゴン種だから。
ドラゴンには大きく二種類が存在する。
竜は翼の有る種、龍は翼は勿論、手足の無い蛇の様な姿をした種を指す。
強さに関しては何方等も強く、ピンキリであるが決して弱い種ではない事だけは確かだ。
因みに、恐竜の様なタイプは爬虫類でサウルスと名前が付いている事が多い。
ウルラトにとって、それ自体は重要ではない。
ただ、今は時間が惜しい。
本来なら情報収集しながら戦い、倒すのだが。
今は仕方無く、瞬殺する事にした。
【龍殺し】【龍喰らい】【竜斬龍断】のスキルを発動させ、【ドラグディバスター】の魔法を放つ。
何れも対龍・対ドラゴンの効果を持つ。
更には常時発動している強化スキルも加わる為、その威力は間違い無く、オーバーキル。
事実、ウルラトの一撃で勝負は付き、森を裂いて館付近まで出来た巨大な一本道をウルラトは走る。
レベルが上がり、新しいスキル・魔法を得たが、詳細の確認は後回しにした。
館の前に到着するとウルラトは直ぐに入口の扉の脇に立つ女性天使の彫像が持つ開かれた書に右手を置いて三秒待つ。
その間も森からモンスターは遣ってくるのだが。今回は何故か静かだった。
先程のダンジョンボスを倒した影響かもしれないという推測をしていると、チャイムが鳴る。
「いらっしゃいませ~、何名様ですか~?」
「一人だ」
「畏まりました~、中へどうぞ~」
聞こえてきた声に答えると入口の扉が開く。
この仕掛けを知らなければ扉は開かず、森からのモンスターの襲撃で詰んでしまう。
何とも厭らしい仕掛けだと言えるのだが。
ダンジョンに優しさや親切さを求める事自体が、頭が可笑しい事だと言うべきだろう。
ダンジョンとは悪意と戯狂心と辛辣さの塊。
踏み入る者には容赦無く等しく死の洗礼を齎す。そういう存在なのだから。
ウルラトは開かれた扉を潜り館の中へ入った。
高級宿の様な造りのエントランスが出迎える。
ただ、扉は直ぐに閉まり、退路は断たれる。
こういったボス部屋仕様のダンジョンは稀にだが存在しているので驚きはしない。
何より、ウルラトが此処に来るのは今回が初めてという訳ではない。
過去六度、美妖園に挑み、生還している。
扉が閉まると直ぐに、入口で話した声の主が別の扉を開けてウルラトの前に姿を現す。
小さくした飾りの様な蝙蝠の翼に、ドーナツにも見える頭の左右に有る羊の様な巻き角、己の感情に合わせて揺れる黒い鞭の様な質感の悪魔の尾。
何より、意味が有るのか判らない隠すべき部分が丸見えの下着ですらない衣装を着た妖艶な美女。
サキュバスが、笑顔を浮かべて歩み寄る。
「あら~?、もしかしてウルラト様ですか~?」
「ああ、久し振りに世話になる」
「いえいえ~、貴男様なら大歓迎致しますよ~」
直ぐにサキュバスはウルラトを認識し、嬉し気に腕を絡ませ、その肢体を押し付けながら奥の方へとウルラトを案内して歩き出す。
だが、決してウルラトを覚えている訳ではない。システム上、ダンジョンの攻略者であるウルラトが記録されている為、その情報を与えられただけ。
少なくとも、死んだモンスターの記憶は残らず、前世の記憶を持つモンスターは存在しない。
さて、このカー・タースの美妖園なのだが。
出現するモンスターはサキュバスの一種類のみ。
そのサキュバスも少し特殊であり、ダンジョンも特殊な仕様となっている。
サキュバス自体は他のダンジョンにも出現する。ただ、非常に狡猾であり獰猛な肉食獣の如し。
決して、ウルラトと歩く様なサキュバスは皆無。
攻撃的であり、残忍であり、容赦無く出逢う男の精気と生命を奪い尽くすモンスターである。
勿論、見た目には妖艶な美女なのだが、見惚れる以上に恐怖で漏らしてしまう男の方が多い存在。
恋人と一緒の場合、女性を半殺しにした状態で、目の前で男を犯し、笑顔で絞り尽くして殺す。
そういう性質をしている為、嫌煙され勝ちだ。
それなのに、という事。
それこそが此処が特殊である理由でもある。
カー・タースの美妖園は男性専用ダンジョン。
女性禁制で、女性が一緒だと扉を開く仕組み自体作動する事は無い。
加えて申請した人数しか入館出来ず、既に誰かが入館している間は、次の入館は不可能となる。
その為、後から入ったり、【ワープ】で館の中に入ったりする事は出来無い。
館内から脱出する事は可能らしいが、ウルラトが試した事は無い。
美妖園のサキュバス達は今の様に会話が可能性で性格的にも他よりも圧倒的に温厚。勿論、本質的に男を絞り尽くす点では同じ。
故にダンジョンと言うよりは娼館、モンスターと言うよりは娼婦と言う方が納得出来るだろう。
そんな美妖園では、一切の戦闘行為が禁止。
それは人は勿論、サキュバス達も同様である。
しかし、此処はダンジョン。攻略方法は有る。
サキュバスもモンスターなので倒す事が可能だ。但し、他のダンジョンとは倒し方が異なるだけ。
美妖園のサキュバスを倒すには吸精値の限界まで精気を注ぎ満足させる事。それ以外には不可能。
未練の有る悪霊の除霊方法の様な話だが、事実。
注意点としては、サキュバス達にも個体差が有るという事だろう。吸精値の違いは勿論、その容姿や性格・感度・性癖等にもだ。
ただ、サキュバスは美女・美少女・美熟女揃い。それ故に「桃源郷は此処に在った!」と拳を握り、叫んだ勇者や異世界人の男達が居たらしい。
それが巡り巡って、様々な云われ方をしているが其処はダンジョンであり、彼女達はモンスター。
その事実を忘れてはならない。その現実は変える事は出来無いのだから。
故に、「身を貪られようとも心は委ねるな」と。悲劇を経験した先人達は後世に遺している。
ある意味では天国、ある意味では地獄とされる。その理由を察する事が出来るだろう。
また、ダンジョン内では決して死ぬ事は無い。
ただ、出た瞬間に精根尽きて死ぬ事は有る。要はサキュバスを満足させられずに自力で脱出出来無い場合は絞り尽くされて放り出され、死ぬ。
精魂尽き果てなくても、森のモンスター達により襲われれば何も出来無いだろうから。
それでも、「人生の最後は此処で!」と思う者も少なくはないのが現実なのだが。
抑、場所が場所なだけに簡単には辿り着けない。
勇者御一行でさえ、此処には来ない。
尤も、こんな場所で男勇者を無駄死にさせる様な馬鹿な真似は遣らせないだろう。
通常、ダンジョンから生まれるモンスターの数に制限というものは無い。ダンジョンボスが基本的に1体しか存在しないのと同様に。
しかし、美妖園だけは例外。
抑、サキュバス自体が上位種のモンスター。
単体でも危険度はトップクラスなのに美妖園にはサキュバスしかいない。もし、正面に戦ったなら、如何に精強な勇者御一行やベテランパーティーでも生きて戻る事は不可能だろう。
それ程にサキュバスは強い。
そんなサキュバス達との平和的な死闘が待つ館。それがカー・タースの美妖園である。
ウルラトが案内されたのは一辺が10メートルは有る正立方体の部屋。大人の夜の遊戯室と言う様な無駄に凄い設備が充実している。
ただ、此処はウルラトが攻略者で、その中でも、VIP待遇である為、使用可能な部屋。
未攻略者、攻略者、特別攻略者とランク付けされ扱いも異なる辺りは正に娼館。
娼館も金を積めば何でも出来る・許されるという訳ではないのだから。
客としての格を上げる為には金額は勿論、娼婦や娼館に対する人として当然のルールを守る事など、信頼を得なければならない事は言うまでもない。
「それでは~、本日は如何致しますか~?」
「“無限コース”で頼む」
「……本当に~、其方等で宜しいのですか~?」
「ああ、構わない」
「畏まりました~」
敵で有る筈のサキュバスが真顔で再確認する程、ウルラトの指定した無限コースは特別である。
美妖園のサキュバスは99体で固定されており、更にダンジョンボスとしてサキュバス・クイーンが最後に控えている。
一度倒されたサキュバス達は挑戦者が敗北するかダンジョンが攻略されるかしてリセットされないと新しく出現する事は基本的には無い。
挑戦者には幾つかの選択肢が与えられ、選択した内容を達成していれば、途中で脱出する事が可能。そうでなければ……である。
全てのサキュバスを倒すとサキュバス・クイーンとの戦いが始まり、勝てばダンジョン攻略となる。
そして、単独攻略達成者にのみ新しい要素として幾つかの特別なコースが提示される。
24時間内クリア、サキュバス1000体斬り、サキュバス・クイーン十番勝負、等々。
全部で十二のコースが有る。
その全てをクリアしたウルラトには隠しコースを選ぶ権利が与えられた。
それが、無限コースである。
通された部屋にてコースを選択すると、案内役の娘が消えて、サキュバス・エンプレス・クイーンが出現して始まる当コース。
サキュバス・エンプレス・クイーンを倒すまで、サキュバス・クイーン、サキュバスが一定時間毎にランダムで10体ずつ出現し続ける。
運が悪ければサキュバス・クイーン10体を引く可能性も十分に有り得るのだが。
兎に角、サキュバスですら「私が男なら無理」と口を揃えて言い切る程に不可能だとされるコース。
実際、ウルラトも話を聞いただけに留めた。
サキュバス達の貪欲さを、ダンジョンの悪意を、ウルラトは決して甘く見てはいないのだから。
因みに、ウルラトが考えた整形はサキュバス達がコスプレで挑んでくる千変万化コースの攻略特典。一度キリだが、行使しなければクリアして行使するまでは何時までも保留が可能である。
案内役のサキュバスが「御武運を」とキスをして役目を終えた様に消え去る。
少し間を置き、部屋の中央に濃密なマナが収束し黒と桃の斑模様のドレスの様に優雅に霧散する。
其処にサキュバス・エンプレス・クイーンが立ちウルラトを真っ直ぐに見詰めてくる。
「嗚呼、漸く私を抱いてくれる男が現れたのね」
瞳を潤ませ、嬉しさの余り泣き出しそうな程に。彼女はウルラトに抱き付いた。
大き過ぎず、小さ過ぎず、柔か過ぎず、適度で、それでいて張りや弾力も程好い双丘が、ウルラトの鍛えられた胸板で潰れる。
彼女を一目見て、ウルラトは恐怖を感じた。
サキュバスには【魅了】のユニークスキルが有る事や似た効果の魔法を使う事は有名だ。
だが、ウルラトには利かない。
利かない筈だったが──一目で臨戦態勢に入る。
スキルや魔法、そういう仕組みではない。
その存在自体が、男の、雄の本能を掻き立てる。
“美の黄金比”という言葉が有る様に。
彼女は、そう、創造されている。
スキル等の小細工は必要無い。存在が狂喜。
とんでもないラスボスを用意してくれていた。
「恥ずかしい話だけれどね、私、処女なの
サキュバスの最上位種なのによ?
どうしてなのか、貴男に判る?」
「そう生まれながらも、誰も辿り着けなかったから
だから、サキュバスなのに男を知らぬのだろう?」
「ええっ、そう!、その通りなのっ!
他の娘達は遣りまくって満足そうに消えて逝くのに私一人だけ、ずっとずぅっとずぅ~~~……っと!
此処で待たされ続けてたの!
この気持ち!、その理不尽さ!、判るっ?!」
「全てではないが、幾らかは共感出来るな
規模は違えど、そういった思いをする事は有る」
「貴男は正直ね、そして、とても誠実だわ
そんな貴男に抱かれたい、そう想っていたのよ?
自分で慰める事も許されない、もどかしさの中で、この時を何れ程待ち望んでいたでしょう……」
「……死にたくない、とは思わないのか?」
「……貴男は優しい人ね、でも、憐れみはしない
あの娘達が貴男に抱かれ逝く時、どうして彼処まで幸せそうだったのか、今なら判る気がするわ
私達は死を以て、初めて自分の本懐を遂げるわ
だから、死は恐怖ではなく、栄誉であり、幸福
何より、自分が全てを捧げた男の糧に慣れるのよ
女として、これ程の幸せは他には無いでしょう?」
「……そうか、そういう考え方も出来るな」
「フフッ、さあ、そろそろ始めましょう
もっと御喋りもしていたいけど、もう御互いに我慢出来そうにもないでしょう?」
「ああ、もう御前が欲しくて堪らないな」
「嗚呼、嬉しいわ、ウルラト、私の処女を奪って、私の中を貴男で染めて、どうか私を逝かせて!」
そう言ってウルラトに抱き付き、自ら唇を奪う。当然、ファーストキスである。
だが、処女だろうが彼女はサキュバスの頂点。
初めてでも、その技は熟練の娼婦を裕に上回る。
ただ、巧いだけではなく、愛おしさも溢れ出す。
その情熱的なキスに応えながらウルラトは思う。
ダンジョンに縛り続けられる事は、モンスターの宿命だと言えるだろう。
どうしようもない、絶対的な定めなのだから。
それでも、ただ時を待つだけならば楽だろう。
彼女の様に、特殊な立場であるが故に叶わない。そういう願いを持つ事の懊悩を。
ウルラトは理解する事が出来る。
ウルラト自身、そうだったのだから。
彼女の全てを、ではないが。
その痛々しいまでの切望と絶望感は判る。
だからこそ、その願いに対し己が全てで応える。
ただ、【精力絶倫】は精力にのみ効果が有る訳で身体能力や体力、精神力は無尽蔵ではない。
見誤れば、容易く踏み外して転落する。
そういった細く危うく支えも無い、蛇の背の様に曲がりくねった断崖絶壁の上の一本道を進む様に。
ウルラトは全身全霊を賭して挑む。
もしかしたら、敗北してしまうかもしれないが、それでも構わない。その時は、所詮は紛い物が故の末路だったのだと潔く死を受け入れるだけの事。
此処に来た己の浅はかさを自ら嘲笑するだけ。
そう常に覚悟して生きているからこそ。
ウルラトは今まで生き抜いて居られる。
サキュバス・エンプレス・クイーンはキスをしたまま自分の纏う衣装を脱ぎ、自重に任せて落とす。
左手をウルラトの首に回し引き寄せながら右手はウルラトのベルトを器用に外す。
同じ様に自重で脱げる──筈が、引っ掛かる。
もどかしくて、焦らされた気がして苛立つ。
しかし、一方では逞しさと自分を求める獣欲さにサキュバスとしての本能が歓喜してもいる。
だから、少しばかり乱暴に脱がせてしまう。
その結果、原因の出っ張りは軽い痛みと共に引き下げられ、解放された瞬間、バネの様に勢い良く、彼女の下腹部を叩いた。
自分で遣った事ながら、想像を超えた事に思わず軽く達しそうになってしまった。
あと本の少し体勢が違えば、奇想天外な処女喪失となっていた事を想像しただけで、身体の奥底から湧き上がる高揚とも興奮とも感動とも取れる衝動が抑圧され続けてきた欲求を昂らせ猛らせる。
実現はしなかったが、それはそれで体験したい。そんな欲求も懐くが、意外にも乙女な思考を持った彼女には流石に実行に移す勇気は無かった。
ただ、魅せられているのはウルラトだけではない。
サキュバス・エンプレス・クイーンも同じだ。
自分よりも下位とは言え、数多の同胞を満足させ逝かせて自らの糧としてきた男。
この世界に、カー・タースの美妖園と共に生まれ生き続けてきた彼女は知っている。
このウルラト・ギハーソンこそが最高の雄だと。
ウルラトは永遠とも思える時の果てに漸く現れた美妖園の最初の攻略者。
それも、スキル・魔法、装備品やアイテムを一切用いずに純粋に己の心身のみで成し遂げた男。
彼は正にサキュバスが認める真の英雄。
ただ、勘違いしないで貰いたいのだが。
美妖園がスキル等の使用を禁じてはいない。
当時のウルラトは若く、先ず今なら遣らない様なハイリスク・ハイリターンな挑戦も時にしていた。その一つが、カー・タースの美妖園の攻略であり、スキル等の未使用という自らが課した縛りを守って達成して見せた。
【性皇天技】は、その功績を讃えて贈られた。
正確には、単独・初回挑戦踏破・スキル等未使用という条件を満たした為なのだが。
彼女は素直にウルラトを称賛し──惹かれた。
恋愛感情などは持たず、全ては与えられた性格や思考でしかない筈なのだが。
彼女はウルラトを一心に求めた。
求めずには居られなかった。
だから、今、この瞬間が、本当に嬉しい。
ただ、完全に素直に為れない辺りは経験不足と、最上位種としてのプライドが故だろう。
尤も、そんな事を気に出来るのは俯瞰するだけの余裕が有る内で、染み込んで侵してゆく様に広がる甘い快楽と幸福感は思考を麻痺させ、欲望を煽る。
ウルラトにとってのサキュバス対策とは主導権を与えない事。一度、ペースを握らせてしまうと中々取り戻す事が出来無い。それを知っているから。
だから最初から容赦無く攻め立てるのが正攻法。何しろ相手はサキュバスなので遠慮は要らない。
ただ、サキュバス・エンプレス・クイーンは自ら処女であると告白し、ウルラトを求めている。
他のサキュバス達が相手なら前戯等せず、一気に突き上げ、逝くまで貫くのだが。
流石に今回はウルラトも躊躇った。
いや、新しく生まれるサキュバスは正しく言えば皆等しく処女なのだが。そう生まれる為、処女喪失という思考や過程が無いだけの話。
それでも当事者達が処女という意識や思考が無い事も有り、ウルラトも特に気にはしなかった。
だから、「これは狡いな」とウルラトは思う。
サキュバスというモンスターではなく、一人の女として彼女を意識せずには居られないからだ。
そして、それが危ういと頭では理解していても、心は彼女を想ってしまう。
優しく丁寧に、けれど、強引に激しくも。
宛ら、恋人や夫婦の初夜であるかの様に。
ウルラトは彼女と向き合っていた。
サキュバス・エンプレス・クイーンはウルラトの想いを感じ取り、花が誘う様に蜜を溢す。
我慢し切れず、自らベッドへと背中から倒れ込みウルラトが覆い被さり易い格好をしようとした。
だが、それを察したウルラトに腰を抱えられる。抱えられて──抱き寄せられながらベッドに優しく仰向けに寝かされた。
モンスターである自分を、一人の女として扱い、更には恋人か妻であるかの様に気遣う。
「こんなの、狡いわ」と墜ちてゆく心に気付く。
彼と離れたくない。彼を失いたくない。
だから──私はまだ死にたくない。
モンスターとしての、ダンジョンボスとしての、本懐から、有り様から解離してゆく自分。
しかし、決して軛から逃れる事は出来無い。
自分はモンスターで、彼は人である。
その宿命を覆す術は彼女には無いのだから。
切なく狂おしく渦巻く感情が眦から零れる。
その葛藤を、その苦悩を察した様に、ウルラトは唇で優しくキスする様に拭う。
最早、御互いが何で在るのかは関係無かった。
一人の男と、一人の女。
ただ純粋に、それだけで良いのだから。
サキュバス・エンプレス・クイーンの処女を奪い御互いの存在を確かめ合う様に求め合った。
そして、ウルラトが初めて達し、幾度目かになるサキュバス・エンプレス・クイーンの波に合わせ、その身の奥深くへと猛りを放つ。
軽く痙攣するかの様な脈動と、初めて感じる己が内に注がれる灼熱の息吹きに彼女は身を震わせる。
あまりにも強い幸福感と充実感は彼女に現実すら忘れさせて夢に溺れさせてしまう程で。
思わず、懐いてはならない未来を見た。
だが、その余韻に浸るのをダンジョンが邪魔。
条件が満たされた為、無限コースの洗礼が始まり二人きりだった部屋にサキュバス・クイーン1体、サキュバス9体が出現する。
反射的に自分で排除したい衝動に駆られた彼女は悪くはないだろう。ただ、出現した10体にも何の非も無い。悪いのは、そうダンジョンを創った者。自分達を含む、全ての創造者なのだから。
──とは言え、彼女の女心は納得出来無い。
どうにかして、二人きりの時間を取り戻したい。そう考え始めるまでに時間は掛からなかった。
一方、ウルラトは1体のサキュバスに目を止め、内心で驚いていた。
良く見れば自分を出迎えた案内役のサキュバスが其処に居るのだから。
役目を終え、消えた筈なのだが。
そう思っているウルラトの視線に気付いたらしく少し気恥ずかしそうに「来ちゃいました~」と舌を小さく出して悪戯が成功した様な表情をする。
見た目は経験豊富な娼婦の様に熟れた肢体を持つ相手が遣るとギャップも有って可愛らしい。
ただ、彼女達には悪いが今は邪魔でしかない。
ウルラトは顔見知りのサキュバスの左手を引いて抱き寄せるとキスをしながら貫いた。
時間を惜しむ様に激しく──しかし、ウルラトの本質的な女性に対する誠実さが一人一人と向き合い愛する事をサキュバス達は理解している。
序でに、自分達種族の頂点の不機嫌さも。
だから、積極的にウルラトを求め、順番待ちする間には御互いを刺激し合い準備する。
本来なら、サキュバス達が協力し合うのは、男を貪り、絞り尽くし、敗北させる為なのだが。
そんな有り得ない方向にサキュバス達は動く。
ダンジョンのルール。その盲点を突いた形で。
恐らくは、サキュバス達とダンジョンの創造者が見ていたなら、驚愕し──歓喜する事だろう。
自身が定めたルールを守り、けれど、外れる。
与えられた道を進みながら、用意された答えとは異なる新しい可能性を生み出そうとしている。
これを歓喜せず、何が創造者なのか。
両腕を広げ、その様に力説する事だろう。
妨害役のサキュバス達は時間稼ぎをしよう等とは一切考えずに最短でウルラトに逝かされた。
勿論、彼女達も十分に満足させられてである。
そうして取り戻した二人きりの時間。
サキュバス・エンプレス・クイーンはウルラトを独占しようと求め、甘え、時には意地悪をして。
再び10体が出現するまでの一時を楽しむ。
出現したら、自分もウルラトに協力し、少しでも早く逝かせられる様に手伝う。
数を熟せば熟す程に洗練され、上達し、その技を駆使して二人は御互いを更に求め合う。
本来の無限コースとは違うのだが。
そんな事は二人の知った事ではないのだから。
しかし、如何に無限コースという名前だろうともサキュバス・エンプレス・クイーンに限界は有る。
そして、定められた吸精値は、挑戦者が敗北してリセットされない限り、蓄積されたままで、決して減少する事は無い。
つまり、別れの時は確実に迫っていた。
御互いに何も言う事が出来無い。
ただ、見詰め合い、感じ合い、求め合う。
それ以外に想いを伝え、語る術が無かった。
敗北は死を、永遠の別れを意味する。
自らが言った様に、愛するウルラトの糧となり、彼の一部として共に在り続けられる。
それは本望であり、嘘偽りの無い歓喜である。
ただ、それとは別の想いが芽生え、急成長して、サキュバス・エンプレス・クイーンを躊躇わせる。
求めながらも、満たされてはならない。
事実、吸精値に含まれない形で何れだけ己が身にウルラトの愛を受け止めただろうか。
ウルラトは自分の為に応じてくれている。
此処はダンジョン、自分はダンジョンボス。
少しでも早く攻略し、倒すべき相手を。
ウルラトは命懸けで繋ぎ止め守ってくれている。
その事実を自覚した瞬間、彼女の心は決まった。
「ウルラト、私は永遠に貴男を愛しているわ
だから、御願い、私に貴男を刻み込んで」
そう一点の曇りも無い微笑みで彼女は告げた。
彼を忘れる?、彼と別れる?──彼が死ぬ?。
有り得ない、赦せない、認められる訳が無い。
彼女にとってウルラトは己の全てだ。
初めて愛した男。初めて欲した男。
初めて抱いた男。初めて恋した男。
そして──私を、私達を解放してくれる英雄。
ウルラトを守る為なら、自分の存在を代償にする事など容易い。迷う理由も、躊躇う必要も無い。
全ては愛する男の為に。
一心不乱に求め合い──最後の同機。
キスをしながら、呼吸までもが融け合う様に。
その温もりが消える瞬間まで、抱き合い続けた。
《──カー・タースの美妖園の固有特殊条件である無限コース攻略が達成されました
達成者であるウルラト・ギハーソンにはエクストラスキル【百花繚乱】【千紫万紅】【花鳥風月】と、魔装神器【雪月花】が贈られます》
ブラックアウトした意識の中、抑揚の無い口調の無機質なシステムアナウンスが響く。
彼女の温もりが消え、自身の五感も外界と完全に遮断され、亜空間にでも隔離された様な感覚。
初めての経験だが、ウルラトは察した。
恐らくだが、あの館──ダンジョンは消える。
他のダンジョンとは違い、そう定められていた。
唯一人の攻略達成者の為に存在したのだと。
その答えが正しかった様に、五感が解放された。
その瞬間に、ウルラトは元勇者から得たスキルの一つ【聖域結界】を発動。
自分を中心にして半径5メートル程の球状範囲のモンスターが不可侵の聖域を展開する事が出来る。展開中、自身は殆んど移動が出来無いが。
館が消失していれば、ニトイーレの静寂の中央に無防備で放り出される可能性が高い。
それを考えれば当然の対応だと言える。
そして、しっかりと感じ取る。
目蓋の向こうに輝く光を、肌や髪は撫でる風を、擽る様な深い緑の香を──消えた筈の温もりを。
ウルラトは目を見開き、自分の腕の中を見た。
其処には大事に抱えている丸い物体が有った。
「………………コレは………………何だ?」
黒とピンクの斑模様の、バレーボール大の球体。人肌程の温もりを持つ事だけは判るのだが。
【鑑定】を使って見ても反応しなかった。
「……は?、反応しないって何でだよ」と驚く。
その疑問に答える様に、タイミング良くシステムアナウンスが響いた。
《隠し条件“夢魔の真愛”が達成されました
達成者ウルラト・ギハーソンには【真聖の淫卵】が贈られます》
改めて【鑑定】を使うと、目の前に現れたクリアウィンドウに情報が表示された。
それによると…………名前からして何かしらの卵であるという事が判っただけ。
名前以外、分類や解説文の部分は全て文字化けし解読不能な状態だった。
ウルラトにしても初めて知るケース。
【鑑定】以外にも、情報を知る手段は存在するが不可能な部分は“?”か、抑、表示もされない。
文字化けした、という話や記述は知らない。
ただ……そう、何と無くだが。
これは本当に文字通りの贈り物な気がする。
名前からしてもサキュバスと関係が深いだろう。
読み方が“しんせいのいんらん”なのだから。
そして、“卵”なのだから軈ては孵化する筈だ。
だとすれば、彼女の生まれ変わりか、二人の娘、或いは──彼女自身か。
何にしても、その時が来れば判るだろう。
そう考え、ウルラトは優しくキスをする。
「出逢える、その時まで」と想いを込めて。
それはそれとして。持ち歩くには凄く目立つし、万が一に割れたりしても困る。大丈夫だとは思うが絶対という保証は何処にも無いのだ。
だから【亜空間収納】で収納しようとしたのだが収納出来無かった。
いや、正確には拒否された。
【亜空間収納】にではなく、その卵に。
一瞬渋い顔をするウルラト。
「俺に持ち歩けと言うのか?」と思ってしまったとしても何も可笑しくはないだろう。
ただ、ウルラトは直ぐに気付いた。
これは卵だ。それなら収納時の状態でキープされ続ける状況は孵化が一向に進まない事になる。
普通の卵や種等は関係無いだろうが。
これは文字化けしている様なイレギュラー物体。普通である訳が無い。
それなら、「孵化出来無いでしょうが!」と抗議する意味で拒否する事も有り得るだろう。
ウルラトは改めて【アイテムボックス】を使用。すると何の問題も無く卵は亜空間に収納された。
「最初から此方を使いなさいよね」と怒り気味の御嬢様の様な後ろ姿と声を幻視するウルラト。
どうやら、心を奪われたのかもしれないな。
そう自嘲する様に苦笑。
だが、決して嫌な気はせず、胸の奥が和らぐ。
卵を収納し、周囲を見渡す。
予想通り、ニトイーレの静寂の中心に居る様だ。
だが、館の建っていた部分まで森が拡大しておりウルラトの周囲は勿論、頭上にも樹々が生い茂る。
まるで、館自体が存在しなかったかの様だ。
ただ、サキュバスは淫魔であり、夢魔。
夢を見せられていた。
そう考えると納得出来る気がした。
日時を確認すると、館で三日以上頑張っていた。当然と言えば当然だが、よく三日で終わらせられたものだとウルラト自身でさえ感心する。
その辺りは「愛故に」なのだろう。
勿論、己の全てを費やし出し惜しみせず尽くした結果ではあるのだが。それでは味気無い。
こういう話は、少し大袈裟な方がウケが良い。
ただ、それでもウルラト自身の消耗は大きい。
一旦、【聖域結界】を解除し、適当な手近な樹を探したら、その根元に座り込み再び【聖域結界】を発動させ、身体を幹に預ける。
それから【休眠回復】のスキルを使い寝入る。
このスキルは短時間での休眠と回復を出来る他、発動すると強制的に一定時間の睡眠状態になる。
眠っても【聖域結界】は解除されないし、此処にモンスターは居ても、人は居ない。
だから皮肉な話、安心して眠れるという訳だ。
かなり疲労していたのだろう。
本来なら、1~2時間程で目覚める所なのだが、ウルラトが起きたのは6時間後。
深い森は日が落ち切らずとも、その暗さと静けさ不気味さを増し、恐怖を掻き立てる。
尤も、ウルラトには意味の無い話。
今更その程度で怯える可愛気は無いのだから。
ウルラトは【ワープ】でターストに飛──ばず、ヤインジアの岩床に飛ぶ。目撃されない為だ。
初日は本当に運が良かっただけ。油断していれば必ず足下を掬われる事になる。そう己を戒める。
日が落ち切る前にターストに到着。余裕だ。
無限コースを制覇した今、ウルラトには出来無い事は何一つ無い様な気がした。
「……結婚は無理そうだがな」と。
そう胸中で自虐出来るのも余裕が有ればこそだ。余裕の無い者に自虐する心の許容量は無い。
ターストに入り、宿を取ろうとして──考える。
初志貫徹、ターストに関係を持つ女性を成す。
その為には最も手っ取り早いのは娼館である。
だが、ターストは規模が大きな割りに娼館が無い数少ない場所の一つでもある。
当然と言えば当然なのだが、ゲームで言う序盤の街なので比較的安全だが、その分、住民のレベルや所得水準・生活水準が低い。
それで生活が成り立つのだから問題は無い。
凶悪なモンスターが跋扈している訳ではないし、戦争に巻き込まれ易い要所でもない。
まあ、ある意味では重要な場所だが、それも含め安定していればこそ、意味を成す。
つまり、無理に発展する必要も無い訳だ。
その為、治安の悪化に繋がり易い娼館や賭博場の類いはターストには存在しない。
そうなると次は冒険者ギルドの受付嬢になるが、ターストの様な街の受付嬢達は見た目重視が多く、ウルラトには見向きもしないだろう。
勿論、一度関係を持てば簡単に落とせるのだが。その後が面倒臭い相手でもある。
そういう訳で受付嬢も無い。
また女冒険者は移動するので意味が無い。
冒険者を引退しているとしても、腕が有ったならターストで暮らす可能性は無いに等しい。
腕が有ってターストに居るなら、故郷の場合。
生まれ育った街に戻り、結婚して家庭を──と。まあ、よく有る引退後の予定話の通りだ。
そういう女性なら居るかもしれないが……正直、ウルラトは気乗りがしなかった。
命懸けの愛を交わし合った後だからというのも、もしかしたら、多少は有るのかもしれないが。
残るは、それ以外の女性となる訳だが……悩む。
抑、ウルラトと関係を持ち続ける女性の共通点は関係性を理解し、割り切っている事だ。
関係を持つからと言って恋人という訳ではない。だが、恋人よりも深い関係だと言う事が出来る。
それは先を考えた駆け引きや抑制・我慢をしない有りの侭の自分をウルラトには晒け出している為。恋人や伴侶には決して見せない様な部分も見せる。見せられる関係なのだから。
ウルラトを恋愛・結婚の対象として考えない事で成立している特殊な関係でもあるが。
それはウルラトが常に女性の意志を尊重する為、可能な関係でもある。
普通の男なら、恋愛・結婚の可能性が無ければ、さっさと別れる所だろうから。
勿論、ウルラトの財力と徹底した避妊等への配慮という部分も大きいのだが。
そんな女性達と、ターストの女性の違い。
安定を求めるが故に、関係を持つと、ウルラトの行動等に過度に干渉してくる可能性が高い事。
ウルラトにとっては今の生活を代償に失ってまで恋人が欲しい訳でも、結婚したい訳でもない。
当然、ターストに関係を持ち女性を作る事もだ。
改めて考えると、だから今までターストに関係を持つ女性は居なかったんだなと納得する。
それを理解出来ただけでも収穫だと言える。
ウルラトは切り替えて今日の宿を取る。
ターストで一番高い宿の、一番高い部屋を。
これまでの人生で言えば、全然安い料金。
イーデオンの最高級娼館の最高級の部屋の一泊の料金からすれば、子供の御駄賃程度の金額。
それでも、其処を利用するのが初めてなのには、ターストを発った冒険者の多くは戻っては来ない。理由は様々だとしても。その事実は間違い無い事を物語っている様な気がした。
夕食を済ませ、部屋で休む──には早かった。
街の通りも日が落ちたばかりで、まだ賑やか。
ウルラト自身、まだ【休眠回復】を使ってからも間が無い為、眠気も無い。
部屋で寛ぐのも悪くはないが……街に出る事に。
暇潰しと気分転換を兼ねてである。
夜の街の雰囲気自体は、娼館や賭博場が有ろうと無かろうと、人々が騒ぐ上で酒場が中心になるのは何処の世界、どんな場所でも大して変わらない。
ターストでも、イーデオンでも同じ様なもの。
ウルラトは曾ての自分や当時の思い出を肴にして楽しもうと思い付き、店内が広く値段も安く料理の種類も揃っている酒場を選び、入った。
そういう条件だけに其処に居るのは若者が多く、賑やかさも中堅にも届かない中途半端な冒険者達の下らない馬鹿騒ぎよりも心地好い。
絡まれれば一様に鬱陶しい相手だが。
店の隅の少人数用のテーブルにウルラトが座ると直ぐにウェイトレスが遣ってきた。
パーティーでなければ無駄話もしない。だから、注文するのも当然早くなる。
況してや、ウルラトは入ってきて迷わず自分から最適のテーブルに向かい、席に着いた。
それなりに冒険者相手の酒場で働いていたなら、その様子で相手が慣れているかが判る。
加えて、見る目が有るなら相手の格というものが判るだろう。
そして、そのウェイトレスは後者だった。
若い冒険者相手の接客とは違う、一流の接客術。冒険者同士のいざこざなら兎も角、自分自身が火種となる様な粗相や愚かな真似はしてはならい。
そう、ウルラトを見て判断した。
その事にウルラトも気付き、素直に感心した。
ターストの安酒場で働かせておくには勿体無い。本人に意志が有るなら、自分の伝手で遥かに格上の一流の宿やレストランに紹介してもいい。
そう思い、周囲には聞こえない様に確認した。
ウェイトレスは驚き──嬉しそうに笑った。
愛想笑いでも、接客用でもない。
純粋に、自分の仕事を評価された事が嬉しくて。ウェイトレスは自然と笑っていた。
ただ、ウルラトの話は断った。
とても魅力的な話だけれど、病弱な弟が居て街を離れる訳にはいかない、という事。
だから、有難う御座います、御免なさい。
そうウェイトレスは言い、ウルラトの注文を受けテーブルを離れていった。
注文した品が届くまで暫し店内を観察する。
大半が十代だろうヒュームの少年少女達。それに二十代と、三十代以上が一握り。
何処のテーブルでもビア──安値ビールを手に、各々の盛り上がりを見せている。
一人が熱く語って鬱陶しそうにしていたり。
皆で爆笑しがら飲んで食べて騒いだり。
一人の男に身を寄せ鍔迫り合いしている女達。
カウンター席の女冒険者に無視されながらも全く引く気の無い酔っ払って口説いている男。
賭けポーカーをしながら一喜一憂する一角。
前世の番組をチャンネルを変えながら見ている。そんな気分にウルラトは久し振りに浸る。
「ああ、此処は異世界で、現実なんだな」と。
新しい人生を歩み始めた日を思い出しながら。
そんなウルラトだが、疾うに前世の価値観は薄れ参考程度にしか思っていない。
だから、十代の子供が安酒を飲んでいようとも、注意する気も無い。
ウルラトなど、初めて飲んだのは四歳の時だ。
前世の社会でも、田舎などでは小さい子供に一口ビールや清酒を飲ませる事は珍しくなかった事で、御神酒という神事の場合、年齢などガン無視。誰も気にもしないし、注意も摘発もせず、不思議に思う事ですら無いのだから。
然程可笑しな話ではない。
抑、少年少女と言っても子供とは意味が違う。
前世の社会とは違い、この世界では老若男女全て誰も彼もが自己責任となる。
だから年齢一桁の娼婦も居るし、犯罪者も居る。
勿論、社会的な倫理観は大差無いのだが。
それでも、絶対的に禁止されたり、法的な規制が設けられている訳ではない。
飢え死にするよりかは増し。
そう考えれば、年齢など些細な事でしかない。
この世界では生きる為に、考え、選択する。
自分を守ってくれるのは自分だけなのだから。
ウルラト自身、一桁の新人娼婦の初仕事の相手を娼館から頼まれ何度も経験している。
その娘達が、今では子を持つ母親になったりして立派に生きている現実を知っている。
だから、それが悪い事だとは思わない。
少なくとも、この世界に奴隷制度は無い。
奴隷に該当するのは犯罪者──囚人である。
だから、娼婦になる者も最終的な選択は自ら。
どんな事情でも、最低限、死を選ぶ事は出来る。
そういう意味では、生きる事は楽ではない。
楽ではないが、生きているから繋がる可能性が、明るく拓かれた道が現れる事も有る。
あとは、どう考えるのか。
結局は自分次第、という事なのだから。
ウルラトは頼んだ料理を楽しみながら久し振りのビアの味を随分と懐かしく思う。
ビアを飲んだのは二十年以上も前になる。
はっきりとは覚えてはいないが、早くから冒険者として活動し、稼いできたウルラトにはターストは偶に立ち寄る程度でしかなかった。
冒険者になる前から、冒険者になった日から。
苦楽を共にした戦友──パーティーメンバーは、ウルラトには居ない。
ソロの方が遣り易く、気楽だったからだ。
勿論、臨時に組んだり、助っ人を頼まれたりしてパーティーで戦った経験は十分に有る。
十代の頃、女性四人の先輩パーティーに捕まり、搾り取られそうになり、返り討ちにした。
そんな思い出も今は笑い話である。
尚、その時の四人は皆、結婚し、引退して子供も居るのだが、近くに行った際には顔を見せる。
夫や子供の隙を見て、彼女達に求められるから。顔を見せないとバレた時、機嫌が悪くなる。
何しろ、ウルラトにとっては数少ない、存命する先輩達なのだから。後輩としては仕方が無い。
そんな風に、アルバムを捲る様に自分の思い出を今の若い冒険者達に重ねていた。
その中で不意に一組のパーティーに目が止まる。
少女一人、少年二人、男性一人。珍しくはない。その服装がモンサ大聖堂で行われた召喚儀式により遣って来た異世界人に与えられる服である以外は。
ウルラトは【鑑定】を行う。
他と違い勇者専用だけあり感知されない。
抑、まだ不慣れな異世界人に発動時に発現現象でバレる魔法は兎も角、スキルの──その中でも特に戦闘系・生産系以外のスキルの発動を感知するには実力も経験も足りないのだが。
それでも慎重なのがウルラトという男である。
結果、十三歳の少年と、二十歳と二十六歳の男。
そして──ユウナ・シラセ、17歳、ヒュームの少女である事が判った。
少女のジョブは聖剣士。聖騎士とは違い、速さを重視した上級職である。レベルは7。一番高い。
まだ支給された服装のままで、装備も同様。
一週間──いや、三日も有れば、異世界人ならば服装や装備は一新出来る。
それだけの実力を持って、顕現するのだから。
そうではない所を見ると、昨日今日、この世界に召喚されたばかり、という可能性が高い。
余程の倹約家が居て計画的に貯蓄しようと考え、他を説得し、実行しない限りは。
異世界人はゲーム感覚で金を使う事が殆んど。
だから節約している可能性は低いと見た。
耳を澄ますと十分に彼女達の会話が聞こえる。
その内容から、今日、召喚されたばかりらしい。
最初は驚いたが、これは現実、生きるしかない。そして元の世界に戻る為に勇者を目指す、と。
その第一歩として向かった“リブゴンの森”では楽勝だったから、明日からも経験値と資金を稼いで頑張って行きましょう、と。
リーダーらしい少女が方針を口にし、賛成。
他の三人はレベルが4、3、3と低い。だから、ある意味では当然。強さが全てなのだから。
ただ、随分と偏っているが……成る程、レベルは低いが異世界人だからか。
強力なスキル・魔法を得ていても、使用は決して無尽蔵という訳ではない。
男三人は、その洗礼を受けている口だ。レベルを上げていかないと強力な戦闘系スキルも魔法も常時戦闘手段としては使用出来無いのだから。
だが、少女だけは違う。非常に恵まれた構成で、複数持つスキルは、レベルが上がった際に得た筈の一部を除けば、殆んどが強化系のスキルだ。
強化系のスキルは当然、使用制限も消費も無い。持っているだけで確かな効果を齎してくれる。
その強化系の、ユニークスキルを複数所持。
それならまあ、タースト周囲なら楽勝だろうし、他の三人よりも戦闘が有利に運ぶ事だろう。
ただ、それも今の内の話でしかない。
まだ何も知らない、世界の苛酷さを考えもせず、楽しんでいられるのは──本当に、今だけだ。
だから、つい、その微笑ましさに笑ってしまう。
他意は無い。悪意も無い。興味も薄い。
ウルラトにとっては、どうでもいい相手だった。
所が、運悪く少女がウルラトを見てしまった。
異世界人という特別さが、或いは初めてのビアに多少酔ってしまっていたのか。
少女はウルラトに絡んできた。
ウルラトは何処ぞの元勇者とは違い、大人として余裕有る態度で勘違いさせた事を謝罪。昔の場面を思い出したのだと説明。嘘は言っていない。
御詫びとして少女達の代金を合わせ多目に支払いウルラトは酒場を出て宿に向かった。
「その元気が何時まで続くかな」と思いながら。
──と、背後から近付く足音が有った。
真っ直ぐに此方等に向かって走ってくる。
立ち止まり、振り返って見れば──先程の少女。
どうしたのかと思ったら、納得出来無いらしい。いや、ウルラトが嘘は言っていないとは思ったが、それだけではない気がして靄々するのだと。
「知るか」と言いたくなるウルラト。
だが、深酔いしている訳でもない様子に、後から絡まれても面倒臭い。
そう考え、アドバイスとして少し説明してやる。
よく異世界人が陥る勘違いと失敗の話をして。
馬鹿ではないらしく、理解し納得している少女を見て、ウルラトは踵を返す。
──が、少女が右手を掴んだ。
「……まだ何か用か?」と呆れ気味に訊く。
すると、酒場の代金をウルラトの分も含め全額を返金したいと言い出した。
自分の間違いを受け入れられる器量にウルラトは素直に感心した為、「不要だ」と言った──のだが少女は納得せず、譲らない。
問答していると騒ぎになりそうなのでウルラトは直ぐに支払えるのかと訊くが、少女は勿論、個人の意見でパーティーの決定ではない。
抑、ウルラトには安値でも、異世界人の駆け出し冒険者には難しい金額だった。
一週間も有れば可能だが、ウルラトは長く見ても明後日にはターストを発つ予定。
少女に合わせて留まる気は無い。
「だから、奢られておけ」と言ったら──何故か少女と勝負する事になり、街の外へ。
ウルラトには訳が解らなかった。
ウルラトには利が無い為、正論を言った。
そうしたら、ウルラトが勝てば自分を好きにして構わないと少女が言い切った。
ウルラトは止めさせる意図も有り、一応、勝負の件で少女に“宣誓”を行う様に要求した。
宣誓は異世界人が召喚される際に施される一種の首輪の様なもの。強過ぎるが故に、傍若無人な振る舞いが出来無い様にする縛りであり、自らが明言し確約した事を必ず守らせる為のもの。
だから、嫌がると思ったのだが──少女は承諾。
宣誓を交わし、いざ勝負──はウルラトの圧勝。
少女に勝てる可能性は微塵も無かった。
そして、宣誓により、遵守しなければ異世界人は即座に罪人に落とされ、そのステータスが完全封印される事になっている。
つまり、ウルラトに抱かれなければ少女は世界で誰よりも弱いまま生きなくてはならなくなる。
ウルラトに抱かれるだけでは済まない話だ。
少女は自分の浅慮を反省しながらも、ウルラトに手を引かれて宿へと向かった。
少女の仲間は先に宿に戻ったらしく、取った宿も別々だったそうなので問題は無いだろう。
無駄になる宿代は明日の朝、渡して遣ればいい。
ウルラトは道中、少女に色々と教えてやる。
異世界人にとっては理解出来無いかもしれないが社会の価値観や世界の在り方が違うという事。
宣誓というのは、気軽にするものではない事。
娼婦になったり、金持ちと結婚したり、妾や愛人となって生きる女性の異世界人が少なくない事。
勇者に成れたとしても、元の世界に戻った勇者は一人も居らず、死んでいるという事。
それは勇者が存在し続ける事こそが証明している何よりの事実であるという事。
そして、生きる事こそが、一番大変な事を。
ウルラトの取った宿に、その部屋に少女は驚く。自分が取った宿は眠るだけの馬宿だったのだから。その違いは雲泥の差。
それが判るウルラトは馬宿の利点を説明。時には情事を交わす場所としても使われるが壁が薄い為、注意は必要な事を。そういう性癖が有れば別だが。
顔を赤くする少女を連れ、浴室に入る。
この世界の浴室は初めての異世界人には使い方が解らない事が多い為である。
タオルも持たず、一糸纏わぬ二人。
慣れているウルラトは平気だが少女は羞恥心から今にも気絶してしまいそうになる。
だが、興味も有り、ウルラトの身体を見てしまう自分に葛藤して思考が支離滅裂になってゆく。
ただそれもウルラトの手が触れた瞬間に弾け飛び意識はウルラトだけに向けられる。
身体を洗う前に、人生初のキスをウルラトにより奪われてしまうが、自業自得と判っている。
何より、ウルラトが巧い。
キスだけで、自分でするよりも気持ち良くなり、そのまま達してしまう。
膝から崩れ落ちそうになるが、ウルラトの両腕で優しくも力強く抱き抱えられている。
そして、下腹部に押し付けられている猛り。
その熱さに、その大きさに、その硬さに。
少女は無意識に喉を鳴らした。
ウルラトから見ても少女は間違い無く美少女。
前世の世界では現実には存在しない位に。
この世界では、そういう女性が多いのだが。
それでも、ウルラトが出会った人の中でも十指に数えられる整った容姿。スタイルの方も文句無し。極端な訳ではなく、年相応の黄金比が素晴らしい。その上で、将来性を感じさせるのだから。
これがゲーム等なら間違い無くメインヒロインで即決定すると言い切れる程。
性格も磨き甲斐が有る。
だが、その真価は始まってから判明する。
処女であったが、信じられない程にウルラトとの身体の、肌の相性が抜群で、思わず処女である事を疑いたくなってしまった程。
勿論、ウルラトが初めての男なのだから、それは間違い無いのだが。
誰が相手でもフィットするサキュバスの本能的な一体感の感じとは違う、自分だけの為に存在する。そういう特別な一体感をウルラトは感じた。
それは少女にしても同じで、話に聞いていたのと初めての実体験は想像を絶したもので。
兎に角、ウルラトとの一体感に夢中になっていく自分を止められず、止める気も無く、求めてゆく。
二時間後には自らウルラトを求めて催促している少女の姿が有り、ウルラトも無理をさせない様にと配慮しながらも少女に応え、自らも求めた。
翌朝──昼前、二人は宿を出た。
ウルラトは少女に本名を名乗り、別れた。
少女はウルラトに付いて行きたかった。そして、叶う事なら、結婚して子供を産んで家庭を、と。
ウルラトの腕の中で予知夢の様に未来を見た。
ただ、その自分は今の自分ではない。
弱い女は、彼の傍らに立つ資格すらない。
そう、少女は本能的に理解したから、別れる。
今は歩む道が違えど、軈て必ず、道は交わる。
その為に、強くなる。生き抜くと自らに誓って。
ウルラトは街の中を歩き、聞き込みをしながら、とある一軒の家に辿り着いた。
御世辞にも立派だとは言えない、傷んだ外観。
そんな事は気にせずドアをノックし、暫くすると十歳前後だろうか。痩せ細った男の子が出た。
一目で貧しくて痩せているのではなく、病により痩せているのだと判る。
ウルラトは男の子に話をし家に上がらせて貰う。
男の子に無理をさせない様にベッドに入らせて、色々と話をした。
男の子自身の事、病の事、家族の事、家から出た事は数える程な事、絵を描く事が好きな事、本当は少しでも働いて姉を助けたい事。
男の子は唯一の家族の姉の負担になっている事が辛いけれど、死ぬ訳にもいかない。
自分が死ねば大好きな姉は責任を感じる。
姉には幸せになって貰いたい。
それには自分が邪魔なのに、何も出来無い、と。
男の子はウルラトの前で感情を吐露した。
ウルラトは少年に一つ、提案をする。
少年の病を治す魔法薬が有り、持っている。
だが、当然ながらタダで渡す事は出来無い。
其処で、男の子は元気になった後、自分の知人の工房に一人で住み込み、勉強しながら働き、自分で稼げる様になって、返済する、という提案。
利息は無く、期日も無い。
但し、逃げ出したり、諦めたりすれば、魔法薬の代金は大好きな姉に支払って貰う、と。
切り取って聞けば、悪徳商法か詐欺の様だろう。
だが、男の子はウルラトの言葉を信じる。
「どうする?」というウルラトの問いに男の子は迷う事無く、首を縦に振った。
そして、其処に姉が戻ってきた。
昨夜、酒場で逢ったウェイトレスの少女が。
ウェイトレスの少女は驚いた。更に弟の交わしたウルラトとの一件で目眩がした。ウルラトに優しく抱き止められたのだが。
ウルラトは約束の魔法薬を男の子に渡し、飲んだ瞬間に男の子の身体が光る。
魔法薬が本物である証。
そして、男の子の病は治った。
顔色が見違えた弟を抱き締め泣いて喜び、深々と頭を下げて感謝する少女に、ウルラトは昨夜の話を今一度持ち掛ける。
ウルラトが少女を手に入れたい訳ではない。
少女が自分を殺している。そう見えたからこそ、病弱な弟という鎖を断った。
その才能を知った以上、埋もれさせてしまうには余りにも惜しかったから。
だから、これはウルラトの自己満足、偽善だ。
少女に恩着せがましくする気は無い。
それが判るからこそ、少女はウルラトの男らしく大きな器に惹かれてしまう。
自分が酒場で働きながら見てきた冒険者達とは、明らかに違う。
実力だけではなく、その在り方や考え方が。
だから、少女は弟を見ず、目蓋を閉じる。
弟は自分の意志で、ウルラトと契約をした。
少女の為であり、弟自身の為でもある。
それなら、自分はどうするべきなのか。
その答えは決まっていた。
少女は目を開け、ウルラトを真っ直ぐに見詰め、その話を受ける事を告げた。
少女の決断に弟は喜び、ウルラトは歓迎した。
逢別は確かな変化の切っ掛け。
時には、行く道を拓く。