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3000文字の物語

作者: 彩月

一年ほど前に書いた人生初の作品です。

拙さが目立つかもしれませんが、よろしくお願いします。

 突然だが、あなたの人生は何文字だろう。


 人の一生を文字にしたとき、一体どれだけの文字を使うのだろう。何十万にも及ぶ人、数千ほどで終わる人と様々だろう。


 何故そんなことを聞くのか。それは、私が自身の命がもう長くはないことを知り、じゃあ最後に何か遺すか、と筆を執ったとき、ふと思い立ったためである。


 まあなんだ、これは遺書のようなものだ。


 さて、最初の質問に戻るけど、あなたの人生何文字?なんて言われても、は?ってなるよね、多分私もなる。

 人間普通に生きてれば未来はわからないわけだし、私みたいな死にかけでもない限りそもそも考えるようなことじゃない。


 前置きが長くなったね。


 質問に対してだが私なら、そうだなぁ、大体3000文字くらいかな。

 少なくないかって? いいの。

 別に拘りがあるわけじゃないけど、他の人よりも早く死ぬんだから私にはこれくらいがちょうどいい。

 それはまあとりあえずいいとして。

 そろそろ本格的に書き遺していこうかと思う。


 書き始めはこう…


 私の大切な人たちがこれを読んで、私のことを思い出してくれることを願う。

 これから書かれるものはただ私の一生を綴るだけになるかもしれない、ひどく退屈なものかもしれない。でも、どうか最後まで読んで私がどんな人生を歩んできたのか、私のことを知って覚えていて欲しい。

 そんな思いを込めてこの手紙を遺します。


 ✖️✖️✖️✖️年✖️✖️月✖️✖️日、ある夫婦の下に一人の子供が生まれました。

 まあ私なんだけど、二人に溢れんばかりの愛情を惜しみなく注がれて、私は健やかに育っていきました。

 二人の下に生まれた私は間違いなく幸せ者だろう。そして、あなたたちの子であったことを誇りに思います。

 命の限界を知った今、二人のことが心の底から愛おしく思います。


 幼稚園に通うようになった頃、私の生涯で唯一、親友と呼べる大切な存在と出会いました。


 あの子との出会いは幼稚園で行った遠足でのことだった。

 あの日は幼稚園から少し離れたところにある大きな公園に行っていた。

 公園に着いてからの自由時間、遊び盛りの幼児がすることといえば鬼ごっこなんかがほとんどではないだろうか。かくゆう私もそうだった。

 他の子と鬼ごっこをしていた私は逃げている途中で躓き転倒、そのとき助け起こしてくれたのが、今の私の親友だった。


 なんともありふれた出会いなもんだ。

 でも、あの日躓いた石に感謝したいくらいに思い出深い出来事だった。

 それから、二人で手を繋いだまま一緒に逃げ回り、一日中遊び回って、そのまま手を繋いだまま帰った。

 迎えにきたお母さんたちがびっくりするくらい仲良くなってたみたいで、家も近所だったから家族ぐるみの付き合いなんかもできてさ、キャンプとか行ったりして。


 小学生になってからも色々あったなー。

 そうそう、3年生くらいの時にちょっとした事件があってね。

 その日は偶々お母さんもお父さんも仕事で遅くなるから学校に鍵を持って行ってたんだけど、帰る途中で鍵が無いことに気づいて、二人で捜したんだけどなかなか見つからなくて、日も落ちたから諦めて帰ろうとしたんだけど、変なところに入り込んじゃったみたいで道がわからない、おまけにとんでもなく暗い。

 その頃にはだいぶ気の弱かった私はすごく怖かったんだけど、昔から気が強くて元気だったのが一緒にいたからね、怖さもどっかいって頑張って帰ろうってなってプチ探検みたいなことしてたんだよね。

 一方その頃、夜になっても子供が一向に帰って来ないもんだから、誘拐じゃないかっていって警察まで出動する騒ぎになって。

 当の本人たちは知らない道を探索して、ちょっと楽しんでたりね。

 まあ私たちがうろうろと彷徨って、警察がいて騒ぎになってたおかげで私たちは無事に家にたどり着いたわけだけど。

 それから二人してめちゃくちゃ怒られて、皆でご飯を食べに行って、そうして事件は幕を下ろしました。あっ、結局鍵は学校の机の中にあったっていうオチもあるよ。


 中学の時なんかも修学旅行に行った時に、人混みに流されて他の人達とはぐれちゃったんだけど、まあいいかってそのまま二人で観光してたら捜しにきた先生にすごく怒られたり…懐かしいなぁ。

 そんなこともあって私たちはちょっとした有名人だったらしい……。

 それから私たちは同じ高校に進学した。相変わらず仲が良かった私たちは毎日の高校生活をそれはそれは謳歌していた。 


 でも、2年の夏……、私の病気が発覚した。

 そう、私は病気で死ぬ。見つかった時にはもう、間に合わないほどに状態が進行していた。

 前々から体調を崩し始めていたが、ただの風邪だろうとそれほど気にしていなかったのだが、良くなるどかろか悪化する一方。

 流石に病院へ行こうと思った矢先、私は倒れて病院に運び込まれた。

 病室のベッドで目覚めた私は、医師から余命宣告を受けた。 

 自分が死ぬということを受け止めきれないまま、いつもと変わらない生活を送ろうとした。

 薬で進行を遅らせ、通院を繰り返しながら私は生に縋った。


 でも、予想以上に進行が早く半年が経つ頃には入院生活を送ることになった。

 その頃から、皆との関係がギクシャクするようになった。

 皆にはすごく申し訳ないことをした。

 落ち込む私をたくさん励まして支えようとしてくれた。なのに私は心のどこかで諦めていてその優しさを蔑ろにした。

 最悪だよね。

 なのに、それなのに、誰も私を見捨てたりしなかった。

 本当に優しい人たちだ。

 今更後悔しても遅いのに、どうしても悔やまずにはいられません。


 なので、ここからは私の大切な人たちに言葉を遺したいと思います。

 まず、お母さん、お父さん。私のことを生んでくれてありがとう。そして、ごめんなさい。二人よりも早く死んでしまう私を、期待に応えられなかった私をどうか許してください。

 親不孝者の私ですが、二人の子供に生まれたこと、二人が私の親で本当に良かった。

 私のことを愛してくれてありがとう。

 体には気をつけて、いつまでも、二人仲良く幸せでいてください。


 そして次に、私の一番の親友へ。

 元気にしていますか?私は死んでます笑、なんてね。

 そんな冗談ももう言い合えないなんてなんだか寂しいもんだね。

 もっと一緒にいろいろなことをしたかったね、一緒に叶えようっていってた夢もあったね。

 約束、守れなくてごめんね。

 それから、ありがとう。

 あなたと過ごす時間は楽しいものばかりだった。

 おかげで退屈しない人生だったよ。

 私は一足先に逝くけど、あんまり早くこっちに来たら怒るからね。ちゃんとお婆ちゃんになるまで長生きして、私の分まであげるからうんと幸せになるんだよ。

 それと、もし辛くて泣いちゃいそうっていうときは思いっきり空に向かって叫んじゃいな、そしたら私がめいっぱい応援して励ましてあげるから。

 私の声は聞こえないかもしれないけど、いつだって信じてるからね。

 ちゃんと前を向いて歩くんだよ。


 そして、最後に、私の人生は早々に幕を下ろしてしまいます。

 ですが決して不幸なものではなかった。大切で大好きな人たちに、たくさん支えられて、たくさん愛されて、私はとても幸せでした。

 皆には謝りたいこともたくさんあるけど、私の愛する人たちにはごめんなさいよりもありったけのありがとうを贈ります。


 さて、そろそろ締め括ろうと思います。

 他の人よりも短く、あっけない命でした。

 でも、皆のおかげで楽しいものばかりでした。

 ああ、全く本当にーー

 

 

 

 

 









「いい人生だった。」

 

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