8 隣の幼馴染
そんなふうに、僕が焦っていると。
規則正しい寝息が聞こえてきた。
「……寝ているのかぁ」
緊張でガチガチに強張った身体から、力が抜ける。
居眠りをするひまりを見て、安心したようなガッカリしたような。
僕の肩を枕替わりにして、くぅくぅと眠っている。
どうやら、退屈な映画よりも眠気が勝ってしまったらしい。
起こすべきだろうか、と一瞬迷ったが、まぁいいか、と思い直す。
大して面白くもない映画だし、寝かせておいてあげよう。
それに、僕の肩にもたれて眠るひまりは、とても可愛らしかった。
年々大人っぽくなっていくが、穏やかに眠る顔は少し幼く見える。
昔はよくいっしょにお昼寝もしたけれど、今はそんなこともない。
長いまつ毛に、ふわりとやわらかい髪。
小さな唇から漏れる吐息が、妙に色っぽい。
綺麗で張りのある肌に、女の子らしい丸みと熱のある身体。
野に咲く花のように華麗で、素朴でありながら美人としか言いようのない顔立ち。
本当に、彼女が共学に通っていたらこの寝顔だけでクラスメイト全員を恋に落としたに違いない。
そんなひまりの寝顔を見られたのは、幸運かもしれない。
それだけは退屈な映画に感謝しながら、僕はリモコンに手を伸ばす。
音量を調整しようとしたのだ。
しかし、そこで事件が起こる。
「おっと」
身体を動かしたせいで、バランスが崩れてしまったらしい。
僕に頭を預けていたひまりが、ずるずると横に倒れていく。
そのまま、僕の膝にぼすっ、とひまりの頭が落ちた。
髪がふわっと揺れて、僕の膝の上に広がる。
完全な膝枕状態。
「ん……」
さすがにそれで目が覚めたらしく、ひまりは目を少しだけ開けた。
それで横になっていること、僕の足を枕にしていることに気付いたのだろう。
目が合う。
僕はてっきり、ここで彼女が身体を起こすと思ったのだ。
映画つまんなくて眠っちゃったー、とか、気持ちよく寝てたのにー、とか言いながら。
しかし。
ひまりは再び、すぅっと眠りに落ちていってしまった。
僕の膝を枕にしたまま、全く構うことなく。
「――――――――――――」
両足に、ひまりの頭の重みを感じる。
無防備な寝顔を晒したまま、ひまりはすやすやと眠り続けていた。
「えぇ……」
僕はそこで、頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
確かに、ひまりは一度眠ったらなかなか起きない。
もし僕が起こしたとしても、うにゃうにゃ言って、ソファで横になったまま眠り続ける可能性は大いにある。
僕が枕になることを拒否して、この場を離れても同様だ。
しかし、今、彼女は一瞬だけ目を覚ました。
確実に起きたのだ。
状況は把握したはずだ。
映画を観ているときに、居眠りをしたことも。
隣に僕がいるけど、まぁいいや、と眠り直そうとしたことも。
僕の膝を使っていることも。
わかったうえで、こうして眠っている。
緩んだ寝顔を僕に晒している。
こんなふうに無防備に眠っているのは、僕に心を許しているから。
それは間違いないだろうけど、喜ぶ気には全くなれなかった。
たとえば、僕がひまりの友達の男子だったら。
さっき目を覚ましたときに、ちゃんと起きるだろう。
男の前で、こんなふうに無防備に眠りこけるのは、女の子としてちょっと危ない。
もし僕が変な気を起こしたとしたら、どうするつもりだ。
本当にすぐ近くに、ひまりの顔がある。
僕が少し顔を近付ければ、唇を奪うことだって容易だ。
ちょっと手を動かせば、彼女の豊かな胸に触れることさえできる。
性欲のまま、彼女を押し倒すことだって、この状況ならさぼど難しくない。
もちろんひまりは、僕がそんなことは絶対にしない、と確信している。
だから、こんなふうに無防備に眠れる。
だって、家族だから。
妹や姉に対して、欲情して手を出す男はいない。
ひまりはそんな可能性、考えてさえいない。
「それは……、ダメだろ……」
つまらない映画の音だけが響くリビングで、僕はひとり呟く。
それは、ダメだ。
ここまで、気を許されているのは、ダメだ。
家族同然といえど、僕たちは本当の兄妹じゃないのに。
いっしょにいるだけで、血の繋がりはないのに。
僕はひまりのことを、こんなにも好きなのに。
「なんとか……、しなくちゃ……」
いずれ、いずれ行動しよう、と思って何年も経った。
僕はひまりが好きで、でも、ひまりは僕のことを何とも思っていなくて。
いつか、何とかしなくちゃ、とは思っていた。
でも同時に、「このままでも、いつか関係性が変わるんじゃないか」と期待してしまっていたところもある。
いっしょにいるうちに、変化があるんじゃないかって。
だってまさか、ここまで状況が悪化しているとは思っていなかったから。
このままじゃ、ダメだ。
取り返しがつかないことになる。
現状のままでは、何も進展しない。
間違いなく。
欠片も可能性がないことを悟り、ようやく僕は行動した。