5 今日のご飯はカレーです
買い物からうちに帰ってきたあと。
ひまりは早速、台所に立っていた。
「ふんふんふーん……」
鼻歌を口ずさみながら、ひまりは包丁をトントントン……、と鳴らしている。
もうひまりしか使っていないエプロンを、制服の上からつけて。
鍋の煮える音や包丁の音を聞きながら、僕は自分の勉強を進めていた。
スカートと髪を揺らしながら、ひまりはてきぱきと料理をこなしている。
そんな彼女の後ろ姿を見るのが、僕はとても好きだった。
だけど、少しでも何か変えなければ、と今日は行動した。
彼女の隣に立ち、こう提案したのだ。
「ひまり。僕も何か手伝うよ」
ここで少し、頼れる大人感を出そうと思った。
今までは弟扱いだったけど、それに甘んじる僕ではないぞ、と伝えたくて。
すると、ひまりはきょとんとした顔で僕を見上げ――、あっさりとこう言った。
「いやいいよ。いても邪魔だし」
「……………………」
きっぱり、と
遠慮とかそういうのですらなく。
おそらく、心から「邪魔だ」と言われた……。
……いやまぁ、そうなのだ。
よくよく考えれば、ひまりがウチに通い始めたとき、何もしないのが申し訳なくて、手伝う、と声を掛けた。
しかし、ワンルームのキッチンはまぁ狭く、ふたりで料理するには向いていない。
人手が増えたところであまり意味を為さないのだ。
なので、いつもどおり自分の勉強を進める……。
「こーたろー。ご飯盛り付けて、テーブルに運んでー」
「はいよ」
これはいつものやりとり。
僕は勉強道具を手早く片付け、テーブルをふきんで拭き、食器を取り出す。
お皿にご飯を盛って、ひまりに確認した。
「ひまり。量はこれくらい?」
すると、ひまりは険しい顔で声を張った。
「多い! わたし今、ダイエット中!」
「えぇ。またダイエットしてるの? しなくてよくない?」
「よくない! もっと量減らして!」
「太ってないのになあ」
ひまりは気にしすぎだ。
細いとは言わないけど、女の子の「太ってる!」はオーバー過ぎると思う。
ひまりの身体は程よく肉付きがあって、大きめの胸もそのおかげだ。
スカートが揺れる先にある太ももだって、目が惹かれるほどに色気がある。
肌が綺麗で色白だし、女性らしい丸みがある、で留まっているのに。
なのに彼女は、細ければ細いほどいい! と思っている節がある。
女の子らしいやわらかさよりも、ぱっと見の細さが魅力だと思っているらしい。
個人の美意識だから、そこにとやかく言うつもりはないけれど。
気になることはある。
「ていうかひまり、さっきチョコ買ってなかった?」
僕が指摘すると、ひまりは「うっ」という顔をする。
そしてぽつりと、「日に分けて、ちょっとずつ食べるからだいじょうぶ」と答えた。
そう言って我慢できたひまりを、僕は見たことがない。
ひまりのご飯を盛り付けたあと、僕は自分の分を盛り付ける。
すると、肩越しにひまりが覗き込んできた。
ほとんど肩に顎を載せるようにしながら、ひまりは僕の手元を見ている。
不意な接触にドキドキする。
犬かなにかのような、無邪気なくっつき方だった。
嬉しいけど、やっぱり緊張する。
そのままの体勢で、彼女は口を開いた。
「浩太郎こそ、もっと食べなよ。細いんだから。わたしの肉を分けてあげたいよ。ほら貸して」
僕の脇腹を無遠慮に触ったあと、ひまりは僕のお皿を奪い取ってしまう。
追加のご飯を炊飯器からよそい始めた。
ぺたぺたとご飯が増やされていく。
「いや多いよ。食べ切れないって。ひまりのほうにちょっと入れて」
「やめて! わたしはこれでいいの! 浩太郎がぜんぶ食べるの!」
僕が彼女のお皿にご飯を入れようとすると、彼女は身を挺してお皿を隠してしまった。
お互い、相手により多くご飯を食べさせようとする、謎の時間が続く。
結局、ひまりは増量なし、僕はほどほどに増やして決着がついた。
ご飯にたっぷりのルーをかけて、テーブルに運ぶ。
カレーライスとサラダがテーブルの上に並び、牛乳の入ったコップをひまりが運んできた。
うちの家庭はどちらとも、カレーを食べるときは牛乳なのがお決まりだ。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて、早速カレーをスプーンですくう。
湯気がふわりと舞うとスパイシーな香りが強くなり、食欲を刺激した。
大きなジャガイモがごろごろと入っているので、口の中に入れる。
甘いけれどコクのあるルーと、ほくほくと崩れていくジャガイモが、口の中で混ざり合った。
うん。
おいしい。
やっぱり、ひまりの作るカレーが一番だなあ。
「おいしい。今日のは一段とおいしいかも」
「そ? よかった。いっぱい食べて」
素直に感想を告げると、ひまりは嬉しそうに笑う。
やさしくて、ちょっとだけ照れたような笑みが、僕はとても好きだった。
とてもおいしくて、パクパクと食べ進めていく。
しかし、僕の分は量が普段より多かったので、食べ終えるのにちょっとだけ苦労した。カレーがおいしいおかげで食べ切れたけれど。
たっぷりと食べて、ふうと息を吐く。
満腹だ。苦しいくらい。
ひまりも同じく、完食していた。
しかし彼女は手を合わせることなく、じっとしている。
空になった皿を見つめ、何やら難しい表情になっていた。
「……………………」
むむむ、という顔をしているひまり。
何を考えているか、手に取るようにわかる。
僕は余計なことは言わず、傍観に徹していた。
すると数秒後、ひまりは「もうちょっとだけ……」と皿を持ってキッチンに戻っていった。
そこそこに盛られたカレーライスを、気まずそうに持ち帰ってくる。
僕は何も言っていないのに、じろりと睨んできた。
「なに」
「なにも言ってないけど」
「口は言ってないけど、目が言ってた! 『結局食べるんじゃん』って目をしてる!」
「まぁそれは思ってるけど」
「浩太郎だって、もっと量入れようとしてたもん! ならいいでしょ!」
「ダイエットしてる、って言ったのも、量減らしたのも全部ひまりがやったことだからね?」
そんなことを話しつつも、ひまりは食べ進めている。
さっきの量ではやはり足りなかったらしく、満足そうに噛みしめていた。
こういうとき、ひまりは本当に幸せそうな顔をする。
罪悪感がより味を引き出しているのかもしれない。
結局、ひまりはおかわり分もぺろっと食べ終えてしまった。
ひまりはクッションに身を埋め、満足そうにお腹を擦る。
「うーん、おいしかった……。確かに今回は前よりもおいしかったかも……。だから、しょうがないよね……。明日からダイエット……」
二千回くらい聞いた構文を口にするひまり。
何なら、昨日も「明日からダイエット!」と言っていた。
そんなひまりに問いかける。
「アイス買ってあるけど、食べる?」
「うっ」
僕の言葉に、ひまりは苦しそうな表情で固まる。
答えを予想しながら待っていると、ひまりは呻くように答えた。
「だ、ダイエットは明日から……」
「バニラとストロベリー、どっち?」
「すとろべりー……」
なんだかんだで、僕はよく食べるひまりが好きなのかもしれない。