4 チョコ買っていい?
「こーたろー? 次行くよー、次―」
既にひまりは歩き出していて、僕の名前を呼んでいる。
……まぁひまりの場合、僕に世話を焼いているから、そういう意識になるのかもしれない。
なんというか、彼女は僕のことを兄じゃなく弟と思っている節がある。
異性扱いどころか、兄扱いすらされていない。
「こーたろー。冷蔵庫に牛乳ってまだあった?」
「あー。まだだいぶ残ってると思うけど」
「む。さては、あんまり飲んでないな? 牛乳は毎朝飲まなきゃ、って言ってるじゃん。カルシウムを取りなさい、かるしうむ」
ひまりは僕のお腹を、ぽんぽんと叩いてくる。
……こういうところが、弟扱いというか、なんというか。
ひまりが世話焼きお姉さん、というか。
これでは、男に見られなくても仕方がないかもしれない。
僕がやるべきなのは、まずその意識を変えるところから。
かもしれない。
とはいえ。
それを無理やりに変えても、きっといいほうには転ばない。
捻じ曲がって関係が崩れるのは、一番避けたいことだ。
だから慎重に、少しずつ変化を作る必要がある。
「……ん」
そんなことを考えていると、ポケットの中のスマホが震えた。
メッセージが届いている。
沢田くんからだ。
そこには、こう書かれていた。
『一生のお願いだ! さっきの子、紹介してくれない?』
「……………………」
僕は一瞬で文字を打ち、それに返信する。
『今は彼氏作る気ないんだってさ』
「こーたろー? どうしたの?」
「ん。なんでもない」
スマホをポケットに戻し、彼女の元に戻る。
ひまりは牛乳の賞味期限を覗き込んでいた。
そこに、スーツ姿の若い男が通りかかる。
彼は、明らかにひまりに目を向けていて、顔にははっきりと「かわいい子だなぁ……」と書かれていた。
そう。
ひまりはかわいい。
とてもかわいい。
非常に魅力的な女の子だ。
そんな彼女に今まで恋人がいなかったのは、(僕としては)幸運だったから。
単純に出会いがなかったからだ。
彼女が通う桜乃高校は女子高で、中高一貫校の結構なお嬢様学校。
真面目な生徒が多いので、彼氏ができたみっちゃんのほうがレアケース。らしい。
だが、ひまりがそこから出てしまったら。
「ねー。こーたろーって、サークル入らないんだっけ?」
「ん? あぁ、そだね。あんまり興味ないから」
「えー、もったいないなぁ。わたしだったら、絶対入るのに! だって、いい出会いがありそうじゃない? 素敵な彼氏ができそ~」
ひまりは目をキラキラさせる。
大学生活に夢見る女子、といった顔だ。
ひまりは恋愛をしたがっている。
彼氏が欲しい、とはっきり言っている。
そんなひまりが大学に行って、「彼氏ほし~」なんて一言でも呟けば。
数十人、いや、数百人の男たちが群がるに決まっている。
絶対に。
「どしたの、浩太郎。もう買うものないよね? レジ行こうよ」
「……うん。わかってる」
たくさんの男に囲まれるひまりを勝手に想像して、クラっとしてしまった。
数百人は言い過ぎにしても、大学に行けば間違いなく声を掛けられる。
サークルなんて入れば、すぐに目を付けられるだろう。
だってひまりはかわいいし。
いい子だし。
明るくて接しやすいし。
そんな子が、恋愛をしたがっているのだから。
いくらでも彼氏が作れてしまう。
彼女が大学に行けば、僕の失恋は確定したようなものだ。
だから僕は、それまでに彼女から意識されなければいけない。
少なくとも、ひまりが大学生になる前に……!
「あ。こーたろー、このチョコおいしそう。ねぇ、買っていい?」
「ん。いいよ」
「やった」
にこにこしながら、ひまりはレジ横にあるチョコをカゴに入れる。
その無邪気な笑顔に、決意が揺らぎそうになる。
この心地よい環境に、身を委ねたくなる。
好きな子に世話を焼いてもらって、こんなにも幸せな時間を過ごして。
それ以上を求めて、この生活を失うほうが怖くないか?
せめて、少しでもこの生活を長引かせたほうがいいのではないか?
そんな怯えた心もあった。
問題を先送りにしようかと思うこともあった。
何せ、ひまりが大学生になるのはもう少しだけ、先だ。
だけど、そんな場合ではない。
僕は、スマホを握りしめて決意を新たにする。
確かに今までは、幸運にもひまりには出会いがなかった。
けれどこれから先、沢田くんのような人や、みっちゃんのように紹介で出会いがあるかもしれない。
高校生のうちは大丈夫、というわけではない。
出会ってしまえば最後、ひまりを好きにならない男なんていない。
だからこそ、僕はもっと焦らなくてはいけないのだ……!