35 デートの終わり
「ありがとね、こーたろー。わたしがケンカしたってお母さんから聞いて、それで元気づけようとしてくれたんでしょ?」
……。
…………。
……なんて?
全く予想外の言葉が出てきて、目が点になる。
咄嗟に返事もできず、完全に固まってしまった。
ひまりは今、何の話をしている?
僕の困惑をした顔を見て、ひまりが首を傾げた。
「あれ? そうじゃないの? わたし、みっちゃんと結構派手なケンカしちゃってさ。すっごく凹んでたんだ。せっかくテストが終わったのに遊びにも行けなくて、ずっとモヤモヤしてて」
「あぁー……」
そういえばこの前、ちょっとだけ元気がなかった気もする……。
夏の終わりを感じているのかと思っていたが、あれは友達とケンカしたからなのか……。
それに、最近遊びに行ってないとも言っていた……。
だからこそ、今日はひまりも元気に遊び回っていたようだけど……。
ひまりは苦笑いをして、僕の顔を見つめた。
「だからこーたろー、元気づけてくれたのかなって。だって、いきなり遊びに行こう、なんて言うしさ。あー、これはお母さんから聞いたのかなって。浩太郎、やさしいから」
気の抜けた顔でひまりは笑っている。
その笑顔には、穏やかな感情がたくさん詰まっていた。
僕に対する信頼だとか、やさしくしてもらって嬉しい、だとか。
だけどそれは、家族に対するものだ。
家族愛を感じられて、心が温かくなった。
そんな話だ。
これでは僕が、やさしいお兄ちゃんで終わってしまう。
ひまりの中では、僕が背伸びをして、ひまりを元気づけたことになってしまう。
それこそ、弟がなんとかしてお姉ちゃんを励ますような。
微笑ましいエピソードになってしまう。
家族の域を出ないどころか――、むしろ、さらに印象強くする気さえする。
それは、よくない。
無理をした意味がない。
山田さんに協力してもらってまで、作った今日が崩れてしまう。
それは絶対に、よくない。
よくない、けれど――。
「いや、うん……。そう……。ひまり、元気なかったからさ。ちょっと元気づけたくて……」
こんなにも嬉しそうに笑うひまりを、否定できなかった。
「そっか。ありがとね。嬉しかった」
「うん……」
ひまりはとてもやさしい、穏やかな笑みを崩すことなく僕を見ている。
幸せそうだ、とすら思った。
だから、しょうがない。
これは、しょうがない。
ひまりが喜んでくれるのなら、それ以上に求めるものなんてないんだから……。
心の中でこっそり肩を落としながら、山田さんに「ごめん」と謝った。
そうやって僕は、すっかり意気消沈していたのだが。
次にひまりから出てきた言葉は、普段とちょっとだけ違うものだった。
「ありがとね、こーたろー。今日の浩太郎、お兄ちゃんって感じで格好良かったよ。頼もしかった」
「え」
「あ! 電車着ちゃう! こーたろー、急いで!」
耳を疑っている間に、ひまりが大きな声を上げた。
ほら、走るよ! と駅を指差すひまりは、さっきの言葉をもう忘れてしまったかのよう。
元気で可愛らしい、いつものひまりだ。
ふわっとした髪を揺らしながら、駅に向かって駆け出した。
僕は苦笑しながら、彼女を追いかける。
今日は、意識してもらうはずだったのに、お兄ちゃん、なんて言われてしまったけれど。
彼女が元気になったのなら、それでいいのかもしれない。
それに、格好いい、と言ってもらえたし。
ひまりは相変わらず、僕を異性だと意識してくれないけれど。
関係は進んでいると思って、いいんじゃないだろうか――。




