34 夜の川沿い
僕たちは店をあとにして、駅に向かっていた。
駅まで送るのはいつものことだけれど、今日は普段とは違う。
ふたりとも外で遊ぶために、オシャレして。
街ではしゃぎながら、いろんなところを回って。
夜はちょっと背伸びした、お高いレストランで食事をした。
川沿いを歩く。
人気がなく、だれの声も届かない。
水音だけがやけに大きく響いていた。
頼りない街灯がぽつぽつと道を照らすばかりで、すっかり夜の空気に満たされている。
そんな道を、僕とひまりは歩いていく。
ひまりはいつものように、僕の少し前を歩く。
後ろから見ている分にはご機嫌な様子だ。
今日は、何から何まで普段と違う。
初めてのデートの、その帰り。
どうあれ、ひまりはデートを受け入れてくれて、今日一日僕といっしょにいてくれた。
これはちゃんと、前に進んでいる、と思う。
だけど、このままひまりを帰してしまったら、また戻ってしまうのではないか。
来週になれば、ひまりはいつものように僕の部屋を尋ねてくる。
今日のことが、単に楽しかった思い出に変わってしまって。
休日に家族と買い物に行った、くらいの気持ちで。
あの日は特別な日だった、と処理されて、進んだと思った歩みもなくなるのではないか。
そんな予感がした。
だから、何か言うべきではないか。
この日が忘れられないような、何かを。
そんなことを、ずっとグルグル考えている。
だって、こんなチャンスは滅多にない。
もしかしたらもう二度とないかもしれない。
いろんなことが初めてで、ふたりとも気分が昂揚していて。
確実に普段と違う状況で。
ひまりから何度も、僕を見直すような言葉を聞いた。
関係を変えるのなら、今、ここなんじゃないか。
僕はひまりに、伝えるべきなんじゃないか。
今なら、スッと言える気がした。
心からの思いを、彼女に伝えられる気がした。
怖いけれど。
それでも、だ。
どこかで動かなくちゃいけないっていうのなら、ここかもしれない。
前に進むというのなら、失うことも覚悟して進むというのなら、ここだ。
僕は高鳴る心臓とくらくらしそうなほどの緊張をまといながら、ゆっくりと彼女の名を呼んだ。
「ひまり」
「こーたろー」
しかし、声が重なった。
前を歩いていたひまりが、ちょっと驚いた顔で振り返る。
そして、にへっと笑った。
「なあに?」
「あぁ、いや。ひまりが先でいいよ」
慌てて、先を譲る。
意を決したものの、ひまりに何かあるのなら、先に言ってほしい。
今ので、心の準備が崩れてしまったので……。
すると、ひまりは「そ?」と首を軽く傾げた。
そして、その場に立ち止まり、穏やかに笑った。
月に負けないくらいに綺麗な笑顔で、僕を見つめる。
「ありがとうね、浩太郎。今日は本当に楽しかった。すごく嬉しかったよ。ありがとう」
そんなことを、言ったのだ。
普段のひまりとは、様子が違う。
どこか大人びた表情も、落ち着いた声色も、いつもの彼女とは違う。
それはまるで、さっき僕が緊張していたのと同じようで。
ひまりは何か、僕に伝えたいことがある。
そんなことを直感的に悟った。
それは、なんだろう。
なんなんだろう。
この一日を経て、彼女の中でも何か変化があったのだろうか。
いや、この一日だけじゃなく。
僕たちは、今までと違う時間を過ごしてきた。
僕が家から出て、ひまりがうちに来て。
様々な時間を積み重ねてきたのだ。
だから。
ひまりの中で、気持ちが変化していたとしても。
それは、全くおかしくはない。
僕は心臓の音が早くなるのを感じながら、彼女の言葉を待った。
彼女の小さな唇が、言葉を紡ぐ。
ひまりはゆっくりと、自分の気持ちを吐露した――。




