30 お誘い
そんな山田さんの協力を得ながら、僕はデートの計画を練っていった。
しかし、大きな問題がひとつある。
それは、ひまりが応じてくれるかどうかだ。
僕がどれだけ山田さんに協力してもらい、理想的なデートコースを組んだといしても、ひまりが「行く」と言ってくれなきゃ意味がない。
デート……、という直接的な言葉はもちろん使わないが、「遊びに行こう」と誘うこと自体、かなりハードルが高い。
買い物ならいくらでも付き合ってくれるだろうけれど、遊びに行くのとはだいぶ毛色が違う。
兄弟や姉妹に、「ふたりでどこかに遊びに行こうよ」と言われたら、こんな言葉が出てくるのはないだろうか。
なんで? と。
少なくとも、僕は妹に誘われたらそう言うだろうし、ひまりの兄や姉に誘われても、「え、ふたりで?」と言ってしまうと思う。
訝し気な反応をされることは、十分にあり得た。
だから、今日はこんなにも緊張している。
ひまりは今日もウチに来て、黙々と勉強をしていた。
残暑も過ぎ去り、過ごしやすくなった日のこと。
秋らしい気候になっていき、やがて冬に移り変わる時期。
「こーたろー。この英文って、どれを指してるの?」
「ん? あぁ。これはここの……」
ひまりが身体を寄せて、こちらに尋ねてくる。
彼女の制服はいつの間にか長袖になっていて、僕の腕にぺったりとくっついている。
肌が直接触れ合わないせいか、以前より近い気がした。
どれだけされても、女の子のやわらかな身体を押し付けられることに、慣れることはない。
髪の香りが感じられるのもいつものことで、ただでさえ落ち着かない心臓が強く唸る。
僕は平静を装って、普段どおりに教えていた。
僕が指で教科書を指していると、ひまりはさらにぐっと身体を近付けて、その文章に顔を近付ける。
密着されるのは、嬉しいような、困るような。
しばらく教えると、ひまりは「ふうん」と呟いて、身体を離した。
「わかった。ありがとう」
そのあと、再びペンを動かし始める。
今日のひまりは、ちょっと大人しい。
時折、窓の外をぼうっと見ていることもある。
普段はもっと、彼氏欲しいよ~! なんて元気に騒いでいるのに。
暑がりではあるものの、ひまりは夏が好きだ。
好きな夏が過ぎ去ってしまったうえに、結局彼氏を作る、という目標も未達成。
近付く秋に思うところがあるのかもしれない。
「…………」
いや、実を言うと、ドキドキしていた部分はある。
彼女の様子が普段と違うのは、この間の看病のせいかと。
僕は思わず、ひまりを抱き締めてしまった。
あのとき、ひまりは何てことないように受け流してくれたが、あとから色々思うところが出て来たんじゃないかと。
端的に言うと、怒っているんじゃないかと。
もしくは、気持ち悪がっている。
しかし、それだとちょっとタイムラグがあるように思う。以前までは普段どおりの態度でうちに来ていたし。
そもそも、怒っていたらうちには寄らないだろう。
もしかしたら、中間テストが終わったから気が抜けたのかもしれない。
一生懸命頑張っていたし、その反動が出た可能性はある。
そして、だからこそ誘いやすい、というのもあった。
「ねぇひまり」
「ん-?」
ひまりはノートに目を落としたまま、緩い返事をする。
僕は声が上擦らないよう注意しながら、言葉を続けた。
「ひまり、この前テスト終わったじゃない?」
「終わったねえ」
「うん。それでさ、お疲れ様会……、とでも言えばいいかな。ええと、今度――、どっか遊びに行かない?」
僕が言葉を絞り出すと、ひまりはぱっと顔を上げた。
きょとんとして、僕を見つめている。
その顔はとても可愛かったけれど、今はそれを楽しむ余裕はない。
彼女はその表情のまま、驚いた声を出す。
「え。わたしとこーたろーで?」
「そう。僕とひまりで」
ここで、「なんで?」と言われてしまったら。
僕の心はここで折れてしまうかもしれない。
だから、ここで止まるわけにはいかない。乗りかかった船だ。
僕は用意していた言葉を、吐き出していく。
「いやさ。この辺って、ひまりはあんまり遊んだことないでしょ? 僕もなんだけどさ。ひとりで回っても面白くないし、どうかなって」
「あー…………」
ひまりは気の抜けた声を出す。
そして、呆れたような顔に変わった。
頬杖をついて、ふっと笑う。
「友達と行けばいいのにー、って言わないほうがいい?」
「まぁ……」
僕が答えると、ひまりはくしゃっと笑った。
いつものひまりの表情に、少しだけ安心する。
僕はそれで余裕ができたわけじゃないが、さらに言葉を積み重ねた。
一番言うべき言葉を、まだ伝えていなかったのだ。
「それに、ひまりにはこの前、助けてもらったじゃない? 僕が寝込んだとき、来てくれて本当に助かったからさ。そのお礼もしたくて。前に言ってた、大人っぽい店にでも行って、ご馳走しようかと思ってるんだけど」
「あー……。そういえば、前にそんなこと言ってたねえ」
ひまりは姿勢を崩して、テーブルにぺたんと顔を付ける。
よく覚えてるねえ、と言いたげに苦笑していた。
忘れるわけがない。
以前、スーパーで「浩太郎は舌が子供っぽい」と言われ、僕は「じゃあ大人っぽい店に行ってみようか」と答えた。
あのとき、彼女は「ご馳走してくれるのなら、行こっかな」と口にした。
それはずっと、胸の中に残っていた。
あぁお金を出せば、いっしょに行ってくれるんだ、と。
けれど、ひまりは少し身体を引いた。
ちょっと困ったような顔で、遠慮がちな言葉を並べる。
「でも、別にいいよ? 大したことしてないし。なんか悪いよ」
「いやいや。本当に助かったんだって。ひまりが来てくれなかったら、かなりまずかったし。すごく感謝してて、ちゃんとお礼したいんだ」
あまり必死にならないよう注意しながら、言葉を重ねる。
しつこくなってひまりに変に思われてもいけないし、引かれるのもまずい。
ここはあくまで「ちょっとした出来事」くらいに思ってもらわないと、いろいろと支障が出る。
そのせいで、誘い文句も慎重にならざるを得ない。
結局どの口実も、決め手になるものではなかった。
最悪、引くことも考えておかないと……。
僕は手に汗握りながら、ひまりの動向を窺う。
「こーたろーと遊びに行く、かー……。ありそうでなかったなぁ、そういえば」
ひまりはぼんやりと呟く。
そうだ、僕たちが外出するのはせいぜいスーパーや駅まで。
実家にいたときもふたりきりでどこかに行くことはなかった。
常に、どちらかの家族が傍にいた。
だから相応にハードルが高い。
今までにないことだから。
普段と違うことだから。
その壁が、僕の前に立ち塞がっている。
僕はひまりの返事を待つ。
ドクドクと心臓が音を立て、握った拳は力が入りすぎていた。
女の子をデートに誘うのは、こんなにも緊張するものなのか。
しばらく針のむしろでひまりの返事を待っていたが。
やがて、ひまりはぽつりと呟いた。
「いいよ。いこっか」
「本当? じゃあ今度、土日のどこかにでも行こうか」
平静を装って、僕はそう答える。
本当は飛び上がりたいほど喜びたかった。
歓喜のあまり、踊り出したかった。
やったーーーーーーーーーー!!!
嬉しい!!!
山田さん、僕やったよー!!
そんなふうに叫びたかった。
だけど、兄妹相手にそんな反応をしたら、間違いなく引かれる。
僕はあくまで、家族の延長線上としてふたりで出かけ、そこで彼女にまた違う姿を見せるべきなのだ。
だから、心の中でやったー! と叫ぶだけに留める。
やったー! ひまりとデートだ! 断られなくてよかった! 嬉しい! いっしょに行ける! ひまりとデートだー! やったやったー!
まさか僕が心の中で狂喜乱舞しているとは思わないひまりは、いつもの調子で、「さ、勉強もどろーっと」とノートに視線を落とすのだった。




