28 桃の缶詰
僕は今回、一人暮らしで寝込む危機を味わった。
この状況に陥る可能性があるのは、僕だけではない。
「あぁそうだ、山田さんも一人暮らしだよね? 山田さんも気を付けたほうがいいよ。ひとりのときに寝込むと、本当に何もできなくてさ。寝込んだとき、来てくれそうな人、いる?」
僕がそう言葉を掛けると、山田さんが目をぱちくりとさせた。
少し前のめりになりながら、僕の目をじっと見る。
「なに、そんなキツかったの? 妹ちゃんが来てくれなかったら、マジでヤバかった感じ?」
「ヤバかったし、キツかった。普段から備えてるならいいと思うんだけど。買い物行けないのに、薬も食べ物もなくなって大変だった」
僕の言葉に、あー……、と山田さんは頷く。
顎に手をやりながら、うーん、と唸ってしまう。
「うちは親が遠くにいるからなぁ。アタシもヤバいかも。でも、助けを求めるとしたら……、大村くらい?」
山田さんはちらっと僕を上目遣いで見る。
長いつけまつ毛がほのかに揺れた。
そんなふうに言ってくれるのなら、僕の答えは当然決まっている。
「僕でもいいよ。連絡してくれたら、すぐ行くよ」
「え、ほんと?」
山田さんの表情がぱっと明るくなる。
自分があれだけ大変な思いをしたんだから、友達には同じ思いをしてほしくない。
助けてほしい、って言えさえすれば、僕もここまで長引かなかったんだし。
ただまぁ、山田さんみたいな綺麗な人の家に行くのは緊張するだろうけど。
でも緊急時だから、そんなことを言っている場合でもない。
僕が行くことを伝えると、山田さんは嬉しそうにニカっと笑った。
「わかった。じゃあ、本当にまずそうだったら、大村に来てもらう」
「そうして」
「ん。ありがと」
山田さんはしばらく、機嫌良さそうに笑っていた。
しかしそのあと、山田さんはなぜかこの部屋をぐるりと見回す。
片付けているとはいえ、女の子に部屋をじろじろと見られるのは、妙に居心地が悪い。
どうしたの、と尋ねると、山田さんは周りに目を向けたまま口を開く。
「や。大村の部屋、片付いてるなーって。男の一人暮らしってもっと散らかってると思ってたから。寝込んでるって言うし、もっとぐちゃってなってんのかなって。そういう人が、なーんも備蓄ない! って嘆くのはわかるんだけど、ちゃんとした生活してそうだからさ」
なるほど、と思う。
もし僕が普段から自主的に部屋を綺麗にするような、ちゃんとした生活を送っているのなら、あんなことにならなかったかもしれない。
でも残念ながら、僕はそんな丁寧な生活ができる男じゃないわけで。
「ひまりのチェックが入るから片付けているだけで、前はひどいもんだったよ。それこそ、男の一人暮らしって感じで」
「へぇ。そっちのほうが見てみたかったな」
山田さんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
人様に見せるようなもんじゃないと思うけど……、それこそ、ひまりには叱られたし。
僕も今の部屋が片付いているから山田さんを上げられたけど、前の状況だったらとても無理だったし。
山田さんは唇を尖らせて、言葉を続けた。
「だって、これならウチのほうがよっぽど散らかってるしさ。大村がウチに来たとき、ちょっと恥ずかしいかも」
「僕もそっち側だから大丈夫だよ。むしろ、前の部屋は山田さんに見せられない」
「ふうん……。あー、なんかこー、負けた気がすんねぇ。あ、妹さんにね」
「そんなこと言ったら、僕はひまりには何一つ勝てないよ。あぁ、勉強くらいは勝てるかも」
「あ、そっか。アタシら、頭はいいからね」
わはは、と山田さんは明るく笑う。
山田さんは見た目こそ派手なものの、とても優秀な人だ。
今回貰ったノートのコピーだって、すごく綺麗にまとめてあって読みやすい。
そんな話をぽつぽつとしていると、山田さんはおもむろに「あぁそうだ」と呟いた。
ニっと笑って、僕の顔を覗き込む。
金色の髪が揺れて、目が奪われそうになった。
「大村。桃買って来たんだけど、食べる?」
「桃?」
「うん。缶詰のやつ。うちは熱出すといつもそれ出してもらっててさー、なんか好きなんだよね」
身体を揺らしながら、山田さんは無邪気な笑みを浮かべる。
ひまりの家はすりりんごだったし、各家庭にそういうのがあるのかもしれない。
「うん。じゃあ、もらおうかな」
僕が答えると、山田さんは「よし」と立ち上がった。
ひらひらとワンピースの裾を揺らして、台所に向かう。
カチャカチャと準備を始めた。
どこに何があるかわかっていないようで、身体がゆらゆらと動いている。
色んなところを覗いていた。
ひまりはてきぱきと食器を出し入れしているけれど、彼女が一番使うために今では僕のほうが迷うほどだ。
そうやって迷う姿はなんだか新鮮だ。




