25 すりりんごは熱を冷まさず
「はいはい。お待たせ」
僕がベッドに戻ると、ひまりが小皿を持って帰ってくる。
「とりあえず、これ食べて薬飲んで。そんで、もう一回ゆっくりと寝なよ」
言いつつ、ひまりはベッドのそばに座り込んだ。
スプーンですりりんごをイジっている。
僕はありがとう、と受け取ろうとしたが、彼女はスプーンを差し出してきた。
「はい。あーん」
「いや、それは……」
ひまりが僕の口元に、スプーンを差し出してきたのだ。
さすがにそれは、恥ずかしい。
しかし、ひまりは僕を怪訝そうに見ている。
「なに照れてんの? 今の姿が一番格好悪いのに」
「う……」
どうやら、ひまりはまだ怒っているらしい。
物言いが普段よりキツイ。
それだけ心配をかけたってことなんだろうけど……。
そんな彼女を羞恥心で否定できるはずもなく、僕は仕方なく口を開けた。
「あ、あーん……」
スプーンが口に突っ込まれる。
その瞬間、爽やかな酸味が口の中に広がった。
くちどけがよく、そのままスルリと喉の奥に入っていく。
はぁ、とため息が出そうになるほどおいしかった。
「おいしい?」
「おいしい……」
「よかった」
ひまりは気の抜けた笑みを浮かべて、再びスプーンを差し出してくる。
僕は素直に口を開けた。
弱り切った身体にスーッと効いていくようで、力が抜けそうになる。
おいしい。
「なんか……、懐かしい味だな、これ」
僕がぽつりと呟くと、ひまりはおかしそうに笑った。
「うちのお母さん、熱出すとよく作ってくれたから。こーたろーも何回か食べたことあるよね」
「あぁ、それでか……」
おぼろげながら、そんな記憶が遠くのほうで蘇る。
僕が熱を出したときに、ひまりのお母さんが持ってきてくれたのだろう。
大村家、小倉家、五人の子供共通の味かもしれない。
「これを食べると、すごく元気になれる気がするんだよねー……。わたしもだれかを看病するときは、作ってあげたいと思ってて」
やさしい声色を響かせながら、ひまりはスプーンですりりんごをすくいあげる。
そのまま僕に差し出すので、口を開けた。
「まさか、浩太郎に作るとは思わなかったけどね」
おかしそうに笑うひまりに、僕は何も言えなかった。
そして、あっという間にりんごは食べ終わってしまう。
「はい。ごちそうさま。全部食べられたねー、偉いねー」
からかうつもりはないのだろうが、ひまりは自然と子供相手にするような口調になっている……。
皿をお盆に戻しつつ、彼女は口を開く。
「それじゃ、薬飲んであとは寝てなさい。起きたときに食欲あったら、おかゆかうどんか何か作ってあげるから」
ひまりはそう言いながら、僕に薬とコップを手渡した。
薬もありがたい……。一気に流し込む。
すぐに効くはずなんてないのに、それだけで少し楽になった気がした。
いや、水分を摂って、着替えて、胃に優しいものをお腹に入れて。
間違いなく、さっきより楽になっている。
このまま寝ていれば、今度こそよくなりそう。
「ありがとう、ひまり……。本当に助かった……」
まだ喉は痛いが、そんな言葉を絞り出す。
するとひまりは、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
僕の顔を覗き込み、ゆっくりと言う。
「うん。あのね、こーたろー。こういうときは、ちゃんと頼って? すぐ来られる距離に、わたしはいるんだからさ。浩太郎が気を遣ってわたしを呼ばなかったのはわかるけど、そっちのほうがわたしとしては寂しいかな」
「……うん、ごめん」
ひまりの表情に、さっきとは別の意味で胸が痛んだ。
僕はひまりのことを考えて、この部屋から遠ざけたけれど。
その気遣いこそが、彼女にとっては余計なものだったわけだ。
確かに、僕も同じ立場だったら。
ひまりがすぐそばで苦しい思いをしているのに頼ってくれないのは、寂しいかもしれない。
普段僕は、生活の部分で彼女に頼りっぱなしだから、ひまりは余計に傷付いただろう。
そこまでは考えが回ってなかった。
素直に反省する。
僕が返事をすると、ひまりはやさしく微笑んだ。
「それじゃ、わたし勉強してるから。何かあったら呼びなね?」
彼女はそう続ける。
どうやら、そばにいてくれるらしい。
その心遣いが本当に嬉しく、心がぐらぐらと揺れる。
ひまりのやさしさが愛しくてたまらず、彼女を好きである感情と混ざり合って、強く発熱する。
「――――――――――」
いや、それは発熱なんて生やさしいものではなく。
もはや発火と言ってもよかった。
ぼうっと感情が強くなり、ひまりが欲しくてたまらなくなる。
きっと、風邪で頭がぼんやりしていたこともある。
ずっとひとりで、心細かったこともある。
普段なら絶対に、理性で抑え込む自信があるのに。
僕は、このときばかりは感情を抑えきれなかった。
「……きゃっ」
小さくて、可愛らしい悲鳴が耳のそばで聞こえた。
僕は――、ひまりを抱き寄せていた。
突然、乱暴に抱きしめたせいで、ひまりのそばにあった食器がからん、と音を立てて転がる。




