20 一式の寝具
別にやることもないので、なんとなくふたりでテレビを観て。
なんとなく笑って。
時折、会話を交わすくらい。
思い返すと、何をしていたわけでもないけれど、穏やかで心地よい時間だった。
僕の隣で、ひまりが気の抜けた様子でテレビを観て笑っている。
すぐ隣で、すぐそばで。
手を伸ばせば、触れられる距離で。
僕もそれを感じながら、同じように笑う。
僕にとっては、それだけで幸せな時間だった。
ひまりがお風呂に入るときは、やはり緊張したけれど、今日は先にシャワーも浴びていた。既に部屋着も見ている。昼間ほどはドギマギせずに済んだ。
あとはもう、寝る用意をするだけ。
新品の歯ブラシをひまりに渡して、ふたりで洗面台の前で歯を磨く。
小さな洗面台だから、ふたり並ぶと狭く感じた。
「あー。こーたろー、もうちょっと時間かけて磨きなって。ちゃんと歯の奥まで磨いた~?」
「磨いたって。ひまりこそ、時間かけすぎじゃない? 歯が削れてなくなっちゃうよ」
鏡の前でそんな話をしながら、肩で押し合う。
あぁ彼女は本当にウチに泊まっていくだな、と実感する瞬間だった。
有り体に言って、幸せだった。
こんな日を、恋人同士で遅れたらどんなにいいか――。
と、思う程度には、僕は問題から目を逸らしていた。
ひまりが泊まっていくうえで、ひとつ問題がある。
それは、僕らが恋人同士だったら問題なかったんだろうけど、そうじゃないからこうして浮上した。
歯磨きも終えて、やることもないのでそろそろ眠ろうか、という話になった際。
「浩太郎の部屋って、お客さん用のお布団とかある?」
ひまりがそう尋ねたのだ。
そして、すぐに、バカにしたような顔に変わる。
「いや、聞くまでもないよね。こーたろー、大学にあんまり友達いないみたいだし」
「失礼な……。そりゃないけどさ……」
友達はいないわけではないが、確かに部屋に来るほどの友人はいない。
家族特有の侮りが入っているとはいえ、ひまりの言うとおり。
必要になる機会がないので、布団は用意していない。
つまり、今、この部屋に寝具は一式。
眠る人はふたり。
さぁ難題だ。
ワンルームでふたり立ち尽くし、ベッドを見つめる。
さて、どうするか。
なんて。
考える必要があるとも言えなかった。
「ひまり。ベッド使いなよ。僕は床で寝るから」
夜は暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい気温だった。
雨で普段より気温は低いが、タオルケットでもあれば問題ない。
僕が床で、ひまりはベッド。
これは、ひまりが「そう? ありがと~」と言えば、終わる話だった。
しかし、意外にもひまりは食い下がる。
「え。いいよ。わたしが床で寝るよ。こーたろーがベッド使いなよ。家主なんだから」
「……何言ってんの。いいよ」
ひまりの言葉が、一応の遠慮じゃないことに驚く。
彼女は本気で床で寝る、と主張している。
当然、ひまりを床に眠らせて自分がベッドで眠るなんて、できるわけがない。
しかし、ひまりはなおも「いいって!」と声の温度を上げた。
「こーたろー、床で寝たら絶対風邪ひくじゃん! ダメだよ! ただでさえ細いんだから! 長引くよ!」
……どうやら、ひまりは僕のことを心配して言っているらしい。
それこそ、弟相手にするかのように。
虚弱な弟を床に寝かせて、お姉ちゃんがベッドで眠るなんて、できません! と。
そう言いたいわけだ。
ほとんど僕と同じ目線でモノを言っているわけである……。
それに僕は軽くめまいを感じながらも、はっきりと言う。
「……ひまりは女の子なんだから。女の子を床で眠らせられないでしょ」
「女の子って! こーたろー、わたしを女の子扱いしてくれるの?」
わはは、と豪快にひまりは笑う。
ツボに入ったようで、腹を抱えていた。
いや笑うところじゃないんだけど。
なに笑ってんだ。
ていうか、そんなことさえも本気にしてもらえないの?
「……じゃあ、言い方変えるよ。かわいい妹を、お兄ちゃんとしては床で眠らせることはできません」
仕方なくそう言うと、ひまりは再びけらけら笑う。
かわいい妹、お兄ちゃんというワードがおかしかったらしい。
まぁそこは茶化してしまった部分はあるものの、本当の気持ちではある。
それはひまりにも伝わったらしい。
しばらく彼女は笑い続けていたが、やがてやさしい表情に変わった。
穏やかに微笑みながら、僕を見上げる。
「うん。そういうことなら、お言葉に甘えようかな。ありがとうね、お兄ちゃん」
僕の腕をぽんぽんと叩きながら、やさしい目で僕を見ていた。
できればそこは、お兄ちゃんじゃなく、ひとりの男として受け取ってほしかったけれど。
まぁこれでひまりが床で寝ずに済むのなら、それに越したことはない。
ひまりは素直にベッドに近付いたが、そこで首を傾げた。
「ねぇ、浩太郎。別に床で寝なくても、これならふたりでも眠れそうじゃない?」




