19 雨はざあざあと
そんなトラブルはありつつも、あとは普段どおりひまりの勉強を見ていた。
そのあと、ご飯を作ってくれるのもいつもどおり。
「今日は迷惑かけちゃったから、腕によりをかけて作るね」というひまりの言葉どおり、おいしいハンバーグを作ってくれた。絶品だった。
そして、ご飯を食べ終えて、洗い物も片付けて、普段なら「じゃあそろそろ帰るね」とひまりが言い出す時間帯へと至る。
すっかり夜になった住宅地を、僕とひまりは駅まで歩いていくはずなのだが……。
「……やまないねぇ……」
「やまないね……」
僕とひまりは、窓の外を眺めて、何回目かわからない言葉を呟く。
雨脚は弱まる様子はなく、むしろ苛烈さを増していた。
大雨警報が出ていて、さっきからテレビもそのニュースばかり流している。
電車も止まったままだし、これから動く様子もない。
夜の間は、まだまだ降り続くらしい。
つまり、ひまりは電車に乗れない。
帰れない。
どうしたものか、と窓の外を睨む。
ひまりにはあぁ言ったものの、泊まるのはさすがにまずいのではないか。
というか、ひまりも嫌ではないか。
さっきから不安と心配に揺れ動いている。
ここから帰るとすれば、タクシーだろうか。
でも同じことを考えている人は多そうだし、来てくれるかな……、といろいろ考えるものの、口には出さなかった。
「んー………………」
ひまりも困った顔で、髪をいじっている。
どうしたものだろうか。
僕らがただただ窓の外を見ていると、ひまりのスマホに電話が掛かってくる。
彼女はディスプレイを見て、「お母さんだ」と声を上げた。
「もしもし? うん。そう。まだこーたろーの家。電車は止まったまま……、うん、そうそう。あー……、ちょっと降り止みそうにないかなー……。そうそう。うん、でしょ」
ひまりはスマホを耳に付けたまま、窓の外に目を向けた。
激しい雨が変わらぬ勢いで降り続けている。
「ん? うん。わかった」
ひまりはそこでスマホを耳から離し、僕に差し出してくる。
「お母さんが代わって、って」
「ん? うん……」
なんだろう、と思ってスマホを受け取る。
スマホからは聴き慣れたおばさんの声が聞こえてきた。
『こーたろー? ごめんね、ひまりが無理にそっちに行ったみたいで』
「別にそれはいいよ。スマホないと不便だしさ。で、どうしたの?」
『うん。この雨じゃない? 電車も止まってるし、帰るのもなかなか難しいと思うのよ。タクシーも捕まらないし。だから、浩太郎さえよければ、ひまりを泊めてあげてくれない?』
「あぁ、うちはぜんぜん構わないよ」
……よくもまぁ。
僕も普段どおりに答えられたものだ。
ひまりから事前に「泊めてくれる?」と言われていたからかもしれない。
覚悟ができていた、とも言うべきか。
そうじゃなければ、もっと動揺して気持ち悪い声を出したかもしれない。
どちらにせよ、ここで変にパニクってひまりやおばさんを不安にさせずに済んだ。
それはとても大事なことだ。
今ここで、関係を崩すわけにいかない。
『ごめんねえ。今度、何かおいしいものをひまりに持たせるわ』
そんな言葉を最後に、おばさんからの電話が切れてしまった。
ひまりを見ると、彼女は電話の内容を把握していたらしい。
苦笑しながら、僕を見ている。
「そういうわけで。お世話になってもいい?」
「うん。いいよ、大丈夫」
ぜんぜん、大丈夫ではないが。
一大事だが。
もしかしたら、僕の人生で一番大きなイベントかもしれない。
ひまりが泊まる!
この部屋に!
ふたりきりで!
そう意識しただけで、心臓が跳ねて跳ねて仕方がない。
血液が沸き立って、そのまま失神しそうだ。
いや、いくらなんでもそれはまずくないか。
大学生と高校生の男女が一つ屋根の下で、こんな狭いワンルームで一夜を明かすなんて。
だって僕はひまりのことが好きなんだぞ。
いいのか?
よくない。
バカ言え。
こんなにかわいい女の子が、僕の服を着て、一晩中眠るというのだ。
何もせずにいられるか?
僕にだって、できることとできないことがあるぞ。
白い頭の中で、ぐるぐると色んな思考が混じり合う。
それが止まったのは、ひまりの一言のおかげだ。
「いやー、浩太郎の部屋にお泊まりかー。ありそうでなかったもんねー」
ひまりは愉快そうに呟いている。
彼女からすれば、兄か弟の家に一泊するくらいの気持ちでしかない。
おばさんにしたってそうだ。
家族が家族の家に泊まって、何が問題か。
少なくとも、僕がひまりに手を出すなんてことは、絶対にないわけで。
ひまりはいつもどおりに過ごし、僕は決死の覚悟で平静を装えばいい。
ひまりに意識してもらえるよう考えている僕だけど、今日ばかりは絶対に意識させてはいけない。
安心して過ごして帰ってもらわないと、僕としても困る。
とは言いつつも。
そんな覚悟をしながらの夜だったが、特別なことは起こりもしなかった。




