18 お風呂上がりの幼馴染と
「ふぅー、さっぱりしたー。こーたろー、お風呂ありがとー。迷惑かけてごめんねー」
彼女はほくほくしながら、洗面所から出てくる。
改めて現実を突きつけられ、大きなダメージを受けたものの、彼女が出てくる頃にはなんとか持ち直した。
今更悩んでもどうしようもないことだし。
そして、沈んだ心が再び浮き上がる。
何せ、お風呂上がりのひまりは、とても可愛らしかったからだ。
彼女は長い髪をタオルでぐしぐししながら、湯気を放っている。
僕のTシャツは少し大きいらしく、ダボッとしていた。
ハーフパンツも同じように、膝下まで届いている。
しかし、白くて健康そうな両脚はしっかりと見えていて、やけに色気があった。
普段、スカートだからよく見ているはずなのに。
明らかにお風呂上がりなひまりが、僕の服に身を包んでいる。
その姿はやはり、男心に響くものがあった。
かわいい。
それに、特別感がある。
それが何とか漏れないようにしながら、僕は冷静に言葉を返す。
「ぜんぜんいいよ、それくらい。普段お世話になってるんだからさ」
「それはお互い様でしょ~。ここまで迷惑かけるつもりじゃなかったんだけど、ひっどい雨だねぇ……」
ひまりは窓の外を眺めて、うんざりするように呟いた。
雨脚はなおも強いままで、一向に収まる様子はない。
この中を歩いて来たのだから、ひまりの凄惨な姿も納得だ。
「とりあえず、しばらく雨宿りしてきなよ。雨が弱くなったら、そのタイミングで帰ったほうがいいかもだけど」
「そだねー……。とりあえず、お母さんに連絡するよー……。スマホも使えるようになったしね」
ひまりは自分のスマホを持ち上げると、いたずらっぽく笑う。
そのままスマホをイジり始めていたが、あっ、と声を上げた。
苦笑しながら、僕のほうを見る。
「電車、止まってるって」
「あぁ……」
僕は再び、窓の外に目を向ける。
この大雨じゃしょうがない。
けれど、ひまりはしょうがないじゃ済まないだろう。
少なくとも、しばらくは帰りたくても帰れそうにない。
ひまりは苦笑したまま、僕の顔色を窺う。
「もし電車が止まったままだったら、ここに泊めてくれる?」
「それはぜんぜんいいけど……」
いや、よくないけど……。
さらっと返事すると、ひまりは「よかった」と胸を撫で下ろす。
僕としては、「いや、さすがにそれはまずくないか?」と言いたいところだけど、彼女にとってはそうじゃない。
兄か弟の家に泊まる~、くらいの感覚だ。
でももし、本当に泊まるとなったら、僕の心臓が持たないような……。
嬉しいような、怖いような……。
「こーたろー、ドライヤー借りていい?」
「いいよー」
……まぁそれは、そのときに考えればいいことだ。
雨もずっと激しいままとは思えないし、じきに電車も動き出すだろう。
ひまりはドライヤーを手に取る。
しかし、スマホがメッセージの着信を告げて、そちらに目を向けた。
「わ。すっごく通知溜まってる。返さなきゃ……」
彼女はそのまま体育座りになって、ぱたぱたとスマホをイジり始める。
さっきの話ではないが。
なんというか、本当にお泊まりのようだ。
僕の服を借りて、タオルを首にかけて、濡れた髪のままスマホをいじるひまり。
珍しい格好と珍しい姿勢に、やっぱりかわいいなぁ……、と惚れ直してしまう。
そもそもの顔立ちがとっても綺麗なわけで、基本的には何をしていても様になるのだ。
美人だよなぁ、と見惚れそうになる。
あんまり見ているとバレるから、適度に視線を外すけども。
しかし、思うところもあった。
「ひまり。早く髪乾かさないと、風邪引くんじゃない?」
「んー……わかってるー……」
僕の小言も耳に入っている様子はなく、形だけの返事をする。
ひまりが僕に注意することはよくあるけど、その逆は結構珍しい。
確かに、女子高生としては、濡れた髪より通知の溜まったスマホのほうが大事かもしれない。
別に僕は、それに対して本当にじれったくなったわけではない。
普段なら、しょうがないなぁ、で済む話だ。
けれど、さっきの件で強く意識してしまった。
目の前にいるのに、触れられない。
彼女の肌に、決して僕の指は届かない。
ひまりは、僕をそういう対象として見ていないから。
だからだろう。
僕は普段と違う行動を取ってしまった。
「……僕がやるよ」
ドライヤーを手に取り、彼女の背後に座り込む。
そこでようやく、ひまりは僕のほうを見た。
「こーたろーが髪乾かしてくれるの?」
「だって、ひまりったらこのまま放っておきそうだし」
ここで、「いや、いいよ」とか「やめてよ」とか言われたら、やめるつもりだった。
女性にとって、髪に触れられるのは相応の意味があると思うからだ。
しかし、ひまりはにへっと笑った。
「えー、なぁにぃ。今日のこーたろー、サービスいいねえ。わたし、なんかした?」
……そういうふうに解釈したらしい。
まぁ家族になら、髪くらい触らせるか。
サービスいい、と言ったのも、彼女にとって髪を乾かすのが面倒な作業だからだ。代わりにやってくれるんだ~、くらいの意味合いでしかない。
だから僕も、相応の返事をする。
「ひまり、今日は何かと大変そうだったから」
「まぁねぇ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。ありがと~」
えへへ、と気の抜けた笑みを浮かべて、僕を見上げてくる。
本当に可愛らしい。
こんな笑顔を見せてくれるのなら、いつだってやらせてほしいくらいだ。
ひまりの髪にドライヤーをかけていく。
長い髪はしっとりしていて、普段と違ってまっすぐになっている。
ひまりの大事な髪だから、と僕は丁寧に乾かしていく。
髪を持ち上げるたびに、シャンプーの香りがふわりと浮かんだ。
うちのシャンプーだっていうのに、全くの別物のように感じる。
いい匂いだ。
やっぱり、髪の長い女の子が使うと違うな……、と思いながら、ゆっくりとドライヤーを向けていた。
すると、ひまりは満足そうな声を上げる。
「いやー、お姫様にでもなった気分」
「安いお姫様だな……。これくらいなら、全然してあげるよ」
「本当? 浩太郎、やっさしー。髪乾かすの、毎回面倒なんだよね~」
ひまりはからからと笑っている。
求めてくれるのなら僕はむしろやりたいくらいなんだけど、このような状況はもうないと思う。
そう思うと、よりこの時間が特別に思えた。
お風呂の出来事に凹んでしまったけれど、彼女の髪に触れられる人なんて、そうはいない。
今だけは、そのことに感謝しておこう、と思った。