17 シャワー
「シャワー浴びなよ。適当に着替え用意するから」
詰まることなく、自然に言えたと思う。
本当なら、こんなにスムーズに言えるようなセリフではない。
でも、ここで意識してる、なんて思われたら最悪だ。
ひまりが安心してシャワーを浴びられない。
それは一番よくない。
幸い、僕がどぎまぎしていることは彼女に伝わらなかったようで、ひまりは申し訳なさそうに笑った。
「ごめんねー……。ありがたくお借りします」
ある程度拭き終わったあと、彼女はそのままお風呂に直行していった。
濡らしてごめん~、と彼女が言うように、洗面所までペタペタと足跡がついている。
僕はすぐに、着替えを用意するために部屋へ戻った。
でも、こんなこと初めての体験だ。
女の子のために、着替えを探すなんて。
どれだ、どれがいい、と数少ない服を見繕うが、どれが正解なんてわからない。
結局は普段、部屋着にしているTシャツとハーフパンツになった。
まぁいいか……、と思い、僕は洗面所の扉をノックする。
緊張で手が震えた。
シャワーの水音が響いているから、裸のひまりと遭遇することはないはずだけど。
ひまりがシャワーを浴びている、という現象がどうしようもない緊張を与える。
「着替え、置いとくねー……」
声を掛けると、中から「ありがとー」と返事が来る。
ビクッとして身体が強張った。
うちのお風呂場を、今、ひまりが使っている。
生まれたままの姿のひまりが、薄い壁の先にいる……。
好きな子がすぐそばで裸になっている。
扉を開けてしまえば、彼女の裸体を拝むことができる。
そんな状況で、緊張しない男なんていないだろう。
僕が手を動かせば、好きな女の子の裸が見られるんだから。
「……………………」
もちろん、そんなことはしないけれど……。
僕は着替えを置き、そっと扉を閉めようとして、ぐっと喉が詰まった。
目に入ってしまった。
洗面所の端に、ひまりの制服が脱ぎ捨てられている……。
ずぶ濡れになったセーラー服が、スカートといっしょに重なる姿は、なんとも煽情的だった。
嫌でも意識してしまう。
あの下に、ひまりの下着もあるのだろうか…………。
「……………………」
僕は息を吐きながら、扉を閉めた。
なんとも目に毒だ。
身体中が熱い。
どくどくと音を立て始めた心臓を押さえつつ、僕は部屋に戻った。
しかし、どうだろう。
僕は正直、この状況をめちゃくちゃ意識してしまっている。
それはもちろん、当然なのだけれど。
このシチュエーション自体は、男女ともに緊張するはずだ。
ひまりも、多少は思うところがあるのではないだろうか。
緊張したり、意識したり。
普段と違うところがあっても、おかしくはないと思う。
大きく意識しなくてもいい。
ほんの少し、ほんの少しでも、何かを感じてくれれば。
もしかしたら、これがきっかけで変わるかもしれない。
僕にとって、これはとても大きな出来事だ。
そのほんのわずかでも、百分の一でも、ひまりが同じように感じ取ってくれれば。
何かが動き出すかもしれない。
そう願っていたのだが。
「こーたろー」
名前を呼ばれて、我に返る。
そのまま振り向いた。
僕はてっきり、お風呂から出て、着替え終えたひまりがいるものと思っていた。
僕の用意した着替えに袖を通し、お風呂ありがとー、と言うものかと。
しかし。
彼女は洗面所の扉を掴んで、顔だけをこちらに覗かせていた。
その白い肌――、肩先を晒して。
湯気を纏い、濡れた髪を揺らしながら。
まさしく風呂あがり。
顔だけしか見えていないが、扉に隠れた部分はきっと一糸まとわぬ姿だ。
彼女は素っ裸で、こちらに声を掛けている。
「ごめん、こーたろー。バスタオル借りていー? こっちにないよー」
「あ、あぁ、ごめん。忘れてた……」
真っ白になった頭で、どうにか返事をする。
あまりの光景にトリップしていた。
うっかりしていた。
着替えにばかり意識がいって、バスタオルにまで考えが回らなかった。
さすがにさっきのタオルで全身を拭くわけにはいかないし、彼女がバスタオルを要求するのはごく自然のことだ。
それは理解できるけれど、僕は脳が痺れるような感覚に陥っていた。
だって、扉で隠しているとはいえ、ひまりが全裸でこちらに声を掛けてきているのだ。
扉で隠しながら手を伸ばすひまりに、僕はタオルを渡す。
ちょっと踏み込むだけで。
視線を落とすだけで、彼女の肌が見えてしまう。
ひまりの裸が見える。
彼女に望まれて、僕は全裸の彼女に手が届く距離まで、近付くのだ。
僕は必死で平静を装いながら、「はい」とタオルを差し出した。
すると彼女は、「ごめんね、ありがとー」と言いつつ、タオルを受け取った。
ことさら隠す様子もなく。
大して恥ずかしそうでもなく。
特に意識した様子は見せず、扉を閉めた。
湯気と上がった温度だけを残して。
「……はぁ」
僕はその場で、ずるずるとしゃがみこむ。
力が抜けた。
どっと疲れた。
思わぬところで彼女の肌や、ドキドキしてしまうような姿を見て、嬉しかった部分はある。
僕だって男だ。
好きな女の子が手の届く距離で裸になって、肩だけでも見えたら興奮もする。
だけど、それ以上にがっくりした。
「本当に……、意識してないんだな……」
普通だったら、男の前であんな無防備になれるわけがない。
僕が少しでも理性が飛べば、彼女の腕を掴んでいれば、とんでもないことになる。
そして、そうなる可能性は十分にあり得るシチュエーションだったはずだ。
僕が、男だったら。
ほかの人相手だったらひまりは絶対にあんな姿を見せないし、そもそも男の部屋に上がらないだろう。
彼女は恋愛に憧れているだけで、ごく一般的な常識は持ち合わせている。
だから今の行動は、まさしく家族相手のもので。
だって、兄弟相手だったらあんなもんだ。
僕だって素っ裸でも、妹に「タオル取ってくんないー?」って言えるし、妹だってひまりと同じことをするかもしれない。
裸は見せないにしても、他人相手ほど必死には隠さないはずだ。
ひまりは僕に裸を見られても、きっとダメージはないと思う。
あれも多分、マナーで隠しているくらいの認識ではないか。
「あぁ……」
項垂れる。
いやな事実に気付く。
だって別に、洗面所の中からでも声は掛けられる。
ちょっと声を張ればいいだけだ。
さっきの着替えのように、洗面所に置いてもらってもいい。
肌を見せるのが少しでも恥ずかしいなら、いくらでも方法はあったはず。
年頃の女の子としては、そっちのほうがらしい行動だ。
だからまぁ。
つまり、そういうことなのだ……。
僕は何度目かわからない、大きなため息を吐いた。