12 穏やかな生活の始まり
「なら、こーたろー。こうしない? 浩太郎がわたしに勉強を教えて?」
「僕が? ひまりに? まぁそれは、全然いいけど……」
「でしょ? 浩太郎、勉強はできるもんね。わたし、来年受験生でしょ? だから、塾や家庭教師を考えるべきなのかな~、ってお母さんと話してたんだ。でも、浩太郎に教えてもらえたら、お金もかからないでしょ?」
かわりに、と言葉を付け足す。
「わたしが、こーたろーにご飯作ってあげる。浩太郎もさっき言ってたけど、人が来るってわかっていたら、ちゃんと生活するでしょ? 部屋は清潔を保てて、浩太郎もちゃんとしたご飯が食べられる。わたしは勉強を教えてもらえる。どう?」
それは、思ってもいない提案だった。
というか、僕にとっては嬉しいことしかない。
正直、食事について考えるのはうんざりしていた。
ひまりにこれだけ心配されても行動に移さなかったのだから、これから先も僕がどうにかするとは思えない。
人に手料理を用意してもらえるのなら、こんなにありがたい話はなかった。
しかも、好きな人の手料理だ。
それに加えて、ひまりが僕の部屋に来てくれる、と言うのだ。
自分が望んだこととはいえ、今まで毎日のように会えていたのに、ひまりとは全く会えなくなってしまった。そこはとても寂しかった。
それが、頻繁に会えるようになる。
しかも、ふたりきりで。
環境は変わった。
状況も変わった。
もしかしたら、今なら、ひまりは僕のことを異性として認識してくれるかもしれない。
少なくとも、実家にいたときよりは可能性があると思う。
だから、ひまりの提案は僕にとって良いことづくめ。
こんなに都合の良い話があっていいのか、と思ったほどだ。
うまい話すぎて、出てくる言葉も歯切れが悪いものになる。
「いや……、それは、願ってもない、提案だけど。でも、僕は勉強教えるだけでしょ? そんなことでいいの?」
申し訳なさで尋ねてみると、ひまりはむっとした顔になる。
「こーたろー、家庭教師や塾ってすっごくお金かかるんだよ? それがナシになるなら、おっきいよ。浩太郎に教えてもらえるなら気楽だしね。それに、浩太郎を放っておくのはもう嫌だし。わたしにとってもいいことばかりだよ」
そう言ってくれる。
金銭面のことを口にするのは、しっかりしているなぁ、と思うけれど。
ならば、これはお互いにメリットがあることなんだろうか。
好きな子といっしょに勉強するだけでも嬉しいのに、ご飯まで作ってもらえるなんて、夢のようだと思ったけど、釣り合っている取引なんだろうか。
それならば、僕に拒む理由はない。
「えと……、ひまりがいいのなら。お願いします」
頭を下げる。
すると、ひまりもその場で正座した。
同じようにぺこりと頭を下げる。
「こちらこそ、お願いします。浩太郎の頭の良さは信頼してるから。頼りにしてる」
頼りにしてる!
こんな嬉しいことを言ってもらえるなんて。
勉強していてよかった、とここまで思ったのは初めてかもしれない。
僕が感動に打ち震えていると、ひまりが笑顔でこっちを見ていることに気付いた。
そのまま、ゆっくりと告げる。
「じゃ、まず掃除ね。とにかく掃除。わたしはキッチン周りをやるから。こーたろーは、部屋やお風呂、トイレ。わかった?」
「……わかりました」
そのあと、ふたりでせっせと掃除を行った。
大掃除か、と言うくらい。
ひまりが体操服姿なものだから、学校での掃除時間を思い出したくらいだ。
おかげで、うちは久しぶりに、人に見られても平気なほど綺麗になった。
そしてその日は、ひまりが腕に寄りをかけて色んな料理を作ってくれた。
久しぶりに食べる手料理なうえに、ひまりは見事に家の味を再現していて、すごくびっくりした。
料理ができる、とは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
おいしいおいしい、と言って食べると、ひまりは「もー。がっつきすぎ」と呆れたように笑っていたが、彼女も嬉しそうにしていたと思う。
そうして、ひまりは僕の家に通うようになる。
ひまりは僕の家にご飯を作りに来てくれて、僕は彼女に勉強を教える。
ひまりが来るので、僕も部屋を清潔に保つようにした。
そうやって、僕たちの生活が始まったのだった。




