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ジャカルタ事変 2014   作者: 相鵜 絵緒
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4

 

 空港でタクシーに乗ってから、だいたい40分くらいだろうか、そのくらいの時間が経った後に、一つのマンションのゲートに入っていく。

それまでの建物と違って、とても整えられ、手がかかっている様子を感じる。

 そして、こんな真夜中なのに、守衛さんがちゃんといる。小さな建物(守衛さんの待機する建物)の近くで、タクシーがそれ以上進めないようにと太いバーが下がって、行く手を遮られた。

 三人の制服を着た守衛さんがタクシーの周りを囲み、そのうち一人が運転手に指示をして、トランクを開けさせ積んである物を確認する。後部座席側のドアも開けて、乗っているまみや将生の姿も確認し、タクシーの車体下に何か隠していないかどうか、専用の鏡を使って確認までしている。


「リマウナレジデンスに登録されている自家用車の場合、ここまでチェックは厳しくないんですけどね。」


 将生が、あっけにとられているまみに、状況を説明する。


「このマンションは、異国から来ている人が多いので、セキュリティにも力を入れているんです。ジャカルタで一番セキュリティが厳しいかもしれませんね。でも、その安心感から、ここを選ぶ人が多いのだと思います。」


 その分値段も高いけれど、ということはわざわざ言わなかったが、きっとそのうちわかることだろう。


「すごい。なんだか本格的ですねっ!」


 ライトアップも美しく、周りの木々を照らしている。さっき将生が言ったように、入り口でさえ、南国のホテルのようだ。と、そこで将生の携帯が鳴る。将生がインドネシア語で何か会話しているのが聞こえ、すぐに切ると、


「藤木さん達も、もう着いたようです。僕の自家用車なので、このタクシーとはまた違った入り口から入って、マンションの入り口すぐ前にいます。僕たちはタクシーなので、エントランスを通っていかなければならないので、ちょっと時間がかかります。僕たちがそこに行くまで、僕の運転手さんも共にそこで待っていてもらうよう、指示しておきました。なので、矢野さんは晴斗を抱いたまま、僕についてきてもらえますか?」


 と、まみに聞いた。まみは、うなずきながら、タクシーが寄せてくれたエントランスに呆然とした。


「す・・・すごく綺麗です。えっ?これ、ホテルじゃないんですよね?」


 タクシーから降りながら、まみは周りをキョロキョロ見回してしまう。まみのリュックと、将生のマザーズバックの両方を持ちながら、将生が後ろから降りてきた。


「ここが、今日からあなたの住むマンションですよ。」


 にっこり笑いながら、将生がまみに返事をする。


「わぁ~~・・・。」


 天井からは大きな大きなシャンデリアがぶら下がっており、ホテルのロビーのように、待ち人のための大きめな一つのテーブルとソファがある。守衛さんとは違った服装の、インドネシア人が3人居て、そのうちの一人、外にいた人がガラスの扉を開けてくれた。

 後で知ることだが、この3人は正式なコンシェルジュとドアマンと警備員と、三種類の職業に就く人々なのだが、その時のまみには違いがわからなかった。どうやら将生とコンシェルジュは顔見知りのようで、軽く挨拶を交わした後、荷物検査もないまま、内側に続くガラスのドアまで導いてくれる。


「ここにいるコンシェルジュ達が、中に入ることができる人物なのかどうか、いつも検査してくれています。荷物を預かってくれたり、出かける時はタクシーも呼んだりしてくれますよ。で、家の鍵にもなっているカードキーをこの解除機に当てると、マンション内に入るためのガラスのドアが開錠します。今日は、僕のカードキーを使いましょう。」


 説明しながら、将生は家のカードキーを財布から取り出し、ドアの近くに設置されている解除機に当てた。

「ピーッ。」という高い機械音が鳴り、同時にカチャッと鍵が開く音もして、近くで待機していたドアマンが思い切りドアを引いて開けてくれた。


「レディーファーストで。」


 という将生の言葉に、まみは少し照れたような笑みを返して、小さくお辞儀すると、マンションに続く石段の道を上り始めた。


 石段の両脇には、小さな池が数個あり、上の段から下の段に向けて水が流れるようになっている。そして、石段を登り切ると、目の前には小さな東屋と、その後ろに広がる青く澄んだ水の大きなプールがあった。プールの中には木を植えるスペースがいくつかあり、そこにはもれなく噴水とライトがついている。絶妙なライトアップと、プールに向かって噴射される噴水と、とても美しく幻想的な景色に、まみは息をするのも忘れてしまった。


 まみの後ろから階段を上ってきた将生は、まみの隣に追いつき、まみの顔を覗き込んでみた。すると、声も出せないくらいに魅入られた表情をしており、どうやらこのマンションが気に入った様子で、こちらまで嬉しくなってきた。


「気に入りましたか?」


 将生が横にいたことにも気づかないくらい魅了されていたまみは、突然話しかけられてビクッとしてしまったが、将生の微笑んでいる表情を見上げると、ホッとしたように、


「はい。とても。」


 とにっこりしながら答えた。

 そういう返しが来るだろうな、と予想していたけれど、実際に気に入ったという感想を聞けて、将生は思っていた以上に満足した。


「では行きましょうか。」


 今度は将生が先に立って、東屋から右に曲がって進んでいく。まみはまだ現実の景色とは思えなくて、ぽーっと周りを眺めながらも、将生の後を追っていった。


 プールを囲むように、3つのタワーがあり、東屋のサイドに2つ、東屋とプールを挟んで真正面に1つ、そしてその真正面のタワーより少し奥のサイドに2つの、合計5つのタワーが建っている。それらのタワーが、どうやらこのマンションの住居スペースのようだ。


「詳しいタワーの説明はまたおいおいしていくとして、今は僕の住んでいるタワーに向かいましょう。こちらから見て、右手奥のcotton woodというのが、僕の住んでいるタワーの名前です。そのタワーの地下に駐車場があって、藤木さん達はそこで待っていてもらっているんです。」


 まみの歩く速さに合わせながら、将生はゆっくりと、通路でもあるプールサイドを歩いていく。周りに山がない土地のため、タワーとタワーの間には、夜の闇が広がっている。でも、曇っているのか、あまり星は見えなかった。そういえば、ジャカルタは車が多くて、空気があまりきれいではないと聞いた気がする。


「はぁぁ~・・・。」


 あまりに感動すると、言葉が出てこないというのは本当らしい。まみは溜息のような息を吐くのが精いっぱいだった。寝ている晴斗を軽くおさえるような形で抱っこしつつ、周りを何度も見回してしまう。その様子が、将生にはとても新鮮で、微笑ましいものに映った。



 二人がゆっくり歩いて、辿り着いたタワーには、また小さなレセプションのようなものがあった。そこにもコンシェルジュが立っており、将生達が歩いてくるのが見えたのだろう、ドアを開けて待っていてくれた。

 ここも、将生の顔見知りだったようで、軽く挨拶を交わした後、先ほど使ったカードキーをまた出して、建物の内側のドアの近くにある解除機にかざした。今度は大きな機械音はしなかったけれど、将生が思い切りドアを引くとスッと開き、まみと晴斗を通してくれた。


 ドアの内側に入ると、そこはエレベーターホールで、6つのエレベーターがいろいろな方角を向いて備え付けられていた。将生はホールに入って右に曲がり、突き当り左側のDと書かれたエレベーターの前に立つと、下に向かうボタンを押した。


「ここはGフロア、ground floor、つまり地上階です。これから、地下のparking floorに向かいます。」


 そう言うと、来たエレベーターに乗り込み、Pと書かれた階上ボタンを押した。少ししてからエレベーターが開くと、Gフロアと同じようなエレベーターホールに着き、ホールから出るとまた同じようなレセプションがあった。すると、そこで、ソファに座っているあゆみと、そのあゆみの膝で眠っている瑛斗が目に入った。


「お姉ちゃん!」


 空港まで一緒だったのに、ここに来るまでにいろんな景色を見たからだろうか、長い間会っていなかったような気持ちになる。最早懐かしい。


「まみ!良かった。無事に着いたんだね。晴斗君は寝ているかな?こっちももう車の中からおねむだよ。」


 ちょっと困ったような顔で、あゆみがまみに報告する。でも、あゆみも、初めての場所でしばらく待っているのは心もとなかったようで、まみの登場にホッとした顔をしていた。


「遅くなってしまって申し訳ありませんでした。ところで、藤木さん達の住むタワーはどちらでしょうか?これから荷物を運ばせますよ。」


 将生が二人の間に入って、今後の動きを始めようとする。何しろ、まだこちらは夜中で、みんな早くゆっくり休みたいはずだ。


「あぁ!それがね、うちもcottonだったんです。だから、さっそく裏から荷物を運んでもらうことになって、運転手さんとコンシェルジュさんが力を貸してくれてるところです。」


 そう言ってあゆみは、大きな荷物用カートをコンシェルジュさんが出してきてくれたこと、運転手さんが荷物を車から降ろしてくれ、そのカートに荷物を積み込んでくれていることを伝えた。


「大きな荷物は、一気に裏口から運び入れるんだって。だから、まみと合流したら、二手に分かれて、部屋に入って裏口の鍵を開ける人と、裏口用のエレベーターに乗ってカートを運ぶ人と、分かれないといけないんだ。」


 あゆみがまみに説明すると、それを聞いていた将生が


「あ、良ければ僕が裏から回りますよ。裏のエレベーターはちょっと・・・エレベーターそのものも薄暗い裏の方にあるし、深夜に女性を乗せるような乗り心地の良い物でもないですし。ただ、一回僕もこの大きなスーツケースだけ置いてきて良いですかね。」


 と言い出した。その言葉に、あゆみがびっくりして問い返す。


「そんなことまでお願いしちゃって良いんですか?」


 すると、将生は苦笑しながら


「もう、ここまで来たらお互い様ですよ。重たい晴斗をずっと抱っこしてもらって、助かっているのは僕の方です。そう思えば、荷物を運ぶことくらい、何でもないです。そして矢野さん、その時まで晴斗をお願いしても良いでしょうか?」


 と、まみに尋ねた。


「もちろんです。」


 急いでまみは答える。自分たちの荷物を運んでくれる将生に、今すぐ晴斗を渡すわけにはいかない。


「よろしくお願いします。では。」


 二人で晴斗についての確認が取れたので、将生はさっそく行動に移し始めた。まず、運転手のところへ行き、自分のスーツケースだけを受け取ると、先ほどまみ達と共に出てきたエレベーターホールの方へ向かう。と、途中で振り向き、


「あ、荷物は裏口から届けますから、藤木さん達もお部屋の方へ向かってください。裏口にチャイムがあるので、それを鳴らします。そしたら、のぞき窓から僕がいるのを確認して、それから鍵を開けてくださいね。」


 と、まるで保護者かのように、よく言い聞かせる。

 その様子に、あゆみがふふっと笑い、


「はい。わかりました。それではお言葉に甘えて、先にお部屋で待っていることにしますね。」


 と答える。そして、財布から将生の持つカードキーとそっくりな物を取り出すと、まみに手渡す。


「私、瑛斗を抱っこするから、鍵はまみが開けてくれるかな?」


 まみの方が、抱っこひもで晴斗を固定している分、手が空いているのだ。


「いいよ。」


 と言ってキーを受け取ると、さっきは将生が開けてくれたのを思い出し、エレベーターホールへのドアにある解除機に近づき、カードをかざした。すると、将生はスーツケースをその場に置き、ドアをスッと開けてくれた。


「ありがとうございます。」


 そう言ってから、まみがまず通る。その後、ドアを思い切り開けて閉じないよう固定し、将生がスーツケースを押しながら通る。そして最後にあゆみが、「よっ。」と掛け声をかけて瑛斗を抱っこし、エレベーターホールに入った。


「お姉ちゃん、どっちに行けばいいの?」


 そういえば、部屋の番号を聞いてなかったな、と思いまみが聞くと、


「んーと、C8Eって言われたから・・・。Cってどこかな?」


 とあゆみが答える。その言葉に、将生が少し驚いた顔をする。


「最初のCはcottonの頭文字ですよ。それは、cottonタワーの8階のE方面ってことです。」


 将生がそう言い、みんなの先頭に立って右に曲がると、Eと書かれたプレートの下にあるエレベーターのボタンを押してくれた。

そして、


「それにしても、驚いたな!部屋まで同じ階じゃないですか!!」


 隣にある、自分の使用するDと書かれたプレートの下のエレベーターボタンを押しながら、将生は驚きを隠しきれない様子で声を上げた。


「そうなんですか?」


 まみも少なからず驚いた顔で答える。


「そうなんですよ。・・・なんだか御縁を感じますね。」


 将生は嬉しそうに笑いながらまみに答えた。


「そうそう!エレベーターの中に、階上ボタンがありますが、それには触らないでください。ボタンを触ると、動きませんから。ボタンではなく、さっきの解除機のような、カードをかざす場所があるので、そこにカードをかざして下さい。そしたらエレベーターが自分の使用階まで上がってくれます。」


 将生がそう説明してくれなければ、まみ達はずっと部屋まで上がれなかったかもしれない。自分たちの使用階のボタンを押して、動かないエレベーターにずっと乗っていることになったかもしれないのだ。聞いておいて良かった、とまみは将生に感謝した。

 Eのエレベーターが先に来た。まみ達の乗るエレベーターである。


「それでは、お先に失礼します。裏口で待っていますね。」


 まみがそう将生に挨拶してから、言われたようにカードキーをかざす。すると、8階のボタンにランプが灯った。なるほど、このボタンは押すためにあるのではなく、行き先を示すためにあるものなのだ、と理解する。ドアが閉まり、ちょっとした浮遊感の後、8階で止まる。乗り込んだのとは反対側のドアが開くと・・・


「あれ?もう玄関?」


 あゆみがびっくりして声を上げた。まみも一緒に驚いていた。

 てっきり自分の部屋に続く廊下に着くのだと思っていた二人は、突然自分たちの家の玄関に着いたので、驚いたのだ。エレベーターに乗った時に階上ボタンを押しただけでは動かないわけだ。それなら誰でも家の玄関に入ることができてしまう。カードキーはまさしく家への鍵であったのだ。


「一家庭に、一つのエレベーターが付いてるってこと?」


動揺しながらまみが聞くと、


「いや、Eの人たちで1つのエレベーターを一緒に使っているわけだから、一家庭に一つってわけではないだろうけど・・・。一つの停車階に、一家庭ってことかな。」


 と、あゆみが分析しながら答えた。

 とりあえず二人ともエレベーターから降りてみた。すると、人を感知したのだろう、自動で玄関の天井の電気が付いた。

 エレベーターのドアは自然にしまり、でも夜中に使う人がいないからだろう、エレベーターのドアの上にあるエレベーターの現在地を示すランプは、8のまま変わらない。


 二人がエレベーターを背にして前を向くと、大きなドアが閉まっていた。


「ここの鍵は?」


 さすがにここには解除機らしきものは見当たらず、カードキーも役に立たなさそうだったので、まみがあゆみに尋ねた。


「えっと、前任の方に渡されていたのは、このカードキー1個だけなの。・・・どうしよう、ここの鍵は渡されてないわ。」


 ちょっと焦るような声に、まみも少し不安になる。


「えっ…。じゃぁ、このままここでどうしよう…。」


 この後、「近くのホテルまで移動する」という案が頭をかすめる。でも、大人だけならまだしも、幼い子どもがいて、しかも眠っている。引っ越し用の大荷物も持ってきたばかりだし、土地勘も無いうえ、何より今は連絡先もわからない将生と裏口で待ち合わせしているのだ。


「こじあけようかっ!?」


 ちょっと乱暴な意見があゆみから出てくる。あゆみとしては、自分の家に行くまでの間だけ、瑛斗を抱っこしたはずが、これからどのくらい抱っこしなければいけないかわからなくなるなど、想像しただけで疲れ果ててしまう。

 起きて自分からくっついてくれるならまだしも、意識なく寝ている3歳児は、けっこう重い。


「そうだね!髪の毛のピンとか使えば開くんじゃないかな!?」


 いつもはあゆみの横暴を止める係のまみも、ここにくるまでいろいろと想定外のことが起こり(良いことも悪いことも)ほとほと疲れていたのだ。


「とりあえず二人で体当たりしてみない?」


 あゆみが言う。


「子ども抱っこしたままだと、子どもがケガするかもしれないよ。蹴り上げるくらいじゃないかな?」


 まみも止めていない。


「とりあえず、引くドアなのか、押すドアなのか、ノブをガチャガチャしてみようよ。」


 まみが提案し、空いてる手でドアノブをガチャガチャしようとした。すると・・・


「カチャッ」


 すんなりノブが回り、あれっ?っと思ったまみの勢いのまま、ドアは玄関とは反対側、部屋側に向かって押し開けられた。


「・・・・・。」

「・・・・・。」


 二人とも言葉が出ない。

 入ってすぐの小さく低いテーブルの上に、ちゃんとここの鍵と思われる鍵束がそっと置いてあった。


「・・・・とりあえず、靴脱ごっか・・・。」


 疲れた、掠れ気味の小さな声があゆみの耳に届いた。


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