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ジャカルタ事変 2014   作者: 相鵜 絵緒
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 なんとなく、まみ達に接した担当官は、いじわるそうな顔をしているな、と感じた。


 でも、まじめな顔をしてお勤めする人は、みんなこういう顔なのかもしれない。とまみがのんきにも思いなおそうとしていた時だった。


 日本語以外の言語の取得が苦手なまみは、海外に渡航するほとんどの準備や諸々のことを姉のあゆみに任せていた。この時も、パスポートをまるごとあゆみに渡し、瑛斗と手をつなぎ、まみを気に入った晴斗を抱っこひもで抱っこしていた。

 今までに何ヶ国か旅行へ行ったことがあるが、最初の時こそイミグレでドキドキしたことはあったが、毎回すんなり通り抜けられているので、この時もそんなに意識はしていなかった。なにしろ英語に堪能なあゆみが一緒にいるのだ。

 まみにとってあゆみは、世界で一番頼りになる人間なのだ。


(インドネシアに着いたのに、あんまり暑くないなぁ)


とか、


(晴斗君はこの後伊藤さんと二人で大丈夫だろうか)


とか、そんなことを考えていた。


 すると突然あゆみが大声を出し、担当官とやりあい始めた。まみはビックリして、でも早口の英語で話す内容が全くわからず、どうしていいのかオロオロするばかりだった。あゆみが一生懸命説明しようとしても、担当官はただ首を振るばかりで、あゆみはしだいに焦った顔をし始めた。


(どうしよう、お姉ちゃんが困ってる!)


 まみにとって、優秀で、絶対的に信頼できるあゆみが窮地に立たされるということは、なかなかにないことで、まみは心臓がぎゅっとされたような不安感に襲われた。

 なにしろここは異国の地だ。

 いつもの常識が通じない場所である。しかも、担当官もあゆみも、しきりにまみの方を見ながら話しているように見える。なんだろう。私の何かがおかしいのだろうか。服装?ここはイスラム教の国だから、肌を露出しちゃいけないんだっけ。でも、そこまで露出してないはずだけど・・・。犯罪者に見えるのかな?もしかしたら、ここで捕まったりするのだろうか。


(このままこの国に入れなくて、でも日本に帰れなくて・・・この小さな子達のこと、どうしよう・・・)


 まみもあゆみと一緒に、いやそれ以上に動揺してヒヤヒヤし始めた。考えも、どんどんマイナスになっていく。心なしか、呼吸の仕方がわからなくなりそうだ。瑛斗とつないでいる左手が、汗でじっとりしてきた気がする。

と、そんな時、


「ちょっと失礼。」


 まみの後ろにいた将生がすっと前に出て、あゆみと担当官の間に入っていった。

まみは、将生の存在をすっかり忘れていたから、とてもびっくりしたものの、思った以上の安堵感を覚えていた。

 まだ何もしていないのに、何となくもう大丈夫だ、と勝手に思ってしまったのだ。そういえば、さっきまで隣に座っていたから気づかなかったけれど、とても広い背中だし、自分よりずっと高いところに頭がある。そんな将生の後ろ姿に、まみは少しの間見とれてしまっていた。


 彼の話し出した言葉は、英語の苦手なまみにもすぐにわかる。これは英語の音ではない。でも、相手の担当官も同じように話しているところを見ると、どうやらインドネシア語らしい。どちらにしろ、まみには話している内容はわからない。担当官は将生のことは見ず、ずっとこちらを見ているままだ。だが、将生の言葉に少しずつうなずき返し始めている。そして、将生が自分のパスポートを差し出し、尚も話を続けると、担当官もあっさりうなずき、


「GO」


と、まみにもわかる英語で通行の許可を出してくれた。


 まみは心底ホッとして、お辞儀をしながら


「Thank you」


 と担当官に言いながら、横を通りぬけた。その様子を見ていた将生が苦笑する様子が横目に入る。そんな将生を不思議に思ったものの、また何か言われて、許可を取り消されては困る、と、まみはささっと小走りでその場を去った。

 担当官から少し離れて、姿が見えなくなった辺りまで来たときに、そこでやっとインドネシアの空気を吸えた気がした。




「これがジャカルタかぁ。」


 離れた場所に来て、あゆみがぽつりとつぶやいた。


「洗礼受けちゃったな・・・。伊藤さん、ありがとうございました。」


と少ししょげているあゆみの言葉に、将生は


「いえいえ。藤木さんには、来て早々ついてなかったというか・・・。まぁ、最初にこういうことがあれば、今後ちゃんと対策できるっていうか・・・。」


と、何となく煮え切らない返事を返した。まみは二人の会話の内容がよくわからなくて、


「お姉ちゃん、どうしたの?何か私の服装に不備があったの?なんとなく、二人でこっち見ていた気がするから・・・。」


と聞いてみた。すると、あゆみは少し困ったような顔をして、それから一度将生を見てから、将生がうなずいたのを見て、


「ん~・・・ちょっとやられちゃったんだよね。」


と話し出した。


「まみももう20歳超えたし、大人の世界がきれいごとだけじゃないってわかってると思うけど。この国では特に、お金がものをいうのよね・・・。」


 まだまだなぞなぞめいていて、まみにはわからない。


「ええと・・・、藤木さんや矢野さんが特に悪かったわけじゃなくって、ちょっとしたいいがかりだったんだけど・・・。こういうことってこの国ではよくあることで。とりあえず、君たちが無事に通るためには多少のマネーが必要だったってことなんだよね。」


 あゆみの言葉を将生が代弁してくれた。


「ということで、伊藤さん、おいくらでしたか?お支払いします!」


とあゆみが将生に申し出た。


「あ!あぁ、いえ、そんな大金ではないですし、この地の先輩として、歓迎の意味も込めてこの件は僕が出します。気になさらないでください。とりあえず、みんな通過できて良かった。こういうことで揉めると、長いですから。もう深夜ですし、早く帰って休みましょう!」


 そう言って、将生はこの話を切り上げて、荷物の出てくるターンテーブルの方へ向かってしまった。まだよくわかっていないまみに、あゆみが


「つまり、賄賂を渡したって話よ。」


 とこそっと教えてくれた。あゆみが教えてくれた話によると、

「パスポートの写真と、本人の顔が違っている」といわれ「このままではここを通せない」、

と言われたようだ。日本であればそんなことない!と話せばわかってくれるかもしれない。そう思ってあゆみは一生懸命説明しようとしていたのだ。

 だが、担当官の「本当に望んでいたこと」は、本人と写真が同一人物だと証明することではない。彼の「本当に望んでいたこと」は、ちょっとしたポケットマネーなのだった。

この国に慣れている将生は、すぐにそのことに気づき、間に入ってくれた。そして、自分のパスポートを差し出したとき、パスポートの下に数枚の紙幣を隠して渡していたのだそうだ。どうりで、将生がパスポートを渡した直後にさっさと自分たちを通してくれたわけだ。


「なるほど・・・。」


 そんな相手に対してお礼とお辞儀を返したまみに、将生が苦笑した理由もわかった。


「・・・そっかぁ。」


 まみとしては、とても困ってオロオロしていたところへ、さっと間に入って問題を解決してしまった将生が、とてもかっこよく見えていた。自分のわからない言語を操り、自分たちの窮地を救ってくれたのだ。22歳の女の子としては、そんな世慣れたことをされたら、イチコロではないのだろうか。


(でも、賄賂デショ?いけないことしてるんだから、かっこよくなんかないよ!それに、伊藤さんは晴斗君のお父さんなんだから。奥さん入院中で大変みたいだし・・・)



 まみは心の中で今の出来事を、心の中のキラキラしたものを入れる箱へ入れてはいけない!と自分で自分に釘を刺した。


 そんなことがあったので、「インドネシア人は信用ならない」と、肝に銘じていたはずなのに、荷物受け取りのターンテーブル周りでも、まみはまたやらかしてしまう。


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