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2.驚きの住居

「名前は?」

「凪」

 章に名前を問われて、凪は少し躊躇したが、男性でも違和感がない名前なので大丈夫だろうと思い実名を答えた。

下手に偽名を教えて呼ばれた時に反応できないと疑われそうだし、凪を心配して家へ泊めてくれると申し出てくれた章に対して性別を偽っている後ろめたさもあり、名前くらいは本当のことを伝えようと思ったのだ。


「高校生か?」

「社会人だ。スーパーで働いている。今朝電話して一ヶ月休職にしてもらったから、今は無職かもしれないけど。章は大学生?」

 同棲相手と同じ大学生かもしれないと、凪は思わず後ろに下がってしまった。大学生が全てあの男のようだとは思っていないが、凪の体が殴られ支配されていた記憶を覚えていて怯えてしまう。


「いや、俺は勤労高校生なんだ。工場で働きながら定時制の工業高校に通っている」

 章の返事を聞いて凪はほっとしたように微笑んだ。背伸びしなくてもいい相手だと安心する。


「怪我は大丈夫なのか? 病院へ行くか?」

「指はちゃんと動くから骨は折れていない。病院へ行くほどではないから、心配いらない」

 凪は章の気遣いが嬉しかった。異性からこんな風に心配されたのは初めてかもしれない。

 だからこそ凪は罪悪感を覚えていた。章が女性を恐れていると知りながら、凪は少年の振りをして泊めてもらおうとしている。もし凪が女だと知られてしまうと、彼を益々女性嫌いにしてしまいそうだ。

 しかし、凪はたった一人見知らぬ街で夜を明かす勇気もなく、何より不安で誰かにすがりたかった。

 

「何か買って帰ろう」

 章がコンビニに誘うと、凪は朝から何も食べていないことを思い出した。お腹に入れたものは自販機で買ったペットボトルの水のみ。さっきまでそれどころではなかったのに、凪は急に空腹を感じてしまう。


 章の後に続いてコンビニに入ると、店内はとても明るい。凪は女であることがばれてしまうのではないかと心配したが、章は気にする様子もなく弁当を選んでいた。


「何か食べたいものはあるか?」

 夜に重たいものを食べると太ってしまいそうだし、肌にも悪いと考えて、凪は苦笑する。

 少年のような格好で見知らぬ男の家に泊めてもらおうとしている自分が、まだ体のことを心配しているのかと呆れてしまう。

「僕はうどんがいい」

 凪がそう答えると、

「レンジで調理するやつが売り切れている。焼きそばかパスタならあるけど」

 調理麺コーナーを見ながら残念そうに章が答えた。


「冷凍の麺があるから、これにする。コンロは使わせてもらえる?」

 凪は冷凍コーナーで二個入り百円の冷凍うどんを見つけ、手に持った買い物かごの中に入れた。

「IHコンロで良ければうちにもある。鍋はあるけど、具はないかも」

「醤油は?」

「それくらいならある」

 凪は刻みねぎと六個入りの卵バックをかごに入れる。そして、顆粒だしを選んでレジに行こうとすると、章が凪の手から買い物かごを奪い取って、自分が持っていたチャーハンとサラダをかごに入れた。


「待って! 僕が買うよ。泊めてもらうんだから」

 ためらいもなくレジにかごを持って行こうとする章。凪はそんな彼を慌てて止めた。

「さっきの礼だから気にするな」

 凪がリュックサックから財布を取り出そうとしている間に、章はさっさと料金を払い終えていた。


「ごめんね」

 働いているとはいえ、高校生にお金を払わせてしまったことに、凪の罪悪感は更に増していく。

「こんな金額で礼を言われる方が恥ずかしいから。とにかく、さっさと帰ろう。 飯食って、風呂に入るぞ」

 レジ袋を下げた章が笑顔でコンビニを出て行く。女の子を追い払っただけで買い物までさせて良かったのかと悩みながら凪は後について行った。


 章は怪我をしているかもしれない凪を心配して、いつもよりかなりゆっくりと歩いていた。その後を凪は少し距離をあけてついていく。



 五分も歩いた頃、十階建ての豪華なマンジョンの前に着いた。

 オートロックのドアを開け中に入ると、制服を着込んだ警備員が立っている。凪が小さく頭を下げると、警備員も頭を下げた。

 エントランスはとても広く、まるで高級ホテルのロビーのようだ。


「このマンションの八階に住んでいるんだ」

 壁と一体化したようなエレベーターのボタンを押しながら章が言う。マンションのあまりの豪華な佇まいに凪は不安になるが、いまさら帰るとは言い出せない。

 すぐにエレベーターがやって来て二人は乗り込んだ。


 エレベーターを降りて廊下を曲がると、まるで一軒家のような門があり、その奥には豪華な玄関ドアが見える。章がドアを開ける。そこは凪が想像していたよりかなり広い玄関だった。


「こ、ここに一人で住んでいるの?」

 凪の声が上ずっている。地方都市とはいえ、これほど豪華なマンションが安くないだろうということは、生粋の庶民である凪にもわかった。十九歳の勤労高校生が住むところとはとても思えない。

「そうだ。一人住まいだから気を使わなくてもいい。とにかく上がって。まずは飯だよな。台所はこっちだ」

 何でもないように章が答える。何か深い訳があるのかもしれないと、凪はそれ以上聞かないことにした。


 章が案内したキッチンは十畳ほどの広さがあり、三十畳程のリビングとバーカウンターで区切られていていた。飲食店並の大きな冷蔵庫とオーブンが置いてあったが、全く圧迫感がない。

 あまり調理をしないのか、キッチンは綺麗に保たれていた。


「自由に使っていいから」

 章の言葉を受けて、あまりに広いキッチンに臆しながらも、空腹に負けた凪は置かれていた鍋を手に取った。

「章もうどん食べる? 二玉あるからできるよ」

そう凪が訊くと、章は嬉しそうに頷く。

「俺の分も作ってくれるのか。それは楽しみだ。凪はチャーハンとサラダは食う?」

「チャーハンは少しだけ。サラダは食べたい」

 凪がそう答えると、章はチャーハンを電子レンジで温め、皿を出して取り分けた。

 

 鍋で食べることになるかもと思った凪だが、丼鉢も五客揃っている。熱々のうどんを鉢に入れて生卵を割り入れ刻みネギを入れると、見事な月見うどんができあがった。


 バーカウンターの向こうには六人がけのダイニングテーブルが置かれている。章と凪はそこにうどんとチャーハン、そしてサラダを運ぶ。


「すげー美味(うま)い。体が温まる」

 しばらく聞いていない美味しいという言葉を聞いて、凪は泣きそうになる。

 御飯を作るのは凪の役目だったが、同棲していた男は感謝も褒める言葉も口にすることなく当然のように食べるだけだった。

 住むところと食べるものを用意して、性欲のはけ口さえも提供していた、本当に便利な女だったのだと、凪はつくづく情けなく感じていた。


「食べないのか? 冷めてしまうぞ」

 章のうどんは既に半分も残っていない。

 凪は慌てて食べ始めた。空腹を満たして体中に染み渡るようだ。こうして平和に食事をしていると、昨夜の出来事が遠い昔のように思えてくる。



「ここを自由に使っていいからな。ベッドのシーツはそのクローゼットに入っているので、自分でかけてくれ」

 ささやかな食事が終わり、章に案内されたのは十畳以上ある部屋だった。壁際にはセミダブルのベッド、反対の壁には机と椅子が置かれているが、それでも十分に広い。

「章はどこで寝るの?」

 章はベッドを凪に使わせるつもりらしい。凪は章のベッドを借りるつもりはなく、廊下で寝てもいいと思っている。



「俺の部屋は廊下の向かい。もちろんベッドもあるから、変な気を使わなくてもいいからな。ちょっと大きいと思うけど、俺のジャージがあるから持ってくる。とりあえずそれを着て寝るといい。新しい下着もあるけど使うか?」

「何から何まで申し訳ないけど、貸してもらえるかな」

 男性の下着を身につけるのは少し抵抗はあるが、凪は一日歩いて汗もかいていたので着替えたい思いの方が勝った。

「風呂とトイレはあっち。風呂は先に入るといい」



「広い!」

 着替えと大きなバスタオルを渡されて風呂に案内された凪は、脚を延ばして入ることができそうな湯船を見て歓声を上げた。体育座りのような格好で入らなければならない小さなアパートの湯船とは全く違う。

「じゃ、ゆっくりと入れ。遅くなってもかまわないから」

 はしゃぐ凪を見ながら、章は面白そうに笑った。凪は少し恥ずかしくなり顔を下げる。白い頬がほんのりと色づいていた。



 凪が疲れた体を湯船に浸けると、胸と太ももが湯にしみた。そこにはくっきりと歯型がついている。

 髪を切られて泣きながら許しを乞う凪に、男は痛めつけるように噛みつき、嬲るように犯し続けた。

 章と一緒にいる時は遠い記憶になっていた辛い思い出が、一人になると蘇ってくる。

 広い浴室で凪は一人涙を流していた。



 凪が風呂から上がると、章がリビングへと誘った。電気を落としたリビングに入ると、一方の壁面がガラス張りになっていて見事な夜景が目に飛び込んできた。近隣に高いビルはなく遠くまで見渡せる。凪が窓ガラスに近付いて下を見ると、大通りに自動車が行き交っているのがよく見えた。

「綺麗」

 思わず凪は呟いた。

「ここ、景色はいいよな。坂が多くてちょっと不便だけど」

 そう言う章は少し誇らしそうだ。この土地が気に入っているらしい。


「あ、流れ星!」

 キラキラと輝きながら星が流れた。あっという間だったので、凪は願い事を言うことはできなかったが、それでも、これから幸せになれるような気がしていた。



「俺も風呂に入ってくるから、適当に眠ったらいい」

 そう言って章がリビングを出て行く。あまりにも広いリビングに取り残された凪は、少し不安になり目を泳がせていた。


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