時の流れ
2009-05-04 投稿開始
2009-05-14 「コロッケ」追加
2009-05-28 「自分を見つめる季節」追加
2009-06-06 「針を落とす 緊張感」追加
2009-06-14 「時を忘れて 祈りを込めて」追加
2009-06-16 「亡父が好きだった 温泉」副題:「父と行った徳島県美馬市美馬温泉」追加
2009-06-19 「一日」追加
2009-06-29 「時を刻む いのち」追加
2009-07-03 「大切な 今日という日」追加
I do not change.
Writing By Takebondanuki
I do not change.
私は 何も変わっていない
I do not change.
もし問いかけられたら
何も変わらないよ
I do not change.
違って見える?
私の変化は何なの?
変わらないのに
どうして
そういうの?
I do not change.
昔の私 そして今の私
The mind is the same like old times.
Time is heartless.
あなたと出会った時のまま
私は変わらない。
あなたを愛する心も同じなの
The mind that loves you is also the same.
ただあの頃の私はあなただけしか見えなかったの
However, I in those days saw only you.
悲しいけれど 悲しいけれど
閉じられた 扉は もう開かない
あなたの間に 出来た深い溝はもう埋まらない
私は変わらない
I do not change.
I do not change.
どうすることもできないわ
もう忘れましょう
そんな時間があったねって
笑いましょう
笑って終らせましょう
お互いの傷を舐めあうのは
止めましょう
私は変わらない
I do not change.
I do not change.
**********
コロッケ
作詞:たけぼんだぬき
最近スーパーとかでしか
買わなくなった お惣菜
ちょっと前まで お肉屋さん
でサラダやトンカツ、コロッケ
等を買っていた記憶がある
あつあつのコロッケを二個
買って 歩きながら食べていた
汚れた手でも紙の袋に入って
いるから少しだけ顔を出して
ほくほくと食べる。
学校帰りの道すがら
食べるのがうまい
あんまりおそく食べると
夕飯がまずくなるので
考えて食べていた。
子供ながらに 食べ物だけは
贅沢なものだ
今でも肉屋にコロッケ売っている
だけど、どうしてもスーパーに
走ってしまうのだ
一度に全てが揃うからなのだが
考えてみると 便利だけれど
うまいものが なくなった
そういえば 紙芝居も見ないな
地域によってはまだしているらしい
TVが 何でも放映してくれる時代
そうそう TVでも今のように
簡単に映らなかった。
5時から見ようと思えば
最低5分前にはスイッチを入れないと
映るまでの時間が長いのだ
始めに 音声が聞こえてくる
次に局面の画面中央から光の点が
広まって映像が映る
チロリン村やひょっこりひょうたん島
等はそんなTVで見ていたっけ
勿論白黒画面 どんな色なのかすら
分からなかったものだ
今はすごい技術の進歩で
カラーは鮮明だし クリアな画面
サイズも大きいし 何もかも
違う世界を見ているようだ
便利じゃない時代だったけれど
何故か 今より豊かだったと
思える
人々の心も 貧乏だけれど
豊かだった 自然も友だちも
全てが とっても温かだった
便利になる事は
幸せなことじゃない
と人々が気づいて
もう何年過ぎたのか
少しも 満たされない
日々が これからも
続いていくのだろうか
ふと そんな事を感じる
そんな小さな 思いが
僕の 胸の中に
いつまでも
あるのだろう
きっと
*********
自分を見つめる季節
作詞:たけぼんだぬき
皐月は 皐月病と言われる
心の病がある
何故一年の内でこの時期
なのだろう
何故自分を見つめる時期が
人にはあるのだろう
がむしゃらに生きている
人間には皐月病はない
生きている事に必死に
なっているからだという
本当にそうなのだろうか
僕は がむしゃらに生きてきた
時期に自分に問いかける
時間は 普通に生きてきた
時期よりも 多くあった
ような気がする。
忙しければ 忙しいほど
心の隅に 不安と焦燥とが
あって 眠る前等に
目まぐるしく 心の中を
駆け抜けたものだった
眠れなくなるほどに・・
人は本来 そういう感情の
生物なのかもしれぬ
一番自分を苦しめたのは
焦りだ
時が過ぎていくのに
自分は 毎日変らずに
生きている
そんな感覚が胸を占めていく
働いて その分の 報酬を
受けている
だから 何の文句も苦情も
言える立場ではないのだが
お金という代償に対する
報酬が多くても満たされなくても
胸にある焦りは変わらなかった
一年の過ぎ行く時間の中で
五月だけ そんな思いが
強くなり 自分を見つめる
時間が増えていく
そんな風に感じるのは
今年だけではない
この感覚は 私一人の
ものなのか
人に聞いたこともないから
分からないけれど
友人の一人は
全く私と同じ感覚を
持ち合わせていた。
一年という時の中で
何故 この季節 否
皐月だけ そうなのだろうか
今の私もまた
自分を見つめる時間が多く
なっている。
昔ほど悩む事はなくなった
自分の気持ちの対処法を
これまでの人生から
学んできたからだ
だけどそれは
根本の解決にはつながらず
こんな気持ちも ある時期が
過ぎれば小さな問題へと
変化していく
消え去るわけではない
ただ 大きなテーマとして
自分が向き合わなくなるだけだ
不思議な 月だね 皐月ってさ
こう感じながら 今を生きている
何の変わった事も なかったかのような
顔をして 過ごしている
これが 経験を重ねるという
意味なのだろうか
虚しいものだね。
経験豊富という事はさ・・・
この感覚が悟るという事なのかな
吾に心を従わせる
悟るか・・・
なるほどね
人生の機微をもっと 表現できたら
きっとこんな悔しい思いは
しなくてよいのかも知れない
文字を書き連ね 心のひだを
一本 一本的確に鮮明に
書き連ねても 心を表わした
事には つながらない
このもどかしさを
持ちながら また今日も
こうしてポエムを
書き続けていくのだろう
求めても 求めても
たどり着けない 心の旅
それでも 僕は 書き続ける
自分が 欲する 道だから
苦しみの中から 文字が
浮かんでくるように
大地の 地平線から
心という 太陽が赤々と
輝きながら あらわれるまで
僕は 歩き続けるんだ
一人の この道を
*********
針を落とす 緊張感
作詞:たけぼんだぬき
そういえば 最近
音楽を聞くとき
レコード盤だった
時代にあった
あの緊張感が
なくなった気がする
真新しいレコードに
スプレーをかけて
フェルト生地の
埃取りを 盤にのせて
掃除をする
黒い盤の 表面溝が
綺麗に並んでいるのを
確認して レコード
プレイヤーに載せる
回転を始める盤の上に
針を落とす
部屋全体に響く サウンド
針を落とす緊張感が
私は いつも大好きだった
廻るレコード盤から
弾かれるように 音が
飛び出してくる
部屋を駆け巡り私をつつむのだ
部屋には スプレーの香りが
漂い 音とのハーモニーを
かもし出すのだ
人工ダイヤモンドで作られた
針先がレコードの溝をトレース
していくとき 私の心は
ときめいた
大事にとってあった
レコードも
引越しの際に処分して
もう今はない
その代わり CDプレイヤーが
音を奏でている
レコードの アナログサウンドは
大きな音で 聞いていても
うるさいと 思った事はない
テープレコーダーに録音して
聞く事が多かったけれど
やはり レコードで聞くとき
音が弾ける感じがして
大好きだった
CDプレイヤーにはない
温かさがあった
私のアンプは 三極真空管
の手作りアンプ
2台作って ステレオで聴く
真空管のフィラメントが赤く
灯り しばらく待つ
完全に真空管が暖まると
スピーカーから雑音は消える
音は 三極管といわれたが
優しいまろやかなサウンド
になるのだ
部品をかき集めては
自分でハンダ付けして
組み立てる
それもまた 楽しみの一つ
時代は ICチップに移り
変わってしまったけれど
手作りサウンドの時代が
私に 音楽を好きにさせた
理由かもしれない
メリハリとまろやかさ
あい矛盾する二つを
求めていた時代
素敵な時代であった
音楽は 感性と言われる
私の 感性は
ギターと レコードに
よって 成り立っている
もう一度 レコードの
音を聞いてみたいものだ
あの 三極管 アンプで・・
********
時を忘れて 祈りを込めて
作詞:たけぼんだぬき
ささやかな祈りですら
吹き飛んでしまう 今の世の中
善が 善でなくなり 公然と
信念が通らなくなった時代に
願いや 望みなど 叶う事など
ありえないと 投げやりになっている
時代にも 不可能と思える事を
生涯かけてやろうとする
馬鹿が一人くらいいてもいいんじゃないか
時は私に問いかけてくる
それでいいのかって
お前はそれで納得しているのかってさ
納得のできる時代なんてきっと
千年待っても来ないわよ
もぎ取るのよ って言っていた
女性がいた なるほどその通り
それに反論の余地はない
どんな時代にも 人は
自分のもとめるものを
力ずくで 勝ち取ってきた
歴史もそれを 照明しているよね
その結果がいつも人々が
幸せになったのかというと
答えは No!! だろうね
人って不思議 欲しがるものを
手に入れたら 幸せかというと
そう感じられるのは 一瞬だけ
次の欲望が 頭をもたげてくるんだ
欲望深き 人類かも知れないね
ある学者が言っていた
人だけが流行を追い続けているって
確かに 人は 人が持っているものを
欲しがる傾向にある
その欲しがる人が多ければ多いほど
また人が欲しがっていく
次々と 流行は変化するけれど
何十年かすると また元のものに
戻っていく
人はそうして 時代を生きていっている
最近では 個性すら 流行の仲間入り
自分なりの自分に似合ったものを着ていると
それが流行ったりする
面白いよね 人ってさ
これからの 時代を生きていくのに
必要なものは 何なんだろうね
僕にも見えてこない 今の時代
小さな星にでも お願いしてみますか
これまでの 人たちのように
願いと 切望と 努力と 誠実さで
せいいっぱいにね
今というときを大切にしながら
前へ向いて 進みましょうか
迷いなど 一切もたないでね
でも 人って弱いもの
強がり言っても疲れるから
自分は自分らしくで
いいんじゃないかな
らしくっていい言葉だね
気取らずに やれば 良いんだよね
らしく さ・・・
*****
亡父が好きだった 温泉
副題:「父と行った徳島県美馬市美馬温泉」
作詞:たけぼんだぬき
季節は冬 寒い時期になると
父は温泉に行きたがった
連れて行って喜ぶ顔を
見るだけで僕は満足していた
だけど 冬は雪と凍結がある
山の温泉に連れて行くのは
嫌で 交通の便の良い温泉
に連れて行っていた
春になって暖かさを感じられる
頃に 徳島の美馬温泉に連れていった
徳島では一応名の通った
保養所のような温泉
香川県から見ると
山を挟んで反対側になる
車で走らせても結構時間がかかるが
違った温泉に入れてやるのも
よいかなと思った
父が喜んでくれた
湯船に浸ると 体に染み込んで来る
お湯だ
優しいお湯と きついお湯と
それぞれの 湯質の違いだろう
父は一番この湯を喜んでいた
リュウマチがあった父には
ぴったりだったのだろう
帰りには歩きにくそうに
していたのがさっさと
歩いて車まで歩いた
僕は嬉しくなった
連れてきた甲斐があった
と思った。
父なき後 行く事がなくなった
温泉 あの日の父の顔が
忘れられない
なくなる直前 美馬温泉へ
いきたいと僕にねだった
体がもっと元気にならないと
無理だよ 早く元気になろうねと
言っていたが 結局 父の
願いは叶わないままだった
父が亡くなって5年・・・
ふとあの頃を思い出す
温泉に連れて行きながらも
自分が楽しんでいた
一人でいきたいと 思わなくて
それ以来温泉には足を伸ばしていない
僕の病が 温泉で治るのなら
いいのに・・・
**********
一日
作詞:たけぼんだぬき
早暁
早暁 陽未だ登らず
闇の混沌たる中
目覚める
開いた網戸 明け方の風
冷たく 部屋を冷す
用をすませたくなり 目覚む
半分眠りの中 この瞬間
気持ちよし
寒く感じるので 窓を閉める
窓より見える 道路街灯の灯が
寂しく思える 布団にくるまり
もう一度眠りの世界へ
朝
いつも 目覚める 時間
6時半 TVを付ける
寝床より 起き出し
テーブルにつく
インスタントコーヒーを
いただく 眠気がとれていく
小さな角砂糖を スプーンに
一個乗せて コーヒーに
ゆっくりと溶けて行く様を
見つめている
朝の時間のコーヒーは
甘めにする
TVではニュースが 放送されている
パジャマ姿で うろうろする
PCの電源を入れたり 新聞を取り込む
ちょっとした自分のラフな時間
楽しんでいる
朝ご飯は 軽く パン一個だけ
若しくは 茶碗に軽くご飯一杯と
味噌汁 漬物 納豆
関西人だが 横浜生活が長かった
せいか 納豆は大好きだ
昔は 納豆と言えば 甘納豆しか
知らなかったっけ・・・
午前中は 色々と所用が
あって終る
お昼
いつも昼ご飯は うどん
その日によって 上に乗せる物が
変わる ゲソ天、さつまいも天
筍天、掻揚げ、天カス等々
卵を入れるのは 3日に一度
ちょっとリッチな気分
午後は 小説を書いたり
ブログの処理 本を読む
などして過ごす
通院のある日は朝から出かける
詩を書くのも大体午後から
朝から書くときはよほど
浮かんだ時だけ
朝の時間より 昼過ぎてからの
時間が たっぷりある感じがする
ゆっくりとした時間が流れる
仕事をしていた時は 一日が早かった
飛び去るように過ぎて行く時間
駆け回り 飛び回り 時間との戦い
静養しているとこんな感じなのかな
夕方
体調が優れない時は 軽く食べて
薬を飲み 眠る
わずかの時間だが眠ると
楽になる 時々だが
治らない時がある
重だるくて 辛い
頭痛も伴う
朝から 丸一日の時もたまにある
小説も ブログも 投げ出して
ただひたすら 眠る
夜
夕闇から 暗闇へ うつる頃
魚を中心に晩ご飯
ご飯はいつも軽め 一杯だけ
オカズをたくさん摂取するように
している
そして 汗を流す
シャワーが中心
ボディシャンプーが大活躍
体が 軽くなる感じが好きだ
たまに 風呂に入る
重だるさがなくなった頃
ぬるめのお湯にゆっくりと
浸るのが好きだ
そして 布団に潜り込む
TVを見ながら 眠りに付く
毎日同じパターンではないけれど
これが僕の 一日
何か 得られるものはと言えば
何もないのかも知れぬ
詰らない一日が 平凡に過ぎて行く
それでも 人に会う事も 良くある
食べに出かける時もある
変わらないと思っていても
昨日の自分より 少しでも
前に向いて進んでいれば
それはそれで 幸せと言うものだ
時間という ものが この世に
なければ 人は どうやって
生きていくのだろう
急かされる時間
長く感じる時間
楽しい時間
苦しい時間
無為に過ぎて行く時間
感動で 涙する時間
悔しくて どうにもならない時間
あらゆる時間は 僕のいのちが
感じている 内なる時間なのかも
知れない
それぞれの時間の集合体が
僕の生きている 時間なのだ
与えられる時間すら
長く感じるか 短く感じるか
全ての時間が 生きている証明
通り過ぎて行くだけの 時間
それでも きっと自分にとって
大切な時間なのだから・・・
心臓って すごいなあ
おぎゃあと 生まれて
息を引き取るまでの
長い時間を 休むことなく
鼓動を 打ち続けるんだ
自分の意思とは無関係にさ
いのちって すごいよなあ
これが生き様なんだろう
きっとさ・・・
*******
時を刻む いのち
作詞:たけぼんだぬき
一時 一刻
同じ時間を指す言葉
私は いっとき
という単位より
昔の いっこく
という言葉に
深い 味わいを感じる
人に とって 時は
いのちを ただ延ばした
結果ではない
むしろ いのちに
刻み込んだ 歴史
10年生きた人は
十年の 歴史が
50年生きた人の
歴史は 五十年
100年生きた人の
歴史は 百年の歴史が
その人の いのちに
刻まれている
刻む という素敵な概念
私の人生 様々な出来事が
私の いのちに 刻まれて
今の私がある
仮に どんなに
ささやかな 不幸な人生で
あったとしても その歴史は
深い重みを持って その人を
彩るのだ
だから 私は 人を 愛する
私にない 輝きを その人に
見るからだ
時代は 私が生まれた時とは
違って 何事も 高速で
便利で 豊かで あるように
思う
歴史を見ると 昔の人の
なんと豊かな 心根を
持っているのかと 感動する
ものも 便利さも いのちの
保障すら出来ない 時代に
何の躊躇いもなく 人を
大切な 生まれ故郷を
守る為に 自らの いのちを
投げ出し 大切な人が生活する
国土を守った
逃げ出すことだって 出来ただろう
槍を 刀を 武器を手に持って
戦い 負ければ 体中に傷を負い
体中から 血を ほとばらせ
死んでいった
戦争というものは そうしたもの
勝ったほうも 負けたほうも
何一つ 失わずに 済まされる
ことなど ないのだから
人間は 悲しい歴史を
次の時代へと 受け継がせ
また愚かな 戦いをするのだろうか
どうして 人だけが こんなに
宿業 深き生物なのだろう
手を取り合って どうして
豊かに暮らせないのだろう
どうして 自分だけが
幸せを求めようとするのだろう
分かち合えない事は
何と 悲しい事だろう
それでも私は こうして
人として生き
人として もって生まれた
自分の業に 身悶え 苦しんでいる
心の 自由を 束縛されぬ
いのちを 私は 持ちたい
人を 蔑み 人を のろい
人を 妬み 人を 尊ばない
そんないのちは 業という
暖炉に くべて 燃やして
しまいたい
真っ黒な 炎を 出して
悪臭を 放ち 燃えることだろう
自分の中に
醜い顔を持った
自分が いる
嫉妬に 苦しんで
どうしようもない
自分がいる
情けない 自分がいる
愛を 語るなど
おこがましい
事なのだろうか
今の僕には
こたえが
見つからない
これが 人・・・
なのかも知れない
---------
*********
大切な 今日という日
作詞:たけぼんだぬき
今日という日が 始まった
朝の光と共に 夜が明ける
静かに 陽が登ってく
地球が出来てから 46億回
以上の年を過ぎ 1兆6千億回
朝日が登って来た
それぞれの時が 何事も
なかったような 顔をして
過ぎ去っていった
私が生きた昭和 平成という
時代も後 一千年もすれば
忘れ去られるのだろう
宇宙時間という時計が
あるとすれば 一秒の
何兆分の一も満たない
瞬時の出来事なのだろう
それが 人という 生き物が
生きられる時間なのだ
一寸の虫にも 五分の魂というが
生物の寿命は このように
短く 儚いものなのだ
一日 一時間 一分 一秒
時間の単位は 人の寿命を
物差しに作られているのだろう
宇宙だと 時間は どんな時計
なのだろうか
距離の単位は 光年
時間も 光で計るのかな
こんな事を考えても
ピンとこない 距離 時間
人は 人らしく
自分の認識できる単位で
ものを見るしかないのだろう
もうすぐ七夕だ 一年に一回だけ
天の川という川を渡って
愛し合う星同士が逢えるって
考えてみるとロマンチックなお話
七夕にお願いをすると天に通じて
叶うという・・・
星のロマン 七夕
昔の人は 夢があったのだなあ
様々な神話伝説を、星に託して
伝えてきた
愛し合う人も また願いが叶うと
いいなあ
地球から 平和と 安心が永遠に
消えてなくならないように
人は 自分を規制せねば ならぬ
自由と 平等と 平和は
人によってのみ 達成できる
事なのだから
世界中の人々が 貧困と 差別と
殺戮と 暴力とがなくなる術を
真剣に考えなければならない
そうでないと 余りに 切ない
ではないか
宇宙から見れば わずかの時間しか
生きられない 生命なのに
生きている事の素晴らしさを
自らが 考えなければ
ならないのではないか
愛する 大切な 人の為に
世界中の 人類という
生命のためにも
全ての人々に 幸せを・・・
********