銀の代償
俺たちの仕事は自由を極めている。
特に行くべき仕事場もなく、仕事をする時間もまちまち。
上も過程は問わず、結果を出せば何の文句も言わない。
仕事が終わって仕舞えば、次の指示まで待機する他ない。何もすることがなく、怠惰を貪り尽くす生活に堕ちてしまいかける。
しかし、我が主はそれを良しとはしなかった。
午前七時。
カーテンから木洩れる朝日が、闇に埋まる部屋をぼんやりと照らす。
自然と、身体が覚醒しかけた。
そろそろ、起きる頃か。
でも、もう少し。と、体勢を変えて微睡む。
刹那、それを許さぬ陽光が一瞬にして部屋を照らす。
微睡んだ脳内にガツンと来る。
本能が、光を嫌う。
「あー、クソ……」
思わず、声が出た。
「おはよう。今日も気持ちいい朝だな」
聴き慣れた声が頭に響く。
隣を見ると、カーテンに手を伸ばしたマリーがいた。
「朝食は出来ている。急がないとナイトに全部食べられてしまうぞ」
「あー、分かったよ」
乾いた喉から辛うじて返事をする。
ため息を一つ吐き、重い身体をベットから起こす。
彼女は俺が朝が弱いことをよく知っている。いつだって起きてくるのは俺が最後だ。だからか、毎朝嬉しそうに俺を起こしにくる。
クローゼットを開き、ナイトウェアからいつものスーツに着替える。だらしない格好だとマリーに目を付けられてしまう。
まだマリーに出会って間もない頃、ナイトウェアで朝食を取ろうとしたら一時間ほど叱られてしまったことがある。ネチネチと、詰るように叱るスタイルは寝起きだととんでもないくらいに心に効く。
朝からあいつに絡まれるのはごめんだ。
「おっ、重役出勤とはな」
「やっぱり最後ね」
「……遅いよ、ポーン。ベーコンエッグが冷めてしまってる。温かいうちに僕が食べてしまった方が良かったと思うんだけど」
「勘弁してくれ。朝食もまともに取れないと一日動けなくなる」
広々としたリビングルームに大きな机が一つ。先に起きていた人達は既に朝食を取っていた。
手荒い歓迎を受けながらも、俺は空いている奥の席に腰を下ろす。
キッチンの方に目を向けると、ビショップが俺の分のコーヒーを淹れていた。
「あ、ポーンさん! おはようございます」
「おはよう、ビショップ」
明るく朗らかな声は、起きたばかりの俺の頭をすっきりとさせてくれた。
金髪の緑眼。さらりとしたロングの髪の上に紺の頭巾を被った、言うなれば修道女の格好をしている。
性格も大人しく戦闘も好まないため、気性荒くてカオスで殺伐とした奴らしかいないこの環境の中ではオアシスだ。
見た目、性格、どれをとってもまさにシスターである。しかしその実、宝石を扱うれっきとした魔術師だ。
「いつも朝遅くてごめんな」
「大丈夫ですよ。食べて頂ければ嬉しいです」
差し込む朝日の光もあってか、彼女の笑顔がやけに眩しく感じてしまう。
優しさが身に染みる。染み過ぎて少し痛い。
肩身が狭い思いをしながら、おずおずとトーストを口に運んだ。
「さあ、寝坊助が起きた所で今回の仕事を確認しよう」
朝食を取り終えた後、皆思い思いに寛いでいる中で、マリーが数枚の紙をテーブルの上に出した。
「前は田舎だったが今度は都会、更に世界でも有数な商人の街でもあるレルレッタ。そこで行われるオークションをぶち壊すのが今回の仕事だ。詳細はそこの作戦書に書いてある」
建物の名前や構造、目標であろう人物の絵などいろんな情報が所狭しと詰め込まれている。前の仕事とはえらい違う力の入り用だ。
今回の作戦は、流石のマリーもしっかりとした作戦を立ててきている。
「今回は招待状を二枚手配できたから私とクイーンが会場に客として入る。そして内部の情報を外に居るビショップに伝達する」
「分かりました!」
「了解です」
ビシッと敬礼をするかのような勢いのビショップと、あくまで冷静なクイーン。凸凹なコンビなのにこれで仲が良いのだから驚きだ。
「そして、ルーク。今度もまた陽動だ。やられ役でいつもすまないな」
「問題ねぇよ。人には向き不向きがある。駒の扱いようはキングが一番知っているからな」
そう言いながら、ルークは葉巻の煙を燻らす。隣にいるクイーンが煙を見て至極嫌そうな顔をしてるのは、まあ、黙ってようか。
「ならいい。ナイトとポーン。今回は壊し屋だ。無闇矢鱈には殺すな。あくまでオークションをぶち壊す。これを念頭に置いて動け」
思いがけない所で名前を呼ばれ、思わず顔を上げた。
戦闘班に入れられたのはいつ振りだろうか。覚えてないほど前にやったっきりだ。
少し驚いた素振りを見せた俺に対し、ルークは何故かニヤケ顔だった。
「久しぶりに実働部隊に入ったんじゃないか? 警備員辺りに殺されないようにな」
「まぁ、いくら俺でも死なない様には立ち回れるさ。どんだけ死線を潜り抜けてきたのか、あんたには分かるだろ」
戦闘には負けても自分の命は落としたことはない。と、言うかマリーがそれを嫌っている。
彼女は使い捨てることを嫌がる。
持ち駒が俺たちしかいない以上、何とか節約しながらやりくりする必要がある。決して俺たちに思い入れがあるからとかそんな事はない、とは本人の言。
ルークもそれを理解して、敢えて冗談口調で言ってきたのだ。
「口頭では以上。質問は?」
「……キング。今回の任務もまた目的が分からないのですか」
クイーンは少し呆れた口調でマリーに問いかける。
目的を知ることで俺達もモチベーションが上がることがある。何のためにこれをするのか、その道筋を示してくれることでスムーズに事を運びやすいのは周知の事実。
だが──
「上からの任務だ。私達はその通りにしか動かなきゃいけない」
「…………」
決まり文句だ。
マリーすらも指令の意図を掴めていない。俺たちは『上』と言う存在に対して何の情報も得られていない。
俺たちは所詮雇われ。庇護下に置かれて仕事も回してくれる上司に歯向かうなんて到底できやしないのは端から分かっている。
毎度の様に、クイーンは不機嫌そうに黙り込んでしまう。
分かり切っているのなら質問しなきゃ良いのに、と言う言葉は喉先で引っ込んでいった。
死線ってのはこう言う時のことを言うんだ。無闇に命なんて落としたくはない。
「ま、いいさ。要はぶっ壊せば良いんだろ?」
あっけらかんにそう言いながら、ルークは葉巻の火を消す。
こう言う時に場を変えてくれる男なのだ。個性が強い奴らの環境じゃ必需品と言っても差し支えはない。
「その通りだ。考えるのは終わった後からにしろ。今回は従っておこう」
それに同調してマリーもクイーンを宥めた。
「決行は三日後。それまでは情報収集だ。万が一に備えて二人組で行動すること。以上。各人、解散」
会議の終了と同時に、皆席を離れて外に出る支度を始める。
俺も行こうとしたその時、座ったまま作戦書を見つめ続けていたナイトが目に入った。
昼過ぎのレルレッタは一番栄えているらしい。
広い石畳の道には馬車が往来し、街沿いには沢山の出店が並んでいる。張り上げた呼び込みの声が幾重にも重なり、ガヤガヤと雑音へと昇華する。それ程にも人の往来も激しく、雑踏の中を揉まれながら歩を進める。
お陰様で背の小さいナイトと逸れてしまった。
「あれ、ナイト?」
「ポ……ン、ここ……」
背景音に混じり、微かに聞こえる名前を呼ぶ声の方向に目を向ける。
人混みの中、流されながらも手を必死に挙げている誰かがいた。
左手で道を作りながらも、何とか合流に成功したが、ナイトは随分と疲れ切った様子だった。
「ふぅ…… 流石、商人の街だ」
「レルレッタは元は馬宿だったから商人が集まって来やすいんだ」
「そうなのか?」
「交通の要衝として栄えていたらしいんだ。昔の交通手段は馬車しかなかったから馬宿に金を持っている商人は集まってきやすい。今は蒸気機関車とかあって馬車を使う人は減ったけど、レルレッタは発展した街並みを留め続けてたんだよ」
「えらく知ってるんだな」
「……別に。知識としてさ」
ナイトはいつもより落ち着いた口調で説明する。やけに説明し慣れたかのようにスラスラと出てくるのに驚いてしまった。
それに、ナイトが大きな街に来て何もしない、ということにも驚いた。
こんな時のこいつは意外とはしゃぐものなのに。
前の仕事のアルトラムに行った時は、変な民族工芸品に惹かれていたのだが。
「珍しく大人しいな。別に買い物くらいはしていいんだぞ」
「いや。いいよ」
「遠慮すんな。レルレッタの歴史まで下調べしてるんだろ。結構ノリノリで来てるんじゃないのか?」
若干ニヤケながらナイトをからかう。
『子供扱いしないで』というツッコミを俺は待っていた。最近はこのやり取りをよくしていて、行く先々で一緒になった時にはいじっていた。そこそこ俺も気に入っていて、ナイトもそこまで邪険には思わずにしっかりと乗ってくれていた。
しかし、その期待とは裏腹に、ナイトの顔は浮かない顔のままだった。
「……僕の、生まれた村から近いからね」
まさかの地雷だった。
俺達の過去は明かさない様にするのが暗黙の了解だ。みんな、聞かれたくない過去の一つや二つ持っている。何の躊躇もなく人の喉笛を掻き切れる女性なんて普通な訳がない。だから俺たちは名前を隠し、コードネームで呼び合っている。
そこそこ長くナイトと共にいるが、未だにその鎧の原理はよく知らない。今まで話したことがないことから、あまり思い出したくない過去なのかもしれない。
「……悪いこと聞いた。すまない」
「気にしてない。もう、昔のことだから」
そこまで怒ってはいない様子で、安堵の息を吐く。
今回はナイトの優しさに救われた。これがもしクイーンにだったら、と思うと鳥肌が立つ。今日はあまり喋らないでおこう。うっかりまた別の地雷を踏み抜いてしまったら敵わない。
黙ったまま街をしばらく歩いていると、意外にもナイトから喋りかけてきた。
「……そう言えば、ポーンは僕の過去をあんまり知らないんだね」
「触れてはいけないものだとは思っていた。あまり他人のプライベートに関わりたくはないし関わるわけにはいかない」
「……知りたい?」
思わず、ナイトのほうに目をやる。
彼は意を決したかのように俺を見据えていた。
その眼は明らかに冗談を語る目ではない。真剣に、俺に問い掛けている。
「本当にいいのか」
「うん。知っておいた方がお互いの身のためになると思う。僕の力を理解してくれたらもっと戦いやすくなるだろうし」
ナイトの鎧。
それは魔術のようでとても歪な代物。魔術を専門とするビショップでさえ、その力の詳細な仕組みは分からない。
抑えきれない程の好奇心が胸の内にあった。
知らないことを知る。そんな子供のような高揚感が、今の俺を支配している。
それを拒否する術はなかった。
「……知りたい」
「なら、少し寄ってもいい?」
「いいぞ。夕方までには帰るけども」
「大丈夫、そこまで遠くない。昔、こっちによく遊びに来たこともあるから」
優しくも、どこか哀しそうな声で騎士は道を示した。
「──あそこか」
レルレッタから歩いて三十分程。
辛うじて整備されていた一本道を進み続けると、とある寂れた部落が見えてきた。
「うん。あれがアラバストの村」
「随分荒れてるな」
「人が居なくなって一年も経つんだ。管理する人が居ないんだから仕方ないよ」
村の入り口らしき門を潜ると、幾つもの廃屋が俺たちを迎えてくれた。
村の真ん中には集会所と大きな広場、少し離れた所には水を引いたであろう水路の跡が見えた。
どうやらなにかの農作物の産地だったようだ。
「懐かしいな。この広場でよく遊んだんだ」
少しだけ笑顔を浮かべながら、ナイトは広場の中心の地面を撫でた。
「子供はいたのか?」
「それなりに。ここの村はある商人の手助けで成り立っていたから、僕の見た中ではお金がなくて出て行った人は居なかった」
「ある商人の、か」
商人の支援がある村はそこまで珍しくはない。村特有の技術や作物があるなら供給はそこしか行われない。それらが人気になると需要が増す。継続して生産して欲しいため、金のある商人は経済的支援をして独占供給の契約をする。Win-Winの関係が築けるのだ。
しかし、支援が行われた村が潰れた事例は今までないのだが。
広場を横切り、廃屋が立ち並ぶ居住区に入る。
辺りは荒れ果て、伸びきった雑草が元あった道を覆い隠す。誰かの家の側に生えている木は当然手入れもされておらず、枝が家の中へと浸食している。盗賊でさえも一夜を明かしたくないほど、アラバストの村は住めたものではなかった。
それに加え、もう一つ気になることがあった。
(この銀はなんだ……?)
どの家にも共通して銀色の物体、いや水銀が固まった様なもので染め上げられていた。
玄関の扉から染み出している家、ハリネズミの様な無数の棘が窓から突き出ている家。
明らかに異常な、何らかの事故が起こったかのような状況だった。
すると、ナイトは一軒の廃屋の前で足を止めた。
その家は他の家よりも数倍、銀に塗れていた。
「ここ、は……?」
「僕の家だ」
「────っ!」
ここが、ナイトの家。
銀に侵され、銀に支配された家。
外見は辛うじて保てているものの、見える骨組みは全てアレに塗れている。
見るも無惨。果たしてこれは家と呼ぶべきなのか、そう思える程だった。
「これが僕のルーツ。僕たちの村は、錬金術の代償を背負わされてしまったんだ」
錬金術の代償。
その言葉を聞いて合点が入った。
無から銀を作り出すそれは、世界をひっくり返すことができる程の禁術。
それ故に、命を落としかねないほどのリスクを内包している。
歪んだ騎士は、不幸にもそれに巻き込まれてしまった。