【2 不老の苦労】
【2 不老の苦労】
「どうして私が食事を作らなきゃいけないのよ!」
ぶつくさ文句を言いながらアーシュラが鉄鍋を振る。
「でも、手つきがすごくいいですよ。手慣れているから、美味しい作り方が自然と体に身についているんですよ」
「うるさいわね!」
隣で卵のスープを作っているルーラを睨み付ける。
もともと十数人の食事をまかなうために作られた調理室は2人で料理するには広すぎた。
ここ、アリスの家はホラックリー住宅街の外れにある。家と言うより屋敷と呼ぶに相応しい煉瓦造りで、正面には仰々しい両開きの扉が備えつけられている。2階建。部屋数は10を超える屋敷である。
門柱には「アルトハウゼン治癒術所。他、魔導関係承ります」と書かれた看板が備えつけられていた。
建物と同じぐらいの広さの庭があり、地面をうっすらと雪が覆っている。庭の隅にはこの家の目印でもある柿の木が馬小屋に寄り添うように植えられていた。もっとも、今、馬小屋には馬はおらず、代わりに干し柿がぶら下がっている。
酒場の騒動で食事を取り損ねた一同は、
「久しぶりにアーシュラの手料理が食べたいわ」
というアリスの希望により、ここで商談と食事を一緒に取ることにしたのだ。
「何が手料理よ。私がこれしか作れないこと知っているくせに」
彼女が作っているのはイタメシと呼ばれるもので、米やトウモロコシなどの穀物に濃いめの味付けをした具材を混ぜ合わせて炒めただけのものだ。主にワークレイ北部の主食だったのだが、手軽な上、どんな食材にも合う、簡単だが奥が深く、調理次第で高級料理から余った食材の処分料理にもなるというので今では各国の不精者たちに愛されている。
2人が食事を作っている間、ベルダネウスとアリスは居間で紫茶と干し柿をお供にくつろいでいた。暖炉の火で部屋は暖かい。
「どうしてアリスさんは不老不死の研究を?」
「不老不死の体を手に入れたかったわけではないんです。私が手に入れたかったのは『楽しい時間』」
「楽しい時間?」
「ええ、私は昔から変わった子だって言われていたの。だって、勉強が大好きだったんですもの」
「それは確かに変わり者ですね」
ベルダネウスが声を上げて笑った。
「勉強と言うより、知らなかったことを知るのが楽しかったのね。とにかく周りの大人にどうして、どうしてって聞きまくったの」
「私も覚えがありますが、あれは聞かれた方が困りますね。聞かれたことのほとんどは知らないことですから。適当なこと言ってごまかしても、ちゃんとわかるんですよね」
「はい。その時、私の祖母がこう言ってくれたんです。
『私にはわからないから、アリスが勉強してわかったらおばあちゃんに教えてちょうだいね』って。でも、勉強すればするほどわからないことが出てきて。そうして出てきたどうしてを、大人は誰も答えてくれませんでした。
……結局、私はおばあちゃんに何一つ教えてあげられないままでした。
それが悔しかったんでしょうね。私のどうして病はますます大きくなり、本を読みまくって、直接見たくて家を出たいと両親に言いました。
親は猛反対して、私を嫁に出そうとしました。
当時の私は13才。自分で言うのも何ですけれど、とても可愛らしい少女だったんですよ」
「なるほど、あなたを嫁に欲しいという方が何人もいたというわけですね。でも、あなたは勉強を優先したと」
「いえ、そここまでではありませんでした」
アリスははにかんで手を振り
「それに、花嫁修業としてはじめた家事も楽しかったんです。どうして服の汚れが落ちるんだろう。どうして食べ物がこんな美味しく出来るんだろうって。
でも、そこでも私のどうしてに答えてくれる人はいませんでした。私のどうしてがうざったかったのでしょう。夫は怒って私を追い出しました。そんな私を実家が良く思うはずもありません。
その時、私が子供を身ごもっていなかったら実家からも閉め出されたでしょう」
「その男は、自分の子供を宿した妻を追い出したんですか?!」
「それについては、私が悪かったですね。子作りにも興味を示した私は、興味本位で他の男性とも関係を持っていたんです。夫は、私のお腹にいるのは自分以外の男の子だと思ったのでしょう。私も夫の子供だという自信がありませんでしたし」
「それは……」
言葉に迷うベルダネウスに、アリスは諭すような笑みを浮かべ
「気になさらずに。今は当時の私がどんなものだったかはわかっています。
困ったのは私の両親ですね。娘が夫以外の男と関係を持ち、身ごもって離縁されてきた。堕ろそうにももう遅い。さぞかし頭を抱えたろうと思います。でも、私は周囲の思いなど知らず、また勉強をはじめました。今度は魔導の勉強を」
「なるほど、実家の援助はもうあてに出来ないから、魔導師として身を立てようとしたんですね」
「そんな格好の良いものではありません。単に魔導に興味があっただけです」
「そうよね!」
出来たイタメシを山盛りにした大皿を持ってアーシュラが現れた。スープの鍋を持ったルーラが続く。
「生活のことを考えてだったら、魔導師学校を卒業してすぐ、産んだ子供をほっぽって消えたりしないわよね!」
「アーシュラ、そんな怖い顔をしていたら、せっかく美味しく作ったごはんが台無しよ」
「怖い顔をさせているのは誰よ。まったく、せめて罪悪感に顔を曇らせるぐらいしなさいよ」
「そんなこと言わないの。あなたも子供の頃はアリスみたいな魔導師になるって言って。とっても可愛らしかったのに」
「やめて。あれは私の人生最大の汚点なんだから」
頬を膨らませて席に着くと、大皿からイタメシを小皿に取り分けて各自に配る。
「それにしても、こんな広いお屋敷に1人で住むなんて大変ですね」
「住むだけだったら、小さな貸部屋でもいいんですけれど、研究をするとなると、どうしてもね。その点、ここは地下に手頃な部屋もありましたし」
「地下?」
ベルダネウスが紫茶を入れる手を止め
「もしかして先ほど衛士が口にしたことですか? 何かこの家であったようですが」
「ええ。何でも昔、この家は不老不死を研究する人達の研究所だったそうです。そこで何人もの子供を血を求めて殺したとかで」
「血を?」
「飲んだり浴びたりしていたそうです。研究の一環として」
「研究って、不老不死ですよね?」
訝しげにルーラがアリスを見ると
「私とは別口です。そもそも人の血を飲んだり肉を食べたりなんて段階は、私は100年以上前に過ぎてます」
「昔はやっていたんですか?」
「研究の一環としてです。ご安心を。そのために人をさらったりはしませんでした。ちょうど戦がありましたから、そこに行けばもう助からない死にかけの人がたくさんいました。ちょっとその人たちを実験台に」
「やめて。食事中にする話題じゃないわ」
言いながらもアーシュラはイタメシをかっ込んでいる。
「あら、そうとも言えませんよ。ものを食べるということは自分の命を維持するための行為。命を永遠に維持しようという人達にとって、何をどのように食べるかは研究課題の1つです。特に普通ではない効能を求めるとなると、どうしても普通でない食事になるでしょう」
「私は普通の食事で長生きしたいの」
「普通の食事でも、人によっては受け付けないというか、認めたくないものはありますね」
アーシュラの異議にかまわずベルダネウスが続ける。
「不老不死ではありませんが、精力がつくからと大亀の血を飲んだことがあります。あまりうまいものではありませんでした。精が付いたかどうかもよく解りませんでしたし」
「古くから他の生き物の血を飲めば力がつくという考えはあります。ドラゴンやヴァンクの血で死者がよみがえる話はいくつもありますし。力がつくというより、その主の生命力を取り込むということでしょう。
人、それも若い子の血肉で不老不死を得るというのは、そのような考えから来ているのでしょう」
「その気持ちはわからないでもありませんけれどね。実際、ヴァンクには骨折をひと撫でで治す力がありました」
ベルダネウスがそっと自分の腕を撫でた。
「馬鹿馬鹿しい。血を飲んで不老不死になれるなら、世界はヒルが支配しているわ」
おかわりのイタメシを皿によそいながらアーシュラが鼻で笑う。
「でも……」
ルーラはアリスを見た。その表情からは微かな気持ち悪さが見て取れる。
「本当にアリスさんがアーシュラさんの曾曾曾曾曾曾曾祖母さんだとしたら、すでに不老不死の状態なんじゃ。研究は完成しているんじゃないですか」
「そう見えるだけです」
アリスは空の皿を脇にやると姿勢を正し
「不老不死と簡単に言いますが、問題はどのような形でそれを実現させるかなんです。不老不死というのは具体的にどのような状態のことを言うと思います?」
「素直に考えれば、不老とは肉体が老化しない。不死とはどんなに肉体が傷ついても生命活動を停止しない。ということでしょうか」
「そうですね。不老不死と言っても、私の研究は不老が中心で、不死にはほとんど手つかずと言って良いです」
「それは賢明だと思います。不死の肉体を持っても不老でなければ笑い話にもなりません。
昔読んだ滑稽本で、不死だが不老でない魔王の話がありました。歳を取り、ぼけまくっているのに魔力だけは魔王に相応しく超強力。不死だけにどんな攻撃も受け付けない。そんな主に振り回される魔族たちの悪戦苦闘が書かれていました」
「『魔王様、ごはんはさっき食べたでしょう(スット・ボ・ケーナ著)』ですね。私も読んだことがありますよ」
アリスがくすくす笑い。
「ですから、これから言うことは全て不老のためと受け取ってくださいね。
不老とは肉体が老化しないとおっしゃいましたけれど、そもそも老化とはどのようなことを言うと思います?」
ベルダネウスは少し食事の手を止め
「……深く考えたことがありません。体の動きが悪くなる。頭の動きが悪くなる。つまり肉体が出来ることが次第に少なくなっていくことでしようか?」
「では、出来ることが少なくなるのはなぜだと思いますか?」
すると、ベルダネウスはゆっくりと両手を挙げた。
「降参します。私に質問する形で話を進めるのはやめてください。まずはアリスさんが自分の考えをおっしゃってください。異議や質問はその後で口にします」
「あらあら」
彼女は微笑み、入れ直した紫茶で喉を潤した。
「肉体も物ですから、いつまでも新鮮な、張りのあるままというわけにはいきません。だから人は、常に新しい体を作り続けます。古くなった体は垢となって剥がれ落ち、新しく作られた体に変わっていきます」
「新陳代謝と呼ばれるものですね」
「ええ。体がダメになっていくよりも早く、たくさんの肉体を作ると人の体は大きくなっていきますし、常に新鮮な肉体を保ち続けます。これが普通に成長と呼ばれるものです。
しかし、次第に新陳代謝にも衰えが出てきます。この衰えを私たちは老化と呼んでいるのです」
やはり自分の研究を語るとき、研究者の態度は普段より整然となるようだ。語るアリスの口調に力が入り、一挙手一投足全てが大人びはじめていた。
「すなわち不老とは、新陳代謝が充実した状態を維持することです。既に作った肉体が衰えを見せるよりも早く新しい肉体を作り、取り替えていく。これが永遠に続くことこそが不老なのです。
ではその新陳代謝はどの程度が良いか?
強すぎると肉体は成長を続けてしまい、際限なく大きく、強くなってしまいます。私は家より大きな体も、英雄物語に出てくる戦士のような強靱な肉体も求めてはいません。
私が必要としているのは不老であり、限りない成長ではありません。それに、体が大きく、強くなるに従い、それを維持するためにたくさんの栄養が必要となります。食費がかかります。
私は程度の良い新陳代謝の目安として、20代前半を選びました。老化するほど衰えてなく、成長するほど激しくもない。少々激しい疲労や負傷をしても回復する余裕があります」
「言うことは解りますが、どうやってそれを実現しているんですか?」
「治癒魔導はご存じでしょう。生き物の治癒能力を魔力で一時的に増幅する魔導です。この治癒能力というのは、新陳代謝とほぼ同じものなんです。ですから新陳代謝では治らない病気などは治癒魔導では治りません」
「それはつまり、あなたは治癒魔導を応用してご自身の新陳代謝を20代前半の状態に維持し続けているということですか?」
「簡単に言えばそうなります」
「しかし、あなたの魔玉は」
魔導師は魔玉がなければ魔導を使えない。魔玉は魔力と呼ばれる精神の力を様々な現象に転化するための道具で、これを先端に固定した杖が魔玉の杖と呼ばれるもので、魔導師の証明書にもなっている。
アリスは今、魔玉の杖を手にしていない。それは今現在、彼女は何の魔導も使っていないことを意味する。
「100年以上の研究は伊達じゃありませんよ。転がした球が手を離れても転がり続けるように、高めた新陳代謝も魔力を止めてもしばらくはそれを維持し続けます」
「どれぐらいですか?」
「特に大きな魔導を使わなければ……1年と言ったところですか」
「年に1度、その新陳代謝の増強魔導を自身に行えば永遠に20代前半の肉体を維持できると言うことですか?」
「結果は今の私を見てくだされば解ります。それに、常に魔導の影響を受けているせいでしょうか、魔導に対する攻撃に耐性がちょっとだけ出来ました」
立ち上がり、両手を広げてくるっと回る。
「なにがちょっとよ。私の電撃魔導をほぼ無効化するほどのくせに」
むくれ顔でアーシュラがぼやいた。先ほどの人質騒ぎで、アリスが彼女の電撃魔導を受けても平気だったのはそのせいなのだ。
「まずは成功、というわけですか」
「今のところは」
アリスの顔がすっと曇り、腰を下ろす。
「ですが、最近になって問題が出てきました」
「問題?」
「疲れました。治癒魔導もあまりにも度を過ぎると体のバランスを崩しかえって害となります。どんな便利な力であろうと、やはり自然に身についた力ではありませんから。たまにならともかく、常に休み無く影響を持ち続けるというのは無理があるのでしょう」
「そうは見えませんが」
「今は、ちょっと浮かれているだけです。研究のため、ずっと自分の体と向き合っていた私にはわかります。
私の体……体の感覚が他の人に比べて日に日に鈍くなっていくのがわかります。体だけでなく、心の動き方もゆっくりになっているようです」
そう言う彼女はどこか寂しげだった。
「嬉しい、悲しい、腹が立つ。心の揺らぎは生きていることの証です。それが衰えては、不老不死を目指す意味がありません」
「そっか……」
ルーラがつぶやいた。
「アリスさんって、生きることをすごく楽しんでいるんだ」
「もちろん。生きるってとっても楽しいこと。それが100年ぽっちで終わるなんてもったいないでしょう。だから私は不老不死を目指すんです」
笑みの返事に、ルーラも笑みで返す。
アリスは彼女にとって意外な存在だった。彼女の知っている不老不死と言えば本に出てくる架空の存在ばかり。それもみんな生きることに疲れたような、妙に悟ったような人ばかり。中には生きるのに疲れて死ぬ方法を探す者もいる。そのことを言うと
「そう言う人達も、不老不死になったばかりの頃は生きることを楽しんでいたと思いますよ。私だって、あと5万年ぐらい生きればそうなるかも知れないし。
「あなたが死ぬより先に人間が滅びそうですね」
「それは困りますわ」
真顔でアリスが
「生きる楽しみって、他の人達と仲良くする楽しみなんですよ。それが出来なくなったら大変です。人が滅びそうになったら、私は全力でそれを阻止しないと。生きていて楽しくなくなっちゃいます」
「それは頼もしい人類の守護者です」
「それは大げさです。私はただ楽しく生きるのには、たくさんの他人が必要だと思っているだけですよ。
楽しく生きると言うことは、いろいろな感情を楽しむことだと思うんです。笑ったり、泣いたり怒ったり、楽しくなったり不愉快になったり。たとえその場は嫌に思えても、それによって次の楽しさはより大きくなります。
感情の伴わない不老不死に何の意味もありません」
その言葉には、焦りのような心が感じられた。
「だからこそ、私は次の段階に進もうと思いました。新陳代謝を維持する力を、魔導ではなく、もっと命に近い、自然の息吹とも言える力で実現してみようと思うのです。
商談に入りましょう。
ベルダネウスさん。アーシュラから私の望むものはお聞きになったはずです。持ってきてくれましたか」
「私は自由商人です。お客様が望むもので私が用意できるものならば、生き物と麻薬以外は何でもご用意いたします」
彼に目配せされ、ルーラは脇に置いておいた木箱をテーブルに置いた。
「ご希望のものです。ご確認ください」
箱を開けると、綿が詰められ、薄紙に包まれたヴァンクの羽根が現れる。
アリスはそれを手にすると、そっと羽の部分を撫でる。虹色の波が一瞬現れ、溶けるように消えた。
「ヴァンクの羽根は以前にも?」
「2、3度。でも、この羽根は今までのどれよりも鮮やか」
羽根を置き、魔玉の杖をかざす。
魔玉がうっすらと光り出す。魔導発動の時とは違う、淡い、優しい光。
ヴァンクの羽根が揺らいだように見えた。魔玉の光が収まり、アリスはうっとりと羽根を手にする。
「すごい。これだけ強い精霊力を宿した羽根は初めて」
「それは、今まであなたが手にした羽根はヴァンクを殺し、その死体からむしり取ったものだからでしょう。これは生きたヴァンクが、自分の意思で皆のために抜いた羽根です」
2人の様子を見ているルーラの顔は、どこなく不満げだった。
「あなたは気に入らないところがあるみたいね」
アーシュラの言葉を受け、皆がルーラを見る。
「あ、あたしは別に」
「考えがあるならおっしゃってください。精霊使いの意見なら私も聞きたい」
「意見というほどじゃないですけど。アリスさんはその精霊力を不老不死の研究に使うんですよね」
「そうです」
「精霊の力は、不老不死を嫌うと思います」
「どうしてそう思います?」
相変わらずアリスの表情は静かだ。
「自然の生き物って、みんな生き死にの繰り返しなんです。それは全ての生き物を持つ絶対のルールみたいなものです。自然の力である精霊を司ると言われるヴァンクだって子供を作って死ぬんです。だから、精霊の力が不老不死に力を貸すようなことは無いと思います」
「ルーラ、アリスさんはお客様だぞ」
言われてルーラは口をつぐんだ。
「かまいません。否定意見が前進のヒントになることは良くありますから。
自然の力が不老不死を否定していることはわかっています。でも、だから不老不死には役に立たないということはありません。強く前に進むのに、正反対の力をほんのわずか入れるというのはよくあることです」
「料理で甘みを強くするため、塩をひとつまみ入れるようなものですね」
ベルダネウスの例えがおかしかったのか、アリスが少し頬を緩ませた。
「それではお代を」
用意してあった古ぼけた鞄を持ってくると、中から革袋を引きずり出した。
「150万ディルでしたね。確かめてください」
袋の中身をテーブルに開けると金貨が流れ出て山を作る。
「ちょっと待ってください」
珍しくベルダネウスが戸惑いを見せた。というのも、目の前で山となった金貨は、大きさも形もバラバラなのだ。
「何これ?」
アーシュラも目を丸くして金貨の1枚を取る。見たことのないものだった。
「まさか偽金貨じゃないでしょうね?」
「失礼ですよ。私は専門家ではありませんが、みんな実際に使われていた本物です。ただ、その時代と場所がバラバラなだけで」
「いつの時代と場所よ?!」
「確かこれは」
アリスは金貨を何枚か手にし、思い出すように小首を傾げ
「アクティブが周囲に戦争を仕掛けて領土を広げていた頃ですね。確かマクベロイという国の金貨です。これはシーカー、こちらはフライトのお金です」
「大侵攻時代ですか?!」
かつてのアクティブ国領土は現在の1/5程度だった。それが70年ほど前に周囲に戦争を仕掛け、3年の間に大小合わせて10を超える国を滅ぼし、あるいは統合して現在の領土になったのである。この時期は一般にアクティブ大侵攻、あるいは単に大侵攻時代と呼ばれている。滅ぼされた国の人の中には大略奪と呼ぶ者もいる。
「あの頃は大変でした。スターカインやワークレイに避難することも考えたんですけれど、両国ともアクティブ方面からの出入りに厳しくて。でも、価値のあるものを身につけたままの死体がたくさんありましたから、研究素材の調達や処分、生活費には困りませんでした」
「まさかこれ、戦死者から剥ぎ取ったもの?!」
「装飾品は売ってしまいましたけれど。ご安心ください、血は綺麗に落としましたから、死体から取ったという証拠はありません。その内に使わなければと思っていたのですが、そうしているうちにその国が滅びたりで機会を逃してしまって」
どう言葉を返したら良いかわからず、ベルダネウスたちは困った笑いを浮かべ
「滅びた国の金貨で支払われても」
「世の中には貨幣の収集家は多いと聞きます。そういう人達に売れば」
「いくらで売れるかですね」
ベルダネウスは金貨の山を袋に戻しながら
「これはお預かりします。古銭売買の専門業者に全部でいくらぐらいになるか確認しなければなりません」
「本来ならソナバァがしておくことよ」
「そこまで考えませんでした」
言いながらヴァンクの羽根に手を伸ばすが、素早くアーシュラがそれをひったくる。
「これは私が預かっておくわ。商品は代金と引き換えが基本ですからね」
「意地悪ね」
そこへ外から鐘を端しく打ち鳴らす音が聞こえてきた。来客を知らせる鐘だが、鳴り方が尋常ではない。
「アルトハウゼンさん! 手を貸してくれ!」
外からわめくような男の声。
「どうしたのかしら。失礼」
会釈して玄関の扉を開けると、明らかに肉体労働者とわかる男が2人、息を切らして立っていた。
「すぐに来てくれ、河川敷の船着き場で大喧嘩だ」
「いや、ありゃ喧嘩じゃねえ、暴動だ。戦争だよ。近所の医者や治癒術士だけじゃ手が足りねぇ」
「怪我人が出たのね」
アリスの目からおっとりした感じが消えた。真剣さの中に楽しみを感じさせる目。
「ベルダネウスさん。ごめんなさい。私は行かないと」
「かまいませんよ。貨幣の見積もりはわかり次第お知らせします」
アリスとアーシュラが船着き場へ、ベルダネウスたちが貨幣の鑑定できる店を紹介してもらおうとサークラー教会へ向かう。
住人のいなくなった家の庭の隅から、1人の男が姿を現した。
「間違いない……アリス・ライフ・アルトハウゼン。まさか、かつての我らのアジトに住んでいるとは」
男の顔から笑みがこぼれた。
(つづく)