禁書室の幽霊(Ⅰ)
禁書室には幽霊が出る……、らしい。
『らしい』というからには、この背景には誰かが作った怪談話や、悪ふざけで言っていたことが、巡り巡って怪談として学園中に広まってしまった。
と、いうようなテンプレな経緯あったのであろうが。
そもそも、禁書室なのだから、普通は誰も入れないはずなのに、『禁書室で』幽霊を見たというのが矛盾している。
まさか先生が子供のように、幽霊だ幽霊だ、とさわぐのも考えにくい。
重い足取りで学園内の図書館の最上階にある禁書室へと向かう。
これは、一種の『度胸試し』であり、『肝試し』であり、『罰ゲーム』である。
ただし、誰がバツを食らうかは権力のあるやつが決める。
なんとも、たちの悪い。
―三十分前―
四月初旬。新学期第一日目。王立北区学術院、その高等部二年生へと無事進級したロア・クレートは、古いレンガ造りの校舎が立ち並ぶ、幅の広い通りを歩きながら、手を頭の上で組んで、雲一つない、抜けるような北国気候の春の青空を見上げていた。始業式が終わって間もないためか、大通りは大講堂から溢れた生徒でそこそこの混みようを見せていた。
なので、ボーっと空だけ見ておくわけにはいかず、向かってくる人との正面衝突を避けるため、青空を見つつも、チラチラと前方を確認する。
この『ノア王立北区学術院』というゴツゴツした字面からわかる通り、この国、ノアは『王』政であり、『北区』は首都であり(これはわからないか)、『学術院』というからには、少なからず権力を盾に基本好き勝手にしている、お坊っちゃ(おっといけない)貴族様がいる。
と、前方から人影が二つ、横並びでまっすぐ向かってくる。二人とも会話に夢中なのか、こちらに気づくそぶりを見せない。このままいけば正面衝突は避けられない。
相手が貴族なら、こちらに気づいていても避けてくれない可能性が高い。万が一ぶつかって因縁でもつけられたらたまらない。
俺は道の端により、肩を後ろに引いてぶつからないように――
「おっとっとっと!」
わざとらしい声。
避けたはずの人影が急によろけ、俺の肩にぶつかる。
「す、すみません……」
軽く謝り、速やかにこの場を離脱しようと歩速を速める。
「待ちたまえ、そこの君?」
嫌な予感がする。
俺は背後の二人にはバレないように小さくため息をつき、対貴族用の申し訳なさそうな営業スマイルでゆっくると二人に歩み寄る。
すらりと背が、高く、ブロンドの髪を持つ二人の男子生徒。一人はスポーツ選手のような短髪。もう一人は、対照的に、肩程に髪をのばしている。着ている制服の胸には貴族身分である証、家紋の刺繍がされていた。
「私にぶつかっておいて会釈だけとは。もしや第三位以上の貴族のお方かな?」
ロングヘアが役者のような口調で、俺の制服のまっさらな胸ポケットを指をぐりぐりと押す。
「ははは……、平民です」
新学期一日目から幸先悪い。
仕方ない。適当にやり過ごすか。
俺の目の前の貴族二人には見覚えがある。上位の貴族として学園内の有名人だ。
俺は身長は高い方なのだが、こいつらはさらに半頭身背が高いため一見上級生に見えるが、俺と同じ新二年生だ。
クラスこそ違えど、一月前まで上級生におびえながら過ごしてきた仲間――のはずだ。
一つ学年が上がってイキっているのかもしれない。
「そうか!平民か!ならば、しかるべき罰が必要だな?」
後ろで、短髪が腕を組んで、うんうんと首を縦に振る。
「……何なりと、お申し付けください」
己のプライドはその辺に放り投げ、俺は片膝を立て、二人の前に跪く。
周囲の「お気の毒に」という視線をじっと耐える。
こんな時こそポジティブシンキング。俺以外の誰かがこうなっていたかもしれないのだ。みがわりになれたと思えば安いもの……、やめよう。悲しくなってくる。
幸い、この国の貴族はプライドが高い。いい意味でも悪い意味でも。
基本的に貴族連中は、つね日頃から威張り散らしているが、決して弱者に暴力を振るったり、決闘以外で攻撃魔術を行使したりはしない。
古くから、
『暴力で弱者を従わせようとする者は、馬鹿の証であり、身分がどんなに高くとも、サルにも及ばない。』
と、力を持つ貴族ほど、そう厳しく教育されてきた。
有難いことだ。
なので『罰』とはいっても、パシリや、寮の部屋の掃除(といってもVIP仕様なのでかなり広いのだが)などといった肉体労働系が多い。
「それではお前に命令する」
チャリン、と地面に小さな鍵が投げられた。
「肝試しだ。禁書室には幽霊が出るらしいな?禁書室の最奥にある黎明期の魔術書の写真を撮ってこい」
「え、あ、はい。承知いたしました」
えっ?肝試し?
わざとぶつかって絡んできたので、新しい寮への引っ越しを手伝えとか、使っていた寮の掃除をしろとか、もう少し嫌なことを命令されると思っていたが、いささか拍子抜けだ。
要は禁書室の本の写真を撮ってくればいいのだ。そう考えると簡単に思える。
「お前の様子は常時モニターする。存分に怖がってくれたまえ」
少し怖がっている演技も交えて。
ー現在ー
図書館の最上階。階段を上がった正面の分厚い木の扉を開ければ禁書室だ。
もちろん、生徒が入るには許可がいるらしいのだが、受付で鍵を見せたら、すんなりここまで来ることができた。おそらく、禁書室の鍵を持っていることが入室の条件なのだろう。
命令された当初は、楽勝だと思っていたが、実際来てみると、上層階へと昇るほど周囲は薄暗く、だんだんカビ臭くなっていった。踊り場には本棚に入りきらなかったのか、古い本が乱雑に積まれていた。天井や壁にはクモの巣が張っていて気持ちが悪い。掃除が行き届いていないのは言わずもがな。
授業で禁書の内容を扱うこともあったらしいが、大体は内容の写しを使うため、教師でさえ、めったにここの階には立ち入らないのだそうだ。
確か、『禁書室の幽霊』の噂が立ったのは、俺が中等部三年の時、つまり、最後に人がここに入ってから最低でも三年は経過しているということか。……本当に人が来ていたらの話だが。
扉に鍵を差し込む。鉄でできた、錆びだらけの鍵だ。扉の鍵穴の中も錆付いているかと思ったが、鍵は思いのほか簡単に回った。
「よし……」
一度深呼吸をし、呼吸を整え、分厚い木の扉をゆっくりと開いた。
目の前に広がるのは、真っ暗闇。
どうやら、外側からは内側が見えない仕掛けらしい。
一歩、禁書室の中へと足を踏み入れる。
外と同様に中は暗く、少々カビ臭い。
と、近くの本棚に近づくと、ぱっと視界が明るくなった。
「うっ、眩し……」
本棚の角や天井にかけられていたランタンが禁書室の奥のほうから順次点灯した。
薄暗い階段を上がってきた目には、オレンジ色のランタンの光といえど優しくない。
「うっ、ま、まぶしぃ……人が…来たの……?」
どうやら、先客がいたようだ。
――待て。ちょっと待て。禁書室は無人のはずだ。俺が来た時には確かに鍵は閉まっていたはずだ。
目が光に慣れてきた。
奥のほうに人影が見える。
――白い人影。
――『禁書室には幽霊が出る』――
「助けて……。ここから……、出たいよぉ……」
誰が言ったか、『地縛霊』。
「あぁぁぁぁぁぁ――――⁉」
床で足を滑らせ。
視界に、一瞬天井が映り。
頭に鈍い衝撃が走った。