削った
そうじゃない。そんなこと望んじゃいない。
家族に消えて欲しいなんて言ってない。
死にたいだけでもないんだ。
世界に滅びて欲しい、ただそれだけなんだ。
ふんわりとした闇から浮上する感覚。目がそっと開く。起床時間だ。何百万回も繰り返した行動にブレはほとんどない。時計をチラリと眺めても三十秒とズレていなかった。
黄色のフカフカ毛布に別れを告げてベッドから立ち上がる。欠伸を一つしたら僕の日課の始まりだ。赤いクリスタルを取り出して、ベッドの隣に設置した棚の上から彫刻刀を手に取る。
カリカリとクリスタルをほんの少しずつ削っていく。慣れた感覚だが未だに心が揺れ動く感覚がする。
不死の権利、僕の心臓、世界の核を削るという狂気の行動が僕の日常で最も大切なことになったのは何千年前のことだったか。
初めは臆病な復讐だった。殺すぐらいじゃ満足できない人々への復讐だった。無力感故の代償行為だった。
窓際に飾られた観葉植物と窓の奥に続く星の海。遥か昔に僕は地球から逃げ出した。宇宙はとても広かった。人間以外の生物は笑ってしまうくらいに沢山いた。色々な事があった。
泣いて笑って苦しんで僕以外の誰かが死んで、昔の事なんてポロポロと忘れてしまうくらい色々な事があった。今では人間へ復讐しようだなんて心も風化してしまった。
それでも僕は赤いクリスタルを削る事を止めない。僕に良くしてくれた人間以外の生物達もこの行為のせいで消えてしまったかもしれない。
クリスタルを削ると世界の何処かも削れて消えていく。破壊の意思を持たねばクリスタルは壊れない。中心さえ壊れなければ世界は滅びない。そういうことになっているらしい。
僕は僕が削るのを止めない理由を知っている。寿命の代わりにしているのだ。あまりに魅力的な終わりの気配に僕は歯止めが効かなくなっている。
そして今日、それは訪れる。あと数回彫刻刀で削れば中心以外に削る場所がなくなる。窓から見える星の海は灰色の虚無へと変わった。
妙な達成感を感じる。全てを失わせているというのに罪悪感は欠片も浮かんでこない。ようやく、脳裏にそんな言葉が響く。彫刻刀から伝わる振動が鼓動を早める。
……次で中心が削られる。僕以外は全部灰色になった。あの裏切りの日吐いた言葉を思い出す。全て朽ち果ててしまえと世界を呪った。
叶ってしまえば落胆のような寂しいような気分だ。無言で去ってもいいが、別れを告げようか。
「さよなら、僕が愛せなかった世界」
彫刻刀が赤いクリスタルの最後へと突き刺さった。
生きるためにある我々が滅びを願うのは
皮肉な話だ。何が犠牲になってきたのか
考えた事はあるのかい?
…さぁ、理解出来ただろう?
ならば、私と共に口にしてみよう。
世界なんて滅びてしまえ、と。