育てよ! myキャラ
作品やその登場人物は作者にとって子供みたいなものである。
生み出すのは作者でも、関わる人が多くなればその影響で意外な姿に成長することもあるし、登場人物が作者の言うことを聞かなくなることもある。小説のキャラも反抗期になるのだろうか。
誰もが自作のキャラは魅力的に書きたい、「物語を書きたい」よりも「このキャラが書きたい」要求の方が強いのではないか。私も、最初は物語が書きたくて書き始めたのに、いつの間にかそこに出てくる登場人物達が書きたくて書くようになっている。
読者にしても、
「ストーリーは平坦だがキャラは魅力的」
「ストーリーは面白いがキャラは平凡」
の二作があれば、ほとんどの人は前者を手にするだろう。
となると、ふと考えるのが「魅力的なキャラってどういう風に書けば良いのだろう」「魅力的なキャラとはどういうキャラなのか」である。
そんなとき、私は「育児本」を読み返す。とは言っても「育児漫画」の方だが。
育児と言っても、極端な話、子供はごはんさえ与えれば勝手に育つ。親は無くとも子は育つのだ。
では育児本には何が書かれているか? 「子供を魅力的な人間に育てるやり方」である。それはそうだ、同じ育てるなら自慢できる子に育てたい。
それには子供達の視点を知らなければならない。子供達は何かを見た時、それに対してどう感じるのか。どんな反応を見せるのか? どうしてそんな反応をするのか? その反応に対し、私たちはどう接すべきなのか?
子供達の考えは単純かも知れない。しかし、単純こそ全ての基本ではなかろうか? 大人は性格、能力がどんなバラバラでも、子供でなかった大人はいない。小説のキャラだって、描写されていないだけで子供の頃はあったのだ。
子供の見方は全ての人間が通ってきた道なのであり、魅力の最大公約数なのだ。たぶん。
だからこそ、私が目を通すのは育児をする人達の奮戦記ではなく、どうしてこういうことが子供達に大事なのだろうかを登場人物と一緒に考える本である。
キャラクターだけではない。幼児の感じ方を考えるのは、人が惹かれるものはどんなものなのかの基本を教えてくれる。
例えば、私のお気に入りの育児漫画「となりの育児くん(全3巻/ぶんか社/NYAN著)」では、どうして子供達は電車が好きなのか? の解説で、電車には子供達が惹かれる要素がいっぱいあるとしている。
・電車の形は単純。色や形がハッキリ違ってそれぞれがわかりやすい……作品の構図、登場人物がわかりやすい。
・電車は動いたり止まったりする……話に緩急をつける。それは登場人物達の動きによってもたらされる。
・ガタンゴトンいう電車の音にはリズムがある……テンポの良い文章。心地よいパターン。
・線路が見えていて、その上を走る……先の展開がある程度予測できる。良い意味でのお約束の展開。
そう、電車には皆に愛される娯楽作品の要素がてんこ盛りなのだ。
子供が愛するものは、皆が愛する基本である。それが大人達は、様々な理由をつけてそれらに背を向けている。もしかして、それらが眩しいあまり目を背けているだけかも知れない。それが格好悪いから、もっともな理由をつけているだけなのかも知れない。
他にも、子供がしたがることを、もういいやと言うまでとことんやらせてみるというのがある。それは何かをやり尽くす達成感を覚えさせるためだという。
何かを達成する喜び、満足感を知れば、結果を出すために努力すること自体が喜びに繋がるのだ。そして努力自体が喜びとなれば、結果が出せなくてもそれを受け入れ、前向きに捕らえるようになる。
物書きに例えれば、賞を取れなくても、書籍にならなくても、なろうでポイントがたまらなくても小説を書くこと自体が楽しいものとなるのだ。
単なる自己満足というかもしれないが、まず自分が楽しむことが始まりの始まりである。結果を出すのを目的に頑張ったならば、結果が出なかった時の挫折感は大きい。しかし、努力が楽しい限り滅多なことではくじけない。それは様々な障害や挫折を乗り越える力なのだ。
そしてその力が具体的な形になったものが作中のキャラ達なのだ。
逆に、もっとやりたいのに様々な事情で途中で止めさせられた場合、努力を途中で止めてしまうことに慣れてしまった場合、その寂しさは大きい。
達成感を味わうことなく終わるのが当たり前。途中で止めても仕方ないですませる。そんな気持ちになるキャラ達は魅力的だろうか?
やりたいのに止めさせられるのものは様々だ。
親からもうお終いと強く言われたのかもしれない。
やりたいことがあっても難しくて出来ないことある。
どうやったらそれが出来るのかわからない場合がある。
それをクリアするためにみんな頑張る。努力とは目的を達成するために行う行動の総称だ。
先述の育児漫画であるキャラはこう言っている。
「やりたいことが出来た時、それに向かって進むことが苦にならないように、努力や勉強は楽しいんだと(子供たちに)教えてあげることの方が今はいいんじゃないかな」
そうだ。若者向けの先品の多くは努力の楽しさを描いている。
ここまで書いて気がついた。そうだ、キャラ達を魅力的に書く前に、まず自分が魅力的な生き方をしなければ。
作者自身がキャラ達の先頭に立たなければ。
でも魅力的に生きるって何?! 他人に言うのは優しいけれど、自分がやるのは難しい。
……ふりだしにもどる、だ。
魅力的な人間の基礎中の基礎。そんなこと言われなくてもわかっていると言いつつも、ほとんどは何となく頭でわかっているだけ。
思っている、口で言う、それだけで満足してしまう人間は果たして魅力的なのか?
育児は育自。
私は結婚していないし、子供もいない。そんな私にとって子供達は自分の書いた作品のキャラクター達だ。
そして私はその子供達を通じて自分自身を成長させなければならない。
諦めたらそこでゲームセット。有名すぎる某漫画のセリフだ。
スポーツでは制限時間が決められているが、人生におけるゲームセットのホイッスルは死ぬまで鳴らない。
育てよmyキャラ。まっすぐでいい、ずるくてもいい、たくましく育て。
育つぞ自分。
100才になろうが、120才になろうが、死ぬまで育つぞ。