オフィスレイディのXXX・ホワイト・ペーパー
「そして女の第十四骨の裏側にあるポリフェクス器官を優しく押し上げ、男はヌポポンヌ液を注ぎ込んだ……まるで夜明け前のヒョンミル・ルートのつぼみが花ひらくように、ポリフェクス器官の襞がふるえた……」
§
地球人と系外惑星人が接触してはや百五十年。知的生命体の〈エイリアン〉を指す言葉は〈星々の人〉――略して星人という言葉に置き換えられた。本音はどうあれ、表面上のわたしたちと彼らは、仲良く銀河開拓民として過ごしたり、同じ重力下で同じ組成の空気を吸ったり、同じ職場で労働したりしている。
§
電子解錠音がわたしの集中をさまたげた。クローウィのお帰りだ。
「金がない……」
事務所に入るなり彼は弱々しく宣言して、窓際に設置しているブラウンのソファベンチに身体を投げ出した。寝返りを打つように身をよじって、ぶつぶつ呻いている。わたしは無言のまま視線を窓に向けた。窓の外は雨模様。今日のアマールデアは洗浄日なのだ。
視線を手元に戻して、デスク上に展開した星人解剖図と異星語の論文を比較する作業をやり直す。えーと、右翼を背面方向に引っ張る筋の名前が二種類あって、どっちがどっちだったかって……。
「あぁクソ、金がほしい」
ぼやき声の音量が少し上がった。わたしは聞こえないふりの姿勢をやめて、デスクから顔を上げてソファベンチに注意を向けた。しどけなく横たわる通称フェイク星人が見える。はちみつ色の長髪はしっとりと雨に濡れ、背中のシャツに張り付いている。上背のある身体が窮屈そうにソファベンチの上で丸まっている。その長身が、突然、ばね仕掛けのように跳ねあがった。
「クソったれ、金がほしいなあ!」叫んだあと、クローウィは振り返り、悲しそうな声で言った。「なあラビアン、おれの仕事は?」
「ないよ」
わたしは異星系医療学術論文の翻訳を仕事としている。翻訳機の登場でお役御免かと思われた翻訳者だったが、ありとあらゆる惑星にルーツを持つ〈星人〉どもが群雄割拠しているこのご時世、特定の専門分野ではまだ機械翻訳では対応しきれない現状がある。
そのニッチな需要にしがみついて、わたしは生活していた。
異星系医療は旨みのある仕事なのだ。新惑星に特攻した探査部隊が、新資源とともに新細菌を拾って帰ってきて、養生施設で過ごす間にそれぞれの種族特性に応じた風土病を発症する。よだれを垂らして新しい症例を待っているのはなにも医師ばかりではない。定期的な大紀行のあとにはマニヤックな学術論文がぽこぽこと湧いて出てくるのが世の常だ。
まあ問題があるとすると、そういう論文は難易度も高くて数をこなせない。細々と続けるには向いているが、飯のタネにはなりにくい。クローウィの金が無いとかいうぼやきも、そこに端を発している。わたしが彼に支払っている給料は、けっして多いとは言えない額だ。
わたしは彼の雇用主だ。わたしの儲けが少なければ、彼の収入も言わずもがな……この流れは良くない。たとえわたしが地球人コミュニティ出の若造に過ぎないとしても、雇用主としての威厳を見せなければ。そうたとえば……雑用を命じてみるとか。
「クローウィ。やることがなくて暇なら、コーヒーを淹れてくれないかな」
「コーヒー? フェイクに雑用とか、おまえ、無駄遣いしてるぜ」
「それはフェイクに相応しい仕事がある場合の仮定だよ。いまのクローウィに生産性なんてあってないようなものなんだから」
クローウィは舌打ちを返して、そのまま間仕切りの向こう側にある給湯室に姿を消した。雑用も言ってみるものである。
ところで、右翼筋の場所は、どこなんだっけ……。位置的には肋骨につながっているほうだと思うんだけど。二つの筋肉のどちらを刺激すれば翼膜がつりあがるのか、絵から判断するのは難しい。詳細に描画されたシャットラン星人の立体解剖図は、確かに裏表あらゆる角度から組織を確かめられる優れものなのだが、本当は、本物の身体をいじくってみるほうが早いし確実だ。本物を解剖したい……この欲求は、異星系医療学術論文の翻訳者ならば誰にでもおとずれる誘惑なのだろう。そして、困ったことに、わたしは自分の羞恥心と世間体を引き換えに、本物の身体を手に入れる手段を持っているのだ。
給湯室からほろ苦い匂いが漂ってくる。
わたしは右翼筋をあきらめて、窓の外を眺めながらコーヒーを待つことにした。いい匂いなんだからしかたがない。
事務所は二十階立てビルの七階にある。ガラスの表面を滑る雨だれの向こうには、第九区画の雑多なビル街の景色が続いている。
都市を洗う人工の雨は、もうしばらく続く。
いまをときめく人工惑星アマールデアの中央政令都市ホライゾン、その第九区画の隅にあるこの事務所に勤めているのは、わたしとクローウィの二人だけだ。しかも、わたしが事業主だから、従業員という意味ではクローウィ一人しかいない。
わたしにとって、クローウィはたぶん大事な仕事上のパートナーだ。クローウィは〈通称〉フェイク星人で、遺伝子情報を摂取した生物の姿を模倣できる種族特性を備えている……つまり、相手の体液を舐めたり髪の毛を食べたりするだけで、相手そっくりに変身できる。彼らはその特殊能力をあらゆる分野で――特に宇宙政府筋の諜報や先端バイオ研究で歓迎される。フェイク星人の希少性もあいまって、ほとんどの個体が宇宙政府の管理下で特権を得て活動している。
それが、なんの因果か、こんな場末の事務所で翻訳業のアシスタントなどをしているのだ。
わたしは翻訳作業中にどうしても理解できない体組織構造に出くわした場合、クローウィのフェイク能力で対象の星々の人に化けさせて、事務所に増設したクリーンルームで開腹して確認する、という人体実験スレスレの外道めいた所業を行っている。おかげで翻訳作業はクライアントからの評判が上々だ。「まるで実際にやったみたいに分かりやすい」と言われて、「医師免許を持っているからかもしれないですね。地球人限定ですけど、はは」などと恐縮してみせるのも慣れたものだった。
「オラよッ、コーヒーだ」
長い腕がマグカップを勢いよくデスクの上に差し出した。変わり者なのかなんなのか、よくわからないが、本来フェイク星人はこんな個人経営の翻訳事業にかかわるようなヒトではない。
「ありがとう」
マグを口元に近づける。いい匂いがした。
「クローウィは手先が器用な生まれだよね」
なんの気もなしに言ったのだが、すぐさま憎々しげな応答が返ってきた。
「生まれを軽々しく口にするなよ、ヒューマン」
わたしはマグカップから視線を上げた。クローウィはデスクに手のひらをつき、威圧的にこちらを見下ろしている。じっと見つめていると、クローウィの瞳の中で銀河が渦巻きはじめたのがわかった。フェイク星人は、どんなに肉を重ね纏っても、瞳だけは本性を失わないという。姿かたちがフェイクだとしても、銀河の瞳は本物、だなんて、なんてロマンチックな生きものなんだろう。わたしは自分の故郷を証明するアイデンティティをとうに失くしていたから、すこしだけ彼の眼がうらやましかった。
「なんだよ……べつに本気で怒ってるわけじゃない」
そのつもりはなかったが、この凝視はフェイク星人の気勢を削いだらしかった。渦銀河の目をそらして、クローウィはソファベンチに引っ込んだ。その間にコーヒーを二口飲んで、一息つく。
「で、お金がないって?」
「そうだ、金だ!」と言って、クローウィは気まずそうに目線を泳がせた。「なあラビアン、ちょっと儲け話があるんだけどさ、どうかな。手伝ってくれないか?」
「たしかに給金は良くないけど、食い詰めて金策に走るほどじゃないよね」
クローウィはソファベンチから身を起こし、弱々しく肩をすくめた。雨に濡れた、見目麗しく線の細い、はちみつ色の髪の地球人を模した姿が、寂しげな仕草を見せている。同情を引こうとしているならばいまのクローウィの姿ほどふさわしいものはないかもしれなかった。
とはいえその姿はにせものだ。
クローウィの姿はだいたい規則的にローテーションしている。いまの姿は地球人男性で、ライフサイクルの初期段階にあたる。お気に入りでも作っているのか、この優男の姿は以前に何度か見たことがあった。
ライフサイクルの開始時点は地球人――わたしと同じ人間の女の姿で、その姿を使って適当な地球人男性を引っかけて、今度はその男の姿を模倣する。次はその姿を使って多種多様な星々の女を引っ掛けて、その女の姿を模倣する。その次はその姿を使って多種多様な星々の男を引っかけて……ということを延々と繰り返し、遊んでいる(本人は遊びではなく使命だと言っている)。この間に翻訳の仕事が行き詰まると、わたしはいくばくかの追加報酬を渡してクローウィにターゲットを模倣してもらう。その姿をわたしがぐちゃぐちゃに解剖するので、クローウィは最後にわたしの一部をかじって最初の姿――ラビアン・テラリー、二十二歳の地球人の遺伝子を持った女――わたしの姿に戻る。そしてわたしは外出したとき、街頭で知らない男に声をかけられて、身に覚えのない卑猥な冗談を言われたりする。ああ、たしかにわたしが悪い。クローウィに解剖を依頼しなければいいのだ。身から出た錆とはいえ……とはいえ……。
「どうして金がないかって? おまえのくれる追加報酬、不定期だし、最近はそもそも声がかからないからなあ」
クローウィもなんとなく最近の仕事の傾向を感じ取っているらしい。わたしが規制の緩いこの惑星にもぐり込み、翻訳の事業をはじめて五年経つが、ここしばらくは特に難しそうな星人の翻訳を避けている。わたしも二十二歳、いい歳だ。臓器の位置関係によほど困窮しないかぎり、クローウィの身を開くことは避けたかった。彼の身を気遣う優しさよりも、もっと個人的な理由で。つまり、わたしは、クローウィにかじられたくないし、奔放な地球人と思われたくない。手遅れかもしれないが。
自分の望まない話向きになったことを気取られないように、ごく穏やかな調子で告げる。
「フェイクの特権で、生活費が申請できると思うんだけど」
「だからって、異星人と……そのなんだ……仲良くなる必要があって、で、仲良くなるための遊ぶ金がない、なんて言えるかよ!」
「特権の申請事由って枠を設けているだけで、実際はどんな理由だってかまわないって聞いたことあるんだけど」
「それにしたって恥ずかしいだろ」
いつだったか、クローウィがその乱行について弁解してきたことがある。曰く、フェイク星人は自分の本当の姿を知らない。だから彼らはあらゆる種族と交わり、ふさわしい姿を求めてさすらう。長く続く寿命の中で、自分自身の姿を獲得することが、彼らの使命なのだという。
そういうわけでクローウィの使命はとにかく金を食う。なにせ、ありとあらゆる星々の男女を食い散らかすことが必要なのだから……いやはや、使命という言葉の便利さときたら。性癖に免罪符を負わせることがお上手だ。
「大丈夫、使命なんだから。使命だから恥ずかしくない」
まあこれは嘘というか方便だ。
「おまえってときどきかなり嫌味なこと言うよな」
「結果的にそう聞こえているだけだよ。翻訳機のせいだ。共通語は難しい」
適当な返事を返すと、クローウィの表情が疑わしげにくもった。
わたしとクローウィは、共通語と呼ばれる特殊な文法の言語を使って会話をしている。共通語の文法を使っている限りは翻訳機による強力な補正がかけられるので、多少まずい言葉でも相手に意図が伝わるようになっている。最近の人工惑星はほとんどこの共通言語が公用語だ。共通語の欠点は専門分野の固有名詞や暗喩に弱いということくらいで、習得してしまえば非常に便利な代物だ。ただ、わたしの関心領域は、この共通語の外側で暮らしているマニヤックな星々の人ということになる。
「うん、まあ確かに正直に言うのも手かもしれないが」クローウィの話はまだ続いていた。
「そういうことをするとさ、フェイク星人の心証が悪くなるよな。自分で解決できればそれに越したことはないんだ。というわけでラビアン、まずはこの儲け話を聞いてから判断しないか? おまえのキャリアにとっても悪い話じゃない。共通語は、専門分野の固有名詞と暗喩に弱い。それを補う仕事なんだよ」
「なに? 翻訳関係?」
口に出したあと、下手をうったと気がついた。
「しかも医療分野だ。ほら、興味出てきただろ……」
得意げに話しはじめたクローウィを、受付の呼び出し音がさえぎった。わたしたちの反応は真逆にわかれた。今日、この事務所に誰かが訪問するような予定はない。そしてわたしのような零細の翻訳者に飛び込みで仕事の依頼を持ってくる顧客はいない。となると、警戒を前面に出してしまうのは普通の反応だ。
だがクローウィは嬉しそうに事務所の入り口に駆け寄り、電子錠を解錠した。止める間もなかった。雇用主の威厳とは……。
「よく来てくれた、コントラマット!」
ゲートをくぐって出てきた星人を、クローウィは抱擁して出迎えた。来客の姿は百五十センチくらいの身長で、見た目は地球人の十代前半の少年のよう。仕立ての良いスーツに包まれた肌の色はどこか青みがかっていて、さらさらの前髪を分けて額にこぶのような盛り上がりが二つ、その存在を主張している。この見た目には覚えがあった。一度クローウィで解剖したことがある。アトラ星人の成体だ。
「クローウィ。きみの歓迎は嬉しいけれど、まず彼女に挨拶させてくれないかな?」
わたしは驚いた。突然の来訪、しかもクローウィの知り合いにしては、たいそう良識的な人物のようだった。おっかなびっくりデスクから立ち上がって、めったに使うことのない応接スペースに来客を通す。
「突然の訪問で驚かせてしまってすみません。私はクローウィの友人で、コントラマット・フロッガーといいます。第二区画のターミネイト・ビルで映像関係の仕事をしています」
流れるような動きで名刺が渡される。紙の名刺なんて久しぶりに見た。いやそれより、ターミネイト・ビルに勤務しているなんて、本当にクローウィの友人なのか? ターミネイト・ビルに勤務するヒトだけで、この人工惑星アマールデアの全人類の資産の大半を占めているという話だ。第九区画でほそぼそ営業している翻訳屋からすると雲の上の人物のように感じてしまう。
「クローウィ。お客様に飲み物を用意してください」
「お客様ったって、おれの友達なんだけど」
「その言葉遣いもあらためて」
「それで生産性があがるなら、やめてやってもいいかな」
クローウィはへらへら笑っている。あろうことか、フロッガー氏もほほ笑んでいる。
「その様子だといまの職場が気に入っているみたいだね、クローウィ。もう五年になるんだったかな? 民間に下りたフェイクはトラブルを起こしがちだって聞いていたから、安心したよ」
「保護者ぶるなよ」
口では嫌がっているが、クローウィはまんざらでもなさそうな表情だ。なんということだ。彼らが友人の間柄であるというのは本当のことらしい。クローウィは「ま、座れよ」と言ってフロッガー氏をふかふかの黒椅子に座らせて、突っ立っていたわたしの肩を持って「ラビアンも」とフロッガー氏の対面に座らせた。
「で、例の話なんだが……」
「待って。わたし、まだ挨拶をさせてもらっていないんだけど」
「コントラマットはラビアンのことを知ってるから大丈夫」やけに自信ありげにクローウィが断言する。「なあコントラマット?」
「ええ、まあ……」
フロッガー氏が若干困り顔になっている。おおかた、クローウィが仕事の愚痴と称してわたしの悪評を吹き込んでいるのだろう。わたしはクローウィの茶々入れを無視して一礼した。
「はじめまして、フロッガーさん。翻訳者のラビアン・テラリーです。クローウィの雇用主です」
こちらは紙の名刺など持っていないので、いつものように端末からデータを送信するだけだ。フロッガー氏の細い手首にあしらわれたリング型の端末がやわらかな青色光で点滅する。
「本日はどのようなご用向きでしょうか」
わたしがひとこと聞いた途端、フロッガー氏は驚いたように目を見開き、次いでわたしの隣に座っているクローウィに非難の目を向けた。まるで年若い少年がプリプリ怒っているように見えるが、フロッガー氏はアトラ星人。額に二つのこぶもあるし、成人済みだ。
「まさか彼女に何も言ってないんですか?」
「説明してたらコントラマットがきたんだよ。でも乗り気だったよなあ、ラビアン?」
どうやらつい先ほどまでしていた翻訳関係の儲け話の出所は、このフロッガー氏のようだ。
「いや乗り気ってほどでは……ですが、もし医療翻訳の仕事ならば、興味はあります」
「医療翻訳、ですか。うーん、そうと言えばそうなんですけど」
歯切れの悪い言いかたに、いやな予感がする。渋るフロッガー氏にしびれをきらせて、クローウィが口火を切った。
「なあラビアン、〈洗濯屋ケンちゃん〉って知ってる?」
「洗濯……なに?」
聞いたことがない。職業名からして、過去の人物だろうか。
「ラビアンは地球人コミュニティ出身だから、もしかしたら知っているのかと思ったんだけどなあ。やっぱり古すぎたか。まあいいや、どうせ説明しなきゃいけないのは同じなんだ」
ちょっと聞いてくれ、と言うなりクローウィは長々と語りはじめた。
「いまから二百年と少しばかり前の、地球の極東地方での話だ。いまおれたちが使っている映像装置の元祖みたいなものが、地球の歴史に出はじめたころだな……そのころは民間の各放送局が映像ソフトを制作して、電波で流して、各家庭でそれを受信して視聴していたんだ。いまはもう電波帯域なんて民間じゃあ乗せられないが、当時の地球ではネットワークのほうがよほど高級だったんだ。
しかもその時代は映像は放映したらそれっきりで、いまみたいに映像を好きに保存したり再生したりなんてこともできなかった。で、そこに目をつけた奴がいた。放映した映像ソフトを記憶媒体に保存する仕組みを考えたんだ。
ところが発明は同時多発的に発生するものでね。ベータマックスとブイエイチエス。二つの規格の争いは火花を散らすが如くで、シェアの奪い合いは十余年に渡った。その戦役の最終局面にさっそうと現れたのが――」
「〈洗濯屋ケンちゃん〉なのです」
芝居がかった口調でフロッガー氏が続きを引き取った。溜めを奪われた形になったクローウィはいやそうな顔をしたが、この茶番を見せられているわたしもよほどいやな思いをしているということを理解してほしい。
「まあつまり、似たような規格の映像保存機器が二つあったんだけど、片方の陣営が製品のおまけにヒューマンの生殖行為映像ソフト〈洗濯屋ケンちゃん〉をつけた。そしたらバカ売れもいいとこで、おまけをつけた側が大勝利をしたってわけだ。ははは」
「いえ、あの、技術屋として補足させていただきますと、必ずしもそれだけが理由ではなかったのですが。記録可能時間とか、部品点数とか、陣営の販売網とか、もろもろの理由もあったのです」
「そうかあ?」
クローウィはこういう話が大好きらしい。フロッガー氏のほうはまだ人並みの世間体というものを持っているらしく、いくぶんか気まずそうに咳ばらいをしている。
「テラリーさんにご協力いただきたい点はずばり、ここです」
わたしは真面目に話を聞いていたつもりだったのだが、フロッガー氏の言うここ、がどこかわからなかった。あからさまにピンとこない顔をしていたせいか、フロッガー氏が対面から身を乗り出してきた。
「いま我が社は社運を賭けた一大事業に乗り出しているのです」
「なるほど」
フロッガー氏が子どもっぽい仕草で両のこぶしを握りしめる。
「いま世間に出回っている映像記憶装置の最大容量を拡張するために新規格を提案しているのですが、過去の地球同様、ホライゾンのターミネイト・ビル内でも他所の企業が似たような新規格を開発していましてね。販売時期は来期からなのですが、流通各所で調査したところ、どうも我が社のほうが若干……ほんの少しなんですが、旗色が悪い。いや、性能はほとんど同じなのです。ただその、向こうのほうが製品ロゴのデザインがスタイリッシュなぶん、イメージが先行してしまい、こちらが劣勢でして」
「なるほど」
「もちろん我々もただ手をこまねいているだけではありません。コマーシャルを打ち、街頭に立ち……」
そういえば最近そういうキャンペーンを見たような気がする。
「あとはロゴのデザイナーも替えました」
無情である。
「それでもまだ一手足りないのです。そこで閃いたのが……我々は過去の事例に学ぶべきなのではないか、と。つまり、初回購入特典として、我が社の新規格で作った生殖行為映像ソフトをおまけとして付けるアイデアです。社内の議論は白熱し、反対の声もありましたが、我々はやり遂げると決めました」
なるほど……へえ……。
「テラリーさんにご協力いただきたいのはその生殖行為映像ソフトの翻訳監修です。我々は顧客満足度九十九パーセントを目指しているので、惑星アマールデアに居住する星々の人の上位人口九十九パーセント相当、つまり十五星人に対応していただく必要がありましてね」
なるほど……いや、ちょっと待ってほしい。
「十五星人の現地法人に依頼すれば良いのでは? というか、既製品ではだめなんでしょうか? どこをとってもわたしが力になれるとは思えないのですが」
フロッガー氏は我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。
「既製品はダメです。最後のクレジットに社名を入れたいので、オリジナル作品を一から撮らなくては!」
むしろ社名を出したほうがマイナスなのでは? という気がするのだが、フロッガー氏はなんだか絶好調である。
「テラリーさん」いきおいフロッガー氏がわたしの手をとった。「あなたはご謙遜されていますが、このプロジェクトにはあなたの力こそが必要なのです。……というのも、実際のところ、人口上位九十九パーセントを満たすためには、ほんとうは五十九星人が対象範囲なんです。そのうち現地法人に依頼済のものが四十四。テラリーさんには残った十五星人をお願いしているというわけなのです」
現地法人もかわいそうになあ……じゃなくて。
「その十五星人はなぜ現地法人に依頼できないのでしょうか?」
「生殖行為を覗き見ることで興奮する文化がない星々の人がいらっしゃるのですよ。いや無関心を気取っているのではなく、本当に彼らはそうなんです。生殖行為は生殖行為。ただの本能。敢えて娯楽にするものではないと」
なんだかクローウィが居心地悪そうにしている。耳が痛いのかもしれない。
「じゃあ翻訳も必要ありませんよね?」
「そういう星にも平等の権利を叫ぶヒトはいるのです。販売開始後に星間差別だなんだとネガティブな喧伝をされてはたまりません」
それは社会派を標榜しただけの熱烈な変態なのでは?
「ただ、そうすると、十五星人ぶんは元手がない。代わりに、高品質で種類も豊富な地球産の生殖行為映像ソフトを原作にしようと考えています。台詞と演技をいい感じに彼ら向けに置き換えれば、十分鑑賞に堪えるものができるでしょう」
ああ、共通語は専門分野の固有名詞や暗喩に弱いから……。
「なんならいままで存在しなかった新たな市場を切り開くきっかけになるかもしれない。ビジネスマンの本懐、需要の発掘です!」
いやあ、大きく出たなあ。すごいすごい。
「地球人コミュニティ出身で、医療翻訳に携わっており、しかも仕事のパートナーにフェイクがいる。テラリーさんが適役だって、お分かりいただけましたよね?」
いつの間にか、フロッガー氏は卓上に大きく身を乗り出しており、わたしたちはテーブルを挟んで手に手を取り合っている次第になっていた。華奢な指先から伝わってくる体温は、ひんやりとして冷たい。アトラ星人は興奮すると体温が下がるのだ。彼が熱心なのは、よくわかった。よくわかったが、断ろう。わたしが口をひらこうとしたとき、横から伸びた手が、フロッガー氏の冷たい指を払いのけた。クローウィだ。
「新しい仕事が不安なのはわかるが、大丈夫。ラビアン、おまえならうまくやれる。なに、難しいことはない。簡単さ。いままでの翻訳と同じだ。ほら、ヨンギロール星人のメガウス病の論文を翻訳したときのこと、覚えているだろ?」
ああ、ヨンギロール星人……水生で体長が三メートルに達する六本足の星々の人。超音波で意思疎通をする彼らの論文はあまりにも翻訳が難しくて、納期を破ってしまってクライアントからボロクソに怒られたなあ。クローウィは覚えているかと言うけれど、わたしは早く忘れたい。
「あいつらの〈エシェ・ピピウス〉が共通語で言うところの耳小骨だって置き換えるのに一週間かかっちまったよな。でも、やり遂げた。そのときに比べりゃ、生殖器官なんてたかが知れてるんだし、楽勝だよ、楽勝。あの要領で、地球人のアワビとか、マツタケとかが他の星々の人のどの体組織に該当するのか当てはめて、ちょっとえっちな台詞を考えるだけなんだから。なんならおれもフェイクで協力するし。報酬はもらうけど」
「いや、不安とかそういう問題じゃなくてね……そもそもアワビとマツタケは」
「ままま、そう言わずに。おれの大事な友人の頼みなんだ。言ったろ、社運を賭けてるって。ほら見てみな、このリストが十五星人だ。な、だいたい解剖したことのある奴らだろ? 大丈夫大丈夫。おいコントラマット、原作の生殖行為映像ソフトと星人サンプル持ってきたんだろ? とりあえず一種族ヤってみて、それからやるやらないの判断したって遅くないからさ。ささ、ほらこっち、クリーンルーム入って……」
そういうわけでわたしは地球産の生殖行為映像ソフト『オフィスレイディのワレメ・ホワイト・ペーパー~成熟した秘蜜~(ティオワン星人編)』の翻訳監修に携わることになったのだった。わたしとしては、勘のいい消費者に主演女優クローウィナと主演男優クローウィが同一人物であると気付いてもらって、クレームで回収騒ぎでも起きないかなあ、と願うばかりである。
冒頭に続く。