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龍の舌

作者: NOZON

 今は亡き九龍塞城の如き一帯へ暗い赤色の制帽と制服を着用為、腰に警棒、胸元に拳銃を下げる屈強な四人の男が足を踏み入れた。住人の動揺は凄まじく、忽ち家屋や物陰に姿を消した。四人の男は辺りを睨みつけた後、騒々しく這入って行った。住人は男が過ぎ去ってから恐ろしげに顔を覗かせ、軈て先刻の通りに営み直す。

「言論警察か。」

 今は亡き九龍塞城の如き一帯の何処か、小さな部屋に四人の男が居た。其の内の三人は暗い赤色の制服を着て、脱いだ制帽は片手に収まって居た。残る一人は鉛筆を咥え、椅子へ腰を落として居た。先刻の声は此の男の物であった。

「俗に然う呼ばれて居ります。正しくは平等言語委員会、賢明な貴方の事ですから今日の用件を詳らかに為る必要は無いと思いますが。」

 慇懃な態度を見せる一人の言論警察官は後方で控える言論警察官から書簡を受け取り、慣れた手付きで開封為ると、要約為ますと言ってから仰々しく読み上げる。其の時、胸部の勲章が光を撥ねた。

「作家、顎部。貴殿の文章に用いられる言語は平等と言い難し。優れた文章である故に廿の注意を与え、改善の機会を与えたが一向に改められぬ為、直ちに拘束為る。以上。」

 読み上げた男が身を傾けると其の間を縫って二人の言論警察官が歩み寄り、顎部の左右に立ち聳えた。其の手には抜き取られた警棒が艶と光って在る。顎部は咥えて居た鉛筆を吐き出し、両手を挙げて立ち上がった。

「紙と筆は貰えるんだろうな。」

「残念ですが叶いません。……連れて行け。」

 顎部は前方に一人、左右に各一人、後方に二人の言論警察官を伴って今は亡き九龍塞城の如き一帯から去らざるを得なく成った。

「諸君が云う平等成らざる言語とは何を指すのかね。気狂い、脳足りんか、聾か跛か。」

「……。」

「何だ、言い給え。例の書簡には改めろと一つ覚えの様に書いて在ったが、何を改めよとは書いて在らず。」

「……顎部。余計な事を喋られない方が早く出所出来ましょう。」

「下らん。抑々如何なる言葉であろうと事実を形容為て居る成らば然う有る可きだ。差別だとか区別だとか、呼び方を変えた丈で何に成ろうさ。指し示す処は何等変わらない。言う者が如何なる意思を込めるか、言われる者が如何なる意思を感じるか。全ては其処だよ。幾ら暈したって潜む悪意は鮮烈な物さ。」

 然う言い放った顎部の横面に拳が食い込んだ。顎部の右手に立って居た言論警察官である。

「秘めたる悪意云々ではない、其の言葉は侮蔑の歴史を内在為るのです。」

 痩身の顎部であったが跪く事は無く、些か蹌踉と為た許りで淀んだ双眸を其の言論警察官へ向けた。他の言論警察官は颯と目を伏せ、黙認為て居る。

「君、侮蔑の歴史と言ったかね。笑わせる。断たず使われる言葉の中に其の侮蔑の歴史が無いと言うのか。學識が無い者は極めて簡単な文字しか解さん、否、解し得ぬ。文字に込められた意味すら分からん。適切な字句に据え換えると云うが、他に言語の誤謬やアレゴリーは視ず為て何を言うか。然様な愚者が何に騙されるか……、例えば君、フリークと云わば何を想起為せられる。」

「…………。」

「言い放てば畸形だよ、障碍者だ。他国の言葉を借りた許りで大衆は直ぐに眩まされる。意味が通じなければ使っても良いのか、分からぬ者を嘲笑為て何が平等か。僅かに智慧を持つ者が得意に付け上がって差別為て居る丈ではないか。」

「其れ以上、暴論を吐き続けると我々も上層へ報告為ざるを得ません。顎部、速やかに黙り為さい。貴方の為です。」

 勲章を下げた言論警察官が顎部に駆け寄り、其の細い右腕を強く掴んだ。瞬間、右腕が抗わず抜け落ちる。然う、義手であった。

「私は後天の片輪だ。然し乍ら然う呼ばれる事に厭いは無い、事実であり真実であるからな。他者の欠陥を取り上げて反駁為る者、愚弄為る者は著しく學識を欠いて居るのだから何を言われた所で動物の鳴き声だ。學識を持つ者は形容に適して居るからこそ此の言葉を使うのだよ、其処に其れ以上の意味は無い。君等は、然うだな、水を表す時に何と言うか。シニフィエやシニフィアンを説明為るか。水は水だろう、片輪は片輪だ。」

「顎部、貴方を此の場に於いて……、排除為ます。貴方は嘗ての輝かしい文才を失われた、今や社会の悪だ。全ては貴方に惚れた男の権利の下、責任は全て私が負う。貴方の言葉は詭弁だ、矛盾に満ちて居らっしゃる。此れ以上、顎部さんが狂われる前に殺せ。」勲章を下げた言論警察官が絶叫為た。

 顎部は不敵に嗤って返した。

「詭弁だよ、私は既に酷く人ではない。片目、右目は義眼だ。内臓も幾つか欠けて居る。睾丸は幾つか云々ではなく両方を失った。歯も殆ど無い。見ろ、気が付かなかっただろう。右手から二本の指が去った。靴で紛らして要るが、右足は爪先が綺麗に断たれて終ったよ。脳髄も委縮を始め、骨格も粗鬆だ。右耳は既に聞こえず、舌も表面に酷い火傷を貰ってね。体の随所に消えぬ傷を彫られた、此れは……読み難いな。文字を残す成らば読める様に為て貰わないと意味が通じないではないか。」

 顎部は言葉に合わせて患部を露わに為て行く。其の様は宛ら踊って居る、舞って居る様で、踏み出した言論警察官達の歩みを押し留めるには充分であった。

「去らば諸君、私は捕まっては成らぬのだ。家へ帰らせて頂くよ。」

 顎部が卒然、然う言い放つ。言論警察官達は我に返り、飛び掛かる様に顎部へ突進為たが遅かった。顎部が素早く床を踏み付けると、床が金属の激しい音と共に口を開けて顎部を呑み込んだ。言論警察官達が覗き込まんと駆け寄ったが直ぐに閉口為、顎部は姿を消した。

「顎部、家へ帰ると言って居ましたね。再び向かえば捕まえられるのではないでしょうか。」

 一人の言論警察官が、勲章を下げた言論警察官へ進言為た。然し乍ら勲章を下げた言論警察官は微笑を浮かべる許りで首肯は為ず、撤退だと言って三人を連れて今は亡き九龍塞城の如き一帯から去って行った。

 今も尚、今は亡き九龍塞城の如き一帯の何処かに於いて顎部は平等言語委員会の書簡を無視為続けて居る。

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