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第一話 現実が小説になった日

 はじめまして。或いは、ごめんなさい。

 俺の名前は境悠樹。ごく普通の三十路の社会人だった独身男性だ。

 これを誰かが読んでいるということは、多分、俺は帰ってくることができなかったんだと思う。

 もし、貴方がこれを俺に託されたのなら、北海道の家族にこれを届けて欲しい。そして、何があったのかを、みんなに伝えて欲しい。

 もし、これを拾った貴方が2015年4月28日に行方不明になった航空機の事を知っているのなら、どうか、関係者の方達に知らせてください。俺達は無事に生きているということを。

 もし、貴方がこれに書かれていることがわからないというのであれば、これを決して人目には触れさせずに廃棄して、これに書かれていたことはどうか忘れてください。

 出来ることなら、これが見知らぬ人の目に触れることがないことを、俺は切に願っている。

境 悠樹



 季節は春の後半。気温も上がってきて、夏の気配を感じられる今日この頃、俺は仕事を辞めることにした。

 ごくごく一般的な家庭に生まれた俺は、普通に生きてきて、普通に友達を作って、普通に遊んで、普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋人が出来て、普通に結婚して、普通に年を取って、普通に死んでゆく。

 そんな人生を送るものだと、ずっと思っていた。

 だが、人生ってやつはそうそう甘いものじゃない。

 いくら普通に生活していようが、最低限の努力というものを怠れば、現実という化け物に食われてしまう。

 自慢するわけじゃないが、俺は小さいころ、ずいぶんと出来の良い子供だった。

 並大抵のことは難なくこなし、勉強も運動も常に一番。友達もたくさんいたし、女子にもモテた。周囲の大人達も俺の事を神童だとか天才だとか褒めちぎっていた。

 そんな環境だったからか――いや、俺自身、調子に乗っていたからだろう。

 俺は、努力というものをしなかった。

 所詮、当時十にも満たない子供のレベルの話だ。

 年を追うごとに、俺は天才から普通に成り下がって行き、最終的には落ちこぼれていった。

 何とか高校を卒業した後は、何がやりたいのかわからぬままに大学へは行かず、専門学校へ入り、流されるままに派遣会社へ就職した。

 それからは自動車関連の工場――場所にもよるのだろうが、限りなくギリギリの人数で操業するため、一人当たりの仕事量が異常に多い――で心身ともに酷使され、数年と経たずに心を病んだ。

 就職してから十年、心を病みながらも我慢を重ねて耐えてきたが、ついに限界が来た。

 ある朝、いつものように起きた俺は違和感に気付く。

 体の感覚が薄い、と言えばいいのだろうか。全身が痺れたようで、んで思うように動かない。

 それに、妙に体がだるいし、頭が痛む。風邪だろうかと思い熱を測ってみたが、平熱だった。

 それでも何とか支度をし、朝食を食べ始めてすぐに気付いた。

 ほとんど味がしないのだ。なぜだかぞっとしたのをよく覚えている。

 が、その時は疲れているのだろうと気を取り直し、そのまま朝食を済ませ、身支度を整えて仕事先へ向かった。その時点で、俺はもう一つの異変に気づいていなかった。

 仕事場に付いた後、荷物を置きに事務所へ向かう途中、派遣先の上司に会った。

「おはようございます」

 と、挨拶をしたところで、相手が妙な反応を返してきた。

「お前、大丈夫か?」

 何か、心配するような表情でこちらを見てきた。

「え?」

「ほら鏡、見てみろ」

 手鏡を差し出され、中を覗き込むと、いつも通りの顔がそこにある。

 特におかしなところはない。

「あの、何か変ですか?」

 思わず尋ねると、

「表情、変わらないだろう?」

 そんな返事が返ってきて、もう一度鏡に視線を落としてみた。

 その時、俺は困惑した表情をしていたはずだった。

 しかし、鏡の中に映っていたのは全く表情の変わらない自分の顔だった。

 その日は上司の「病院行って来い」という命令に従って仕事を休み、病院へ向かった。

 診断の結果は、自律神経失調症だろう。とのことだった。

 自律神経失調症というのは交感神経と副交感神経といった自律神経系に異常が生じてなるものと考えられているもので、現代医療でも詳しい原因は分かっていないそうだ。

 ただ、発症者の共通点として多いのが、それぞれが強いストレスと疲労に長い期間にわたってさらされていたという点だ。

 症状としては頭痛、肩こり、立ちくらみ、便秘、下痢、動機、冷え、発汗、のぼせなど多岐にわたり、発症者ごとに症状が異なるらしい。

 今回、俺に身に起こったこれはそれなりに重い症状だったようで、医者からはしばらく仕事を休んで休養するのがよいだろうと言われた。

 それを聞いて、最初、俺は悩んだ。

 この業界は、長期間の休暇を望めない。

 休暇をもらって戻ったところで、俺の居場所はないだろう。

 そうなると次の派遣先へと送られることになるわけだが、そのまま無理をして働き続けるという選択は、この時、俺の中にはなかった。

 それほどに、俺は追い詰められていたようだ。

 しかし、幸いにして、蓄えはあった。

 今の仕事を辞めて、しばらく休んでから、新しい就職先を探すなりすればいい。

 むしろ、自営業なんかどうだろうとさえ考え、思いのほか仕事を辞めることに乗り気になってしまった俺は、悩むことを止めて、あっさりと辞める決意をしてしまった。

 辞めるまでの数か月なら、なんとか耐えられるだろうと、仕事を続行することも同時に決意して。

 次の契約更新で今の仕事を辞め、さらに会社も辞める旨を派遣元、自分が所属する派遣会社の上司に伝え、引き継ぎの準備をしつつ次の仕事についてあれこれ考えていた矢先、一つ目の不幸が俺を襲った。

 ある日の昼休み、一本の電話がかかってきた。

 派遣会社の上司からだった。

 電話に出ると『聞いた?』と、要領の得ない質問。

 わけがわからず「何を、ですか?」と問うと。

『君の住んでるアパート、火事になったよ』

 俺は目の前が真っ暗になりそうなのを何とか堪え、詳細を尋ねた。

 どうやら、二部屋隣の住人が料理中、油の入った鍋を放置して出火させてしまったらしい。

 昼間の時間帯ということもあり、幸いにも早い段階で火事は食い止められたようだが、電気、ガス、水道といったライフラインは軒並み使えない状態になってしまったらしい。

 不幸中の幸いは、火の手が自分の部屋まで届かなかったところだろう。

 仕事を終えて急いで帰宅した俺を二度目の不幸が襲った。

 急いで帰ったのが災いしてか、財布をどこかに落としたようだ。

 あれにはキャッシュカードや保健証をはじめ、全財産が入っているようなものだった。

 慌てて取って返し、帰宅路を捜索したが、財布が見つかることはなかった。

 遺失届をすぐに出し、カード類もすべて停止させたが、財布にはそれなりの額の現金が入っていた。おそらく戻ってくることはないだろう。

 カード類は失ったものの、幸運なことに預金通帳は残っていたため、現金の問題は何とかなった。

 しかし、三度目の不幸もすぐにやってきた。

 諸々の手続きや連絡を終え、一息ついた俺は、愛用していたスマートフォンに視線を落とす。

 最近、調子が悪いこの機器は突然電源が切れたりする。

 今回も、長電話が祟ってか、突然目の前で電源が落ちた。

 そろそろデータのバックアップも取らないと――そう思いつつ電源を入れた矢先、立ち上がりと同時に画面は真っ暗に、そして、再び起動、暗転と繰り返し、最後には何も映らなくなった。

 何か、もう、笑うしかなかった。もっとも、笑えていなかっただろうが。

 それにしても、厄年か、と。

 その翌日、すべてのデータを失い、まっさらな状態のスマートフォンを手に携帯ショップを後にした俺がいた。

 正直、ここまで来るともはや怖いものはないというか、やけくそ気味になっていた俺はGWの長期休暇が近かったのと、上司から「あとは大丈夫だからゆっくり休め、な?」と言われたのもあって、少しの休みをもらって実家のある北海道へと帰省することにした。

 仕事を辞めるとなると、家族に報告はしておいた方がいいと思った為だ。

 この後、俺は四度目にして、最大の不幸に襲われることになる。

GW間近とはいえ、平日の飛行場はずいぶんと空いていた。

 適当にお土産を購入し、チェックインを済ませ、邪魔になる手荷物を預けて出発ロビーへ向かう。

 途中、火がついたように泣き喚く子供の声が妙に印象に残った。

 自分が乗る便の入り口に着くと、ちょうど機内への案内が始まったところだった。

『これより、スベテのお客様の案内を開始しマス』

 アナウンスの妙なイントネーション。アジアン系の訛りの入った日本語なのが印象的だった。

 機内に入り、自分の席に着く。先頭付近の通路側。よく利用する場所だ。

 同じ列の窓際も真ん中もすでに埋まっていて、窓際には楽しげに外を見つめる小学生ぐらいの――まあ、今時珍しくもないが、どうやら一人で飛行機に乗っているらしい――女の子、真ん中の席には顔がよく見えないが、文庫本に視線を落とす十代半ばと思われる女の子がいた。

「あふっ……む、少し寝るか」

 シートに身を預けると同時にあくびをひとつ。強烈な睡魔が襲ってきた。

 ここの所、満足の行く睡眠がとれていなかったのと、空港までの二時間という長い――と言ってもほとんど電車に揺られているだけだったが――道のりで思いのほか疲れていたようだ。

「ふぁ……」

 と、二度目。あくびをかみ殺す俺のすぐ隣、三つ並んだシートの真ん中から、くすり、といった表現がそのまま当てはまるような小さな笑みを伴う声が聞こえた。

 思わず視線をやってしまった俺の隣にいたのは、俺より一回り年下のように見える可愛らしい女性だった。

 最初見たとき、彼女を女の子と称したが、彼女に対して女の子、という表現をしたのは、間違っていたようだ。薄く化粧をしてある顔立ちは、幼さが残るものだが整っていて、大人びた印象を見たものに抱かせる。何よりも、その雰囲気というか、立居ぶるまいというか、見た瞬間に「ああ、大人の女性だな」と思わせるような貫禄――という表現もどうかと思うが――それが彼女にはあったからだ。

「っ……!」

 初対面の女性に対してシャイな俺は、一瞬目があった彼女から不自然なほど目を背けてしまった。

 それがツボにはまったのか、隣の彼女はクスクスとした微笑からウフフッという。お上品ながらもはっきりとした笑い声をあげた。

 ぐっ、恥ずかしい……!

 顔を覆いたくなるような羞恥心がこみ上げてくるが、なんとか我慢する。

 中学生かっ! と罵りたくなる自身の行動に嫌悪しつつ、失礼な態度だったのは確かなので謝る。

「あー、その……すみません」

 が、消え入りそうな声で、モゴモゴと呟くのがやっとだった。

 どうも、初対面の女性相手にはこうなってしまう。

 相手が子供なら平気なんだが……。

「あっ、いえっ、こちらこそごめんなさいっ。ええっと、貴方も、旅行ですか?」

 なっ、なんか話しかけてきたぞ!

 変な汗をかきつつ「い、いえ、大丈夫です」と返す。

 いったい何が大丈夫なのか。全く大丈夫じゃないのに……。

 そんな答えになっていない俺の返答を気にした様子もなく、彼女は普通に話しかけてくる。

「私は……ちょっと気分転換で、一人旅なんです」

 ちょっと気分転換で一人旅とか、えらいリッチだ。羨ましい。

 心中で羨みつつ、ふと、違和感を覚えた。

 彼女の声、どこかで聞いたことがあるような……?

 まあ、気のせいだろう。と思考を放棄し、しどろもどろになりつつ言った。

「そ、そうなんですか」

 どうだこの非コミュ力。俺、これで三十路だぞ?

 ……あ、何か、悲しくなってきた。てか、死にたい。

「あ、あのっ、本当に大丈夫ですか?」

 死にたい、と小さく口に出してブツブツ呟きだしたところで、心配そうに話しかけてくれる彼女は聖女か天使か? いや、女神か?

 と、とにかく、これ以上不規則言動で気味悪がられるようなことになれば俺、立ち直れない!

 落ち着くんだ俺! クールに! そう、クールに行こう!

 そう、例えばこう、イケメン風に「ええ、大丈夫ですよ。あなたの可愛らしさに思わず緊張してしまって……」とか言ったりなんかして……ん? あれ?

 今、なんか俺、声に出して、た……?

 答えは、すぐ目の前にあった。

「あ、えっと、その……」

 かぁぁっ、と見る間に彼女の顔が赤くなる。

 俺の顔も、かぁぁっ、と赤くなるのがわかった。

 顔が破裂する! ってくらい赤くなっていたと思う。

 思わず顔をうつむかせ、ちらりと彼女の方を伺うと、ちょうど向こうも同じようにしていたらしく、目があった。

「「っ!」」

 なんだこのラブコメみたいな状況はっ!

 それからお互いにしばらく無言になり、機内の喧騒やアナウンス、そして、音楽が耳に入ってきた。

 ……ところで、さっきから流れているこの音楽、どこの誰だ?

 やや後方から聞こえてくる音楽、誰が流しているものかと思っていたら、機内アナウンスと同時に途切れていることに気付いた。なんだ。空港会社が流していたのか。

 それにしても、この歌、航空機内で流すには都合よく、テイクオフってフレーズがやたら多いな。しかも、なんか聞き覚えがある歌声だし。どこで聞いたんだっけ? 何か、年末の番組で田中タイキックとか……ガキ使? となると、大黒○季さん、だったか? ああ、そうだ。この声は間違いない。大黒○季さんだ。

 ……うーむ、なんか変な感じだな。

 今機内に流れている音楽といい、今日は妙に印象に残る出来事が多いというか……なんだったかな。飛行機事故を予知夢で回避する映画。確かファイナル・デスティネーションだったか。

 ……って、これから飛行機が飛ぶっていうのに縁起でもないもの思い出したな!

 あれって確か、生き残った奴らも次々と不可解な死に方してく奴だったか。

 どんなに逃げようとも死からは逃れられない。そんな印象が強く残った映画だったなぁ。

 シリーズ通してみると、どうあがいてもバッドエンドっていうのがまたなんとも言えない。

「……なんか、ファイナル・デスティネーションみたい」

 隣からふと聞こえた呟きに、思わず。

「あっ、やっぱりそう思いました?」

 って、何を普通に返してるんだ俺っ!

「あ……はいっ、貴方も観たことがあるんですか?」

 向こうもなんか嬉しそうに返してきた!

 あれ、でもなんかいい感じじゃないか? 俺、普通に話せてる? 変じゃないか?

 いつの間にか、彼女に感じていた変な緊張感が解けている。

 共通の話題というものの偉大さを実感する。映画好きで良かった……!

 よし、このまま行こう。

「はい、さすがに字幕ではないんですけど、テレビ放送のなら何度も」

「私もですっ。人がいっぱい死んじゃうから、好きってわけじゃないんですけど、運命にあらがって必死に生きようとするヒロインに感情移入しちゃって……あ、ご、ごめんなさい。つまらない、ですよね?」

 うん? 何で謝るんだ? それに、つまらないってどういうことだ?

 ……ああ、そうか。俺の顔、か。

 あれから多少マシになったとはいえ、未だに動かないことが多い俺の表情を思い出し、謝罪する。

「こちらこそごめんなさい。つまらないってわけではないんです。ちょっと、訳があって表情が動き難くなってしまって……」

「そ、そうなんですか?」

「はい、だから気にしなくていいですよ。俺も、その映画は何度も観ていますから」

 とりあえずフォローがうまくいったのか、彼女はほっとしたように淡い笑みを浮かべた。

「よかった……あの、貴方も、映画とかよく見るんですか?」

 続く質問に、俺も答える。

「はい、子供の頃は特に洋画が好きで、金曜ロードショーは作品問わず毎週見ていましたよ」

 ただまあ、小さい頃だったから、金曜日だけ特別に夜更かしを許してもらっていた。

「あっ、私も同じです! 小学生の頃なんかは九時には寝なさいって言われていたんですけど、映画に興味を持つようになってからは、金曜日だけ夜更かしを許してくれて……」

 おおっ、俺のところと同じだ。

 思わぬ共通点に嬉しくなる。また、お互いに自然と、饒舌になっていく。

「うちもそんな感じでしたよ。うちの場合、母親が特に映画が好きで、レンタルで借りてきてはよく一緒に観ていたんですよ」

「そうだったんですね。私のところは両親じゃなくて、御婆ちゃんなんですけど、御婆ちゃんも洋画が特に好きで、よく映画館に連れて行ってもらっていたんです」

「あ、それは羨ましいなぁ。良い御婆ちゃんですね」

「はい、とても、優しい御婆ちゃんで、大好きでした……」

と、少し、悲しそうに微笑む。それに、「大好きでした」とは過去形。

「あ……ごめんなさい。無神経でしたね……」

 すこし……いや、かなり調子に乗っていたか……。

「あっ、気にしないでください! 御婆ちゃんが亡くなってしまったのは、随分前のことですし、御婆ちゃんからはたくさん、優しい思い出を貰いましたから」

 優しい思い出、と表現した彼女になんとなく気になるものを感じたが、タイミングを計ったように機内アナウンスが入ったので、お互い、軽くうなずきあい、正面を向いた。

『これより、当機は新千歳空港へ向けて出発します。シートベルトを確認し、お手荷物は前方座席の下、シートポケットへご収納ください』

 さて、いよいよか。

 飛行機にはもう何度も乗っているとはいえ、離陸の瞬間は毎回緊張する。

 それは隣に座る彼女も同じようで……そういや、なんていう名前なんだ?

 今更ながら、相手の名前も知らずに話していたことに思い至り、隣に視線をやると、彼女はピンと背筋を伸ばし、ぎゅっと目をつむっていた。

「……どうかしました?」

「えっ? あっ、じ、実は私、こういう飛行機は……その、初めてでっ……」

 あー、わかる。確かに飛行機初体験は怖いよなぁ。

 今でこそ普通に乗っているが、俺も初めて飛行機に乗ったときは怖かった。

 考えてみてほしい。例えば今乗っている飛行機だが、小型の物とはいえ、満員の状況では実に百八十名弱の人間が乗っている。これにその人数分の手荷物や飛行機自体の重量、燃料の重さなどを合わせると実に百トンを余裕で超える。自動車でいうと十数台分だ。詳しい数字が知りたければ自分で調べてくれ。俺も調べたことがあるが、搭乗人数や荷物の重量で燃料の重量が変動したりして面倒なんだ、あれは。まあ、それを踏まえても百トン以上の物体が空を飛ぶというのだから恐ろしい。まあ、推進力とか揚力とか、物理系に詳しい奴なら理路整然とした理由を説明できるのかもしれないが、実際のところ、それを聞いたところで大多数の人間は理解できないのではないだろうか。

 じゃあ、なんで俺は平気なのかというと、そういう物だからと割り切ったからで、飛行機の仕組みや空を飛ぶ理由を理解したからではない。諦めた、ともいえる。

 それでもあえて理由をつけるなら、紙飛行機だ。飛行機というのは紙飛行機を巨大化して、大きさに合わせて形状や材質、動力などをより凄い物に変えたものだという認識で俺は見ている。

 つまり、こんな↓感じだ。

 紙飛行機は小さくて、紙で出来ているから、手の力で飛ばせる。

 飛行機は大きくて、鉄で出来ているけど、ジェットエンジンの力なら飛ばせる。

 まあ、これはあくまで俺の納得の仕方だから、ほんの一例に過ぎない。

 鉄で出来ていると書いたが、実際使われているのは鉄より軽くて丈夫な材質だったりするし……って、なんで俺、飛行機について語ってるんだ?

 とりあえず話をもどそう。

 緊張した様子の彼女の気を紛らわせようと、俺は話しかけることにした。

「そういえば、名前聞いていなかったですね」

 今更ながら、自己紹介すらしていなかった。

「えっ、あ、はいっ。言われてみたらそうですね」

「じゃあ、俺から名乗らせてもらいますね。俺は境悠樹。苗字は境、名前は悠樹です」

「境さん、ゆうきってお名前なんですか? 実は私の苗字、同じ読みで、結城っていうんです。あと、名前は……琴音っていいます」

 結城琴音さんか。

「結城さん、かぁ」

 仮に俺が婿入りしたら結城悠樹になるわけか。読みが被って変な感じ……って、何考えてるんだ俺!

 俺が妙なことを考えていたら、結城さんはとんでもないことを口走ってくれた。

「ふふっ、境さんがお婿さんになってくれたら、ゆうきとゆうきで被っちゃいますね?」

 と言ったところで、結城さん、お顔を真っ赤にして「わ、私っ、何言ってるのっ……?」って!

 やめて! 本気にしちゃうから! 惚れてまうやろぉってなるからぁ!

 三十歳童貞をなめるなよ! マジで本気にしちゃうと止まらないんだぞ!

 と、とりあえず落ち着こう。結城さんみたいな美人が俺になびくはずがない!

 あ、言っていて、悲しくなってきた……。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。生まれてきてすみません」

「ほ、本当に大丈夫ですかっ?」

 ああっ、また変な言動でいらぬ心配をかけてしまった。

 それにしても……本当に優しいな、この子は。

「ありがとう。本当に大丈夫ですから……結城さんは、優しいですね」

 自然と口に出た感謝の言葉に、結城さんは気恥ずかしそうに顔を伏せた。

「そっ、そんなこと、ないでひゃあぁっ!」

 離陸直前だったのか、突然、機体が加速して、結城さんがあられもない悲鳴を上げると同時に俺の腕にしがみついてきて俺の二の腕になんか柔らかいのがダイレクトアタックぅぅぅぅ!

「ゆ、結城さん、落ち着いて! 大丈夫だから!」 

「……えっ? ひゃぁっ! ご、ごめんなさいっ! うぅ……恥ずかしいよぉ……」

 無事離陸して安定した機内、ようやく自分の状況を把握した結城さんは、見てられないくらい恥ずかしがって、耳まで真っ赤になっていた。

 くっ! なんだこの生き物っ! 可愛い過ぎる! 

土下座したら付き合ってくれないだろうか。無理か。 

……まあ、そんなことする勇気なんてないけどな。

「……」

 思わず無言になり、ちらりと結城さんの様子を伺うと、またもや目があって、今度は向こうが慌てて目をそらした。

「……っ」

 何だよこの空気! 甘酸っぱい! 誰か助けてくれ!

 と、そんな俺の心情を酌んでくれたのか、ここに至るまで窓の外を眺めて「うひゃー」とか「たかーい」とか「すごーい」とか言ってはしゃいでいた窓際の女の子が子供ならではの無遠慮さで結城さんに話しかけていた。それなりに大きな声で、

「おねーちゃん、おかおあかいよ? どーしたの? おじちゃんにせくはらされたの?」

 何言ってるんだクソガキぃぃぃぃ!

 一瞬、周囲の空気が凍りつき、ひそひそとした声がっ……!

「ち、違うよっ? お姉ちゃんは大丈夫だからっ! ねっ?」

 とんでもない爆弾を落としてくれたクソガキに、注目を集めてしまった結城さんは今にも泣きだしそうな上ずった声で弁解した。

 結城さんっ? その言い方だとかえって誤解を招くから! ほんとは嫌だけど無理して耐えている健気な人みたいだから! ああっ! 視線が痛い!

 俺がいたたまれなくなっていると、またしてもちょうどいいタイミングで機内アナウンスが入った。

『当機はこれより空港上空の雲へと突入いたします。揺れが予想されますので、座席より御立ちになりませぬようお願いいたします。3……2……1……』

 カウントダウンピッタリに、ごぅんっ、という揺れが襲う。

「ひゃぅっ!」

「おぉぅ……」

 機体の揺れに結城さんが小さく悲鳴を上げる隣、俺は思わず感嘆の声を漏らし、そこかしこで同じような反応をしている人が居たと思ったら、まばらに拍手の音が聞こえ始め、乗客の大半が拍手するという状況になっていた。

 いや、確かにすごい。これの機長バージョンなら話に聞いて知っていたが、まさか客室乗務員がこんな芸当を披露するとは思いもよらなかった。

 そして助かった! さっきまでの空気を壊してくれて!

 前方の方へ出てきて丁寧なお辞儀をする客室乗務員さんに、俺は惜しみない拍手を送ったのだった。

 その際、こちらを見てウィンクしたように見えたのは童貞男子特有の勘違いだろうか。

 それから俺はクソガk……もとい女の子――まりなちゃん、と言うらしい――に持っていたお菓子を与えて黙らせて、結城さんと雑談に興じていた。

 主な話題は映画だったが、俺の年齢を教えると、徐々にプライベートな話題へと移行していった。

 女性って、こんなにも積極的なものなのか。と、戸惑いを覚えるほど、結城さんはグイグイくる。

「境さんって、派遣会社の社員さんなんだ。普段はどんなお仕事をしているの?」

「派遣会社の社員って言っても、平社員だからな。現場で肉体労働だよ」

 気づけば、お互いの口調は砕けた物になっていた。これが女子の話力か……?

 というか、最初に抱いた大人の女性的な印象をあっさりと覆された。

 ひっそりと戦慄していると、結城さんは、そんな自分の口調の変化に気付いたのか「ご、ごめんなさいっ。私、馴れ馴れしかった……?」と上目づかいでこちらを伺ってきて、ハリケーンの如く俺の心をかき乱す。

「ああ、いや、こうして家族以外の女性と話すこと自体久しぶりっていうか……結城さんこそ、俺みたいなおじさんと話していて、退屈しないか?」

「退屈だなんて、そんなことないよっ! 境さんは素敵な人だと思うもんっ!」

 なんでこの子の俺に対する好感度、こんなに高いんだ……?

 いっそ不可解なほどに好意を寄せてくれている。と思われる結城さんだが、そういえばさっきから俺のことしか話していない。彼女のことも聞いてあげた方がいいんだろうか。向こうがこっちのことを積極的に聞いてきているのに、自分のことを語らないってことは、質問待ちってことなんだろうか? 果たして、本当にいいのか? ええい! 当たって砕けろ、だ!

「ありがとう。それじゃあ、俺からも質問していいか?」

 と、言った途端の結城さんの嬉しそうな顔と言ったらもう永久保存したくなるくらい輝かしくて愛らしかった。どうやら俺の考えは間違っていなかったようだ。

「っ! うんっ! どんどん聞いてっ!」

 尻尾があったらブンブン振られていそうな結城さんの食いつきっぷりに若干ひきつつ、俺は結城さんに倣って質問してゆく。

「結城さんの年は……ああ、ごめん、女性に年齢を聞くのは失礼だったか」

「ううん、大丈夫だよ。私、今年で二十歳になるんだぁ」

「そうか、今年で二十歳か……ん? じゃあ、まだ未成年なのか?」

 思ったよりも若かった。まあ、見た目は年相応というか、下手すれば女子高生かと思うほどだ。

「うん、そう。ギリギリだけど、花の十代だよ?」

 そう言って、こちらを覗き込むように見つめてくる。おまけになんか、なんだ……なにか、アピールするかのように胸元を強調していませんかね? 魅惑のナニカが見えそうですよ結城さん? もしかして、誘っているのか? いや、まさか、な。

 というかホント、冗談抜きに恐くなってきた。これがいわゆる美人局とかハニトラというやつか?

「あー、結城さん。ちょっといいか?」

「ん? なぁに?」

 まじまじとこちらを見つめてくる結城さんからは、とてもじゃないが、騙してやろうだなんていう雰囲気は微塵も感じられない。まあ、そういう手合いの輩程、こういった偽装がうまいのは何度か経験しているからわかるんだが。何故か、結城さんからはそういう気配が全く感じられない。

 天然と言うか純粋というか、どこまでもまっすぐにこちらを見てくるんだ。

 こちらを騙そうという手合いに感じる胡散臭さや過剰なボディタッチなどというものが、全くない。

 この何とも言えないもやもや感を晴らすには、どう尋ねたものか。

「君は……」

 と、少々真面目な雰囲気で言い出したところで、なぜか結城さんも真剣な顔でこちらを見てきた。

 なんだ? まるで何かを期待するような、それでいて不安そうな顔をする結城さんに、妙に心がざわつくというか掻き乱され……?


『たとえどんなに離れていても、私、あなたのことは絶対に忘れないよ。だから、いつか、また……』


 うん? なんだ……? 今、何か、結城さんと誰かの顔が重なったような……?

 なんだか最近、やけにおかしなことが立て続けに起こるな。

 不幸な出来事が立て続けに起こったのに始まって、妙に印象に残る予兆めいたことがそこかしこで起こって、今の幻覚と幻聴めいたものなんかに至っては色々とまずいだろう。

 俺、そこまで病んでいたのか……?

「あの……境さん?」

 と、思わず思考の海に漕ぎ出しかけたところで結城さんが至近距離で顔を覗き込んでいた!

「うわっ! す、すまんっ!」

 ええっと、何を聞こうとしていたんだっけ?

 ああ、そうだ、結城さんがやけに俺を気にかけてくれているのが怖くなってきたんだ。

 ……此処は、素直に聞いた方がよさそうだな。

「えっと……結城さん、君は、どうしてそんなにも俺を気にかけてくれるんだ?」

 そんな俺の質問に、結城さんは何か言いたげに口を開きかけたが、言おうとした言葉を飲み込むようにいったん口を閉ざすと、どこか悲しそうな微笑みを浮かべて言った。

「……どうしてだろう、ね。ただ、あなたを見ていると、切ない気持ちが込み上げてきて、私にできることは何でもしてあげたい。って、そう思ったの」

 なんでも、って……いったい、俺の何が彼女にそうさせたいと思わせるんだ?

 勘違いじゃないのか?

 少なくとも、俺なんかに、そんな価値はない。

「俺は、君にそこまで想ってもらえるほど大した奴じゃない」

 思わずそう言ってしまった途端、結城さんは尋常じゃない剣幕で叫んだ。

「そんなことないっ! だって、あなたは、私の……っ!」

 一見すると大人しそうな、彼女が見せた感情的な姿が、酷く、俺の心をかき乱す。

 何か、俺の中の遠い記憶が刺激されるような、もどかしい想いがこみ上げてくる。

 何だ、この気持ちは……?

「ゆ、結城さん?」

「……ごめんなさい。でも、お願いだから、そんなこと言わないで」

「あ、ああ……俺こそ、ごめん」

 と、結城さんに謝ったところで気付く。

……しまった。今のやり取り、また注目を集めたんじゃないか?

 こっそりと周囲を伺うと、なぜか皆こちらではなく、窓の外を見ていた。

 むしろ、窓の外を見てざわついている……?

「ねー、おねーちゃん、おじちゃん」

 まりなちゃんが窓の外を見ながら話しかけてきた。

 いったい、どうしたというのだろう?

「おそと、なにもみえないの」

「うん? それは、雲の中にいるからじゃないのか?」

「ううん、さっきまで、おそらも、うみも、みえてたの。あとちょっとでつくっていってからこうなったの」

 あとちょっとで着くっていうのは機内アナウンスのことだろう。

 結城さんとの会話の中で耳にしていた。

「周りの人達の様子もおかしいし、何かあったのかな?」

 結城さんに言われて周囲の声に耳を傾けると、どうやら急に濃い霧の中へ入ったように景色が白一色になってしまったようだ。

「雲の中にしては気流が安定しているようだし、霧の中にしては濃すぎるな。確か、今日の天気予報では北海道は全道的に晴れていて、風もあるはずだから、ここまで濃い霧が立ち込めるわけもないはずだけど……」

 そんな考えに至った者が他にもいたのだろう、周囲が徐々に騒がしくなってくる。

 すると、そんな騒ぎを察知してか、機内アナウンスが入った。

『ただ今、当機は突発的に発生した濃霧内部を航空しております。まもなく、新千歳空港上空へ到着いたしますので、今しばらくお待ちください』

 機内アナウンスが入ったことで、周囲のざわめきは収束していった。

 が、俺はどうにも腑に落ちないものを感じていた。

 ……なんか、妙だな。

 何が、と言われても説明できないのだが、何か、今のアナウンスは釈然としなかった。

「境さん? どうしたの?」

「……いや、今のアナウンス、何かおかしくなかったか?」

「ええと、私、飛行機自体初めてだからよくわからないんだけど、こういうのって、お客様が騒ぎ出す前に連絡くらいあるんじゃないかな?」

「それか」

 そうだ。確か、霧や雲の内部に突入する時を含め、到着する空港付近の天候が機内アナウンスで流れるはずだ。しかし、今回はそれがなかった。

 これはおそらく、想定外の、先ほどのアナウンスの通り、本当に突発的な出来事なんだろう。

 今の放送からわかるのは、せいぜい北海道上空にいるはずだってことか?

 それから十分ほどして、再び機内アナウンスが入った。

『当便に乗り合わせの全てのお客様へ連絡いたします。当機の計器類に不調が生じ、これより不時着いたします。シートベルトをお締めになり、シートにお掴まり下さい』

 それは、唐突すぎる知らせだった。

「は?」

「え?」

 俺と結城さんが同時に疑問の声を発した直後、飛行機が急降下を始めた。

 ぐぉっ、という強烈な浮遊感が体を浮かせるが、シートベルトをしていたので何とか状態は保持されている。が、そんな俺の視界に、ふわーり、と宙へ浮かぶまりなちゃんの姿がっ!

「うおぉぉぉぉっ?」

 反射的に手を伸ばし、小さく細い手を掴んで引き寄せ、そのまま抱きしめた。

 あっぶねえぇぇぇ!

「おー、ふわってなったー!」

「そうだねっ!  ふわってなったねっ! シートベルト大事っ!」

「もういっかい!」

「ダメだ!」

「ぶー」

 今の危なかったぞ、ホント! 皆はシートベルトを締め忘れないようにしよう!

 しかし、急降下中だというのに、のんきな声を上げるまりなちゃんは将来絶対大物になると思った。

「さ、境さん凄いっ!」

 拍手をしている結城さんも大概だと思うが。

 飛行機の下降は相変わらず続いていて、あちこちで悲鳴が上がる。

 って、いくらなんでも下降時間が長すぎるだろう!

 明らかにおかしい下降時間に疑問を抱いたのも束の間、どぉん、という衝撃が機体を襲う!

 次いで、どがががががががっ、と、明らかに滑走路へ着地したとは思えないような不穏な音を立てながら機体が突き進んでいく。

「きゃー! しんじゃうー!」

 とてもそうは思えないまりなちゃんの楽しそうな悲鳴を聞きながら、俺は死を覚悟しようとして、自宅にある、ちょっと人様にはお見せできないあれやこれやを思い出し、思わず叫んだ。

「だぁぁあ! こんなところで死ねるかあぁぁ!」

 あんなの絶対家族に見せられない! 死んでなお恥をかくとか勘弁!

「せっかく逢えたのに、私、まだ死にたくないよぉぉぉ!」

 結城さんもなんか叫んでいた。

 というか、周りの人達も叫んでいて、何を言っているのかさっぱりわからない中、徐々に速度が落ちてきて、やがて、飛行機は止まった。

 助かった……のか?

 あたりを見渡すと、ポツリポツリと頭を上げ、俺と同じようにあたりを見渡すものが出てきた。

 どうやら、無事に着陸したようだった。

「お客様! これより外への避難誘導を開始いたします! 係員の指示に従って行動してください! 荷物は持たずに、速やかに避難してください!」



 そうして、指示に従って、外に出た俺達を待っていたのは、鬱蒼と生い茂った深い森の中だった。

「これは……」

 外に出た瞬間、まとわりつくような湿気と暑さを感じた。

 今は四月の終わりに差し掛かったところで、この時期の北海道なら幾分肌寒い時期のはず。

 ましてや、真夏でもこのような湿気を感じることなんか、滅多にない。

 更には、気付いたものがいるかどうか、あたりに生えている植物はあからさまに亜熱帯地域に生えている様なものばかりで、北海道の植林の代表格である白樺の木が全く見当たらない。

「境さん、あれ……」

「結城さん? いったいどうし……うわっ!」

 結城さんに呼ばれて振り返ると、俺達の乗っていた飛行機は幾つもの木々を薙ぎ倒し、大地に大きな痕跡を残した状態で止まっていた。しかも、奇跡的に機体はほぼ無傷に見える。

「すげぇ……パイロットに感謝だな」

「うん、私もそう思うよ……」

 二人揃って呆然と飛行機を眺めていると、くいくいっ、と服の裾を引っ張られた。

「ん? おお、まりなちゃん、どうした?」

「おじちゃん、ここどこ? ほっかいどーについたの? まりな、おばーちゃんにあいたい」

 そうか、まりなちゃんは、北海道のおばあちゃんに会うために、たった一人で飛行機に乗っていたんだよな。

 これは……まいったな。どう答えたものか。

 何が起こったのかなんて、俺には分からない。

 ただ一つ、確信を持って言えるのは、ここが北海道ではないということだ。

 しかし、まりなちゃんにそう言ったところで理解は得られないだろう。

 ……だったら、まずはできることからやろう。

 俺の服の裾を震える手で強く握りしめているまりなちゃんの手を優しく剥がすと、俺はその手を軽く握ってあげながら、目線を合わせて語りかける。

「まりなちゃん、残念ながら、ここは北海道じゃない」

「そうなの? じゃあ、ここ、どこなの?」

「ごめんな。おじちゃんにもわからないんだ。けど、俺が必ずまりなちゃんをおばあちゃんのところに連れて行ってあげるから、今は我慢してくれるか?」

「……うん、まりな、がまんできるよ?」

「よし、いい子だ。全部、おじちゃんに任せとけ」

「うんっ!」

 この子がどこまで理解してくれているのかはわからない。

 でも、俺の想いは伝わったのだと、そう信じたい。

 まりなちゃんを、北海道のおばあちゃんの元へ送り届ける。

守れる保証などない約束だが、俺にできることなら、何だってする。

「よし! 頑張ろう!」

 まりなちゃんの頭を撫でてやり、気合を入れると、結城さんは、妙に潤んだ瞳を俺の方へ向けていた。

「やっぱり、あなたは……」

「結城さん? 大丈夫か? 熱でもあるのか?」

「……はっ! う、うんっ! 平気だよっ! 私、元気!」

 それならよかった。

 なんだか結城さんの様子がおかしいが、本人が元気だというのなら大丈夫なのだろう。

 まあ、気をつけておくに越したことはないか。無理をしているかも知れないし。

 ……さて、これからどうするか、まずはみんなで話し合うべきだと思うんだが、どうも、雲行きが怪しそうだな。

 もうすでに騒ぎになりつつあるみたいだが、念のため確認しておくか。

 俺はスマホを取り出し、気になっていた事を確認する。

「だめか……」

 見事に圏外だった。

 とはいえ、また壊れた可能性もあるから結城さんにも確認してもらおう。

「結城さん、確認して欲しいんだが……どうだ?」

 既にアイフォンを取り出して確認していた結城さんは、首を横に振る。

 やっぱりダメか。

 山中だからというのもあるかもしれないが、空港からそう離れていないのなら、電波は届く。

 試しに、GPSも起動させてみるが、案の定、位置情報は習得できなかった。

 まあ、現在の気候と周辺に自生している見たこともない植物を目にした時点で、最悪の状況は想定していた。

 あまりに突拍子もなく、信じられないだけに現実逃避をしてみたが、GPS情報が習得できない時点で、逃げ道は塞がれてしまった。

「異世界モノって奴か……現実は小説より奇なり。いや、もはや現実が小説、だな」

 どうやら、俺に降りかかる不幸は、まだ終わっていなかったらしい。

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