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業火紅蓮少女ブラフ/Calico Grace  作者: 枕木悠
先天的後継者の祈り(Calico Grace)
8/19

キャリコ・グレイス/八

「安らぎの森、あなたは禁断の匂いに眩惑して、いい夢を見ていたのですよ」

 極めて電子的な人間の声が三方向から聞こえて、それはエイダとロザリィとイサクの声に違いない、僕ははっと目を覚ました。

 ここはどこ?

 私は誰? とは思わなかったが僕は知らない影の中にいた。

 人の形をした影の外にはオレンジ色の光があった。

 夕焼けの光だ。

 背中には硬い感触があって、僕はそれにもたれるようにして眠っていたようだ。

 僕は目を擦りながら周囲を見回した。

 わっと背中にあったものを見上げて驚く。

 僕はなぜか、教団のコレクションの一つであるガンダーラ美術の仏像の後ろにいたのだった。

 僕はこの仏像を眠る前に一度正面から見上げていた。

 でもどうして?

 僕は森の中にいたはずだ。

 ナユタ様と。

 ……ナユタ様は?

 僕は立ち上がり仏像の前に移動した。

 僕の周りにはナユタ様はおろか、誰もいなかった。

 静寂が、南側のガラスから入り込んでくる夕焼けに染まる僕とガンダーラ美術の仏像を取り囲んでいた。

 いや、完全な静寂ではなかった。

 遠くにはざわめきがある。無数の人たちの無数の会話が聞こえて来ていた。

 僕は仏像を見上げ、その大陸の気品漂うどこか雅やかな端正な顔を見つめてから、何も思わず何も考えずに目を瞑り、二秒間、手を合わせた。

「ありがとうございました」

 僕は小さく言って、ガンダーラ芸術が展示されているフロアから出る。そして僕はそこから左手の奥にある階段まで歩きそこを昇った。ガンダーラ芸術のフロアは会同が開かれていたメインホールから一階降りたところにあった。階段を昇り、そして真っ直ぐ進めば立方体の施設の正面玄関があり、おそらくちょうど会同が終わったところなのだろう、信者たちがぞろぞろと施設から吐き出されていた。

 僕は工場で生産されたものを入れて出荷されていく段ボールのような動きを見せる信者たちを見ながら、階段を昇り切ったところで立ちすくみ、あれは現実だったのだろうか、と考えた。

 ナユタ様と僕は本当に出会っていたのだろうか?

 エイダとロザリィとイサクとは、実在の人物で僕らのことを追いかけたのだろうか?

 夢だったのだろうか?

 僕はいい夢を見ていたのだろうか?

「安らぎの森、あなたは禁断の匂いに眩惑して、いい夢を見ていたのですよ」

 幻聴?

 耳の中でゆったりと木霊している。

 夢、

 ……だとしたら。

 もしそうだとしたら僕の空想も大したものだな。

 僕はシニカルに笑う。

 僕は自分自身を嘲笑った。

 なんだかぼうっとする。

 頭が重い。

 体が少し熱っぽいな。

 体が汗でべとべとしている。

 お風呂に入りたい。

 もう帰ろうか。

 僕の家に。

「コテツ!」

 僕が足に力を入れて歩み出そうとしたタイミングで、韓国人のお姉さんの声が聞こえた。僕は視線を上げて前を見る。信者たちの中を掻き分け押し退けてこちらに手を挙げながら駆け寄ってくる韓国人のお姉さんの姿が見えた。僕は顔の横で手を振り、笑顔を作った。韓国人のお姉さんは最初なぜか険しい顔をしていたが僕の笑顔に応えるように笑顔になった。そして飛び込んでくるみたいに僕のことを抱き締めた。大陸の風を感じる情熱的な抱擁に僕は困惑する。こんな風に情熱的に抱き締められる理由が分からないからだ。韓国人のお姉さんはやっぱりいい匂いがする。「ヘミさんってば、どうしたの?」

 韓国人のお姉さんの名前はキム・ヘミ。ヘミって可愛い名前だと僕は思う。

「コテツ、どこに行ってた!?」

 ヘミさんは怒っているみたいだった。というか、完全に怒っていた。ヘミさんは僕にお説教するみたいに韓国語をとても感情的に捲くし立てた。ヘミさんは涙も見せた。目元のメイクが涙に溶けて美人が台無しだった。どうやら僕がメインホールに戻らなかったことに対して怒っているようだった。僕は韓国語がさっぱり分からないので細かいことは分からないけれど多分そうだ。僕はヒステリックに怒鳴り続けるヘミさんの瞳をまっすぐに見て「ごめんなさい」と謝った。ヘミさんはそこでやっと僕が、韓国語が分からないということを思い出して片言の日本語で「凄く心配した」と言った。そして優しくギュッと僕のことを抱き締めてくれた。

 僕は困惑する。どうしてヘミさんは僕のことを、涙を流すほどに心配してくれたのだろうか。僕はヘミさんにとって完全に他人なのだ。バスで隣同士に座った。それがきっかけになって短い時間を一緒に過ごしただけ。ただそれだけなのに、どうしてそんなにも感情的になれるのだろうか。島国の山奥の村に住む僕にはヘミさんの心の動きがよく分からない。あるいは僕の心が冷た過ぎるのだろうか? よく分からないけれど、結局はヘミさんが韓国人で僕が知らない言語の世界で、大陸の空気の中で、生きてきたことに全ては起因するのだと僕は思った。全ては彼女の大陸での生活に基く話で、決して教団とは関係がない類のものだろう。それは断言出来る。直感的にそう思う。この直感は間違っていないと思う。僕は感情的な人間だ。理屈っぽいとよく言われるけれど、僕ほど感情的な子供もなかなかいないと思う。僕は自分の感情が選択し導き出す回答がいつだって正しいということを理解していた。だから僕は理論よりも感情を優先するし、自分の直感の正当性を信じる。そしてそれらはいつだって解体されて形を変える。変幻自在。要するに宗教を生活に含まれる一部に過ぎないと僕は考えている。ヘミさんの甘い匂いを嗅ぎ、力強く抱擁されながら、僕はそんなことを思ったりした。

 そしてヘミさんは未来に僕との再会を予告した。

 ヘミさんは僕のことを気に入ってくれたみたいだ。

 しかし一方でナユタ様は……。

 ナユタ様は僕に未来の再会を予告しなかった。

 僕は左右に蛇行しながら山道を下るバスの窓から夕焼けに染まる教団の施設を遠くに眺めながら、もう一度ナユタ様と遭遇する方法を考え続けていた。


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