キャリコ・グレイス/三
面会式は少女の讃美歌だけで終わった。讃美歌が終れば鉄塔の下のステージはゆっくりと静かに下がり少女の姿はまた見えなくなった。
少女は結局、一度も目を開けて、信者たちと僕にその目を見せることはなかった。信者たちと僕はその目を見ることが出来なかった。彼女は僕らを目撃しなかった。とても残念だ。僕は彼女に認識されたかった。しかし彼女の歌声によって僕は知ることが出来た。感動とは襲ってくるものだということ。
信者たちは面会式が終わると再びロープウェイに乗り、その先の立方体の教団の施設に戻った。僕は韓国人のお姉さんとその家族と行動を共にし、その施設のメインホールで開かれていた会同に出席した。メインホールはとても明るく天井には黄金照明が所狭しと並び南側は一面ガラス張りで太陽の光が直接入って来ていた。床はピカピカに磨き上げられていて光をあますことなく反射していた。僕はこの明るさにちょっと疲れてしまう。
信者たちはここでもきちんと整列し、次々に壇上に上る何々支部連盟議長とか、何々団体営繕師とか、いまいちピンと来ない肩書きを持った人々の熱のこもった演説を真剣に聞いていた。僕は欠伸をしないでいるのに必死だった。単純に、彼らの演説はつまらなかった。宗教の後ろ盾がなくても話せる常識的な内容ばかりだったからだ。極端ではなく中途半端で凡庸。中学校の校長先生が週一度の全校集会でするお話と何も変わらない。何の変哲もない、演説だった。未来に向かって変革と、大志を云々。この夏の希望は云々。そんなことは自らに教義が無くても言える話だ。僕は十番目に登場した明方道場師範の話を聞きながら、果たしてこの教団の教えとは何なのだろうと疑問に思い始めた。彼らがする演説はあまりにも凡庸であると同時に、統一を欠いていた。内容はそれぞれバラバラだった。日本共産党だってこんなにも統一感がなくテーマを欠いた大会は開かないだろう。壇上に立つ彼ら、それから静かに話に耳を傾けている信者たちも含めて、教団の教義や思想を理解している人間ははたしてどれほど存在しているのだろうか。あるいはこの教団にそのようなものはなく、教団の機能とは、コミュニティの場を生産しているだけに過ぎないのだろうか。僕は事前に教団について調べておけばよかったと後悔していた。隣に立つ韓国人のお姉さんとその家族はどんな気持ちでここに立っているのだろうか?
二十番目には京都大学の物理学の教授が登場して、ついに、という具合で、宇宙の話を始めた。杖を付いていてその風貌はホーキング博士を僕に連想させた。ホーキング博士がするみたいな、とても壮大な宇宙の話だった。僕はその壮大さにくらくらしてしまう。喉が渇き、その渇きに耐えられず僕は、韓国人のお姉さんにそれを伝えて一人メインホールから出た。ホールの入り口に立つ白い制服を着た施設の人に僕は自販機の場所を教えてもらって人影が一切見えない広い通路を歩いた。自販機でコーラを買ってゴクゴクと飲んだ。一人になって、少し落ち着いた。僕は落ち着いていなかったのか、と気付く。心が浮遊していてそれを現実に繋いでおくために必要以上のエネルギアを消耗していることに気付く。あの少女の歌声を聞いてから僕は求め始めていた。この教団に関する情報を欲しがっていた。それなのに会同では教団の存在とはまるで無関係な宇宙の話をしたりしている。それに僕は納得がいかずに、余裕を失っていたんだ。
どうして誰も教団のことを語らない?
どうして誰も先天的後継者の少女の話をしない?
タブー?
あのホールはそれを語るには明る過ぎる?
違うでしょうに、色々。
僕が求めている異様さがそこにはなく、わくわくもしない。
それは間違っているという気がしてならない。
会同も、この施設の建築も、作り方を間違えたプラモデルみたいだ。
清潔であり確からしい日常現実の微かな歪み程度のもの。
それらには大きな意味も、大きな価値もない。
あの鉄塔と、あの少女の歌声だけに意味と価値があり、要するにその二つだけが真実なのだと思う。
僕がここに来て、出会いたいものはそこにある気がするんだ。
しかしそう思ったからって、少女に会える可能性はあるの?
ないでしょうに。
僕はコーラを飲み干し缶をぐしゃりと靴の底で潰してゴミ箱に投げ捨てた。
本当に苛々するな。
目元が熱い。
この熱に疲れる。
目を瞑る。
僕は目を開けた少女が見たいと強く思う。
想像出来ない程に、綺麗な少女だと思うから。
見るまでは帰りたくないんだ。