キャリコ・グレイス/十
恋慕か、そうでないか、それらを明確に決定づけようと思考を理論的に回転させていた僕の熱狂は、夏の終わりの華火と共に終焉を迎えたようだった。明方市を縦に割るように流れる一級河川をナイアガラのゴールドが斜めに走った。その瞬間を僕は、冷静で平凡な日常の始まりと位置付けたのだった。その終焉よりも早くにゲンとミナト先生は僕が教団の施設で出会った少女の話を忘れてしまったかのように話題に出さなくなった。話したばかりの数日間は、僕が自分自身の熱狂が全く恥ずかしくないと思えるほどに、二人はナユタ様のことに熱狂していた。僕とナユタ様が関係を持つための方法についての議論が連日交わされた。ミナト先生は、自慢の深緑色のミラジーノにターボを付けて教団の鉄塔まで乗り込もうか、なんて言った。ゲンは、コテツは囚われの姫を掬い出す騎士なのだ、と言った。「姫はもしかしたらきっと、今この時だってコテツに掬い出されるのを待っているのかもしれないぜ」
「そうかもしれないな」
保健室の扇風機が作り出す微風を正面から浴びて髪を揺らす僕はゲンの戯言をゆっくりと肯定して目を瞑り跳ぶ。
空想へ、跳躍。
……夜の森の急斜面を駆け昇る、深緑色のミラジーノ。ターボが炸裂して黒煙を上げて加速。車体は縦横無尽に踊り狂う。乗り心地はジェット・コースタ以下。けれど間違いなく前進はする。ミナト先生はヒールを折ってしまうほどの強さでアクセルを踏んでいる。助手席に座るゲンは窓から半身を出し、マシンガンを後方へ構えている。ゲンは片目を瞑り、トリガを引く。
ダダダッ!
雷鳴のように轟く銃声。
散る光。
火薬の匂い。
教団の第一ゲートを強引に突破し彼らの神聖な山に侵入した僕らは白い4WDのテラノに追われているわけだ。テラノには武装した教団の兵士が乗っていて、助手席の一人は窓が半分開いたドアを全開にしてロケット・ランチャを開いた窓の隙間からミラジーノのお尻を確実に狙っていて、ミラジーノが第四段階目のターボを炸裂させて火を噴き上げて軽自動車とは思えない跳躍を見せた瞬間に引き金を引いた。
空気が鋭く裂かれる音。
間もなく。
僕の鼓膜は爆音に耐えられずに莫迦になる。
ロケット・ランチャから発射された砲弾はミラジーノのすぐ後方で爆発した。リアトランクのドアはその衝撃で歪み拉げ本体から外れて岩に当たって縦に回転して山道を滑り落ちテラノのフロント・ウインドにぶち当たった。テラノのフロント・ウインドはその丁度真ん中で僅かにひび割れ蜘蛛の巣のようになったが走行に支障を与えるほどではなかった。
後部座席で僕は舌打ちをする。
その瞬間に。
体を揺らしてその中身にもダメージを確実に与えた突然の衝撃。
ミラジーノは急停車していた。
「どうしたの!?」僕は前方に振り向きながらほとんど絶叫していた。「止まっちゃ駄目でしょ!?」
「塔の足じゃないのか!?」ゲンもほとんど絶叫していた。ゲンはエアバックに顔を包まれていた。ゲンはエアバックを拳の下で叩き、左の方へ押しやり座席から腰を上げ、体を前傾にして前方に見える斜めに滑らかに沿った建造物の端っこを確かめた。「コテツ、塔の足だろうな!?」
僕は建造物の端っこを、目をぐっと凝らして見る。鉄塔の曲線だと、瞬間的に認識して僕は本当に絶叫していた。「ゲンにはそれ以外に何に見えるの!? 搭の足だよ!」
「思ったより早く着いたわね、」ミナト先生は膨らんだエアバックを鬱陶しそうに上に押しやりひゅうっと口笛を吹き僕の方に振り返り完璧なウインクをして見せてピストルを僕の手に握らせて自分はマシンガンを持った。「お姫様のお城にしては寂しいけれど、ナユタ様はきっとラプンツェル系なのね、寂しさがお姫様を彩る宝石となる」
「コテツは行け、ここは俺たちがなんとかする、」マシンガンに銃弾をガチっと装填してゲンが険しい顔をこちらに見せて言う。「ミナト、出るぞ!」
「オーケ、ロックンロール!」
二人が持つマシンガンが火を噴き止まらなかった。
反対側からも止まらない火が来る。
夜の森の中で無数の閃光は重なり合ってそれは嵐になった。
僕は嵐の中に踊り出て鉄塔の足に手を伸ばしてその夢のような冷たさに触れて一瞬でこの状況の何もかもを忘れて一瞬でこの状況の何もかもを思い出して転がるようにして鉄塔の真下に来た。僕は夢中でこの下に降りるための何かを探した。ナユタ様が讃美歌を歌っていたステージ上で僕は当てもなく手足を蜘蛛のように動かしもがいた。ステージの上は平らでつるつるとしていて絶望的な気分に染まりそうになるが、右手の人差し指の先に引っ掛かる何かを僕は感じて手探りでそれを確かめて、それがレバーのようなものだと分かると思いっきり引っ張って動かないと分かれば捻ってみた。するとレバーが垂直に立ち、カクンと向こう側に倒れて数秒後にグウンという音とともにステージが下がった。本当にゆっくりとステージが下がり、僕は不完全な月明かりの中で鉄塔の下のスペースにやってきた。円形のスペース。そこから前方と左右斜めに通路が続いていた。紫色の照明がぼんやりと通路の必要最低限の輪郭を僕に分からせた。僕は前方の通路に進んだ。途端に円形のステージが上に持ち上がり蓋がされたようになり乱れ聞こえていた銃弾が完全に聞こえなくなった。代わりに電子的な声がどこからともなく聞こえた。
「ハイ・アラート」
それに呼応するように。
「ハイ・アラート」
「ハイ・アラート」
僕はその声が、エイダとロザリィとイサクなのだと気付く。
『ハイ・アラート』声が重なり合って繰り返された。
侵入を拒むように繰り返された。
僕は思い知る。
拒絶されているのだと、思い知る。
しかし僕は迷うことなく前に歩き続けた。
そして僕は辿り着く。
ナユタ様の居場所に。
「どうして私に遭いに来たの?」それは電子的な声ではなくナユタ様の声だった。
それは反響して聞こえ、その反響が終わった瞬間に月明かりは完全となって、ナユタ様の姿を完全に照らし出した。ナユタ様の居場所は半円球の屋根をしていてその頂点には直径五十センチほどの小さな窓があり、そこから月明かりの黄金色がシャワーのように降り注いでいた。ナユタ様は三方に心をプログラムされていないアンドロイドのように姿勢よく立つエイダとロザリィとイサクに背中を向けられて囲まれていた。ナユタ様はアンドロイドたちが囲む中心、紫の六芒星が描かれた床に座り素足をさらし五指を組み、その五指の上に頬を乗せて僕の方を、そのあらゆるものを吸い込んでしまいそうな汚れのない色の瞳で、まっすぐに見ていた。「どうして私に遭いに来たの?」
ナユタ様の口が動き、声が聞こえることによって僕はやっとナユタ様の声だと確信が出来る。
僕はナユタ様を狙っていたピストルを降ろして言う。
「お邪魔でしたか?」
「夜のお祈りの途中だったのよ」
「ごめんなさい」
「いいのよ」
「でもお祈りの時間って大切なものですよね?」
「いいのよ、」ナユタ様は微笑んだ。「斑な祈りで」
そして彼女は讃美歌を口ずさむ。
僕は。
僕はそんな莫迦な空想をするほどまでに一人の少女に熱狂した。けれど夏の終わりには冷めてしまった。僕には彼女に会うための方法がなかった。力がなかった。教団に危害を加えてまでの彼女との再遭遇なんて僕は望んじゃいなかった。僕は空想に陶酔して、そこからの、それ以上の陶酔を求めはしなかった。空想は発展せず、一度、霧散した。
姫を救う騎士は、この時代世界に生きる僕以外の誰かだっていい。
僕には力がないんだから。
夏が終わり明宝中学校での冷静平凡な二学期が始まれば、僕はそれに染められていった。普通の生活の中で僕はナユタ様とは違う、竹内ヨリコという名前の少女に恋慕する。
「この世の果てまで旅立ちたいわ」
それがヨリコの口癖だった。




