88 高坂流花の願い
どうやらこの精神世界は、風見が思っているよりも精巧に出来ているらしい。教室の外にも世界は続いていた。
光源は夜空の星しかないはずだが、不思議となんでも見えた。精神世界だからだろうか、電気をつける必要がないのでラクでいいと風見は思う。
風見と高坂は無言で廊下を歩いていた。向かう場所は屋上だった。星空を見たいと思ったのだ。
ここは風見の世界。それなら、風見自身はどんな星空を映すのか、少しだけ興味があったのだ。
などと高坂には言い訳したが、本音はまだ高坂と別れたくなかったからだ。情けないことに、風見は未だ高坂と別れる決心がついていない。
今ここで世界を終わらせてしまえばきっと二度と彼女には会えないだろうから、すぐには決断できなかった。
だからとりあえず屋上へ向かった。
学校は中学時代の記憶から構築されているらしく、中学時代の校舎だ。目に入る様々な場所が懐かしく思える。そのせいで、中学時代の色々なエピソードが浮かんで来た。
「そういえば、流花さ。最初に高月見た時イケメンだと思ってたろ」
風見は高坂よりも前を歩き、その表情を見ないようにして声をかける。いきなりの下らない冗談に、高坂も噴き出した。
「あはは、思った思った! よく見てるねーハルト」
「最初に俺がラノベ読んでんのを視線で馬鹿にしてきたから、目つけてたんだよ」
「馬鹿になんてしてないよー」
「ラノベにカバーくらいしろよとか思ってただろ!」
「あはは、バレてた」
学校には二人しかいないため、声が反響する。しかし双方躊躇わなかった。大きな声で、学校中に響くように軽口を言い合う。
「流花、初日の帰宅中に一人で『今日は楽しかったな』とか大声で叫んでたよな」
「叫んでないし! ちょっと独り言言っただけだし! てかなんでそんなこと覚えてんの!?」
「いやー、あんなん忘れらんねえよ」
「酷い、忘れてよー!」
風見が馬鹿にされたら今度は風見が高坂を馬鹿にし、高坂が風見を馬鹿にし、と軽口はヒートアップしていく。右側に見えた階段は登らず、そのまま廊下を直進した。高坂もそのことには何も言わずに、風見の先導に従う。
「ハルトだってあの時めっちゃキモかったじゃん! 中二病? みたいな!」
「おま、キモいって言うなよ! あん時の俺はクールキャラだったんだ」
「ハルトがやってもクール(笑)だよ。ただの陰キャ」
「やめろよ泣くぞ!? ……と」
やがて廊下の端が見えてきて、同時に階段も見えてくる。その階段を登らなければ音楽室に突き当たってしまうが、登ったら登ったで屋上まですぐだ。ここは四階だから、階段を登ったら屋上への扉が見えてしまうのだ。
「…………」
「…………」
もうこれ以上、遠回りはできない。
風見の背を見つめる高坂の視線に、憐れみに似たものが混ざった。しかし風見はそれに気づいていながら、無視した。
「あ、ああ。音楽室だ、懐かしい。流花、結構歌上手かったよな?」
「……そだね、中学のみんなとカラオケ行った時も褒められたよ」
「俺ぜんっぜん上手くないからさー、教えて欲しいくらいだわ」
「……ウチも教えられるほど上手くないよ」
「そうかな? 俺は参考にしたいんだけど。……懐かしいし、ちょっと音楽室見てかねえ?」
「――ハルト」
その声に、風見の足は止まった。振り返りはしない。背を向けたまま、高坂の言葉を待つ。
「星を、見に行くんじゃなかったの?」
しばらく無言の間があった。
風見はすぐに返事をできなかった。
やがて諦めたような顔で振り返ると、か細い声で返す。
「そうだな、星を見に行こう」
別れの時は、迫っていた。
※※※
ここは、風見晴人の精神世界。風見自身が作り出した世界だ。故に、記憶のままに構築された中学時代の校舎も、夜空に広がる満天の星も、後ろに立っている高坂流花も、風見が作り出したものだ。
だから風見は今、風見晴人の精神世界で、風見晴人が作り出した高坂流花と対話していることになる。
風見は気づいていた。自分のしている行為がどれだけ気持ち悪いことかに。
風見は自分の望む言葉を、それを言うのに最も相応しい少女にかけられて、――かけ『させて』立ち直ったのだ。
実に気持ちが悪く、客観視すれば虫酸が走るほどに不快で、それはグロテスクでさえある。
それでも、それをわかっていても、縋るしかなかった。誰の言葉を受けても立ち直れなかった風見晴人は、そういう自己解決の手段しか持たなかったのだ。
高坂と別れる決心は未だできない。だけど、別れなきゃいけないことだけはわかる。
このままここにいては、高坂に依存してしまう。高坂流花という人形を操り、誰よりも高坂を冒涜してしまう。
そうなる前に、一刻も早く離れなければならない。
わかっては、いるのだ。
「綺麗だな」
――わかっては、いるのだ。
けれど、言葉は出ない。
『さよなら』の四文字だけが、喉の奥から出てくれない。
屋上の扉は普段なら鍵がかかっているはずだが、精神世界だからか開いていた。扉を開けて空を見上げると、そこには窓から見上げた以上の景色が広がっていた。
星に手が届きそうとはよく言うが、これはその次元ではない。驚きのあまり手も出ないほどの星空だった。
「上手く言えないけど、綺麗だ」
「そうだね」
風見の感嘆に高坂も同調する。言葉こそ少なかったが、高坂も景色に多少は感動しているようだった。
星空を眺めて、ふと、高坂との思い出が頭をよぎる。
「えっと、風見……だよね?」
あれはまだ学校を脱出する前。高月たちが安全に管理していた防火扉の中に風見が入った時のことだ。
ゾンビであることを幕下に明かし、御影たちから呆れられた中、高坂は風見の元へ来た。
「おう。俺は風見だけど、お前誰?」
風見はなぜか彼女のことを忘れていて、名前が思い出せなかった。中学二年の頃からずっと一緒だというのに。
風見は御影への告白に続いて、ここで再び彼女を傷つけていたのだ。
高坂はその時、風見にお礼を言った。
「あ……あの時は、助けてくれてありがと」
無意識に彼女を傷つけた張本人に、お礼を言ったのだ。
もっと他にいい言葉があっただろうと今更ながら思った。言葉を選べば、あれほどまでに傷つけてしまうことはなかっただろう。
肩を落としながら、別の思い出を記憶の中から探す。次に浮かんだのは、学校からマイクロバスで脱出した後に、幕下から降りろと言われた時のことだった。
「俺は、本当はここにいるべきじゃないんだよ」
マイクロバスから降りる前に、俺は高坂にそう言った。風見が降りるのは、仕方なかったことなのだ。
風見の存在は統率を乱す。素直に指示に従えず、上に立つものすべてに反発する姿勢は、いつかどこかで本当に守りたいものを危険に晒す。だから元々、去るべき時に去るつもりだったのだ。
しかし高坂はおかしいと言った。
「化け物に、居場所なんてどこにもないんだ」
諭すように言ったつもりだった。そうやって高坂たちにはこれからも生きてもらおうと思ったのだ。
けれど高坂は、去ろうとする俺の背に、大声をかけた。
「だったらアンタの居場所は、ウチが作る!!」
それが、その言葉が、どれほど風見の救いになっただろう。
「ウチがアンタの居場所になるから!!」
心の奥底にのしかかっていた、自分は結局化け物なんだという壁を木っ端微塵に吹き飛ばしてくれた一言だったのだ。
思い返して、目頭があつくなった。
再び涙が浮かぶのがわかる。今さっき教室で女々しく泣いたばかりだというのに、なかなか枯れないものだ。
その他にも、高坂と重ねてきた思い出の数々は浮かんでくる。連続再生のように頭に映し出されて、その全てが胸を締め付ける。
何よりも堪えたのは、何でもない登下校だとか、他愛のない会話だとか、そういうどうでもいいようなエピソードだった。
高坂が中学に転校してきた初日、カラオケ帰りの高坂を家まで送った。
高校の入学式の日、色々なことで散々からかわれた上に中学同様同じクラスだとわかった。
他にも、マイクロバスを降りた後にサイゼへ行ったりコンビニで寝泊まりしたり、服を見たりした。
その全てが、もう二度とない思い出だった。
二度と帰ってこないのだ。
風見が今思い返した全ては、永遠に戻ることはないのだ。
高坂流花は死んだ。だからもう二度と、高坂との思い出が増えることはない。
大切なものは、失ってからその大切さに気づく。どこかで聞いたその言葉を本当の意味で実感したのは、やはり失ってからだった。
風見は胸を押さえた。
そこが痛かった。ずきんと疼いた。
痛みは広がることはなかったけれど、その強さを段々と増した。ずきん、ずきん、脈打つのと同じように痛み、ついに耐えきれず屈んでしまった。
発作に似ていた。しかし非なるものだった。
この痛みは、哀しみだ。
今にも心臓を引き裂いて溢れてしまいそうなほどの、深い哀しみだ。
「……俺、自信ないよ」
もう立ち直ったつもりでいたのに。
高坂の前で、もう格好悪い姿は見せないつもりでいたのに。
風見は、どこまでも弱かった。
「復讐心を一切介入させないで御影さんを救い出せる自信がないんだ……」
胸を押さえて、屈んで、高坂に背を向けて弱さを露わにする。もうプライドも決意も、どうでもよかった。それ以上に高坂と離れたくなくて、弱さを理由にこの世界にしがみつこうとしていた。
「あいつと相対したら、きっと俺は拳に憎しみを乗せる。君や他のみんなにあれだけ否定されたのに、多分それをする。俺は、復讐をやめられた自信がないよ」
そうやって風見はまた、風見の望む言葉で慰めてもらうのだ。一つでも高坂との思い出を増やすのだ。それが、傀儡の糸を操っているに過ぎないとしても。
自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、そこでやっと風見は高坂の顔を見た。
振り返って高坂を見ると、彼女は悲しそうに笑っていた。
「ハルトは、さ……」
高坂はそのままゆっくりと風見の周りを回るように歩き出して、半周したところで足を止めた。丁度振り返っていた顔を正面に戻す形だ。
自然と胸を押さえていた手は緩んで、ただ胸に当てているだけになっていた。だがそれにも気づかず、風見は高坂の言葉を待った。
望む言葉を、待った。
「ハルトは、誰を助けたいの?」
誰を助けたいの?
頭の中に、問いは響き渡った。どんな言葉で慰めてくれるのかと考えていたため、質問に一瞬困惑した。
風見は誰を助けたいのだろう。助けたかったはずの人たちの手は、既に払ってきた。救いたかったはずの人は、もう死んだ。
では、風見は誰を助けたいのだろう。
そうして考えて、一人の少女の笑顔が頭に浮かんだ。
その笑顔はゾンビが現れた最初の日に、体育倉庫で見た。眩しいばかりの笑顔だった。
風見はその笑顔を見て、思った。
守りたい、この笑顔……と。
「俺は……」
浮かんだ答えを口に出すのは、躊躇われた。高坂は俺のことが好きで、俺もできれば高坂を傷つけたくない。であればきっと言わないべきで、胸の内にしまっておくものだと思った。
これ以上彼女を傷つける言葉は口にしたくなかった。彼女を傷つけた記憶を増やしたくなかった。
しかし高坂は風見の言葉を待つ。
「……俺は?」
それは慰めるというよりも、励ますようだった。
(ああ、そうか……)
忘れていた。高坂は慰めるよりも、励ます方が多かった気がする。そういう少女だった。
(そうだった……)
風見は勘違いをしていた。
必死に彼女を傷つけまいとすることが、彼女を傷つけていたのだ。初めから彼女が風見にどうして欲しいのかは明確だったのだから。
高坂は、風見を救おうとした人々と同じものを望んでいる。
「もしも風見が、ウチのために復讐しようだとか思ってるんだったら、そんなのはやめて」
そう、高坂の望みはそれではない。
高坂が望むのは、高坂が願うのは、ずっと一つだった。
「もしも風見が、自分のために復讐しようとしてるのだとしても、ウチはやめてほしいよ」
高坂はスカートの端を少しだけ握って、放した。
「ウチのことを少しでも想ってくれるなら、ウチのために何かをしてくれるなら」
その先を彼女が言う必要はなかった。
もう、何となく決心はついていた。
風見は高坂を片手で制して、立ち上がった。目元の涙を振り払い、一度深呼吸して、言うべきことを言葉にする。
「俺は、御影さんを守りたい」
その言葉は、高坂を傷つけてしまうかもしれない。
でもここで燻り、依存して、やがて彼女を冒涜するよりはずっとマシだ。
だって彼女の願いは、初めからそれだけだったのだから。
「俺はあの子の笑顔を守りたい」
高坂流花が何よりも願うのは。
自身の幸せよりも願うのは。
風見晴人がヒーローで在り続けることだ。
「だから、今ここで宣言する」
今にも落ちてきそうな星々が、その輝きを一層に増す。穏やかな光が二人を鮮明に照らす中、少年は決意を叫んだ。
「俺は、御影さんのためのヒーローになる!! 彼女に降りかかる全ての不幸を、彼女の笑顔をなくす全ての不条理を、俺がこの拳でぶち壊す!! 彼女が助けたいものを助けて、彼女が望む世界を作り出す!!」
臭い台詞で、言いながら少し恥ずかしいと思った。けれどこれをせずにこの場を去ることはできない。
結局は風見の自問自答なのかもしれないけれど、この精神世界を終わらせるのは風見でありたいのだ。
「俺は、そういうヒーローになるよ」
だから心配しないでくれ。
この美しい星空から、安心して見守ってくれ。
もう復讐には囚われない。
復讐心は自分の守りたい人を守りたいという心に変えれば良かったのだ。
答えは最初からすぐそばにあって、しかし近すぎて見落としていた。たくさんの人から言葉をかけられて、やっとそこに辿り着けた。
長い時間がかかってしまったけれど、これが風見晴人の出した答えだ。
高坂はそれに満足したようだった。息を吐いて、少し茶化すようにこぼす。
「やーっと答えを出してくれたね」
「悪いな、ヒーローは遅れるもんだからよ」
「遅すぎー。ウチが何回無視されて、何人が傷つけられたと思ってんのさ」
「わかってて人の痛いとこ突くなよ……」
二人して笑い合う。
星空の下、それは少しだけ木霊した気がした。
やがて、高坂は笑い止むと視線を上げた。
「もう、心配ないんだよね?」
「ああ、成仏しても問題ないぜ」
「ははは、そうさせてもらいます」
風見としては冗談のつもりだったのだが、なぜか言うと高坂は視線を逸らした。
「……皮肉みたいだよね」
「……何が?」
意味がわからず問いかけると、少しの間があって高坂はこちらに視線を向けた。眉は八の字で、情けないような顔をしているのが意外に感じる。その意味は、次の瞬間わかった。
「風見の居場所になりたいって願ったはずなのに、風見の中に居場所を作っちゃうなんてさ……」
頭の中が真っ白になった。
クエスチョンマークでいっぱいだった。
「つまり、どういうことだってばよ?」
「え? だから、これ……ウチの能力」
再び間が空いた。
そしてようやく理解が追いつくと、風見は大声で叫んだ。
「ええええええええええええ!?!?」
ずっとここが風見の精神世界で、目の前の高坂も風見自身が作り出したものだと思っていたばかりに、気持ち悪いとかグロテスクだとか考えていたけれど、どうやらそれらはただの考えすぎだったらしい。
この世界は高坂の能力によって構築された世界で、目の前の高坂は本物のようだった。
「てめえふざけんな! 今更そんなん言うなよ、離れたくなくなるだろうが!」
「ええ、離れてよ! っていうか気づいてなかったの!?」
「気づくも何もそんな可能性思いつかねえよ!! あと悲しいから離れてとか言わないで!!」
怒鳴り合い、お互い肩で息をした。
そしてまた、笑った。高坂が本物であるなら、尚更に別れるべきだからだ。
見守っていてほしい。安心していてほしい。もうこの程度のことじゃ、挫けないから。
だから風見は自分から別れを切り出した。それは風見からやるべきだとわかっていた。
「……そろそろ、行くよ」
「うん、早く助けてあげてね」
「ああ、バッチリ助け出すさ」
言って、背を向けた。
同時に視界の隅が白く染まり始める。それは世界の終わりを意味していた。
永遠の別れが確定すると、言いたいことが山ほど浮かんできた。しかしどれから言えばいいだろうと焦って上手く言葉が出ない。
終わりは迫っていて、高坂は風見の言葉を待っているようだった。
やがて風見は、短い言葉を選んだ。
「……じゃあな」
片手を上げながら、震える声で言った。
それは風見と高坂の出会いの物語と同じ終わり方だった。
その時の風見の声は震えていなかったけれど、今は涙声となってしまっている。別れの直前に情けない声が出てしまい、何やってんだと自分を責めていると、高坂が言葉を返した。
「またね……」
高坂の声もまた、震えていた。
高坂の方がきっと悲しいにきまっている。風見がこんなに醜態を晒すから我慢していたのだろう。ここまで来て、泣いていた。
振り返らないつもりでいたのに、思わず振り返ってしまった。
高坂は両手で口元を押さえ、大筋の涙を流していた。風見までもらい泣きしながらも、さらに言葉を続けた。
「次、会う時には立派なヒーローになってっから!」
「……うん」
次会う時なんてあるのかもわからない。来世とか天国だとかが存在するなら、ありえるかもしれないくらいだ。
けれどそれを知った上で声を大にした。
「流花を泣かせないくらい、クッソ強えヒーローになるから!」
「……うんっ!」
お互い泣きながら、震える声で言葉を交わし合う。終わりはもう目前で、視界はほとんど真っ白だった。
「だから今度は、みんなが昼寝できるような居場所を作って待っててくれよな!」
「ははは、風見らしいや。うん、待ってる」
白く染まり、もうお互いの顔すら見えづらくなっていた。それで風見は手を伸ばしたけれど、どこにも届かなかった。
やがて高坂の顔すら見えなくなって、高坂の立っていた地面を撫でながら、高坂の声を聞いた。
「いつまでも、待ってるね……!」
その言葉が、風見の黒い心を完全に吹き飛ばした。
「ああ、待っててくれ……」
誰もいなくなった真っ白の世界で、たった一人呟く。もう、迷いはない。今なら、現実に戻ることができる。
だから立ち上がって、背にかかる声を待った。
「失敗だったなぁ……。あの遠い記憶の中に閉じ込めようとしてハルくんの記憶の蓋を開けてみたら、こんなことになるなんて」
いつの間にか、最初からそこにいたように童女が立っている。風見が振り返ると、真っ黒の童女は面白くなさそうな目を向けた。
「あの女、思った以上に厄介ね。もっと早く追い出しとけば良かった」
「そうだな、流花はその辺のモブとは違えよな」
風見はおどけるように笑いかけた。
話はよくわからないが、どうやら童女が高坂に出し抜かれたように聞こえる。それがなぜだか自分のことのように嬉しくて、おかしかった。
「ハルくん、真実は残酷だよ?」
笑っていると、童女が真剣なトーンでそんなことを言った。
「真実を知ったら、ハルくんは絶対、あの田舎を抜け出したことを後悔する」
「そうかね」
風見は構わず真っ直ぐに歩き出した。
童女の言う真実とやらが風見にとってどれだけ酷なものかは知らないが、今の風見はもう答えを得ている。
天から、もしくは心の中から見守る高坂に、これ以上格好悪い姿は見せられない。
だから、格好つけて言った。
「俺はもう、前を向いて歩くことにしたんだ。後ろを向いて悔いることはないよ」
足取りに不安はなかった。
歩く道が見えているように、踏み出す一歩には確固たる自信があった。
「絶対的な力の源が何なのか、もうハルくんは気づいているでしょ!?」
何が心配なのか、童女は焦るように声を上げた。
背に声がかかっても、風見は歩みを止めることはしない。
「復讐心だろ? 俺の、篠崎に対する」
「そうよ。今のこの世界を見て! ここに、少しでも黒色があるように見える!?」
「真っ白だな、ノートの一ページみてえだ」
適当に返すと、童女はぱたぱたと風見を追ってきながら怒ったように声を荒げた。
「絶対的な力、もうないんだよ!? どうやってああいうのに勝つつもりなの!?」
「どうにかしてだな、頑張る」
「――っ! じゃあ、わたしとの約束はどうなるの!?」
童女は風見に追いつき、風見の裾を掴んだ。風見は足を止めて、童女の姿を見る。
約束といえば、童女から力を授かった時に出た対価のことだろうか。確か、『彼女と話す』だったはずだ。
「あー、じゃあこれからも俺とトークしようぜ。心配ならアドバイスでもくれよ」
「だから、この世界にいようって……」
「悪いけど、それはできねえんだ」
童女を安心させるつもりで笑いかけて、裾を掴む童女の手を優しく剥がした。
「ハルくんは、何もわかってない……!」
やがて童女は、消え入るような声をかけた。ひょっとしたら風見にかけたつもりはなかったかもしれない。独り言だったのかもしれない。
けれど、風見は答えた。
「そうな、わかんねえ。だから少しずつでいい、教えてくれ。俺がつまづいた時、一番近くで支えられるのはお前なんだからな」
この世界も終わる。
風見晴人はようやく現実に戻る。
だというのに童女は浮かない顔のままだった。
風見は困ったように笑った後、ふと浮かんだことを言葉にするため、口を開いた。
「な、『みーちゃん』?」
童女が顔を上げたのが見えた。
終わる世界に備えていると、視線の先で童女が少しだけ、笑ったような気がした。
風見はこれから、色々なことを知っていかなければならないのだろう。その中には童女の言うような酷な真実というものもあるのかもしれない。
けれど、それを聞いて風見晴人が挫けるということは、おそらく二度とない。
格好悪い姿は見せないと決めたから。
ヒーローになると決めたから。
答えは、見つかったから。
これは、終わってしまった世界を生きる、少年少女の物語。
堕落した少年は再び光の道へ舞い戻り、終わった世界を歩み出す。
一人の少女の願いを背負って。




