07 ここでまさかの中ボス戦
ゾンビを集めたはずの場所に、ゾンビがいない。
マサキから告げられた事実は、にわかには信じがたいことだった。
「ハルト、本当に技術室に集めたのか?」
「ああ、集めた。機械は止まっていたか?」
「そういえば、ランプが点いていた気がするな。機械は動いてた。なら、なんでゾンビは消えたんだ?」
「……見に行く必要がありそうだな」
俺とマサキは息を呑む。
知識として、ゾンビは低脳だと焼きついている俺たちからして、ゾンビが留まっていなければおかしい場所にいないというのは目を離せない情報だ。
ばっかじゃないの? 見に行かなくてもいいじゃん、って顔してる副会長さんはとりあえずスルー。
「ねぇ……本当に行くの? 自分から進んで危険な場所に行く必要はないんじゃ……」
「普通なら行かないのが正しい。だけど今回に限って言えば別なんだよ」
「なんで?」
「ゾンビの行動がおかしい」
「……わかった」
後ろでマサキと秋瀬さんが小声で話すのを聞き、その通りだと思った。
案外マサキは頭が回るようだ。さすが生徒会長だな。
ゾンビの行動は今まで俺たちが想像できる範囲内にあった。
ノロノロ歩く、人をゾンビに変える、聴覚以外の感覚がない、などがそれに当たる。
しかし今回はそれ以外の、場合によっては知能を得たとも取れる行動をした。
だから、確認に行くのだ。
被害が出る前に。
「そろそろ技術室前の階段だ、響くから喋るなよ」
「了解」
俺はすでにバールを腰から抜いて手に持ってある。マサキは長い棒を持っていた。おそらくモップの先を折ったのだろう。
慎重に階段を降りる。
一階に着くと、まずは廊下の左右を見渡す。どうやら、ゾンビは校舎内にはいないようだ。
「あ、ゾンビはいませんよ? 私たちが体育館に集めましたから」
確認をしていると、秋瀬さんがそう言ってきた。どうやったんだよ。素直にそう思った。
そうして技術室へと目を向けて。
後ろにいた秋瀬さんとマサキをなんとか突き飛ばし、伏せた。
「ちょっと、いきなりなにを……!?」
そう秋瀬さんが呟いた瞬間、俺の頭上を刃が通過した。
壁を、切断して。
「壁を、斬った!?」
「なによそれ!? 無茶苦茶じゃない!!」
マサキと秋瀬さんが喚きだすが、そんなことをしている場合じゃない。
「マサキ、秋瀬さん! 今すぐ三階の防火扉のやつらにこいつについて伝えろ!!」
「逃げろって言ってんのか!?」
「そうだよ!」
マサキの方を向かずに怒鳴る。
頭上を切断した刃はチェーンソーらしく、バイクのエンジン音のような音が断続的に耳に入る。
「無茶だ! たった一人であんなのの相手なんて!!」
「でもここで三人死んでどうする!? 一人でも生き残ってあいつの危険を伝えた方がいいだろ!!」
「一人でもって言うなら俺も一緒に……」
「お前は秋瀬さんを泣かす気か、馬鹿!! 早く行けよ!!」
「くっ……」
マサキが苦い顔をしているのは見なくてもわかった、まだあってから全然話してはいないが、それくらいはわかるつもりだ。
「すぐに戻る、それまで絶対に死ぬなよ!!」
「当たり前だ、俺を誰だと思ってやがる!!」
とりあえず、最後はかっこつけておいた。戻ってくるなら、場所を変える必要がありそうだなぁ、なんて。
とりあえず、一階の廊下に出る。
そこには。
「なんだ……こいつ……」
文字通りの化け物がいた。
技術室の近くに突然現れた謎の化け物は、確かにチェーンソーを使っていた。
しかしそれを『持つ』とは表現できない。
なんと、両手首から先がチェーンソーの刃になっているというまさかのサイボーグ仕様であった。
「あは、あは、あは、あは。殺したい殺したい殺したい殺したい!!」
直感する。こいつはゾンビだ。
傷が一つもなく、ボロボロの服を着ているただの女性だが、こいつはゾンビだ。血走った目で、チェーンソーを手から生やしている時点でぶっちゃけ確定なのだが。
それより、気になることもあった。
「普通のゾンビと違って、言葉を話してるな……」
ゾンビは「アァー」「ウゥー」といった理解不能な呻き声しか出さない。
しかしこいつは違う。こいつは確かに「殺したい」と言った。言ってることはクソだな。
「客観的に判断するに、モンスター育成ゲームでの『進化』みたいなもんに見えるな」
ほら、最初にもらったモンスターがレベル十五くらいで進化するあれだよ。進化は世代を超えて行われるものだからあれは進化じゃないとかどっかで聞いた気がするな。夢を壊しやがって。
なんにせよ。
「こんなところで中ボスとか、ありえねえよ!!」
逃走を開始した。
いや、こんなの百パーセント勝てないし。
頭を後ろに向けつつも走る。技術室とは逆に向かった俺が最初に入ったのは空き教室だった。
一見障害物だらけで走りづらいように思えるが、知能の低いゾンビにはこれこそが有効なのだ。いやあの進化ゾンビに通用するかはわかんないんだけどね。
「あは、あは、あは。殺したぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」
どうやらスピードはそこまで早くないようだ。俺が軽く走るだけでも難なく振り切れる。
だけどそんなことで安心はできない。
こいつは、振り切れても逃げ切れる自信がなかった。ここで倒さなければ、必ずどこかで倒される気がする。倒すとか無理ゲーだわ。死ぬわ。
相変わらずブィィィィンという音が廊下に響き渡るが、それのおかげで相手を見失わないし、多少の物音なら立てても安心だ。うるさすぎて普通のゾンビが寄ってきそうなのが悩みっちゃ悩みだが。
教卓のところに隠れていると、教室に進化ゾンビが入ってきた。
ここで机につっかかってくれれば、時間が稼げる。二人が逃げる時間が。と思っていたのだが。
スパーッと。
机を斬りながらこちらへ歩いて来たのだ。
「冗談だろッッ!?」
慌てて教卓を進化ゾンビに向けて放り投げ、それが斬られるのを目視する間も無く教室を出た。
「何か手はないか……考えろ……考えろ……」
とりあえず技術室の方に走る。
そこで、御影さん用の槍を技術室前に置きっ放しにしてあることを思い出した。
それを使って不意打ちすれば、何とかなるかもしれない。
ちなみに俺がゾンビに噛まれてからそんなに時間が経っていないということに気づいたのは、その時だった。
御影さん用の槍を持ち、技術室に入ると、教卓の陰に隠れる。
技術室は血まみれで、肉片がゴロゴロ転がっていたが、ゾンビは一体もいなかった。
しばらくして、進化ゾンビが技術室に入ってくる。
「殺したい、殺したい、殺したぁぁぁぁぁぁい」
鼻歌でも歌うように言いながら、俺を探す。教卓から完全に目をそらしたのを確認して、近くに落ちていた木を流しに向けて投げた。
ガンッと大きな音とともに、進化ゾンビが流しを見る。
「殺しったぁぁぁい」
進化ゾンビは流しまで歩いてくると、当然のように流しを切り刻んだ。
今こいつは流しと格闘していて、俺の存在に全く気づいていない。
背後から槍を持って近づく。
槍を振りかぶり、その頭に向けて振り下ろ――
「殺したぁぁぁぁぁぁい」
――せなかった。
低いトーンの声が聞こえた。
俺は今行っている行動を中止し、全力で後ろに飛んだ。その拍子に教卓にぶつかる。
進化ゾンビは、俺の存在に気づいていたらしい。
俺の方へ振り返っていた。
血走った目が俺を見ている。
殺してやるぞ、と。
俺を見ている。
「ッッ!! ああああッッ!!」
無我夢中で逃げ出した。
二階や三階に逃げれば誰かが危険になるということもお構いなしに階段を上がった。
怖い。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
勝てない。
勝てるわけがない。
あいつは今までのゾンビとは違うのだ。
確かに今までのゾンビのように動きは鈍い。
確かに今までのゾンビのように頭は悪い。
しかし、今までのゾンビとは違う。
目が見え、武器がある。
獲物を逃すことのない目に、どんなものでも切り裂くチェーンソーがある。
対してこちらには何がある?
頭か?
冷静になってない頭に何ができる。
足か?
逃げたところでどこにでもゾンビはいるのだから危険なことは変わらない。
こちらには、何もない。
「はぁっ、はぁっ」
二階に上がり、防火扉を閉め、そこに座り込んだ。
これで大丈夫。きっと大丈夫。
あいつは馬鹿なんだ。きっと見つからない。
別の道に逃げたんだと思ってくれる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
呼吸が激しくなる。
身体の震えが止まらない。
大丈夫、大丈夫だ。
自分に言い聞かせても、震えが一向に止まらない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
そして。
「殺しったあぁぁぁいっ」
声が。
聞こえた。
反射的に前に転がる。
そこに。
ザンッと。
防火扉が斬られて。
刃が通過した。
もうダメだ。どうしようもない。
ここで俺は死ぬ。
あの、なんでも斬る刃に俺自身も斬られて死ぬ。
「なんでも……斬る」
ふと、『矛盾』という話を思い出した。
なんでも貫く矛となんでも防ぐ盾の話だ。
進化ゾンビの両腕にはなんでも斬る刃がある。
片一方をなんとかして切断すれば、それが絶対の盾にもなるんじゃないか?
なんでも斬る刃は同じくなんでも斬る刃で防ぐことができるはずだ。
落ち着け、やれる。
まだやれるはずだ。
「ふぅー……」
一度、深呼吸をして。
まだやれると意気込んで。
立ち上がって。
「これからが勝負だ。覚悟しやがれ、クソ野郎ッ!!」
目の前の進化ゾンビに向けて言った。




