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終業式の日に世界が終了したんだが  作者: 青海 原
第三章『東京防衛戦』
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69 高月の言葉

 風見は咄嗟に言葉を返すことができなかった。その顔を見て、返す言葉が浮かばなかったのだ。


「ハルト……君は……」


 風見の眼前に立つ少年はそう言う。

 少年はボロボロの戦闘服に身を包んでいた。剣と思われる武器を二本手にしている。現実離れしていて、何かのコスプレに見えた。


「こ、こいつは……敵なんだよ。そう、敵だ……倒すべき悪なんだ……」


 言い訳のように早口で返す。その目は少年を見ていなかった。見れなかったのだ。見たくなかったのだ。

 他人に怒られているときに、相手の目を見たくないのと同じ理由で。


「だから、燃やしたのか?」


 ビクッと肩が震えた。

 目の前の少年の声色には、明らかに失望と憤りが込められていた。


「違う、これは……違うんだ……」


「何が、違うんだ?」


「それは……」


 風見は復讐のつもりでやったのではない。違う。それは、それだけは絶対に違う。

 やつらは、『屍の牙』の連中は、悪なのだ。全員がそうやって滅ぼされるべき悪だったのだ。だから、燃やした。私情は挟んでいない。復讐心ではなく、正義感からの行動なのだ。

 ――本当に、そうなのだろうか?


「どうして……」


 少年は声を震わせた。

 どこから見られていたのだろうか。

 燃やすところが見られたのはわかる。でも、それだけで彼はこんなにも憤るだろうか。もしかして、最初から見られていたのだろうか。


「どうして、君は……」


 そこで風見は、少年の目を見てしまった。風見はその一瞬、呼吸が止まった。

 少年は、風見に幻滅していた。





「どうして、君は……そこまで堕ちたんだ……ッ!!」





 どうして。

 どうしてなのだろう。

 どうして、自分はこんな風になったのだろう。

 始まりは、高坂の死だった。それは覚えている。そこから風見は堕ちたのだ。どす黒い泥沼にはまって、抜け出せなくなったのだ。

 復讐心は消えていないのだろうか。

 自分はまだ、復讐したいと思っているのだろうか。


「俺は……」


 風見晴人は。



「俺は、堕ちてなんかいない」



 しかし、認められなかった。


「こいつらは悪だ。滅ぼさなきゃならない。流花みたいな、死者を出さないために」


「流花が殺されたのか……!?」


「ああ、こいつらにな」


 そう、必要なことなのだ。

 悪を滅する。それは正しいことなのだ。誰に責められようが、誰に罵られようが、それだけは変わらない。

 風見は正しい。

 間違ってはいない。


「だから、堕ちたんじゃない。倒さなきゃいけないんだ……こいつらは」


 少年は口を開けていた。高坂の死を伝えたからだろう。彼も中学の頃から高坂とそれなりに付き合いはあった。だから思うところがあるのだろう。

 これで少年もわかったはずだ。

 誰が正しく、誰が悪であるのか。


「なるほどな……」


 少年はため息をついて、何かに納得した。気づいてくれたのだろうか。風見が間違ってはいないことに。

 そう思っていたがために、少年の返答は風見を憤らせた。



「だから、そこまで堕ちたのか」



 呆れた、と言うように。

 少年は吐き捨てた。


「て、めえ……」


 風見は、堕ちてなどいない。

 例え方法が間違っているのだとしても、根底にあるものは正義感なのだ。そこに間違いはない。

 風見が信じるものが、間違っているはずがないのだ。それが正義なのだから。

 目の前の少年と話していると、それが揺らぐ。邪魔者だ。風見の正義を邪魔する者だ。


「俺は堕ちてねえって、言ってんだろうがッ!!」


 邪魔者は、排除しなければならない。

 敵は、倒さなければならない。

 だから風見は、高月快斗に狙いを定めて、拳を振るった。





※※※





 正義とは、なんなのだろう。

 正しさとは、なんなのだろう。

 高月快斗にはそれがわからなかった。だからわからないなりに考えて、走ってきた。

 その結果、母に怒られたこともあった。風見晴人に怒られたこともあった。

 人の気持ちを考えろ。

 助けたことに責任を持て。

 高月は自分を怒った人々を尊敬した。彼らこそ、真の正義の味方なのだと、尊敬していた。

 高月を偽善者と罵った彼らこそが、正義なのだと。

 正義とはなんなのか。それは、ついにわからなかったけれど、でもどこに進めばいいのかは見えた。

 だからその背を追った。

 母を。風見晴人を、目指した。

 彼らのように困った人間を、間違った人間を、助けようと努めた。

 だけど、今。

 高月は、何を信じればいいのかわからなくなっていた。

 正義とは、なんなのだ。

 正しさとは、なんなのだ。

 高月が信じてきた正義は、正しさは、母や風見晴人のものだった。だけど、風見晴人の今の行動が正しいものだとは、思えない。

 なぜなら、根底に他者の姿が見えないから。

 今の風見は、結局自分のことしか考えていない。悪は殺さなければならない。そんな風に言い訳をして、復讐をしようとしている。

 そんなのが、高月の追った正義の姿だったのだろうか。そんなものを、追っていたのだろうか。

 あの時の彼は。

 高月を助けてくれた時の彼は。

 高月には決してできぬことをしていた彼は、どこに行ってしまったのだろう。

 サニーマンは、どこに行ってしまったのだろうか。





※※※





 高月は二本の剣を持っている。その内の一本は風見も見たことがあった。あれは笹野と戦うときに使った金属刀だ。空気を足場にする力がある。

 するとおそらく、もう一本の剣にも能力があると見ていいだろう。

 高月が着ている戦闘服は、明らかにどこかに落ちているようなものではない。ということは、壁の勢力が渡したものだろうか。思い返せば、高月が来た方向も壁の方角からだ。

 高月たちは壁にたどり着けたのだ。なぜマイクロバスの面々と別れたのかわからないが、高月がこの様子なら御影たちも壁にいるのだろう。

 風見は安心しつつもそれらを警戒しながら、まずはフェイントをかける。

 右で殴るふりをして、左。

 高月はそれに見事に引っかかり、胸に風見の拳を受けた。


「ぐっ!」


 鈍い音が響くが、ダメージにはならない。思った以上に戦闘服の防御性能が良かった。

 一歩下がり、高月の後ろへ回る。まずは様子見だ。装備が一新されている以上、手が読めない。

 今後高月のような敵と戦うことも想定して、ここで慣らしておきたいところだ。

 高月は横薙ぎに金属刀を振るう。その軌道は背後に回っていた風見をも巻き込むもので、それを風見は屈んでかわす。

 するとそれを見計らっていたのか、高月は流れるように風見の側頭を蹴り飛ばした。屈んだばかりで受け身のとれなかった風見はそのまま横に転がる。


「くそ……っ」


 手をついて跳ね上がるように起き上がるが、そのときにはすでに高月が目の前に来ていた。

 高月は剣を振りおろす。慌てて身体を後ろに倒すが、斬撃は左腕をかすった。


(かすっただけでも威力はでかいな……)


 かすったにしては大きな傷に風見は危機感を強める。金属刀にはおそらくこれほどの力はない。

 警戒すべきはこちらの、剣の方だ。

 そうやって警戒対象を絞ると、風見は立ち回り方を変えた。

 高月は右手に剣を持ち、左手に金属刀を持つ。だから警戒すべき剣の間合いから外れるために、高月の左側へ回る。

 そんな風見の意図を読んだように高月は風見から距離をとった。

 荒い呼吸を整えると、高月はこぼす。


「……どうして、山城天音と一緒にいるんだ」


 風見は一度構えていた手を下ろして答える。


「力が必要だった。それだけだ」


「彼は、復讐者だったんじゃないのか?」


「だとしても、使えるものは使うしかないだろ」


「そうか。……そうだね。君は、変わってしまったんだ」


 高月は何をわかっているのか、目を伏せて乾いた笑いを浮かべる。そんな態度に苛立ち、風見は舌打ちする。


「確かに、変わったかもな」


 おざなりに返して、再び戦闘を再開する。踏み込んでの右ストレート。これはかわされることを想定して、当てるつもりで放たなかった。

 目論見通り、高月はかわしてくれる。

 本来、本気の拳を空振るとしばらく動けなくなってしまうが、かわされることを想定した拳だったためにそんなことは起こらない。

 続けて左足で胴を狙う。これは命中。身を傾けて衝撃を弱めたようだが、それでも入ったダメージは小さくない。

 高月は少しのけぞった。

 畳み掛けるように拳を放つが、三発目で高月が剣を横薙ぎに一閃。かわすために身を引いたせいで、高月の反撃を許すことになってしまった。

 こちらの攻撃とは違い、高月の攻撃は一撃の殺傷能力が大きい。だから風見は神経を集中させて斬撃の一つ一つをしっかりと見切った。

 何度かかすったが、大きなダメージはない。

 集中すると斬撃もかわせることがわかった風見は、次に来た袈裟斬りを右にかわすとそのまま後ろに回り込んだ。

 その途中で足を引っ掛け、高月の体勢を崩す。倒れそうになった高月にさらに蹴りで追い打ちをかけ、近くの建物に向かって蹴飛ばす。


「が、はぁ……っ!?」


 高月は、建物に当たってそのまま受け身もとれずに頭から地面に落ちた。

 風見は勝てると確信した。この調子なら能力を使わずとも無力化できる。

 それがわかると、風見は自分を落ち着けるために息を吐いた。

 すると、唐突に仰向けに寝返りをうった高月が口を開いた。


「なぁ、ハルト……」


 もう高月と話すつもりはない。

 いくら話したところで、不毛なだけだ。

 そう思って、高月に向けて足を進めた。

 だが次の言葉を聞いて、風見の足は止まってしまった。





「君は、今でも……僕を偽善者と罵れるか?」





 確かに以前、風見は高月を偽善者だと罵った。だが今の風見にまだ、彼を偽善者だと罵る資格はあるのか。

 助けられる側の気持ちも考えてやれよ。

 当時の風見は、高月にそう言った。

 では果たして、今の風見は、助けられる側の気持ちを考えられているだろうか。

 風見が助けたいのは、紛れもなく『屍の牙』に殺されてしまうかもしれない人々だ。今後出るかもしれない被害者たちだ。

 『屍の牙』の悪行を未然に防ぐために、拳を振るうと決めた。

 だけど、風見は助けられる側の気持ちを考えているだろうか。

 考えてなどいない。

 なぜなら、考える必要がないからだ。

 では、今の風見は。

 高月と同じ、偽善者なのか。


「黙れ!」


 まともに言い返せず、そんな言葉しか出ない。

 魔の手を未然に防ごうという行動が、偽善なものか。助けられる側の気持ちを考えなかったら全てが偽善? そんなわけがない。

 風見は上辺ではなく本心で他者を助けようとしているのだから。

 苛立ち、風見はさっさと高月の意識を奪ってしまおうと踏み出そうとするが、そこで高月の無線機らしきものに連絡が入る。その音は風に乗って、風見の耳にも聞こえてきた。


「おい高月、連絡がねぇが大丈夫か? 今そっちに手の空いてるやつを送ったところだ」


「……そうですか。すみません四条さん、僕はゾンビに見つかってしまいました」


「は!? 逃げられねぇのか!?」


「どうでしょう……」


 高月はこちらに目を向けて薄く笑った。高月を殺すつもりはない。仲間が来るのなら、意識を奪ってここに放置しておいても大丈夫かと風見は考えた。


「それより四条さん、壁の方は大丈夫なんですか?」


「あ? ……結構やべえみたいだ」


 高月はなぜだか唐突に通信相手である四条との話題を変える。それが風見に聞かせるために見えて、風見は訝しんだ。

 四条は言う。


「まずいことに、金髪のゾンビは単騎でグングン壁に近づいてやがる。このままだと医療部隊が待機してる位置までたどり着いちまいそうだ」


 金髪のゾンビ、という単語に風見は反応した。なんと、こんなところで一番殺すべき敵の位置がわかるとは。

 そう思っていると、高月は四条に、


「そうですか、わかりました。……と、敵が来たので切ります」


 などと適当に返して通信を切った。

 まさか風見が金髪のゾンビ、篠崎を追っていることを高月が知っているわけがない。であれば、高月はなぜわざわざ今の情報を聞かせたのだろうか。

 その答えを、高月は口にした。


「ハルト、君は今すぐ金髪のゾンビとやらの場所に行った方が良いんじゃないか?」


 風見が眉をひそめていると、


「ナオは、医療部隊に所属しているからね」


「…………な」


 つまりは、金髪の魔の手は、御影にまで及ぼうとしているのか。

 本当に、救いようがない。


「すまない……」


 壁に向けて駈け出す風見の背に、高月は言葉をかけた。


「僕には、君を救えないよ。正義っていうのがなんなのか、わからなくなったんだ……」


 返事はせずに、足を進めた。

 それどころではないのだ。


(御影さん……!!)


 彼女だけは絶対に守らなければならない。彼女だけは篠崎の手を触れさせてはならない。

 そして篠崎は、風見の逆鱗に触れた。


(殺してやる、絶対に……!!)


 葬り去るべき大罪人を、欠片も残さずこの世から消す。それだけを胸に抱えて、足を進めた。





※※※





 倒れ伏した高月の元へ、山城が歩いてきた。高月は軽く笑いながら問う。


「僕を殺すかい?」


「いんや、そっちに殺す気がないならやらないさ」


 山城は肩をすくめると、マイクロバスを指差しながら高月に訊いた。


「あいつら、任せちゃっていいんだよな?」


「ん、ああ。わかった、僕が壁に連れて行くよ」


「助かる」


 返すと、山城は高月に背を向けた。


「君は、この後どうするんだい?」


「さて、どうしよっかな……」


 手を上げて、山城は去っていった。

 明確な答えは聞けなかったが、おそらく彼には向かう場所が決まっているのだろう。

 一瞬追うべきか迷った。

 だがそんなことをしても仕方ないと思って、高月はため息をつく。


(ナオなら、あるいはハルトを救えるかもしれない……)


 高月には風見を救えない。

 正義とはなんなのか、その答えが導き出せていないからだ。

 御影は多分それがわかっている。

 何が正しくて何が間違っているのかを明確に定めている。

 だから託した。

 彼女なら、きっと。

 復讐に囚われた彼の想い人である彼女なら、きっと。

 そう、信じて。

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