68 復讐はやめたはずなのに
波風摩耶は絶望していた。
効率を考えるなら、どう考えても戦闘能力の低い波風から殺すべきだ。事実、最初に風見が波風を攻撃した時点で、風見は波風を殺すことができた。
それでも、そうしなかったのは。
「……ひっ」
考えたくなかった。しかし頭はそう思うほどにむしろ加速していった。
殺すことができたはずなのに、殺さなかった。その理由は。
片桐という『邪魔者』を排除した上で、波風を弄ぶためではないだろうか。
波風は両肩を抱きしめて震えた。
「訊いてるんだから答えてくれよ」
目を逸らしていると、顎を指で押しあげられ強制的に目を合わせられる。風見は座り込んでいる波風に配慮してか、屈んでいた。
その漆黒の笑顔を見せられて、波風は頭を横に振ることしかできなかった。
瞳に涙を溜めて、フルフルと小さく首を振る。風見はまだ笑顔を崩さなかった。
「本当に?」
首を横に振る。
仕方がないのだ。波風は本当に知らない。知っていたなら話していた。
こんなに他人に恐怖したのは生まれて初めてだった。
目の前の人間がなにを考えているのかわからない。『理解者』という能力を持ってるからこその恐怖だった。
そして直後、右手の人差し指に激痛が走る。
「ぐっ、ああああっ!?」
気づかぬ間に波風の右手は風見の左手に優しく包まれていた。風見は左手の指を操作し波風の指を折ったのだ。
「本当に?」
風見は質問を繰り返す。
でも波風には答えようがない。なぜなら篠崎がどこにいるのかなど、全く聞かされていないのだから。
波風は恐怖と激痛に涙を流した。だが質問に答えないでいたせいで、中指も折られる。
耐えられずに泣き喚いた。
「本当です、本当なんです! 何も聞かされてないんです!」
縋るように風見に抱きつくと、嗚咽交じりの酷い声でまくし立てる。だが必死に訴えても、風見は笑顔のまま、同じ質問を繰り返すのだ。
「本当に?」
この人は本当に人間なのだろうか。ちゃんと人と人との間に生まれた人間なのだろうか。
純粋な日本人として生まれた人間が、どうしてこんなにも酷いことをできるのだろうか。
「場所以外なら何でも話します! だから、もうやめてください!」
次々に指は折られた。すでに右手の指は全て折られている。そして風見はすでに波風の左手も掴んでいた。
残りの指も折る気だ。それも折られてしまったら、どうなる?
まさか全身の骨を折られるのか?
しかし風見はなぜか手を離した。
「ちょっと待ってろ」
言い残すと風見はビルを渡ってどこかへ走って行った。方向から東京方面でないのはわかるが、向かう場所まではわからなかった。
この間に逃げようと思ったが、風見の仲間と思われる者たちからの視線があったせいで足がすくんだ。さすがにあの人数を相手に逃げ切れるとは思えない。
風見はすぐに戻ってきた。
灯油を入れるような赤いポリタンクを持って。
「さて、と……」
ポリタンクをそばに置くと、風見は波風に立ち上がるよう指示した。言われた通りに立ち上がると、風見はマイクロバスの中に入り、紐を持ってきた。
まさか。
まさか、波風が危惧するようなことはないだろう。波風はそう思っていた。いや、信じていたと言ってもいい。
さすがに彼も人の子だ。そんなに非道なことができるわけがない。
そう、信じていたのに。
風見は紐を使って波風を近くの柱に結びつけた。
もうその時点で、何が起こるのかを悟った。
「もう一回訊くけど」
風見は前置きした。
笑顔で。
「本当に、知らないの?」
風見はポリタンクに手を伸ばした。答えを聞く前から行動を始めたことで、波風は気付く。
風見は気づいているのだ。波風が篠崎の現在地を知らないことに。それが本当なのだということに。
つまりは、風見の目的は、波風を傷つけることにある。それがわかってしまったから。
「お願いします! 許して下さい!!」
泣いて叫んだ。
波風を縛っている紐を引きちぎるのは容易だが、やってはいけない気がして力をセーブする。抑えた上で、暴れた。
「許してください、許してください、許してください、許してください!!」
死にたくなかった。
ましてや、風見がこれから行うやり方でなど、絶対に。
「ゆるしてください、ゆるして、ゆるっ、ゆるしてください……ッ!」
嗚咽で言葉が変になる。声も枯れてきた。だが風見は答えなかった。
風見は黙り込んでいた。
真顔で。
「お願いします……ゆるしてくださ……」
もはやガラガラになってしまった声で懇願したが、風見はポリタンクを持って中に入っている液体を波風に頭からかけた。
灯油だ。
特有の臭いが鼻を突いた。
言葉が出なかった。これから、始まるのだ。
「許す?」
風見は、真顔で言う。
「お前を許してくれる人間は、お前が殺したんだろうがよ」
ポケットからジッポライターを取り出し、火を点けた。先ほどポリタンクと一緒にとってきたのだろう。最初からこうなることは決まっていたのだ。
そしてそれは、風見の手のひらから放たれる。
「ああああああああああああああああッッッ!!!!」
痛みに絶叫した。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
熱さなど感じない。それを通り越して痛い。
元々全身に灯油がかかっていたせいで、火は一瞬にして全身を回った。だから熱を感じている暇はなかったのだ。
地面を転がる。しかし転がった地面にも灯油が撒かれていたせいで、火はさらに回った。
皮膚が焼け、髪の毛は溶け、血や涙は急速に沸騰し、呼吸もできない。呼吸しようとすれば喉が焼けるのがわかっていたから。
しかし絶叫し続けていればいずれ肺から空気が失せる。そうして波風の身体は酸素を求め、息を吸い込もうとし。
喉を焼いた。
「ああああああああああああッ!?」
息が、できない。
口から熱がダイレクトに入り込んで気管と食道を満遍なく焼いた。
全身の痛みに加えて呼吸困難も合わさり、その苦しみはもはや耐えられぬものになった。
風見はそんな彼女を見下ろし、ゴミを見るように嘲笑した。
「ざまあみやがれ」
ふと山城たちに目を向けると、皆一様に目を逸らしていた。
――なんだ、その目は。
――なぜそんな目で見るのだ。
無論、風見のことを直視する者はいない。皆の視線は、それぞれ別の場所に注がれているのだから。
だが風見にはそれが、風見を責めているように感じ取れた。
――やめろ、そんな目で見るな。
――まるで、俺が間違っているみたいじゃないか。
山城も目的は復讐のはずなのに。
「――あ?」
違う。
山城『も』、ではない。それでは、風見の目的が復讐になってしまうではないか。
違う。断じて違う。
風見は正義のために悪を滅しただけ。それだけのはず。そこに私欲はない。
復讐はやめたのだ。あれは間違っていたのだ。そのことに気づいて、力も得て、だからヒーローになろうとしたのだ。
違う。違う。違う。
顔を手のひらで抑えて、風見は悶えた。
違うと言いながらも、そう自分を納得させることができなかった。
そこで、後ろから地を蹴る音が聞こえた。
なぜお前が。
浮かんだ疑問に答えを出す前に、接近してきた者を迎撃しようとした。しかし間に合わない。
なぜか生きていた片桐は、すでに火だるまと化している波風に触れていた。
そして、彼女は元の状態へと『回帰』する。波風は、元の、無傷の状態へと戻ったのだ。
いきなり消失した痛みと苦しみに驚く波風は、そこで見た。
片桐の満足そうな笑顔を。
その笑顔は、次の瞬間潰れた。
風見に踏み潰された。
「く、そがぁ……! なんで生きてんだよ、こいつ……頭は潰したろ……!?」
頭を抑えながら風見は呟く。
その取り乱した様子には目もくれず、波風は泣いた。
「あぁ、片桐ぃ……っ!」
自分のためにここまでしてくれた。
それが、嬉しかったのだ。だが片桐は死んだ。今度こそ、本当に。
先ほどの顔を見てわかる。今のは本当に奇跡だったのだと。次はないのだと。
「ごめん、ごめん……っ!」
せっかく助けてくれたのに、波風はきっともうすぐ死ぬ。風見に殺される。
目を瞑った。
そこに。
「――何をやってるんだ、君は」
声が。
聞こえた。
「…………」
風見は、ゆっくりとそちらを向く。
「…………」
そして、その目を見開き。
「…………」
口を半開きにして。
「……………………あ?」
頭を抑えていた手は力が抜けて、だらんと落ちていた。
酷い展開続いててごめんなさい。
もう少し続きます。ごめんなさい。




