06 主人公は簡単には死なない
私は足をくじいてしまったという少女の手を引いて、ただひたすら歩いていた。
「う……うぅ……」
涙は止まらない。
だって、私のせいで風見先輩はゾンビになってしまったのだから。
私が自分の弱さを自覚して、少女を見捨てるだけの強さを手に入れていれば、風見先輩が死ぬことはなかった。
少なくとも、あの状況で二人同時に生還するなど不可能だった。
私の平均以下の身体能力と足をくじいている少女だ。いくら足の遅いゾンビにしても、食堂にいたのは数体。一斉に向かってこられたら道を塞がれて二人とも終わりだった。
それを、助けてくれた。
風見先輩は、助けてくれた。
自らの命を捨ててまで。
「どうして……私なんかのことが好きだったのかな……」
どうしてもその疑問だけは払拭できなかった。
風見先輩は私の笑顔が好きだと言っていた。
だけど、この世界に馴染めていない私の性格は、はっきり言って邪魔だろう。初対面で助けてもらったにもかかわらず、人殺し呼ばわりする女だ。
笑顔を一度見たのみでその悪印象が覆るとは思えない。
「風見は、そういうやつだよ」
私が一人で悩んでいると、後ろから声が聞こえた。
思わず振り返る。
声の主は、足をくじいた少女だった。
少女という表現をしているが、そこまで低い身長でもなく、多分先輩だろう。口調的にも先輩っぽいし。
「えっと……」
「ああ、ウチは高坂流花。風見と同じクラスだよ。助けてくれて、ありがと」
「一年の御影奈央です。お礼なんて、私に言わないでください……」
実際に助けたのは風見先輩だ。
私は、何もしていない。
何も、できなかった。
そう思っての言葉だったのだが、高坂先輩は首を振る。
「ううん、風見は奈央ちゃんが私を助けようとしてくれなきゃ、絶対見捨ててたから。ウチは、奈央ちゃんのおかげで助かったんだよ」
「そんな……」
「はいはい、いーのいーの。奈央ちゃんのおかげで。風見も笑えって言ってたでしょ? いつまでも落ち込んでちゃだめだよ」
「は、はい……」
高坂先輩は意地でも私のおかげにしたいらしく、強引に話を終わらせてしまった。
「……ウチもね、風見に助けてもらったことがあるの」
「風見先輩が……?」
「そ。中学のときに、『別にお前のこと嫌う理由もないから』なんて理由で、いじめられてたウチを助けてくれてさ」
「なんか、すっごく風見先輩らしいですね」
なぜか、笑いがこみ上げてきた。
風見先輩の死で泣いていたのに、風見先輩の過去で笑うなど変な話だ。
「あいつは、ホント変わんないなぁ」
「……ありがとうございます。なんか元気出ました」
「うん、気にしないで」
私が元気を出して一歩を踏み出したときに見えた高坂先輩の顔はどうしてか悲しんでいるように見えた。
※※※
「……おい…………か?」
なんだ、なんか声が聞こえる。
「ちょ……ゾンビか……れない……やめとこうよ!」
男と、女の声?
「いや……ゾンビは寝ないだろ……おーい」
ゾンビ? 寝る? そういえば、俺は何をやってんだ?
「うーん、心臓はちゃんと動いてんだがなぁ」
「ゾンビの心臓が止まってるのかなんてわからないじゃん」
「いや止まってるだろさすがに」
確か、俺はさっき御影さんを助けるために食堂にきたような……。
それで……。
「俺はゾンビに噛まれたはずだ!」
ガバッと起き上がった。
「うわぁ!? やっぱ生きてた!」
「びっくりしたなぁ、もう」
俺の前にいる二人はそんなことを言っているが、俺の耳には入らない。
俺はさっき確かにゾンビに噛まれたはずだ。
そう思って肩に触れるのだが、傷口は見当たらない。
「あれ? あれ? あれ? 傷がない」
「なに言ってんだお前?」
全身をペタペタと触り回す俺に疑問をもったらしく、男の方が訊いてくる。
「いや、さっきゾンビに噛まれたはずなんだよ。傷口が見当たらねえけど」
「え、マジで? やばくね? ちょ、絶対噛むなよ?」
「わかってるわかってる」
「危ないよ、何か起こる前に逃げよう!」
「何も起こんねえよ。それにもしかしたらゾンビ化を防ぐ方法があるのかもしれないだろ」
「全く、これだからマサキは……」
なんだよこいつら、リア充かよ。さっさとどっかいけ、と思ったのだが、確かにゾンビ化を防ぐ方法があるのかもしれない。
誰かが言ってたじゃないか、三人集まれば矢の束も折れるって。間違えた。三本の束なら折れないから力合わせろ、だ。
よし、集団行動は苦手だけど、本気出すか。
「それで、どうしてゾンビ化していないか心当たりはないか?」
目の前のリア充がそう訊いてきた。
そういえばこいつらどっかで見たことある気がすると思ったら生徒会長と副会長だ。リア充なのかリア充じゃないのかがわからなくなったぞ。
心当たりかぁ、心当たりなんて何一つないから困ってんだよな。
「うーん、心当たりはねえな」
「だよな。だったら、ゾンビに噛まれてからやったことを事細かく説明してくれないか?」
え、恥ずかしいんだけど。告白したんだぞ、俺。
「マジですか」
「なんだ? 記憶が曖昧なのか?」
「いやむしろはっきり覚えてるから恥ずかしいわけだよ」
「ん? よくわからないな」
ですよねー、告白の恥ずかしさとか知らなそうなイケメン面してるもん。
俺は覚悟を決め、「ゲフン」と咳払いを一つ。
「……ゾンビが現れたあと、逃げた生徒は色んなとこに安全地帯を作ってたのは知ってんだろ」
「ああ、わかるな」
「ここ食堂もその一つだったんだが、どうもここに籠ってたやつらは重度の馬鹿らしくてな。騒いでたんだよ」
「……ゾンビが集まるわけだな」
「そ。んで、三階の防火扉を閉めた連中がそいつら助けるとか馬鹿なこと言い出して助けることになったんだ」
「……馬鹿なことなのか?」
生徒会長は『人助け』を馬鹿なことだと言う俺に対し訝しげに眉をひそめた。
無論、馬鹿なことだ。俺の意見は誰に何を言われようと全く変わりはしない。
「馬鹿なことだろ。よく考えろ。ゾンビの大量にいるところに数人の人間を助けるために数十人で向かって、その全員がゾンビになったとしたら、ゾンビの数を増やしてしまうだけだ。返って生き残りが生きづらくなるんだぞ」
俺は両手の指を使って説明する。
生徒会長の後ろにいる副会長は納得できないような顔をしていた。この人絶対俺のこと信用してねえ。
「なるほど、より多くが生き残る方を選ぶって考えか」
そんな大層なもんじゃないがな。自分優先な考え方だし。
「納得できませんね。それってつまり自分が生きるために他人を見捨てるってことでしょう?」
すると、しばらく口を閉ざしていた副会長が俺の意見を否定した。ショートにメガネでつり目とキツイ性格っぽさ全開の副会長だったので、展開自体は想像通りだ。
「ああ、その通りだ。問題あるか?」
「ありますよ。どうして困ってる人を見捨てなければならないんですか」
「自分が困ってる人にならないためだ」
「…………」
誰かを助けられる人間なんて、限られている。人助けは、自分を助けてかつ他に回せるだけの力がある人間にしかできないからだ。
自分を助けられない人間に、他人を助けることなんてできない。
それはこの世界を生きる上での基本だ。
一人助けたら一人分食料は減るし、危険も増える。リスクに対してリターンが見合ってないのだ。
だから、凡人に人助けなどできない。
「人を助けたせいで食料がなくなり、二人とも死にました。なんてシャレにならないだろ」
「それは……」
「お前の言いたいことはわかる」
副会長が言葉に詰まらせたと思ったら、今度は生徒会長がそれにかぶせるように言葉を紡いだ。
生徒会長は、俺の目を真っ直ぐに見て言った。
「だけど、それはできないと最初から決めて、誰かを助ける努力を放棄するってことだろ」
今度は、俺が言葉に詰まった。
「確かに、誰かを助けたらそれが自分の負担になることもあるのかもしれない。場合によっちゃ助けたせいで誰かが傷つくなんてこともあるのかもしれない」
俺は何も言えない。返す言葉が浮かんでこない。いつもいつも、その場しのぎの屁理屈を浮かべる頭も、今ばっかりは働いてくれない。
「だとしたら、事前にそれら全てをなんとかできる努力をすればいい。誰かを助けるための力を手にしてから、助ければいいんだ」
つまり生徒会長は一人の人間を助けるために、一人分の余裕を作ればいいと言っているのだ。
この厳しい世界において、そんなのは暴論で理想論でただの妄想だ。
でも。
それでも。
目の前の生徒会長はそれを行う。
それは御影さんや高月と同じようで違う。
生徒会長は『助けたい』だけじゃ助けられないことを理解していて、それでも助けるために、その方法を探しているのだ。
より確実に。
より多くの命を救うために。
「……なるほどな」
生徒会長の意見は理解した。
理解した上で、言う。
「でもそれは、誰にでもできることじゃねえよ」
やっと言えたのは、そんな言葉。
生徒会長を否定することは、ついにできなかった。
「かなり脱線したが、その後食堂で何があったんだ?」
脱線した、なんてもんじゃねえよ。論破されたもん。
「……俺が一人で技術室にゾンビを集めて閉じ込めたら、食堂から人が逃げていくのが見えて慌てて食堂まで走ったんだよ」
「ひ、一人でやったのか。すごいな」
やり方はすげー簡単だけどな。もしかしてこいつらゾンビの特徴とか知らないのかな。
「そしたら、御影って一年生のクッソ可愛い天使みたいにラブリーでキュートな女の子が、足をくじいたやつを庇ってて」
「その言いよう、素直に気持ち悪いわね。本人に聞かせてあげたいわ」
やめてよ、これから感動の告白シーンなのにそういうの。
「そのままだと美少女天使のゴッドスマイルが世界から消えちまうから、俺が庇って噛まれたんだよ」
「お、ここからが重要だな」
そう、超重要な告白シーンだよ。他人に自分の告白語るとか恥ずかしいな。どんな羞恥プレイだよ。
「んで、その後泣き出しちゃった御影さんをなだめるために、告った」
「……は? キモッ」
なんか副会長さん俺のこと嫌いすぎじゃない? 体を抱くようにして引くのやめてよ、すげー傷つくよ。
「なんて告ったんだ?」
そこまで聞くのかよ。
「……だから、その。君の笑顔が好きだー……とかって」
「なんだ。意外とまともなのね」
この人、俺を何だと思ってやがんだ。変態だとでも思ってんのか、しまった俺は変態だ。
「……ふむ、それで?」
「落っこってたから揚げを食って死んだ」
「……終わり?」
「おう、起きたらこんなだった」
「え、は? 待てよ、全然検討つかねえんだけど」
「俺もだよ」
なんだよ、三人集まっても結論出ねえじゃねえか。毛利なんとかさん騙しやがったな。
「話を聞くと、とりあえず告白とから揚げが怪しそうだな」
「んー、まあな。でもどっちもどっちだ」
「……そんなことより、私たちまだお互いに名前も知らない訳だけど」
俺と生徒会長が必死に考察を進めようとしていると、横槍を入れるように副会長が言った。まぁ、それもそうだなと思ったので何も言わないが。
せっかくだし、俺から名乗ろう。
「……二年、風見晴人だ」
「俺は三年で生徒会長の永井雅樹だ」
「……同じく三年、副会長の秋瀬詩穂です」
「マサキと秋瀬さんね。わかった」
「馴れ馴れしい後輩だなぁおい。まぁいいけどな、ハルト」
男への馴れ馴れしさには定評があるからな。だてに長年ぼっちでいねぇぞ。周りの人間のことは大抵見下すのが俺だ。
「それで、この後どうするつもりなの?」
あれ、このまま自己紹介が始まる流れじゃないの? なんだよ、マイペースな副会長だな全く。
「うーん、それなんだが。一つ気になることがあってな」
「気になること?」
「ああ、確かお前は技術室にゾンビを一人で集めたって言ったな」
「ん? ああ、言ったが」
それがなんだというのだ?
まさか俺みたいなのにそんなことができるわけがないだとか言うんじゃないだろうな、と思ったが違った。
「実は、ここにくる途中に技術室の窓から技術室を覗いたんだが、ゾンビなんて一体もいなかったんだよ」
なんだって?
生徒会長の気になることは、俺からしたら謎の一言だった。




