42 高坂流花
殴り飛ばした男は建物を破壊して地面に倒れる。そこへ面白がったように女も駆けつけた。
そこで俺は高坂に視線を移す。
「高、坂……」
最後の力を振り絞って、俺は倒れている高坂のもとへ歩き出した。
※※※
高坂と話すとき、俺は雑に彼女をあしらうことが多い。それは、中学のときは第一印象が『変なやつ』だったからだし、今は御影さんのことが好きだから。
でも俺は別に高坂のことが嫌いなわけではなかったのだ。
むしろいいやつだなとまで思っている。御影さんが現れなきゃ、今頃惚れてたんじゃないだろうか。
それほどまでに彼女への好感度は高かったのだ。
――だから、今にも息絶えそうな彼女を見るのは心が痛んだ。
「高坂……」
「かざ、み……。たはは、もう、さすがに名前で呼んじゃくれないかぁ……」
ゾンビである影響か、首の後ろまで傷はあったにもかかわらず高坂は生きていた。首の後ろにある頚椎を切ったら即死するだとか聞いたことがあるが、素人目ではよくわからない。
「ごめんな……ごめんなぁ! 守るって、助けるって、そう言ったのに……ッ!!」
俺は高坂の近くに跪き、彼女の手を握った。身体を起こしてしまえば傷口が広がってしまいそうだからできなかった。
「いい、よ……。いいんだよ……風見……」
「良いわけ、ないだろうが!」
叫ぶ俺の声は震えていた。
「なんで俺なんかのためにこんなことしたんだよッ、俺なんか!!」
違う。
こんなことが言いたいわけじゃない。
それなのに言葉は止まらなかった。
「俺なんか、救いようもないクソ野郎だってのに……ッ!!」
それに対して高坂は少し悲しそうに笑いながら、かすかに首を横に振った。
「俺なんか、なんて言わないで?」
「……ッ!」
「風見は、きっと自分が思ってるよりもずっと、ずっとすごい人だから」
そんなわけがなかった。
高坂をこんなになるまで痛めつけたのは他でもない俺だ。
俺のせいで、高坂は死ぬのだ。
だから俺がすごいだなんてことがあるはずがなかった。
「すごくなんてねえよ……」
「…………」
「すごくなんて、ないんだ……」
高坂は静かに聞いている。
「俺は! 全力で頑張って、体張って、本当死ぬんじゃねえかってくらい踏ん張ったって、女の子一人助けられない!! そんな、小せえ人間なんだ!!」
「…………」
「高坂を二度も救えなかった! 御影さんだって全然助けられてねえ! 学校のやつらなんてもはや見捨てたも同然だ!! そんなクソ小せえ人間なんだよ、俺は!!」
「…………」
「デカイことを散々言うくせに。俺ならできただとか、まだ本気出してねえだとか、そんな馬鹿みてえな言い訳して自分の力不足から目をそらし続けてきたくせに! 俺は一人の女の子だって救えないんだよ!!」
「…………」
「本当なら俺が死ぬべきなんだ! アンタみたいな人こそ生きてるべきなんだ!」
「…………」
「こんな、口先だけの馬鹿が生き残ってちゃ、ダメなんだよ……ッ!!」
「――ねえ」
そこで、長く沈黙していた高坂は割り込んだ。
「助けられた人が助けられたって思ってたら、それは助けたことになるんじゃないの?」
「――――」
「ウチは、何回も風見に助けてもらったよ? なんでそれが風見の中では助けたことにならないの?」
「――――」
「確かに、今ウチはこんな風になっちゃったけど……でも、風見はちゃんと来てくれたじゃん」
「――それは」
「携帯で連絡したら、ちゃんと、助けに、来てくれた……」
「それは、違う」
俺は携帯を落としたせいで高坂のSOSに気付けなかったのだ。だからそれは違う。俺は、そんな人間じゃない。
「だから、ちゃんと言わなきゃね」
「違うんだよ、高坂……」
「――ありがとう、風見」
そんな顔で言われてしまえば。
もう。
何も言い返せるわけがなかった。
「ねえ、風見。いくつか、ワガママ言ってもいい?」
そう言う高坂の目はもはや焦点もあっていなくて、そう長くもないのだとわかった。
「……いいぞ、なんでも言ってくれ。ただ付き合うのは無理だ」
「はは、相変わらずひどいなぁ、もう。でも、そんなとこも好きなんだよなぁ」
高坂は笑う。つられて俺も笑った。
「一つ目ね。ウチのこと、名前で呼んで?」
「おう、全然構わねえよ流花」
「いきなりってなんか恥ずかしいなぁ……はは」
高坂の、流花の声が小さくなっていく。
だから聞き逃さないように耳を澄ました。
「二つ目ね。ウチも、ハルトって呼んでいい?」
「おう、むしろ呼んでくれよ」
「ん。そうするね、ハルト」
握りしめた流花の手が冷たくなっていく。
だから流花が寒くないように両手でしっかりと握りしめた。
「最後のお願いなんだけど、これは嫌だったらしなくていいから」
「……おう」
「――キス、して?」
少しだけ迷ったが、答える。
「わかった」
そうして、互いの唇が触れ合う。
その時間は、長かったようにも短かったようにも感じた。
「ありがと、ハルト」
「ああ……」
唇を離したその時に、もう、流花は死んでしまうんだなと感じた。
もうすぐ死んでしまう高坂に目を合わせたくなくて、視線が泳いでしまう。
「ね、ハルト」
「なんだ?」
「大好きだよ」
「……知ってる」
もう、あと少ししか会話もできない。
もう、あと少ししか触れ合うこともできない。
「中学の頃から、ずっとずっと、大好きだったよ」
「……わかってる」
もう、その顔も見れなくなる。
もう、その声も聞けなくなる。
「ハルトがいつも持ってくるオタク小説の表紙にいる女の子の髪型を真似してみたり、ツンデレって言うのをやってみたり、他にも結構色々アピールしたんだよ?」
「……それは、知らなかった」
「はは、だよね……」
もう、『流花』と呼ぶことも、できなくなる。
「流花」
「なに、ハルト?」
「流、花……」
「どうしたの、ハルト?」
「る、かぁ……っ」
涙が止まらなかった。
どうして涙はこんなに溢れてくるのだろうか。それが不思議でならない。今まで人の死で涙したことなど、なかったはずなのに。
祖父祖母が亡くなったときも、親戚が亡くなったときも、いつだって涙は溢れなかった。
でも、今はそれが止まらない。
際限なく頬を濡らす。
「あはは、嬉しいな。ハルトが、ウチのことでこんなに泣いてくれるなんて……」
「ごめん、ごめんなぁ……っ」
「でも、できるなら」
そこで、高坂は目を伏せた。
それは多分、二度と開かれることはない。
「ハルトの居場所に、なってあげたかったなぁ……っ」
流花の閉じられた瞳から一筋の涙が頬を伝った。
その雫が、地面に落ちた。
「またね。大好きだよ、ハルト」
小さな呟きを残して。
流花は、死んだ。
※※※
その時、吹っ飛ばされた金髪の男はその光景を見ていた。
「バーッカみてェだな」
「そお? ちょっとロマンチックじゃーん☆」
隣には高校生くらいの少しパーマがかった女の子。
「んで、どーすんの?☆」
「なにが」
「あの風見とか言った男。殺すの?☆」
パーマの女は、興味もなさそうに問いかける。その問いを受けて、金髪の男は少し考える仕草を見せた。
「あいつ、さっき俺を殴る直前に消えた」
「は?☆」
「多分能力が発現したんだろーよ。そんで無意識に使ったんだろォ」
瞬間移動か透明化か。
いずれにしろ、金髪の男がリーダーを務めているグループの面々にはない個性的な能力だ。
「結局どーすんのよ! アタシはさっさと帰りたいんだけど☆」
結論を出さない金髪に苛立ったようにパーマの女が語気を強めた。
「そーだなァ……」
金髪の男の口角が上がる。
ほしい、と彼は思ったのだ。
どんな能力かはわからないが、いずれにしろ、風見晴人なる少年が発現させた能力を金髪の男は考えた。
だから、彼が出す結論は。
「とりま、今回は生かしてやる。あいつ自身が自分の能力を使いこなせるようになったら、そん時に潰しゃーいい」
「そ。じゃ、帰ろ☆」
そう言って、女は踵を返した。
女は元々来たがってはいなかった。その上仲間集めに来たのに一人も増えないとなればこうもなるだろう。金髪の男はそう納得し、女を追う。
そうして数歩だけ歩き、思い出したように振り返る。
「俺は東京を落とす」
宣言するように、呟いた。
「だからテメーも東京に来い、風見晴人」
もう死んでいるであろう少女のそばに寄り添う少年の、その背に。
「そん時が、テメーの最期だ」
言うと金髪は正面に向き直り、女を追った。
ここまで読んでくださってありがとうございます。読者の皆様はおそらく、複雑な心境なのではと思っております。
今回は高坂流花の、いわゆる名前回というわけですが、この回は彼女を初めて登場させた時からずっと思い描いていたものです。
彼女の死を経て、風見晴人の心は確かに動きました。それが正しいものなのか、間違ったものなのかはさておき。
さて、もう一度。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。あとは数話のエピローグを挟み、第二章は終了となります。
鬱展開のせいで読む気をなくしてしまった方も、どうかこれからも付き合っていただけたらと思います。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。




