41 流花
轟音と同時に俺の身体は焼けた。
「ぜ、ひゅっ……。かはッ、ぁ……」
声らしい声も出ない。身体に限界が来ているのだ。
巨人といい、一日の間に大きなダメージを受けすぎた。
男はボロボロになった俺をゴミを捨てるように投げる。
「風見ぃ!」
高坂の声が聞こえた。
俺を心配する声だ。
畜生、何やってんだ俺は。
戦う必要もないのに戦って負けるなんて、馬鹿にも程がある。
「お願いだからやめてッ、それ以上風見を傷つけないで!!」
ああ、クソ。またかよ。
俺はまた、高坂にその言葉を言わせるのかよ。
力不足で、俺は中二の時の高坂を救うことができなかった。その時も彼女は殴られる俺を見て、「もうやめて」と言った。
それだけは言わせたくなかった。
もう力不足ではないんだと、あの時とは違うんだと、そう思っていたから。
高坂を守れると思っていたから。
だからこそ、俺は高坂に守ると言ったのだ。
だからこそ、俺は高坂を守ると誓ったのだ。
守らなければならない。
言ったのだから、誓ったのだから、俺は全力でそれを成さなければならない。
身体は、動く。
心は、折れていない。
まだ俺は、立ち上がれる。
「ざーんねんだったなァ、アンタの彼氏はもう……あぁ?」
高坂に向けて言おうとしたセリフを止めて、男はこちらを見た。
「どうした? 最後まで言えよ」
「チッ、浅かったかよ」
男は吐き捨てるように言ってこちらを睨む。
「次でぶッ潰してやる」
言って、男は一気に距離を詰めてきた。
勝負を決めるつもりなのだろう。握った拳は帯電していて、触れたらマズイことは見なくてもわかる。
しかし相対する俺は、動かなかった。
否、動けなかったのだ。
身体はもはや限界を迎えている。まともに動くことなどできるはずがない。
だから俺は別の手段を取らざるを得なかった。
「スタンガンは、身体に当てなきゃ電流を流せない」
俺のとった手段、それは。
「あいつの能力がスタンガンみたいなものだとするなら、あいつは必ず俺に『触れる』。その瞬間に潰す」
動けないなら、動かない。
相手が近づいてくるのを逆に利用することだった。
男の拳はすでに目の前に来ている。一秒もしないうちに俺の顔面にヒットする。
俺は、それを突っ立ったまま待った。
そして、その拳が俺の顔面に突き刺さる、その直前。
俺は、無心でその手首を掴んだ。
そのまま相手の勢いを利用して地面に叩きつける。
「――な、ァッ!?」
「ぶっ潰すのは、俺の方だ!!」
地面に倒した男を踏みつけ、男を倒そうとするも、首を振って回避される。
男は片手をつき立ち上がろうとする。俺はその腹を蹴り上げ、さらに横へ蹴り飛ばした。
ゴンッ!! と音を立てて吹き飛ばされる男を見て、俺は勝ったと思った。その実感があった。
しかしその直後、俺は吹き飛ばされた。
視界がぐるぐると回転し、壁にぶちあたるまで、自分に何が起こったのかわからなかった。
「――風、か?」
再び霞む意識を頬をつねって無理やり戻しながら、俺は呟く。
俺は、確かに強風に吹き飛ばされた。だが人体を飛ばすほどの強風がこんなタイミングに起こるはずがない。
これは、能力だ。
「そのとーりだ、ガキィ。まさか『疾風迅雷』の『疾風』の方まで使うことになるとは思わなかったぜェ」
――つまり、この男は電撃だけでなく風も操れると言うのか。
「おいおい、冗談だろ……」
俺の勝率がググンと落ちる。
今の俺はまさに満身創痍。そんな状態で風と雷を操るゾンビに勝てるかと言ったらどう考えても無理だ。
これはもう、逃げるしかない。
どう考えても勝てないのだから。
そんな俺の考えを読んだように、男は笑った。
「残念だったなーガキ。アンタらを逃す気はねェんだ」
「なんでだ」
俺が舌打ちながら訊くと、男は後ろで女と一緒にいる高坂を顎でしゃくりながら言った。
「一体もゾンビを喰ってなくて、自我を持ってるゾンビは貴重だからな」
その顔面を殴り飛ばしたいと思った。実際、身体が動いていたら、殴り飛ばしただろう。
だが俺の身体は限界だった。動けなかったのだ。
そのことに俺が歯噛みしていると、再び高坂が口を開く。
「風見、逃げて」
呼吸が止まった。
「……え」
「ウチはいいから、逃げて」
そう告げる彼女の顔は、悲しそうなくらい笑っていた。
それは、その彼女の顔は。
昔、彼女がいじられキャラを助けると決めたときのような、何かを決意した顔だった。
「おい、高坂……?」
唇が震える。
「お前、何をする気だ……?」
その質問に、高坂は答えない。
代わりに高坂は懐から光るものを取り出した。
「おー、マジかァ?」
それを見て、男はニヤリと笑う。
「ちょ、ええっ!?☆」
それを見て、女は少しだけ驚く。
「やめろ、高坂ッ!!」
それを見て、俺は叫んだ。
高坂の手にあるのは、包丁だった。何をするかなど言うまでもないだろう。
あいつは、男たちの仲間にならないために、自殺するつもりなのだ。
高坂は今、男を挟んで俺の正面にいる。だから俺は彼女を連れて逃げるには男という壁を越えなければならない。つまり、この場から高坂を連れて逃げるのはとても困難なのだ。
だからといって、高坂を見捨てることができるか。
「それはダメだッ、やめろ!!」
叫ぶ俺に、高坂は微笑むだけだった。
刃は、徐々に彼女の首へ向かっていた。
「やめろ!!」
軽く触れるだけで肌を切り裂いてしまいそうな銀の刃が、彼女の首を傷つけようとしていた。
「やめろッ!!」
俺はそうまでして守られるべき存在では絶対にないはずなのに。
彼女が命を使ってまで守るべき存在では絶対にないはずなのに。
「やめろッッ!!」
それは、彼女を傷つけた。
「流花ぁッッ!!」
半泣きで、半狂乱で、叫びすぎて枯れた喉で、彼女の名前を叫んだ。
それを聞いて、彼女は一瞬刃を止めて。
涙を浮かべた丸い大きな瞳を少しだけ見開いて。
本当に嬉しそうに笑って。
「やっとウチのこと、名前で呼んでくれたね」
首を、突き刺した。
※※※
高坂が倒れた。
真っ赤な血を流しながら倒れた。
その一撃で死んだかはわからないが、確実に致命傷だ。
高坂は――助からない。
「……死ねよ」
「あー、なーんか言ったかァ?」
俺の呟きを聞いて、男は他のどんなことよりも面白そうに笑った。
それを見たときには、俺は男めがけて突っ込んでいた。
「死ねって、言ったんだよ!!」
喉が裂けんばかりに叫んだ。
――でも。
一番死ぬべきは、他でもない俺だ。
確かに目の前の男や女は死ぬべきだ。生きているべきではない、存在そのものが害悪でしかないレベルのクズだ。
でも、だ。
俺は、それ以上にクズだった。
さっきの高坂の微笑みで察した。高坂は、俺のことが好きだ。きっと、中学の時から。
それなのに俺は彼女の名前すら覚えていなかったのだ。
過去の思い出も、なにもかもを忘れていたのだ。
それだけじゃない。
俺は、彼女の目の前で、御影さんに告白したのだ。
食堂で足をくじいた高坂を御影さんが庇っていた。それを見て、俺は高坂を見捨てろと言った。
そのくせ、御影さんがピンチになった途端そこに飛び込みゾンビに喰われた。
その上、告白までしたのだ。
俺はどれだけ彼女を傷つけたのだろう。どれだけ彼女を泣かせたのだろう。
辛かっただろう。
悔しかっただろう。
苛立っただろうし、悲しかっただろう。
もしかしたら、首に刃を突き刺すよりも痛かったかもしれない。
そんなことをしたのだ、俺は。
許されるわけがない。
生きていていいわけがない。
俺こそが、この場で最も死ぬべき人間なのだ。
だからこそ俺は願った。
――この世界から、消えてしまいたい、と。
既に俺は男の前に来ていた。
何の変哲もない、愚直なまでに真っ直ぐな突撃。
男は余裕そうに構える。
しかし次の瞬間、その顔が驚愕に染まった。
男は俺を見失ったように視線を彷徨わせる。
そんな男の顔面に、俺は全力の拳を叩き込んだ。




