36 助ける決意
翌日からのウチのクラスへの馴染みようは異常だった。まるで最初からクラスの輪に入っていたように馴染めてしまっていた。
元々転校には慣れている。だから人の名前を覚えるのは得意だった。そんなこともあってか、クラスのトップ羽川早苗とやらに気に入られたらしい。ウチは瞬く間にクラスのトップカーストへと躍り上がっていた。
しかしそれは同時に、クラスの人間がどういった立場の人間であるのかを理解することになる。
誰がリーダーで、誰がお調子者で、誰がいじられキャラで、誰がぼっちなのかを。
早苗ちゃんの仕切るクラスのトップグループでは、いじられキャラもお調子者もリーダーも理解するのは容易だった。
「ねぇ、里美。ちょっとアタシ喉渇いちゃったからさー」
早苗ちゃんは窓側一番端の里美ちゃんの席に堂々と座ったまま、里美ちゃんに言う。
「ジュース奢ってくんない?」
これは毎日行われるやり取りのようだった。里美ちゃんは困ったように笑い、「わかった」と言って教室から出て行く。
いじられキャラは、お調子者からいじられることで他人の笑いを取る存在だ。しかし一歩間違えば、このようにいじめに近いことを『いじり』として行われることになる。
いじってるだけ。
いじる当人がそういう風にしか思わないために、いじられる側には何もできない。ある意味、いじめの最悪の形。
ウチはそれから目をそらし、早苗ちゃんと笑う。
ウチに、里美ちゃんを助けることは無理だ。そんなことをしたらウチはいじめられてしまう。
里美ちゃんには悪いが、助けることはできない。それが少しだけ、歯がゆかった。
このグループは、里美ちゃんの『犠牲』によって成り立っているのだと、ウチは転校翌日に理解した。
※※※
一週間が経った。
グループはウチが増えたことでさらに活気付いたらしく、里美ちゃんへの『いじり』も日に日に酷くなっていった。
その日の放課後、ウチは掃除を押し付けられ一人黙々と掃除をしている里美ちゃんを見ていた。
一度みんなと帰るフリをした後、戻って来たのだ。
この『いじり』がグループのウケ狙いのものだったなら、ウチはここに戻って来なかっただろう。
でもウチは里美ちゃんの顔を見てしまった。
あの顔は、あの何かに耐えるような顔は、ダメだ。どう考えてもやりすぎだ。
面倒ごとを無理やり押し付けることを、『いじり』とは言わない。それを強制する、もしくは断れないように仕向けているなら、それはもはやいじめだ。
だからこれはいじめだ。
このままでは、さすがに彼女が可哀想だ。
多分早苗ちゃんたちは、こうやって教室で黙々と掃除をしている里美ちゃんの顔を見たことがない。
耐えているような。堪えているような。悲しそうな。泣きそうな。悔しそうな。苛立ってそうな。
しかし、全てを諦めていそうな。
そんな彼女の顔を見たことがない。
だからこんな非道なことを続けられるのだ。
ウチは多くの学校を転校する中で、当然多くのいじられキャラを見てきた。
「殴られてもやり返さないとかドMじゃん」と言われサンドバッグにされるいじられキャラ。思いついたいたずらを片っ端から試されるいじられキャラ。恥ずかしいことをやれと強制されるいじられキャラ。
どのいじられキャラも、今の里美ちゃんと同じような顔をしていた。
全てを投げ捨て、ただ時が過ぎ去るのを眺めているような。
泣くこともない。
笑うこともない。
達観し、諦観した顔。
何度も見て、何度も見捨てた顔。
その顔が、大嫌いだった。
だからこそ、今度こそは。
助けてあげたいと、そう思った。
「里美ちゃん」
声をかける。
「手伝おっか?」
今度こそ助ける。
その決意を、胸に秘めて。
「高坂さん、なんで?」
里美ちゃんは戻ってきたウチを見て、目を見開いていた。
伝えるべきだろうか。
助けに来たのだと。
伝えよう。
そのために、戻ってきたのだから。
「さすがに、酷いと思ってね」
「あはは、そんなことないよ。いつものことだから」
里美ちゃんはそう言って笑う。それが心からの笑みだったなら、ウチが助ける必要はないのかもしれない。
でも。
この笑みは。
この笑みを、いつも浮かべなければならないのは。
あんまりにも、あんまりだ。
「……それがいつものことじゃ、ダメだよ」
「――え?」
「そんな顔をいつもしなきゃいけないなんて、そんなのダメだよ!」
気づけば、ウチは叫んでいた。
里美ちゃんも呆然としている。
「なんで、そんな……。なにもかもを諦めちゃったみたいなそんな顔を、毎日毎日しなきゃいけないのッ! そんなの、絶対におかしいよ!」
しばらく呆然としていた里美ちゃんは、一度目を閉じ、自分を落ち着かせたあと、笑って言った。
「おかしくなんてないでしょ」
「……え?」
「全然なにもおかしくなんてないよ? いきなりどうしたの、高坂さん」
さも当然のように、里美ちゃんはそう言った。
それを聞いて、ウチがさらに憤り、叫ぶようなことはなかった。
「なんで、そんな」
なぜなら、ウチはそれ以上に困惑していたから。
「そんな顔して、そんなこと言えるの……?」
里美ちゃんは確かに笑っていた。
――一筋の涙を、流しながら。
それに気づいたのか、里美ちゃんも袖で目元を拭う。
「ウソ……私、なんで泣いて……」
「……やっぱり、辛いんじゃない」
流れた涙を拭き取ったあと、潤んだ瞳で里美ちゃんはウチを見た。
「……そんなこと、ない」
「あるよ」
「ない……」
「あるよ」
瞳に涙を溜める里美ちゃんを見て、ウチの目まで潤んでくる。それをこぼさないようにしながら、続けた。
「きっと、誰にも相談したことないんでしょ? もちろん、誰にも言いたくないのはわかるよ。ウチも、里美ちゃんみたいな顔した人を何度も見てきたから」
そこで一呼吸置いて。
「だけどさ」
ウチは、里美ちゃんの目をしっかりと見て言った。
「辛い時に辛いって言えないことほど、辛いことってないよ」
里美ちゃんが目を見開き、溜まっていた涙をこぼす。里美ちゃんはそれを拭うことはしなかった。
やがて、里美ちゃんの目から次々と涙が溢れてくるようになる。
そうしてやっと、嗚咽交じりに里美ちゃんは話し始めた。
「……辛かった。毎日ジュース奢らなきゃならないのが辛かった。何かあったらすぐ私のせいにしてくるのが辛かった。自分の都合を押し付けて、それを『いじり』ってことにして勝手に納得してるのに腹が立った。何度も何度も面倒ごとを押し付けてくるのが嫌だったッ! 嫌いだった。グループに居たくなかった。学校に来たくなかった! なんで、なんで私なのかわかんない! なんで私だけがここまでされなきゃいけないのかわかんないよ!」
これが彼女の本音。
笑顔の裏に隠れた本心。
隠して、隠して、隠し通そうとした彼女自身の本当の気持ち。
ウチは、ただ頷いていた。
「もう、やだよ……。私だけ友達じゃないみたいな、都合のいい道具みたいな、こういうの……もうやだよ……」
泣き出した里美ちゃんを抱きしめて支えた。聞いていたウチもすでに泣いている。
泣きながらも、囁くように、諭すように、優しくウチは言った。
「辛かったね」
「……うん」
「悔しかったね」
「……うん」
「何度も何度も、泣きたかったよね」
「……うん」
「でもね、里美ちゃん」
言葉をかけるごとに里美ちゃんは強くウチを抱きしめ返した。
それに答えるように。応えるように。
決意を、伝えた。
「大丈夫だよ」
「――――」
「全部、ウチがなんとかするから」
ウチを抱きしめていた里美ちゃんが身体を離した。驚愕に見開かれた目でこちらを見る。
ウチはそんな里美ちゃんを安心させるように、笑いかけた。
「ダメだよ……。そんなことしたら、羽川さんがなにをするかわかんないよ……」
「心配しないで。絶対に助けるから」
ウチは笑いかけて。
最後に、もう一度里美ちゃんを抱きしめた。




