30 信用できない他人の最期
タンクローリーから降りたナツキは、俺に相対する位置に立っている。
鋭い目つきで、しかし頬は不自然なほどに緩めたまま、ナツキは続けた。
「あーあ、このままいけばお前ら二人ともぶっ殺せたってのによ。どーすんだよオイ」
「いきなり、なんだよ……?」
現実が直視できなかった。
昨日、「おやすー」とナツキが寝てしまうまでにした会話は普通のものだった。恨みを買うようなことはしていないはず。
そもそもこいつはいきなりどうしたのだ。
俺が見た限り、こいつに悪意は感じられなかった。それが、どうしてこうなった。
「はっ、いきなりなんだよ、だってぇ……? はっはっは、じゃあ訊くぜ」
まだ高坂は店内にいる。
ナツキになにがあったのかは知らないが、なんとかして高坂にもこれを伝えてこの場を離れるべきだ。
「俺が、今まで何度も人を殺してきたっつったら、驚くか?」
「ああ、びっくりだよ。最も、今のお前を見る限り嘘とは思えねえがな」
「けっけっけ、いいねぇ。そーやってちゃんと目の前の人間がどういう人間なのかすぐに認識を改めるとこ、嫌いじゃないぜ」
「俺はもう既にお前が大嫌いだけどな」
俺は、店内の高坂をちらと見る。
呑気にお茶飲んでた。シリアスブレイカーかよ。もうコイツ知らね。
「一人殺すとさぁ、止まんなくなるんだよ。理性がなくなって、お前にわかるか?」
「わかりたくもねえよバーカ」
「けっ、そうかい。まぁ、そんなわけで俺はもう化け物なんだよ」
「化け物、ね……」
俺はナツキの言った化け物というセリフが気にかかる。
化け物。確かに、人間基準で見ればナツキはもうすでに化け物なのかもしれない。
だが。
俺だって、正真正銘の化け物だ。
すでに死んでいるはずの人間なのだから。
「……ふぅ。そんで、化け物のお前は何がしたいんだ?」
「簡単なこった。持ち物置いてここから消えろ」
「嫌だ、と言ったら?」
「わかんねぇのか?」
ナツキは目を細めながら銃を取り出した。
俺は目を見開く。
ナツキは十七歳とはいえタンクローリーすら運転できる男だ。どこで拾ってきたのかは知らないが、銃だって扱えても不思議ではない。
どうする。
さすがの俺も銃弾よりも速く動けるとは思えない。共食いで強化された動体視力でも銃弾を見切るなど不可能だろう。
悔しいが、ここは退くしかない。
俺は両手を挙げ、降参する。
「わかった。全部置いてさっさとでてくよ」
「それでいい」
俺は店内にいる高坂に手を振って、ジェスチャーで外に出てくる用に指示する。
「どしたの?」
「ナツキが裏切った」
いや、裏切る以前にそもそもナツキは味方ではなかったのかもしれない。
勝手に俺が仲間になったのだと勘違いしていただけなのかもしれない。
「さっさと離れないと殺されるからな。行くぞ」
「え? ちょ、ちょっと!」
相変わらずナツキは銃口をこちらに向けている。
俺は最後に一度振り返る。
ナツキはこちらに銃口を向けながら、笑っていた。
悲しそうに、とても悲しそうに。
ところで、あいつはなんで首から双眼鏡なんかぶら下げてたんだ?
※※※
歩いていた。
無言で、俺たちはただ歩いていた。
ナツキに、仲間だと思っていた人間に裏切られたことがダメージとなっていた。
俺は判断を誤ったのだ。
高坂に他人には気をつけろと教えておきながらこうだ。
ナツキに対する怒りもゼロとは言わない。しかし、それを上回るほどに俺は自分に呆れていた。
他人は信用できない。
心からそう思っていたはずなのに、どうしてナツキを俺は仲間だと勘違いしたのか。
この世界に仲間なんていない。
真に自分の仲間になってくれる人なんていない。
誰もが自分を優先し、時に裏切る。その程度の関係だ。
都合がいいから。
それが、今誰かが誰かと一緒にいる理由だ。
さすがに高坂を敵だとは言わない。
ただ今回の一件で、俺は他人を信用できなくなっていた。
高坂だっていつか俺を裏切るんしゃないか、と。
いつの間にかコンビニが見えなくなるくらいの距離まで歩いてきていたことに気づいた。
隣にはこの辺りでは一番高いと思われるビル。入り口にバリケードのようなものがあるため、誰かが使っているものだと思われる。
「ちょっと、ねぇ! 待ってよ!」
早歩きで歩いていたためか、高坂が付いてきていなかったらしい。
高坂が駆け足でこちらへ来る足音が聞こえた。
「なにがあったの!? 説明してよ!」
ああ、忘れていたな。
自分だけで考えすぎていた。
他人は信用できない。これを、再確認する必要がある。
俺自身にも、言い聞かせるために。
しかし高坂は、続けてこう言った。
「なんで梶尾さんは、一緒に逃げないの!?」
…………は?
俺の思考が停止する。
逃げる? 一体、なにから。
俺たちは今、ナツキから逃げているはずだ。
じゃあなんでこいつは「梶尾さんは、一緒に逃げないの?」なんて言い方をした?
「まさか」
俺は一つの可能性に思い当たり、隣のビルを見上げる。
「まさか……」
思えば先ほどのナツキの行動は疑問ばかりだった。
そもそもナツキはなぜコンビニを離れていた?
そしてなぜタンクローリーで戻ってきた?
双眼鏡は、どこで使った?
答えは、一つだ。
「まさか……ッ!?」
俺は振り返った。
コンビニが見えなくなるくらいの距離だが、共食いで強化された視力で、なんとかナツキを見ることができた。
ナツキは俺が見ていることに気づいたのか、左手で一度親指を立てた後、銃口を俺たちからタンクローリーへ移す。
そのナツキの先には、大量のゾンビが見えた。俺でも倒し切れるのかわからないくらいにそれは大量だった。
ナツキが、引き金を引く。
同時に俺は叫んだ。
「馬ッ鹿野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
俺の声がかき消されるほどの大爆発があった。
爆風によって俺と高坂は少しだけ飛ばされそうになる。
ナツキは、あいつは最初から裏切ってなどいなかったのだ。
早く起きて、ビルから双眼鏡で周りを見渡して、大量のゾンビを見つけて、だから命をかけて助けた。
俺はなにをしていた。
俺はなにを見ていた。
勘違い? 他人は信用できない? アホか俺は。
命をかけて守ってくれた恩人に対して、俺はなにをしていたのだ。
気づくべきだった。
気づいて、みんなが助かる方法を模索するべきだった。
ナツキがここで死ぬ必要なんて、なかったはずだ。
あんなにいいやつが、俺みたいなクズに命をかける必要なんて、なかったはずだ。
俺は正面に向き直ると、再び歩き始めた。高坂もそれに続く。
せめて生きなければならない。
せめて逃げなければならない。
ナツキが守ったこの命を、無駄にしてはいけない。
だけど。
だけど、ナツキ。
「他に方法は、なかったのかよ!?」
俺はビルを全力で殴った。
どこにもぶつけられない怒りを乗せて。
下部分を吹き飛ばされたビルは、こちら側へ倒れてくる。
慌てて俺の後ろにいた高坂はビルの下敷きから逃れた。
道路はこれで通行止めだ。
例えナツキの起こした爆発で生き残ったゾンビがいたとしても、こちらへは近づけまい。
他人は信用できない。
一緒に乗っているバスから無理やり降ろすような他人もいれば、自身を犠牲にして俺たちを助ける他人もいるからだ。
他人は信用できない。信用してはいけない。
他人を信用してしまえば、誰かが死んでしまう。
俺が、他人が、大切な誰かが。
側にいてくれるはずの人間が、死んでしまう。
ナツキは死んだ。
俺たちを守るために死んだ。
だから、せめて生きよう。
いつか、ゾンビがいなくなるその日まで。