22 ドラゴンの炎
窓ガラスを叩き割り、戦場を見た瞬間に、俺、風見晴人は状況を察した。
傷だらけの高月と猫が倒れていて、それを御影さんが庇うような構図。そう悩むことでもないだろう。御影さんの性格的にも、十分あり得ることだ。
しかし御影さんには高月を守るだけの力はない。
だからその埋め合わせは、俺がする。
御影さんが庇う人間は、俺が守る。
それが御影さんを守るということなのだと、気づいた。
本当なら高月と軽口を交わしてからゾンビに挑みたいところだが、高月の傷的にもそうはいかないだろう。
ゾンビはとりあえず教室の外に投げ飛ばしてある。あとは御影さんたちに高月と猫の手当てを頼もう。
「御影さん、高月と猫の手当てをやっといてくれ。俺はあのドラゴンみたいなやつぶっ殺してくる」
「か、風見先輩……っ!」
すぐに行こうとしたのだが、なんか御影さんが抱きついてきた。え、なにこれ? なにこれ!?
「え、えと……。御影さん……?」
「こ……怖かったです……」
御影さんは瞳に涙を浮かべて、俺の制服を握る。ああ、そういえば御影さんって少し怖がりなんだったか、と唐突な状況にも理解が追いつく。
「御影さん、心配すんな。俺が来た。もう大丈夫だから」
「風見先輩……っ」
抱きついてくる御影さんを俺も抱きしめ、とりあえず頭を撫でた。こういう時どうすりゃいいんだよ。もっと恋愛ゲームやっときゃよかった。
御影さんの髪を撫でながら俺は倒れている高月へ視線を移した。
「高月、大雑把でいい。あのゾンビの特徴を頼む」
「……ああ」
高月はかなり疲弊しているようだ。まぁ無茶な頼みをしたのは俺だし、それに遅れたのも俺だ。仕方ないか。
「あのドラゴンみたいなゾンビは、背にある羽で飛び、炎を吐く」
「マジで!? ドラゴンじゃん! うおおおおおお、リアルドラゴン!」
「話を聞け!」
勝手に盛り上がる俺に的確な突っ込みを高月がいれる。ごめんよ傷だらけなのに。
「はぁ……。それで、接近戦になると尾を使って応戦してくるんだ」
「へぇ、見た目蛇っぽいのに牙は使わないのか」
「まだ使ってないというだけかもしれない。油断するな」
それから、と高月は区切る。
「硬い鱗については君のパワーでなんとかなると思うが、問題は知能があることだ」
「知能が?」
「ああ、僕のチェーンソーが弱点を突かれて折られた」
「マジで!? そりゃやべえわ」
あのチェーンソーは俺がなんとか頭を回転させて倒した進化ゾンビのものだ。
俺ですら倒すのにあれだけかかったのだ。それをこの短時間で看破するだけの知能は脅威でしかない。
「あ、あの……風見先輩っ!」
すると、それまで抱きついていた御影さんが顔を上げて俺を呼んだ。うおぅ……近い近い可愛い。
「もう脱出方法についてはこっちで考えました。だから……」
そこで御影さんが口ごもる。
何が言いたいのかは、わかっている。伊達に御影さん好き好きアピールしてねぇ。
御影さんは、きっとドラゴンなんて相手しないで脱出しようと言う気なのだ。
無論、そんなことはできない。
俺には他にも大音量で音楽を流す役割とかあるからな。
だから、俺は抱きついていた御影さんを優しく離した。
「大丈夫、すぐ終わらせる。俺はとりあえず屋上で戦うから、御影さんたちは先に脱出しててくれ」
「……っ!? そんなこと、できませんっ!」
御影さんはどうやら本気で俺を心配してくれてるらしい。どこまでも優しい子だなぁ。そこが可愛いんだけどね。
俺はポンと御影さんの頭に手を置いて言う。
「御影さん心配しすぎだよ、俺を誰だと思ってるのさ」
それから、高月の方を見る。
高月は疲弊していて傷だらけだ。まぁ、高月だしちょっとくらい仕事押し付けてもいっか。
「高月、放送室で音楽流して行ってくれ。俺がやるの正直めんどくさい」
「全く、君ってやつは……。ああ、任せてくれ」
高月は笑っていた。
心配されてないようだ。これ信頼されてるんだよな? 死んでもいいや、とかじゃないんだよな?
最後に、御影さんに向き直った。
「待っててくれ、絶対追いつくから」
そうして、俺は御影さんの肩から手を離した。
投げ飛ばしたドラゴンはもう起き上がってすぐそばに来ている。時間はない。
だから俺は御影さんに背を向けた。
「うう……風見先輩のばか! 絶対、絶対ですからねっ!」
最後に可愛い激励があった。背を向けたまま手を挙げることで答える。こいつぁ俺、ちょっとやる気出ちゃうぜ。
※※※
廊下に出ると、既に与えられた傷をあらかた回復させたドラゴンがいた。それを見るに、再生能力も多少あるようだ。
敵のくせに俺を待っていたらしい。
「……待たせたな、化け物」
言葉を話したり理解したりできるのかはわからないが、言うべきことは言うべきだ。
そしてそれは、そのまま戦闘開始の合図になった。
俺もドラゴンも、同時に踏み込む。
ドラゴンは尾を、俺は足をぶつけ、そのまま格闘戦が始まった。
炎を吐くと聞いていたが、案外このドラゴンは接近戦も得意なようだ。
間違いなく俺の戦ってきたゾンビの中で最も強い。
俺は相手にスキを作るために、わざとスキだらけの攻撃をする。
それによって、相手の攻撃する位置を操作するのだ。
「ここだ……!!」
そして戦いの中でできた一瞬のスキを突き、俺はゾンビを真上へ蹴り上げた。
ドラゴンは天井を突き破り、屋上へ行った。
俺も開けた穴から屋上へ登る。
「よぉ……。ドラゴンのくせに趣味いいな、お前」
屋上は周囲を円形に炎に囲まれていた。
俺の後ろにも炎の壁ができる。
ドラゴンが吐いた炎が、戦場を形作っていたのだ。まさに最終決戦って感じじゃねーか、燃えるぜ!
ドラゴンも俺が褒めたことが理解できたのか、嬉しそうに唸る。
停滞が、沈黙が、生まれる。
やがて、スピーカーから大音量の音楽が流れだした。最近公開した劇場版アニメの主題歌だ。
「いやー、戦場に雑音が入って悪いねぇ」
俺は気軽な調子でドラゴンに語りかける。
さっきドラゴンが嬉しそうに唸ったことから、人の言葉を多少は理解できるはずだ。
「仲間を逃したくてよ。まぁお前も戦いに邪魔が入るよりはマシだろ?」
ドラゴンは俺の問いに対し、肯定するようにグルッと唸る。
視界の隅でマイクロバスが走り出すのが見えた。
ゾンビになったことで、かなり視力も上がったらしく、車の中で御影さんが心配そうにこっちを見ているのもわかる。
「さぁて、それじゃそろそろ始めるか」
俺は拳を固め、覚悟を決めた。
ドラゴンも構えているように見える。
そして、一秒後。
俺とドラゴンは、互いに前へと踏み出した。
拳と尾が激突する。
俺の右拳はドラゴンの尾に弾かれ、後ろへと持っていかれる。
できてしまったスキにつけ込むようにドラゴンは尾を突きだした。
俺はその尾を蹴って軌道を変え、躱す。
さらに反対の足でドラゴンを蹴ろうとするが、それはいつの間に戻った尾に阻まれた。
互いの実力はほぼ互角。
互いの実力だけでは、勝敗は決まらない。
では勝敗を決めるために必要なものは何か。
状況に応じた機転の利かせ方や、手数の多さなど挙げられるものは多いだろう。
しかし単純明解な要素が一つある。
体力。
どれだけの時間、相手の実力についていけるか。
この要素が、確実に勝敗を決定づける。
校門を破り、ゾンビが学校に入ってくる。
既に校庭はゾンビでぎっしり埋まっている。
校舎にも少しずつゾンビが入ってきている。
屋上にゾンビが来るのも時間の問題。
俺に残された時間は、少ない。
つまり体力とは少し違うが、俺がドラゴンについていける時間は少ない。
端的に言えば、このままいけば俺は負ける。
しかしそんなことはできない。
俺は負けられない。
御影さんに言った。
必ず追いつくと、言った。
だからこんなところで負けるわけにはいかない。
頭が焼き切れるまで考えろ。
持ってる手札を適切な順番に出し切れ。
状況に応じ、機転を利かせろ。
最善の選択だけを行え。
勝ちだけを考え、勝ちだけを意識し、勝ちだけを目指し、勝ち取れ。
俺は、必ず勝つ。
俺はドラゴンの尾を掴んで後方へと投げる。
そのまま地を蹴り、ドラゴンを這うように追う。
ドラゴンはそこに狙ったかのように炎を吐いた。
俺は飛んだ。それによって、炎を躱す。
ドラゴンは一度吐き出した炎を止める気はないらしく、首を上げることで空中の俺を狙う。
「当たらねえよ」
しかし、先に飛び上がっていた俺にドラゴンの首は追いつかない。
俺はドラゴンの真上に着くと、ドラゴンの頭を掴んで地面に叩きつけた。
「お、らぁ!」
すかさずドラゴンの尾がこちらへ向かってくる。
俺は頭を下げ、頭上を尾が通過するのを確認すると、その尾を掴んだ。
そしてそのまま尾を引き、ドラゴンの頭を殴り飛ばした。そのときにドラゴンの尾から手が離れてしまう。
ドラゴンは殴られた勢いを利用し、尾をに振り回す。
「づあっ!?」
さすがにそこまで予想していなかったため、攻撃は命中してしまう。
「へっ、やっぱ……俺が戦った中で一番強え……ッ!」
ドラゴンも戦闘を楽しんでいるらしい。グルルッと唸る。
今までの戦いはどれも殺伐としていた。
しかしこの戦いは違う。
バトルマンガによく登場するような、「楽しい戦闘」だった。
それも、次で終わりだ。
既に屋上のドアがガタガタと音を立てている。
はやく勝たなければならない。
勝つ、勝つ、勝つ!!
「グルルガァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
ドラゴンが吼えた。
ドラゴンは今、俺の頭上に移動していた。
十中八九、炎を吐くつもりだろう。
そして俺の予想は的中し、炎が吐かれた。
「やっべ!」
俺は屋上にあるフェンスへと走った。
屋上の、俺の近くには遮蔽物になるようなものがない。
よって、炎が放たれたら俺は避けることができない。
ではそんな状況で炎を躱すには、どうしたらいい?
「ドラゴンより、高い場所に飛べばいい!!」
俺は、地を蹴った。
そしてフェンスの金網に足を掛け、上へと登り、やがてフェンスを蹴った。
宙返り。
今、俺はドラゴンの真上にたどり着いた。
「ああ、多分こんなに楽しかったのはゾンビ騒ぎが起きて以来、御影さん関係以外で初めてだな」
ドラゴンは炎を吐くのを止め、俺の話を聞く。
それが自分にとって最後に聞ける話なのだと、本能的に悟っているのだろう。
「今までの戦いは無我夢中だったり殺伐としてたりでとにかく生きることだけを考えたからな。お前と戦えて、良かったよ」
俺の話を聞き、ドラゴンも楽しそうに唸った。
「じゃあな」
俺は、笑った。
そして。
オーバーヘッドキックをするように、全力で蹴り落とした。
ガァァァアアアアアアアアアアッッ!! とスピーカーに負けない大きな音が轟き、ドラゴンは学校の屋上を突き破ると、そのまま一階の地面まで突き抜けていき、叩きつけられた。確実に死んだだろう。
俺は、戦いに勝利した。
「よう、おめでとさん」
真後ろから、声が聞こえた。
俺は驚愕に顔を染めながら振り返る。
気配を感じなかった。
戦闘開始直後からそこにいたような気がするし、今来たばかりのような気もする。
不思議な男だった。
俺のボサボサな黒髪とは対照的な整った黒髪に返り血の一つもない制服。
男の顔に浮かんだ不敵な笑み。
一つだけ確信していることがある。
こいつは、確実に人間ではない。
「そんなに驚くなよ、オレはここに立っただけだろ?」
どこかで会った気がする。
あれは、確か体育館だったか。
意識が朦朧としていたときだったため、よくは覚えていない。
「お前は、まさか山城天音……?」
「その名前、気に入ってないんだよなぁ。どう考えても女の子の名前だろ? 天音って」
山城天音。
学校で知らない人はいないというほどの有名人だ。
ただし、プラスの意味で有名なわけではない。
山城天音は、学校で最も有名ないじめられっ子だった。
学内の誰もが彼をいじめていた記憶がある。
「ほんっと、変だよなぁ」
「何がだ」
「オレは学内で最も有名な人間。逆に風見晴人、オマエは学内で最も無名な人間。対照的だよなぁ、オレ達」
「無名って、お前……」
面と向かって言われると傷つくんですが。いや確かに俺は影が薄いけど。
山城は、「ところで」と話を変える。
「オレとオマエ以外にも知能のあるゾンビがいることくらいは、気づいてんだろ?」
途端に俺は目を細める。
こいつは、俺の考えた「ゾンビを操るゾンビ」の存在のことを言っているのか。
それに「オレとオマエ以外」と言った。こいつの言うことなので信じにくいが、とりあえずこいつは「ゾンビを操るゾンビ」ではないのだろう。
「無言は肯定っつーことで。とりあえず、情報を提供してやろう」
「はぁ?」
こいつ、何がしたいんだ?
見た目すげー俺の敵っぽいんだけど、なんなのこいつ。あれか、ダークヒーロー的なあれを目指してる子か。痛い子だ。
「ここがゾンビに襲撃された時間、つまりオマエがコンビニでゾンビに襲われたくらいの時間。ここに一人いたんだぜ?」
「……屋上なら、視覚したゾンビを操ることができるからか」
「そうそう。んで、そいつはその後四階の窓からオマエを操ろうとして失敗した」
「……待て」
四階の窓から俺を操ろうとした?
ゾンビを操るのに見ていることが条件であれば、ゾンビは窓から俺を見ている必要がある。
しかし四階には俺たち避難者の使う避難所以外に人はいない。
そして避難所に窓は一つしかなく、そこから外を、俺を見ていた人物は、俺が知る限り一人。
「気づいたって顔だな」
「待て、マジで言ってんのか」
「マジさ、はい情報提供終わり! そろそろここもヤバイし」
山城はパンッと手を叩き、飛び上がる。
空中で宙返りすると、フェンスに足を乗せた。
「はーやく追っかけた方が良いんじゃない? オレの仲間が、オマエの仲間を殺しちゃうよ?」
「オレの仲間」。
つまり避難者の中には、最初から裏切り者がいたのだ。
「山城ィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!」
俺は、屋上の地面を蹴った。
衝撃によって、学校の校舎に亀裂が走る。
そして体育館が崩壊したときを超える音が大地に轟き、校舎が崩れだした。
山城はフェンスから足を離し、飛ぶ。
最後に山城は、こう述べた。
「じゃあな同類。気が向いたら声かけろよ? 歓迎するぜ」
「ふっざけんな!!」
俺は崩れる校舎の瓦礫を蹴り、地面に着地すると、山城の方を見ることなく、マイクロバスを追った。
裏切り者は今、マイクロバスの中にいる。
おそらく猫と高月はマイクロバスの外にいるため、マイクロバスの戦力で裏切り者に勝てるかはわからない。
誰かが人質に取られてしまえば、バス内最大戦力のマサキも手を出せまい。
状況は最悪だ。
俺はさらに悪くなる状況に、歯噛みした。




