108 刻まれた恐怖
しばらく神の残骸を調査したが、何も収穫は得られなかった。天使とやらの痕跡もなければ、風見晴人や鈴音恵も見当たらない。どうやらここは本当に何もないようだった。
「ここまで遠征に来て収穫なし、か」
「世知辛いっすねぇ」
春馬と浜野はそんな風に話す。確かにそうだった。
この一週間でなぜか壁に向かってくるゾンビの数は増えている。壁を出て、ここまで来るのだってそれなりに準備が必要だったのだ。
それが収穫なしでは、たまったものではなかった。
「まぁ、これ以上探索しても何も出てこないだろう。俺は本部に連絡して、帰投許可をもらって来るぞ」
「わかりました」
高月はそう返答しながらも調査を続行していた。もしかしたら何かの痕跡が見つかるかもしれないと思ったのだ。
そうして物陰に落ちていた手頃な大きさの残骸を手に取ると、機械でデータを取った。もちろんそれまで集めた記録と差異はなく、新しい情報はない。
「……やっぱりダメか」
そう思った時だった。
視界の端で何かが動いたような気がして、高月は反射的に転がった。
直後、ほんの数秒前まで高月が棒立ちしていた空間をものすごいスピードで飛びかかってきた何者かが喰らった。
考えるまでもない。ゾンビだ。
「――、くっ!」
『アサシン』の戦闘員たちは個々が逸れる可能性を想定し、耳元に引っ掛けるタイプのアイテムを所持している。その役割は、ひとりが送った信号を受け取った隊員が瞬時にその状況を判断することができるため。
高月はすぐに耳元の引っ掛かりに付いたボタンを押し、二人に敵襲の信号を送信した。同時に反対の手で腰の金属刀を手に取ると、その勢いに乗せてゾンビを切りつけた。
相手は何の能力も持たず、強化もされていない普通のゾンビ。こちらの装備をもってすれば倒すのは容易い。
「…………」
後方に吹き飛ばすようにしてゾンビを倒すと、高月は視線を正面へ向ける。視線が見つめるのは、ゾンビが現れた場所。
そこから何か、喉を鳴らすような音が聞こえた。さらに湿り気のある足音がこちらへ向かう。
しかしその先は路地裏。絶妙な暗がりになっており、音の正体は認識できない。
高月はライトを点けようと腰に手を伸ばすが、――その手は急速で迫った何かによって弾かれた。
(――遠距離攻撃!)
幸いにも手に外傷はないが、油断していた。
ライトはどこかへ転がる。取りに行くことは不可能。高月は一旦横に逸れると、路地へ向けて一気に距離を詰めた。
敵の正体はわからない。だが、そんなものは倒してから判断すれば良かった。
腰の二刀目を手に取る。そちらは能力消去の剣。
高月の前において、あらゆる能力は無効。勝負の利は高月にある。
「せ、やァ――!」
地を蹴り、飛び上がる。
建物の壁と壁に挟まれた路地裏の地形を利用するべく、初手は壁を目掛けた跳躍。そのまま壁を蹴ると反動をつけて対象へ斬り込んだ。
トリッキーな攻撃を見舞ったが何者かは直前で身を翻していた、そのせいで斬撃は深く入らない。高月は舌打ちをしつつ距離をとった。
戦場は路地裏へ移る。目も暗闇に少しずつ慣れた。
おかげで敵の正体も段々と見えてきた。
「――カエル?」
人間のような体躯ではある。身長は高月よりも高く、すらりとしていた。
だが頭についているのは蛙のものだ。よく見れば手足にも水かきのようなものがあり、それらは湿っている。
「カエルのくせに、一丁前に服を着て人間のフリをしてるってわけか」
蛙はレインコートを着ている。そのフードは先ほどの攻撃を避ける際に脱げていた。
かつて共に戦ったジェットという猫は人と遜色ない知能を持ち、翼が生えていた。学校で戦った蛇は龍のような姿、能力を持っていた。東京を吹き飛ばした亀は山のような体躯、光線を撃ち出す力を持っていた。
相対する蛙にも、それらの動物が持っていたような力があると考えられる。警戒を怠ってはいけない。
ジリジリと互いに獲物の様子を伺う静寂。先に破ったのは蛙だった。口を開き、ものすごい速度で何かを射出する。
「ふっ!」
それを金属刀で打ち払うと、高月も再び前進する。しかし打ち払った攻撃が戻ってくる気配に、高月は咄嗟に伏せる。頭上を先ほどの何かが通過した。
「舌、か……!」
何かの正体が遅れて分かった。速すぎて見切るのに時間が必要だったが、それは舌だ。
遠距離攻撃だと思っていたのは鞭のようにしなる舌だったのだ。
「タネが割れれば対処は難しくないぞ!」
分かってしまえば防ぐのは容易だ。ようは、舌を使えなくすれば良い。
「しっ!」
先ほど金属刀で打ち払った時の感触で、簡単に切断できるそうなものでないことはわかっていた。
だからこそ、高月は再び打ち出された舌を打ち払う。
それも、遥か後方に。
そもそも高速で前に射出されていたところに追い打ちをかけるような一撃。舌はぐんと速度を上げ、彼方へ伸びていく。
そして伸びきったところで、勢いは止まらない。
「――これで、それは使い物にならないな」
ブチブチと、蛙の舌が千切れていく。長さの限界を超えて伸びようとする舌が、根元から切断された。
そうして生まれる隙を待っていたように、高月は決定的な一歩を踏み込む。
「終わりだ」
そうして能力消去の剣を振りかぶり――。
「――――」
振り下ろす直前、目の前の蛙が発光した。正確には蛙の着ていたレインコートが輝き、一瞬のうちにその姿を変える。
それが幻術、幻だと分かっていても。
「――よぉ、クソガキ」
高月は剣を振り下ろせない。
潜在的に抱えた恐怖。格上のゾンビや能力者すら恐れない高月が唯一恐れるもの。
自分の父親には、剣を振り下ろせない。
「父、さん……!?」
自分の躊躇いが家族だからでないことは自覚していた。高月は自分の父親を恐れているのだ。
そして蛙の幻術の能力も同時にわかる。蛙はレインコートを発光させることで、対象が最も恐怖するものに擬態するのだ。
「動け、動けよ……っ!!」
高月は自身を叱咤する。動け、動かなければ殺されるぞと。
だが自分の父親が生来与え続けてきた恐怖。その威圧感からは逃れられない。
「ほんっと、弱っちいヤツだよなぁお前」
目の前の父親が、父親の紛い物が何かを喋る。喋りながら、高月の首を掴んだ。気道が締められ、酸素を求めるように喘ぐ。
「そんなんだから、――自分の母親も守れねぇんだろ」
苦しい。身体も、そして心も。
高月快斗を蝕むのは、圧倒的な絶望感だった。自分の父親が何よりも怖い。今まさに、自分の命が絶えようとしていることが怖かった。
「お前さ、いつになったらその口に見合った強さを手に入れんだ?」
態度だけ。高月は口先だけ。目の前の父親が言うのは、確かに的を射ていた。
母親を守れなかった。御影奈央を助けられなかった。篠崎響也を倒すこともできなかった。
高月は風見晴人の背を追うばかりで、未だ何一つ守ることはできていない。
「だま……れ……!!」
幼い頃の記憶が蘇る。
それは妹が泣いていた記憶だ。妹は理不尽に父親に叱られ、頭をぶたれた。何度もぶたれていた。妹の泣き声はどんどんか細くなっていき、やがてすすり泣くように小さくなった。
高月はそれを見ていた。
黙って、それを見ていた。
「あの頃の僕とは、違う……っ!!」
死にかけていた瞳に光が灯る。
目の前の恐怖に抗おうという意志が高月に宿る。右腕はそれに応えるように動いた。
その手に持つ剣が、蛙のレインコートに触れる。
「僕は、――弱くなんかない!!」
霧が晴れるように、恐怖が弾けた。
父親だったものは元の姿へと戻り、高月を支配していたものはなくなる。身体が軽くなるのを感じた。
だから高月はすぐに身を翻し、金属刀で蛙を切りつけつつ腕から抜け出す。
そして着地の反動をバネにして一気に蛙を貫いた。ぬめりとした体表はいとも簡単に突き抜かれ、そこに穴を穿つ。
「お、おおおお!!」
高月はその剣をさらに斬り上げた。蛙は両断され、鮮血の中に沈んでいく。大量の返り血が高月を濡らした。
「はぁ、はぁ……」
荒い呼吸を繰り返す。先ほどの光景はこびりついて離れなかった。
目の前に蛙の死体は倒れ伏している。しかし倒してもなお、恐怖は高月に刻み込まれていた。
返り血を拭う。だけど蛙の幻覚が見せた恐怖は拭えない。
考えてしまった。もしも、もしもの話だ。
もしも高月の前に父親が立ち塞がったとしたら、自分は――。
「――やめろ!!」
頭を左右に振り、浮かんだ仮定を振り払う。自分は何を考えているのか。父親が敵に? なぜ、そんなことを。
だけど刻まれた恐怖は高月を縛る。考えたくなくとも、頭は勝手に回る。
想像してしまうのだ。――自分が、父親の狂気になす術もなくなる姿を。
そうして高月が恐怖に押し潰されそうになっていた時だった。
「合格ですわ」
真後ろから聞こえた女の声。
高月は反射的に振り返った。
すると一瞬のうちに景色は、大草原へと変わっていた。
あけましておめでとうございますというには遅すぎました、すみません。
そんなに関係はないですけど、メッソンが発表された時はリザードンみたいに進化すると思ってました。




