番外編5 『真実』への憂い
――羽の色の異なる蝶が二匹、互いに交わりながら舞っている。ひらり、ひらりと舞う様はとても幻想的に思えた。
その二匹とは対照的に、向かい合わせで立つ二人の少女は攻撃的な視線を交わしていた。それはとても、青い空の下に広がる草原には似つかわしくないものだった。
「ねぇ、わかってるの?」
「ん、何が?」
黒い童女が口を開くと、対面の少女は笑顔で答える。笑顔だが、その目は笑っていない。
「ハルくんのこと!」
「うん、わかってるよ? ハルトが元気になって良かった」
「そうじゃない!!」
余裕そうな少女――高坂流花は、童女を前に煽るかのような言葉を並べる。
「アンタもハルくんの中にいるんだからわかったはずよ! ハルくんが今後必ず直面するであろう、逃れようもない『真実』が!」
『真実』。それが何を指すのかはすぐに思い当たった。高坂もそのことは『居場所』の能力で風見晴人の中に割り込んだ時に知った。
確かに、壮絶な衝撃を受けた事実であった。
「アンタは、悲しくないの!?」
「悲しい?」
「そうよ……! だって、アンタは……っ」
そこで童女は言いづらそうに視線を逸らした。こういうところは見た目相応の反応だ。
反応から童女が少しでもこちらを慮ってくれたことがわかると、高坂は少しだけ態度を軟化させた。
「うん、そりゃ……最初に知った時は悲しかったけどさ」
人の心に割り込んで仕舞えば、その人が考えていること、その人の想い、すべてが否応なしにわかってしまう。風見晴人という一人の人間のすべてが筒抜けとなってしまう。
そうなれば、必然的に見えてくることがあった。
童女が言いたいのは、たったひとつの事実。
すなわち、――風見晴人は高坂流花のことが好きなのか。
「アンタは、全部奪われたのよ!?」
「奪われた……うん。確かに、そうかも」
答えはすぐにわかった。
風見は高坂のことを良く思っていても、そこに恋愛的な好意は一切ない。その事実に直面した時は、本当に胸が苦しくなった。
風見が恋している相手は、本当に、御影奈央だったのだ。
「全部、あいつの思い通りに進んでる――それで良いの!?」
「そっか。それで君は、ハルトの意識をここに閉じ込めようとしたんだ」
「……そうよ」
風見が意識のすべてを童女に委ねて仕舞えば、あとは童女がめちゃくちゃにしてやるだけで良かった。だけど風見はそれを拒んだ。最後の最後で、意識を手放さなかったのだ。
それが、高坂というイレギュラーを心に閉じ込めてしまった弊害だった。
高坂が最後の最後で風見にトリガーを引かせなかった。
「――すべてを本能に。黒のハルくんになってくれてれば、全部上手くいったのに!」
「本当に?」
「……そうよ。現に、山城天音はこの世界において重要なポジションに立っているわ」
山城天音。高坂もその名を知る復讐者だ。彼は自分の口でも語ったように、本能で生きている。
それは彼の授かった『翼』、彼の中の何かに意識を委ねている証拠であった。
おかげで彼は自分の目標に向けて順調に歩みを進めている。童女は風見にもそうなれと言っていたのだ。
けれど、そのやり方は間違っていると思うのだ。
「大丈夫だよ。ハルトはそんなのがなくたって、充分に強い」
「弱いよ! 今回だって、何度躓いたかわからない! 自分にとって大事な人たちに叱咤されても、その手を血に染め続けたのよ!?」
「それでも、――前を向いて走った」
自分の罪と向き合って、自身の喪失感を糧にして、最後には前を向いた。それが風見晴人の強さなのだと、高坂は確信している。
だから風見の強さを、弱さだとは絶対に言わせない。
「誰だって超人じゃない。完璧な精神を持って、最強の肉体をもって、あらゆる悪をねじ伏せられるわけじゃない」
風見はそういうヒーローではない。
「ハルトは躓いて、転んで、心も身体も擦り減らしながらそれでも、前を向くことができるヒーローなんだよ」
最後の最後。心の芯のところだけは絶対に折れない。どれだけその灯が小さなものになってしまっても、強大な雨風に晒されてしまっても、決して消えない。
そういう強さを彼は持っているのだ。
「だから、ウチはハルトを信じたい」
「――――」
「確かに『真実』を知ったら、ハルトは今回の比じゃないくらい落ち込むかもしれない。もっと、もっと黒い闇に染まってしまうかもしれない」
「――――」
「だけどその先に必ず光があるって、ウチは確信してる。ウチはハルトを、信じられる」
「――どうして」
童女の言いたいことはわかった。なぜその先を噤むのかも。
どうしてアンタは『真実』を知って、それでもハルくんを信じられるの?
童女はそう言いたいのだ。
「そんなの、ひとつしかないよ」
高坂は笑った。瞬間、爽やかなそよ風が二人の横を通過する。
「ウチがハルトのことを好きだからに決まってるじゃん!」
言葉に迷いはなかった。
風見は『真実』を知っても立ち直れる。ならば高坂も、『その程度』で立ち止まるわけにはいかない。
そばにいると決めたのだ。この能力を手にした今、居場所を手にした今、風見に寄り添うと決めたのだ。
「無理だよ、次はどうしようもないよ……」
だが童女は不安を隠せないでいる。高坂はそんな童女に近づくと、頭を撫でながら抱きしめてやった。
初めは抵抗を感じたが、すぐにそれも無くなった。
「今回はたまたま、周りにハルくんを想ってくれる人たちがいたから――そして決め手になるアンタの言葉があったから、立ち直れたの……」
童女は怯える。
いずれ来る災厄。風見が『真実』に直面し、決定的なものを失ってしまうという事実に。
今度こそ、風見晴人が壊れてしまうのではないかということに。
「次は、『真実』は――ダメだよ……」
声が震えていた。それはまるで、風見が壊れてしまった時どうなるのかを知っているかのようだった。
だけど高坂にはもう、頭を撫でてやることしかできない。
「『真実』を知ったらハルくんは、多分それまで積み上げてきたものを全部失う」
「……かもね」
「そうなった時、ハルくんはハルくんのままでいられない……。今度こそ、心が折れちゃうよ」
高坂にも想像はできる。風見の慟哭。もしも再びこの世界に戻ってきた時に、お前は知っていてそれでも俺を行かせたのかと激怒するだろうことも。
こんなことを知るくらいならば、最初から本能のままに生きていれば良かったと嘆く姿が想像できた。
今の高坂にはどうやって慰めてやればいいかわからない。高坂にそうなった風見を立ち直らせることができるのかもわからない。
――だけど、だけど。
「大丈夫だよ」
自然と、そう言えた。
もちろんさっき語った以上の根拠はない。説得力には欠けるだろう。高坂にも先のことは何もわからなかった。
口ぶりからして童女はすべてを失った時、風見がどうなるのかを知っている。だからこそその時が来るのを未然に防ごうとしているのだ。
だけど高坂は、レールを敷いてやるのを嫌った。自分で道を切り開いてこそ、風見晴人だと思うのだ。
「きっと、ハルトなら――」
そう思う高坂の声も、来る災厄を思うと少しだけ震えた。




