09 マザコンもイケメンであれば許されるのだろうか
僕、高月快斗は、度々聞こえる騒音に不安になっていくみんなを安心させるために、防火扉を開けて外に出ていた。
金属同士がぶつかり合うような騒音は、ゾンビだらけの世界において明らかに異常だ。ファンタジーな世界の剣士同士でもいなければこんな世界で鳴らないであろう。
「はぁ、一体何が起こっているんだ……?」
高月快斗は、二階へとたどり着いた。そこで彼を待っていたのは。
「な、なんだ……こいつ……」
右手首からチェーンソーを生やし、左手の肘から先がない、一人の女性だった。
それは、化け物としか表現できなかった。
「殺したい、殺したい」
そんな言葉ばかりを言って、チェーンソーを振り回す女を、それ以外で表現できるならむしろ知りたい。
「クソッ、三階の防火扉は閉まっているし、四階には逃げ場がない。必然的に一階に逃げるしかないじゃないか!!」
僕は今、必死に化け物から逃げていた。
階段を駆け下りる。この際他のゾンビなど知ったことか。
僕は一階に下りると、廊下を全力疾走した。技術室に向かって走る。
技術室側の非常扉から出るのだ。
引きつけてしまった以上、巻くまで防火扉の中に戻ることはできない。
技術室は血まみれだった。それを言ってしまうと、廊下や空き教室、校庭と血まみれの場所しかないと言えるほどに学校は血まみれなのだが、技術室のものは少しそれとは違う気がするのだ。
なんと言うか、生きた人間がここで死んだようには見えなかった。どちらかというと、死体をわざわざここまで運んできて細切れにしたような。
教室の風景に吐きそうになったが、そんなことで立ち止まっている暇はない。
非常扉へ走る。
「……は?」
ドアノブを捻り、開けようとしたのだが。
開かなかった。
「扉が……壊れている?」
詰んだ。
他に逃げ場はないし、化け物はもう既に技術室に入ってきてしまったために隠れることもできない。
「マジかよ……」
そのままそこに座り込む。
もう、どうでもいいや。
そもそもこんな世界で生き残れる希望なんてどこにもない。
僕は自分を信じて、多くの人を助けてきたつもりだ。
しかしそんなことをしたところで、永久に安全な場所の確保など、非力な僕には無理だ。
いつか、僕が無責任に助けてきた人たちはみんな死ぬ。
結局、僕はゾンビを殺したくない言い訳に、綺麗事を使っていただけだった。
みんな元々同じ生徒だから、ゾンビ化を治すワクチンができるかもしれないから、なんて。
裏を返せば、ただゾンビが怖くて、何かを殺すことが怖くて、それによって人殺しだと見られるのが怖かっただけだった。
僕は臆病だ。
どうしようもないほどに臆病だ。
臆病で、無責任な男だ。
そんなやつ、死んだ方がいいだろ。
「殺したい、あはあは、殺したい」
「もういいよ、早く殺せよ……」
「あは、あは、殺したい」
「早く……殺せよ……」
「殺したい、殺したい」
「 早く殺せよッッ!!」
僕は怒鳴った。
化け物が一向に僕を殺そうとしないからだ。
僕が怒鳴ると、化け物はなぜか困ったような顔をして、僕に近づいてきた。
そして座り込む僕に向けて、そのチェーンソーを振り下ろした。
そうだ、それでいい。やっと死ねる。
僕はせめてと思い、その化け物の顔を見た。
そして、
「母、さん……?」
化け物の顔が、母さんそっくりなことに気づいた。
ガィィンッとチェーンソーは僕の首のすぐ横の壁に突き刺さり、止まる。
母さんそっくりな化け物、いやそっくりではない。これは、母さんだ。
右手にチェーンソーを生やし、左手は肘から先がないが、これは母さんだ。
だって、事実今振り下ろしたチェーンソーが止まったじゃないか。
「母さん……なのか……?」
化け物は暖かい眼差しを僕に注ぐ。
確信した。
母さんだ。
きっとゾンビになった母さんだ。
確かに母さんはPTAの集まりで学校に来ていたのだ。ゾンビになってしまったとしてもおかしくない。
ゾンビになってしまっていたことは確かに悲しかったが、それ以上に僕のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。
母さんは、僕に背を向けてどこかへ行ってしまった。
「母さん……ゾンビになっても、僕を覚えていてくれたんだね……」
僕は母さんが見えなくなってからようやく立ち上がった。それだけ色々なことに驚いていたからだ。
「……母さんを追いかけよう」
もしかしたら母さんをゾンビと勘違いして殺してしまう人がいるかもしれない。
だからすぐに追わないと。
母さんはゾンビじゃないんだ。
母さんはゾンビじゃなくて、人間なんだ。
殺されるなんてダメだ。
僕が守らないと。
僕は、母さんを追いかけた。
僕の家は世間と比べると少し裕福な家庭だった。
しかし母さんは僕に「少しお金を持っているからって、なんでもかんでも自慢したり、人が嫌がることをしちゃダメよ」と教えてくれた。
小さい頃はどうしてだろうと疑問に思っていたが、今ではわかる。
母さんは、とても優しいのだ。
駅前やお店で募金をしていたら必ず募金するし、困っている人がいたら助ける。そんな人だった。
僕はそんな母さんに憧れていて、母さんを真似てなんども人助けをしようとした。
しかし僕の人助けは、母さんの人助けとは違った。
僕の人助けは、なんと言うか、上から目線だったのだ。
助けてやる、という姿勢で人助けを行っていた当時の僕は、助けられて良かったと思うのでなく、助けてやった自分はすごいと自己満足に浸っていただけ。
母さんには簡単に見抜かれた。
そして母さんは僕を叱った。
「どうして、困っている人の気持ちを考えてないの?」
反論できなかった。
僕は、僕が困っていると判断し、勝手に助けた。
困っている人の気持ちを考えていなかった。
僕が自分が偽善者だったのだと自覚したのは、そのときだった。
母さんが危ない。
二階への階段を上っているときにそう感じた。
背筋がゾクッとしたのだ。
嫌な予感、というやつだ。
はやく行かないと母さんが殺されてしまう。ただでさえ左手を失って血が大量に流れているのだ。母さんは人間だ。あんなに血を流したら失血死してしまう。見つけたら保健室に連れて行ってあげよう。そこで治療したら一緒に防火扉の中にいってみんなに紹介しよう。大丈夫、母さんは人間だ。少し見かけが普通の人とは違うかもしれないけど、母さんは人間だ。きっとすぐにみんなとも打ち解ける。もし母さんが誰かに襲われていたらどうしよう。そしたら、その誰かを倒すしかないよね。倒すって、どうしたら倒したことになるんだろう。殺せばいいのかな。そうだ、殺そう。母さんは人間なんだ。人間を殺そうとするやつは、殺さないと。あ、でも母さん「殺したい」って言ってたな。せっかくだから母さんに殺させてあげようかな。そうしたら僕も母さんも両方嬉しいじゃないか。なんていい作戦なんだろう。これは母さんには内緒にしておいて、サプライズにしよう。サプライズにするんだったら、殺す人間も僕が用意した方がいいんじゃないかな。そうだ、僕が用意しよう。最近、母さんの手伝いあまりできてなかったし、それくらいはしてあげよう。親孝行ってわけさ。防火扉の中のみんなだったら協力してくれるはず。誰かに声をかけて、母さんに殺させよう。そしたら僕も母さんも殺された人間もみんな嬉しい。素晴らしい作戦だ。というか、せっかくだから防火扉のみんなを殺させてあげよう。だってわざわざ僕に「殺したい」って言ってきたってことは、たくさん殺したいってことだろう。ってことは、人は多い方がいいじゃないか。防火扉の中には何人いたっけ。一、二、三……二十人くらいかな。そんなにいたら母さんも大喜びだろう。でもなんで殺したいのかな。殺すって、本当は楽しいのかな。母さんがやってることが楽しくないわけないか。何を言ってるんだ僕は。全く、母さんの趣味を疑うだなんて。でも、そうなると僕も殺したくなっちゃうな。僕は母さんを殺そうとしたやつを殺せばいいや。人間である母さんを守らないと。母さんは人間だからね。かあさんはにんげんだ。かあさんはにんげんだ。かあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだかあさんはにんげんだ。
まもらないと。ぼくがまもってあげないと。
だいじょうぶだよ、かあさん。
ぼくがまもるから。
すぐにいくから。
気がつくと僕は、気持ち悪いくらいに笑っていた。
ただ空っぽに、笑っていた。
僕は廊下にいた。
考えごとをしている間にたどり着いていたようだ。
廊下には、母さんもいた。
でもなんか、もう一人なんかいる。
誰だ。母さんを殺そうとしているのか。危険だ。殺さないと。
ズチュッという音は、そんなときに聞こえた。
「……え?」
思考が完全に停止した。
あれほどまでに回転していた頭が、一瞬にして停止した。
「勝った、か……」
目の前のなんかがなんか言ってる。
停止した思考が再び動くのには、時間がかかった。
なんとか声を絞り出すのには、もう少しかかった。
「母さん……?」
そうしてなんとか絞り出した言葉が、それだった。
「ああ?」
なんかからは気の抜けた返事が返ってくる。
その足元には、母さんがいた。
母さんだったものがいた。
つまり。
それは。
母さんが倒れているということで。
端的に言うと。
母さんが今死んだ。
母さんが死んだ。
母さんが死んだ。
母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ母さんが死んだ。
守れなかった。
あれだけ守ると誓ったのに、守れなかった。
殺さないと。
母さんを殺した人殺しを、殺さないと。
殺してやる。
母さんを殺した、人殺しを。
死ね、風見晴人。
※※※
「よくもっ……母さんをおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
高月が喉が潰れるほどの咆哮を上げてこちらへ向かってくる。
俺、風見晴人は進化ゾンビを殺したばかりだというのに、休む暇もなかった。
「母さん……? なんのことだ!」
とはいえ、それだけは聞かずにはいられなかった。状況がさっぱり読めないからな。
「お前が殺したその人はッ! 僕の母さんなんだよ! この人殺しがああああああああああああッッ!!」
高月は拳を握りしめ、殴ってきた。武器も持たずに外を歩くとか自殺行為だろ。
「母さんって、この化け物がか!? 馬鹿じゃねえのお前!?」
「母さんに向かって化け物とか言うな! 殺してやる、風見晴人おおおおおおおおッッ!!」
狂ってんなこいつ。
俺は確信した。いやー、マザコンって怖いっすね。楽観的に考えてる場合じゃねえ。
俺はバールを捨てる。さすがに生きている人間をわざわざ殺すつもりはない。
俺がやるのは見殺しだ。殺人ではない。そこんとこ気をつけてね。
高月の拳をなんとかかわしつつ、後ろへと下がっていくものの、これからどうしたらいいのかわからない。
狂ってしまった人間を元に戻す方法に心当たりなんてなければ、そもそも狂った人間が元に戻るのかも知らない。
「一番怖いのは人間」だなんてゾンビものではよく聞くが、こういう狂人のことを言うのかな。
「そいつのどこをどう見たら母親に見えるんだよ!?」
「顔も服も体つきも丸ごと母さんだろうが!!」
「きめえ!! マザコンすぎてきめえ!!」
学年トップのイケメンならマザコンでも許されるのかな。ないか。
これは御影さんは俺のものだなとか考えてみたけど、そもそもこいつをここでなんとかしないと御影さんに会えるかもわかんねえ。
高月の拳をかわしてきた俺だが、とうとうかわしきれなくなった。
さすがにサッカー部系の爽やか生徒会役員が怒ってるのにケンカで勝てるわけがない。
しかし高月にも疲れが見えた。
俺は一旦距離をとるため、高月を転ばせる。
「……どうして、母さんを殺した?」
距離をとると、休憩のつもりか高月が口を開く。
「だから、あいつはてめえの母さんなんかじゃ……」
「答えろ!! どうして母さんを殺したんだ!?」
答えろって言われても悩むよな。とりあえず、ありのまま伝えよう。
「……そいつが、襲いかかってきたからだ」
「襲いかかってきた? ありえない。だって母さんは人間だ。お前が勝手に襲いかかってきたと勘違いしたんだろう」
こいつ本格的に狂ってんぞおい。どこの世界にチェーンソー手首から生やす人間がいるんだよ。十三日の金曜日に来るジェイソンさんもびっくりの外見じゃねーか。
「はぁ、お前。あれが人間に見えるのか?」
「……お前、僕の母さんを人間じゃないとでも言う気か?」
「お前の母さんは人間なんだろうけど、そっちのあれはどー見ても人間じゃねーだろ」
俺はちゃんと進化ゾンビを指差しながら言ったのだが、高月はそちらを見ない。
ああ、そうか。
そこで、俺はどうしてこいつが狂ったことを言うのかに気づいた。
認めたくないんだな、こいつ。
進化ゾンビは、確かに高月の母親だったんだろう。
それがあんな姿で殺人以外に何も考えられなくなっていたとしたら、狂ってしまうのも納得できる。
こいつは、母親がゾンビになってしまったんだと認めたくないんだ。
確かに俺も御影さんがこんな風になってしまったら、正気でいられる自身はない。
納得はした。
納得はしたが、しかしなんとかする方法は見えない。
「……単純にぶっとばして目ぇ覚まさせるのがマンガ風だよな」
仕方ないので、俺は戦うことを選んだ。
「さて、そろそろ殺してもいいかな?」
「あいにくだが、てめえに殺される気はねえよ」
休憩時間を挟んだおかげか、高月も多少落ち着いてきたようだ。
これなら、説得もしやすいかもしれない。
やろう、高月をなんとかすれば御影さんからの好感度もアップするだろ。おおお、やる気でた。
「この人殺しが。死ねよ、風見晴人」
吐き捨てるように言ってるけど、俺を殺したら君も人殺しなんだよ? そしたらちゃんとお前も死ねよ?
俺は相手が人間だからか安心しているらしい。楽観的にしか考えられない。元々でした。
「だから、あれはどう見ても人間じゃねえっつの!」
高月は、俺が捨てたバールを掴んで走ってきた。ちょっと、それ俺の!
俺はバールを捨てたことを後悔しつつ、どうしたらいいか慌てて考える。やべーって、バールは冗談抜きにやべー。本当に死ぬって。
バールをなんとかしつつ高月の動きを止めるのが理想だ。
だとしたら最適なのは、バールをどこかへ蹴っ飛ばし、高月に馬乗りになるという状況だろう。
その状況に持ち込むには。
「あいつの速度を利用すんのが、最適だなっ」
俺は振り下ろされたバールを左手で受け流す。失敗したせいでちょっと痛い。進化ゾンビにも左手やられてたから本格的にやばい。
右足を左前へ出しながら、右手で高月の胸ぐらを掴む。
そして、高月を走ってきた勢いのまま投げ飛ばした。
「ばっ、がうッッ!?」
地面に背中から落下し、悶える高月の右手を全力で踏みつけ、バールを離させる。
そしてバールを蹴飛ばし、高月に馬乗りになった。完璧。
「くっ、そ……風見晴人おおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
「暴れんなっつの、馬鹿!」
「母さんは人間なんだ! それをよくもおおおおおおおおおおッッ!!」
「まだ言うかお前!」
「母さんは僕のことを覚えていてくれたんだ! 見つかって追いかけられたけど、あんな姿になっても僕を覚えててくれたんだ!!」
「……なんだって?」
「言った通りだよ! 僕が技術室まで逃げて座りこんだときに、母さんって呼んだら笑って見逃してくれたんだ!! これが僕を覚えていてくれた以外の何だって言うんだ!!」
進化ゾンビは、高月の母親は、ゾンビになっても高月のことを忘れなかった。
その事実が、進化ゾンビは人間なのだ錯覚させたんだろう。
だが、錯覚は錯覚。間違いだ。
間違いは、正さなければならない。
俺は、深呼吸をしてから状況をまとめた。
そして、高月を納得させるための言葉を選び、紡ぐ。
「お前だって、本当は気づいているんじゃないのか?」
「何にだ!!」
「お前の母さんが、もう人間なんかじゃねえってことにだよ!!」
俺は高月の胸ぐらを掴み、怒鳴った。
なんでか、俺も少しムカついていた。それが高月が母親のゾンビ化を認めないからなのか、ゾンビ化したらもう手遅れなのだと決めつける俺自身への自己嫌悪からなのかはわからない。
わからないが、それでも、ここで高月をなんとかしないといけないということはわかる。
だからここでやる。
やらないといけない。
「いい加減自分の母親がゾンビだって認めろよ!! もう手遅れだって割り切れよ!! みんな大切な人がゾンビになっていって、それでもお前が安全地帯作ってくれたおかげもあってか、なんとか生きてんだろうが!! なのに、安全地帯のリーダーのてめえが、こんな根本的なとこでつまずいててどうすんだよ!!」
大切な人を大切に思うことは悪いことじゃない。
むしろそれは美しく、尊く、そして当たり前の精神なのだ。
しかしこんな世界でその精神を押し通すことは、限りなく難しい。
例えその精神が美しく、尊かったとしても、こんな世界でそれを押し通すのはダメだ。
なぜなら、ゾンビとなった人間すら大切にするということは、生きている人間を危険に晒す、ということだからだ。
この世界において、凡人は選択しなければならない。
まだ生きている人間や自分自身を守るか。
ゾンビになった大切な人を、他の人間を危険に晒してまで守るか。
ゾンビになった人間を守るというのも、一つの選択だろう。
だが、それを他でもないお前が選んじゃダメだ。
お前はみんなを、御影さんを助けたはずだ。
そんな人間が、そんな救いようのない選択をするなんていうのは、俺が絶対に許さない。
だからその意思を曲げる。
選択を変えさせる。
「手遅れ……? 何言ってんだ。きっと日本政府がいつかゾンビウィルスかなんかの対抗ワクチンみたいなの作ってくれるんだろ!! 手遅れだなんてあるわけがない!!」
「ふざけんな!! てめえは、そんないつになるかも分んねえ理想のために、それまでてめえが助けた全員を危険に晒すっつーのか!? 無責任にもほどがあるだろうがッ!!」
「ああ、そうだよ!! 僕は無責任な人間なんだ!! 偽善者なんだよ!! 知ってんだ、母さんに昔言われたときから何も変わってないってことには、とっくに気づいてんだよ!!」
「だったらなんで助けた!? 中途半端な善意で、勝手に人を助けてんじゃねえよ!! 助けたんだろ!? だったら、最後まで守り続けろよ!!」
助けられた人間は安心する。
助けられた人間はリーダーに従う。
それは当たり前のことだ。
善意で自分を助けてくれた人間を信頼しない人間なんて、そういない。
リーダーは信頼されているのだ。
そしてその信頼に応えてやるのが、助けたものの務めだ。
一度助けたのなら最後まで守り続ける。
それが、この世界で人を助けると決めた人間の、使命だ。
「だって……だって母さんはッ……母さんは僕をッ……見逃し、て……」
綺麗事で高月が納得してくれるとは露ほども思っていなかった。
だから今度は、別の切り口から攻める。
こいつは、本気で母親を大切に思っている。
だったら、そちらの方向から攻めるのが俺のやり方だ。
「てめえの母親は、技術室前にいた」
「…………」
「そして技術室には、俺が大量のゾンビを閉じ込めた」
「…………」
「でもお前の母さんが技術室前に出たときには、技術室には一体もゾンビはいなかった。代わりに技術室にあったのは血と骨と肉片。ここまで聞けば、大体わかるな?」
「…………」
技術室には食堂解放作戦のときに大量にゾンビを集めたはずだ。
しかし時間が経つとそこからゾンビが消えた。
代わりに現れたのは、まるで進化したようなゾンビ。
この情報だけで、推測は用意だ。
「普通のゾンビは記憶を持っていないと仮定すると、お前の母さんがお前を覚えてたのは、共食いをして進化したからだと推測できる」
「そんな……」
「つまり、現状お前が母さんを元に戻すには大量のゾンビを食わせる必要がある。でも、そんなことさせたくないだろ」
「母さんが……元に戻るんだったら……」
往生際が悪いというか、こいつもつくづく頑固なやつだ。
俺は、首を横に振った。
「お前の母さんが、そんなやり方で元に戻されて喜ぶと思うか?」
「――――」
「助けられる側の気持ちも考えてやれよ、偽善者」
「――――」
「それじゃ、俺は行くぞ。この理論が本当なら、体育館がやばいからな」
確か、体育館にはマサキたちがゾンビを集めていたはずだ。
だとしたら、そこにもゾンビの進化系がいるかもしれない。
様子を見た方がいいだろう。
俺は高月の上から退き、そのまま振り向かずに手を振る。
「そうだ。お前の母さんの手に生えてるチェーンソー、『斬りたいと思ったものを斬る能力』があるらしい」
「……能力だと?」
「ああ、苦労させられたぞ」
「それを……一人で倒したのか」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」
なんか疑ってるぽいけど、まぁいいやほっとこう。
それより体育館行かねえと。
「君は……どうしてそれだけの力があって自分を守るためにしか使わないんだ……」
そんなの、決まっている。
俺が集団を統率するだけの力を持ち合わせていないからだ。
俺は集団を乱す存在でしかない。
だから自分のためだけに動くと、そう決めた。
そんな俺の答えは、今は返さない。