井戸を覗く少女 13
こうして井戸に纏わる少女の謎も、(そして若葉の初恋も)あっという間に終幕となったのである。
「もう一つハンバーグはいかが、志儀君?」
「いただきます!」
「いやあ、いい食べっぷりだ、志儀君! ソレに比べて若葉は……」
3つ目のハンバーグに喰らいつく志儀の隣で全く箸の進まない我が子を見て首を振る内輪家の当主だった。
「おまえももう少し志儀君を見習いなさい」
「あ、いえ、チワ……若葉君は今日いろいろあって食欲がないんですよ」
「あら、嫌だ、傷心なの? その顔は……さては失恋ね?」
「やめてよ、ママ、そんなんじゃないよ!」
「千羽子さん、大丈夫ですよ! チワ……若葉君の分も僕が食べます! も一つおかわり!」
「いちいち言い直さなくてもチワワでいいわよ、志儀君」
4つ目のハンバーグをお皿によそいながら笑いを噛み殺して母、千羽子が言う。
「若ちゃんのニックネームが〈チワワ〉だってことちゃんと知っててよ」
「素敵なニックネームじゃないか!」
即座に泰蔵も微笑んだ。
「うん! 僕も気に入ってる。ほら、若葉だから苗字の内輪と続けてチワワなんだ。志儀君が付けてくれたんだよ!」
「ほう! そりゃ巧い! オマケにおまえのイメージによく当て嵌まってる! 羨ましいよ。僕の綽名なんか学生時代通してずっと〈重タイゾウ〉だったんだから。『内輪泰蔵君、重たいぞ~』ってね」
「あら! パパの綽名もとっても上手! ピッタリだわ!」
「ハハハ……それはそうと――素敵な名前ですよね、若葉って!」
慌てて志儀が話題を変えた。
「千羽子さんが付けたんでしょう? ホント、歌劇団風でハイカラだなあ!」
「フフ、皆にそう言われるのよ。でも――」
悪戯っぽく笑う千羽子だった。
「実は私じゃないの。命名は主人なの!」
「しかも、実を言うと、その名は僕に付けられるはずだったんだよ」
「え? どういうことですか?」
「ほら、先日、興梠さんの前でも話したけどね」
ワインを継ぎ足して泰造はさも可笑しそうにクックと笑った。
「僕が生まれた時、子供は出来ないと医師に言われていた両親の喜びはそりゃあ大きかった。で、母はどうしても若葉と付けると言って聞かなかったのさ。この子は若葉だって言い張ったそうだ。だけど、父は流石に躊躇した。男の子の名前には向かないってね。で、結局、〈泰造〉になったんだが――」
内輪泰蔵は、思い出に向かって乾杯するようにワイングラスを掲げた。
「名前の件では母はずいぶん残念がってたよ。その様子を見て育ったんで、僕は思ったわけさ。よし、将来自分に子供が生まれたら、男の子でも女の子でも絶対、〈若葉〉と付けようってね」
―― 若葉です!
志儀の脳裏に天井から覗いている女の顔が蘇った。
井戸の底にいた自分たちを見つめて見開かれた瞳。
一瞬過ぎった光。
あれは何だった?
驚愕と、そして、喜びの煌き?
―― 見えますか? この子、若葉って言います。内輪若葉です!
―― 井戸の底にやがて自分が生む子の顔が見えるそうだよ。
何故なら、
井戸は時間や次元を変換させる霊力が篭る場所だから。
「どうしたの、志儀君? さっきから固まってるよ。ハンバーグが喉に詰まった?」
「あ、いや、なんでもない」
あの時……井戸の底で僕が見た〈井戸を覗いた人〉って……
「いや、まさかな! ハハハハ……」
DEAD OR ALIVE
生きていようが死んでいようが。
いかなる時間、時空をも軽々と越えて。
心を残した人の元へ魂は還って来る?
幽霊や生霊の存在を一番信じているのは、
窓辺の孤独な探偵かも知れない。
ほら、
カーテンが揺れるたびに仄かな期待を抱いてそちらへ目を向けるのだ。
「そこにいるのは君かい?」
かつて愛したうつくしいひと。
だが、1度だって想いが叶った試しはない。
あの時も、
そうして、今も。
カーテンの影から進み出るのは……
「にゃああああああお―― 」
〈北窓塞ぐ 霊は勝手に入って来る〉 興梠
井戸を覗く少女 ―― 了 ――
※参考文献 「奇景の図像学」 中野美代子 (角川春樹事務所)
日本古代遺跡事典(大塚初重・桜井清彦・鈴木公雄、吉川弘文館)
「桃源万歳! 東アジア理想郷の系譜」(岡崎市美術博物館)
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